ニクスとアルノが浴場から出ると、宿内は騒然としていた。
従業員たちが慌ただしく行き交っている。
「あなた! ニクス!」
声がしたほうを振り向くとアーシャがラピスの手を引いて、駆け寄ってきた。
「二人とも大丈夫か?」
「ええ。鐘の音が聞こえたから、急いで出てきたけど、もしかして……」
アルノは一度うなずくと、近くにいた従業員に話しかける。
「すまん。もしかして、魔物が出たのか?」
「そ、そうだ! 魔物の群れがこっちに来てるらしい!」
ま、魔物の群れ!? いきなりどうして……!
アルノは渋い顔をしている。
「群れ、か……」
「あんたたちも避難してもらうから、荷物をまとめてくれ!」
「……分かった」
従業員が遠ざかるのを横目に、アルノは三人に振りかえる。
「アーシャ、言われた通りに荷物をまとめてくれるか?」
「あなたはどうするの……?」
「俺は少し外の様子を見てくる。魔装士がいるようなら、詳しい状況も聞いてくるつもりだ」
「……分かったわ。気を付けてね」
アルノは出入り口のほうへ駆けて行った。その後ろ姿を眺めながら、ニクスの胸中には不安がうずまく。
「母さん、父さんは……」
アーシャは優しくニクスの頭を撫でた。
「お父さんなら、大丈夫よ。見に行くだけのようだから」
「うん……」
ニクスの視線がラピスのほうへ向く。彼女はアーシャの服をぎゅっとつかんでいた。その視線は、アルノが出て行ったほうを向いている。
「お父さん、どこ行ったの……?」
「少し外の様子を見に行っただけよ。すぐ戻ってくるわ」
アーシャがそう答えると、ラピスは小さくうなずいた。しかし、服をつかんでいる彼女の手に、わずかながら力がこもったようにも見えた。
「さあ、二人とも、荷物を取りに行きましょう」
アーシャに促され、ニクスたちは部屋へと向かった。
準備を終え、一階へ降りると、すでに多くの宿泊客が集まっていた。それだけでなく、武器を背中に担いでいる魔装士が何名かいるようだ。
その魔装士たちの中にアルノの姿があった。彼は紺色の魔装衣に袖を通しており、背中には大剣を担いでいる。
近くの魔装士との会話を終えたのか、こちらに気づくと歩いてきた。
アーシャがアルノに話しかける。
「あなた、背中のは……」
「少し汎用を借りたよ。結構数が多いようでな。これから魔物を食い止めるつもりだ」
「そう……」
「心配するな。お前らのところまで魔物を来させはしない」
アーシャはすぐに答えず、軽く息を吐いたあと、口を開いた。
「あなた。魔装銃を借りられるかしら」
え……母さんまで戦うつもりなのか?
「お前、それは……」
「魔装士の人たちがついててくれるにしても、確実とは言えないと思うわ。だから、何かあった時に必要だと思うの」
ニクスは浴場でのアルノの言葉を思い出す。
――己の選択で武器を取り、己の意思で振るう。
思わず、手を握りしめていた。
「ブランクがあるだろ……。それに、お前が現役だったとき、まだ汎用はなかったはずだ。それでもか?」
アーシャはしっかりとうなずいた。
それを見て、アルノは軽く息を吐くと、近くにいた魔装士へ話しかけた。
「少しいいか?」
「はい、なんでしょうか」
「汎用の魔装銃を少し借りたい」
「それは構いませんが……副隊長が使われるのでしょうか」
「いや、俺じゃない」
アルノはアーシャへ視線を向けた。魔装士は驚いたように目を見開く。
「彼女が使うのですか……?」
アーシャが答えた。
「私は元魔装士です。現役だったのは、十年以上前ですが」
「なるほど。十年以上も前……。でしたら、現在の汎用器には慣れてないのでは?」
「ああ、そうだ。なるべく、扱いやすいものを頼めるか?」
「分かりました。ちなみにですが、魔装銃だけでよいのでしょうか?」
アーシャは考え込むようなしぐさをしたあと、口を開いた。
「できれば、属性魔石の欠片も用意してもらえますか。属性は……闇と光を」
「……分かりました。用意します。少しだけお待ちください」
魔装士はそう答えると、離れていった。ほどなくして、魔装士は小さな袋と魔装銃を手に戻ってきた。
アーシャはそれを受け取ると、銃の状態を確かめるように眺める。
「アーシャ。ニクスとラピスを頼んだ。気を付けてな」
「ええ。あなたも」
アルノはうなずくと、ニクスたちへ視線を向けた。
「父さん、本当に行くの……?」
ニクスのその言葉にアルノは微笑む。そして、ニクスとラピスの前でしゃがみ込み、二人を優しく抱きしめた。
「ああ、ちょっと行ってくる。でも、心配するな。必ず帰ってくる。お前たちも気をつけるんだぞ」
アルノはアーシャへ目配せし、互いにうなずく。そして、アルノは魔装士たちのほうへ向かった。
アーシャはそれを見届けると、ニクスとラピスを連れ、宿泊客が集まる場所へと向かった。
しばらくすると、魔装士の一人が宿泊客へ向けて声を張り上げた。
「これから避難を開始します! 人数が多いため、二つの組に分かれて移動していただきます!」
魔装士たちの指示に従い、宿泊客は二つの組に分けられる。ニクスたちも、そのうちの一組に加わり、説明を受けた。
避難先はひとまず街道。ただし、魔物の群れが街道方面からも来ているため、直接向かうのではなく、森を通って迂回し、街道を目指すという話だった。また、すでに本局にも連絡しており、各支局から応援の魔装士がこちらへ向かっているらしい。
「あの、母さん、魔装士の人たちがこっちに向かってるなら、ここにいたほうがいいんじゃ……」
「……さっき聞いた話だけど、魔物の数が多すぎて、ここが襲われない保証はないそうよ。だから、援軍が来るのを待たずに避難しようということみたいね」
「そっか……」
ほどなくして、魔装士の号令で避難が始まった。一組に五名の魔装士が護衛としてついている。
宿の裏手から、二組が別方向へ進み、森の中へと入っていった。
しばらく森の中を進んでいたが、周囲には妙な静けさが漂っていた。
先頭を歩いていた魔装士が、不意に足を止める。
「……止まってください」
その声に列の動きが止まった。魔装士は前方を注視しているようだ。列の横についていた魔装士が先頭の魔装士に並ぶ。
「どうした?」
「何か、おかしくないか。肌がぴりつくような」
「魔素上昇か?」
「いや……それにしては早すぎる……」
アーシャがラピスへ顔を向けた。
「ラピス、お兄ちゃんにつかまっておいて」
「え、うん……」
ラピスはニクスの横に移動すると、彼の左腕を抱きしめた。
そのとき、ニクスの背中がざわついた。
「後ろ……!」
ニクスの言葉と同時に、後方の茂みから突如、鋭利なものが飛んできた。しんがりの魔装士が、それを槍ではじき返す。
「魔物か!? 陣形を整えろ!」
魔装士たちはあたりを警戒するように陣形を整え始める。しかし、そこへ――。
何かが横なぎに駆け抜けた。視線の先では、茂みがわずかに揺れている。
しんがりの魔装士は立ったままだ。
何か……何かがおかしい。
揺れる茂みと一緒に、わずかに頭部の上半分がずれ始めていく。そのまま、滑り落ちて、地面に転がった。
「いやああああああぁぁぁ!!」
その悲鳴を皮切りに、宿泊客たちが一斉に騒ぎ始めた。
「皆さん、落ち着い――」
列の横についていた魔装士の腹を何かが貫いた。そのまま、崩れ落ちてしまう。
なんなんだ! いったい何が!
「か、母さん……!」
ニクスはアーシャの顔を見る。その顔は何かに堪えるような表情をしていた。
「ごめん、なさい……」
アーシャはニクスとラピスへ振り返る。
「ニクス、ここから離れるわ……! ラピスと一緒についてきて!」
「え……でも、他の人たちは……!」
「言うことを聞いて!」
アーシャの剣幕にニクスはたじろぐ。その間にも戦闘の音が鳴り響いてくる。
ニクスが魔装士たちのほうを向くと、一人の腕が切断され、倒れ伏す。残りの魔装士は二名。
ニクスはアーシャへ向き直った。
「わ、分かった……」
ニクスはラピスへ視線を向ける。彼女の視線は魔装士たちのほうへ向けられており、顔が青ざめたまま、固まっている。
「ラピス、手をつなぐから、少し腕を離して」
「…………」
ラピスはようやくニクスへ目を向けると、わずかに腕のつかむ力を緩めた。そのまま、ニクスはその手を握る。そして、三人は避難者の列を離れ、茂みへと向かった。その背後では、なおも戦闘の音が響いていた。
三人は木々の合間を慎重に進んでいく。すでに戦闘音は聞こえなくなっていた。少しすると、開けた場所に出た。座れそうな切り株がある。
「二人とも少しだけ休みま――」
何かが茂みを突き破り、三人の真横へ落ちてきた。鈍い音が響き渡る。
ニクスが目を向けると、そこには一人の魔装士が倒れていた。頭部がなく、その体はぴくりとも動かない。
「……え?」
アーシャはニクスとラピスをかばうように前へ出た。
茂みが揺れ、何者かが姿を現す。一見すると、茶色の髪をした長身の男。その顔には血にまみれた仮面がつけられていた。
暗がりから徐々に現れ、全身が露わになったところで、ニクスは呆けた声を漏らす。
「え……」
その者の背中からは――。