ニクスは顔を引きつらせながら、目の前の男へ視線を向けた。
一番、目を引くのは、背中から生えている黒褐色の翼。
これが魔物、なのか……? でも、どうして人の体なんか……。
ニクスは空いている手で、ラピスの目をふさいだ。
「お、お兄、ちゃん……?」
「見ちゃだめだ……」
もうラピスの目には入ってしまっただろう。だが、ニクスは自然とそうしていた。
アーシャがちらりとこちらへ視線を送ったあと、すぐさま男へと視線を戻した。
「ニクス。ラピスと一緒に少しずつ後ろに下がって」
「……わ、分かった。ラピス、下向いておいて」
ニクスはそう言い、ラピスの目から手を下ろす。彼女はニクスの腕を強く抱きしめながら、わずかに下を向いた。
ニクスはアーシャに言われた通り、ラピスを伴って後ろに下がる。その間、目の前の男は何も言わず、動きもない。
ニクスたちが十分に下がったあと、仮面の男に変化が現れた。右腕を上げ、それに伴って右翼が持ち上がり、先端が正面へ向く。まるで、武器として扱うかのよう。
もしかして、先ほど
アーシャは魔装銃を両手で構え、軽く息を吐いたあと、言魔を発した。
「『
アーシャの手の甲に青白い円形の模様が出現。魔装銃の銃身に青白い光が走った。
その間隙に仮面の男が動いた。刃のように鋭い翼の先端が、アーシャに襲い掛かった。
アーシャは体を横に倒して避けながら、魔弾を発射。空気を切る音が周りへ反響する。
翼が仮面の男を包むと同時に、魔弾が着弾する。盾となった翼には、傷一つついていなかった。
に、逃げたほうがいいんじゃ……!
「くっ……」
アーシャは腰に着けていた小さな袋に手を入れると、闇色の欠片を取り出す。それを仮面の男の足元へ放り投げると、欠片へ向かって魔弾を撃ち込んだ。
着弾と同時に、アーシャは言魔を唱える。
「『取り囲め!』」
欠片から影が噴出し、仮面の男を取り囲んだ。
アーシャはニクスたちのほうへ振り返り、大声を張り上げた。
「ニクス! そのまま――」
言い終わるよりも前に、突如空気が裂けた。アーシャが仮面の男のほうへ振り返る。彼を取り囲んでいた影が真っ二つに割れ、消失していた。
アーシャは右手に握っていた魔装銃を咄嗟に仮面の男へ向ける。彼女が引き金を引くより早く、黒褐色の翼が一瞬ぶれた。
ニクスの口から、かすれた声が漏れる。
「え……?」
何かがアーシャの体から離れ、宙を舞っていた。それは地面に叩きつけられ、鈍い音を立てて転がった。直後、足元から金属音が響く。
ニクスが視線を落とすと、先ほどまでアーシャが握っていた魔装銃が落ちていた。
ゆっくりと鈍い音がしたほうへ視線を向ける。そこには見覚えのある腕が一本転がっていた。
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
アーシャの悲痛な叫び声が響き渡る。
「お、お母さん!?」
「顔を上げちゃだめだ……!」
ニクスはラピスが見ないよう、自身の後ろへ隠した。アーシャのほうを見ると、彼女は右腕の断面を押さえ、うずくまっていた。
斬られた、のか……? 母さんの腕が……!
仮面の男はアーシャに近寄り、彼女の首に手をやり、持ち上げた。
アーシャの口から空気が漏れ、意識も混濁しているように見えた。だらりと下がった左手がわずかに持ち上がり、腰の小袋へ添えられた。彼女の目がニクスたちのほうへちらりと向き、唇が動く。
……下を向いて?
ニクスは咄嗟に後方のラピスの頭を抱え、地面に伏せた。
「お兄ちゃん!?」
直後、乾いた破裂音が響く。
ニクスの視界の端で地面が突如として、真っ白に塗りつぶされた。
あまりの眩しさに、ニクスはかたく目を閉じる。ほどなくして、ニクスは顔を上げ、身を起こした。状況は依然として変わっていない。仮面の男に変化はなさそうだった。
アーシャの顔が蒼白に染まっている。
このままだと、本当に母さんが殺されてしまう!
ニクスは足元の魔装銃を引っ掴むと、震える両手で仮面の男へ向けた。
「か、母さんを離せ!!」
アーシャは口をわずかに動かす。
「だ……め……」
仮面の男は軽く首を動かし、ちらりとニクスを見た。男はそのまま微動だにしない。
ニクスは魔装銃を握る手に力を込め、叫ぶ。
「離せよ!!」
ニクスの言葉に呼応するかのように、周囲に
仮面の男の目がわずかに見開かれる。
ニクスは魔装銃の引き金を引いた。放たれた魔弾が仮面の男へと迫る。しかし、割って入った黒褐色の翼に、あっさりと防がれてしまった。
仮面の奥からくぐもった声が聞こえる。
「ナル、ホド、ソウイウコトカ」
ニクスは呆然としたまま、仮面の男を見つめる。
喋った……?
「イイダロウ。ナラ――」
黒褐色の翼が持ち上がり、アーシャの体が貫かれた。
「か――は――」
「母さん!!」
そのまま、アーシャの体が投げ放たれ、ニクスたちの近くへ落ちる。
嘘、だろ……?
ラピスが「お母さん!!」と叫びながら、弾かれたようにニクスの背中から飛び出した。彼女はアーシャの体に駆け寄り、泣きじゃくりながら、何度も呼びかけている。
ニクスは口元を引きつらせた。
夢、だよな……。夢に、決まってる……。
「ショウ、ネン」
ニクスは焦点の定まらない目で仮面の男を見た。
「キタイシテイルゾ」
「は……?」
その瞬間、ニクスの全身に肌が粟立つ感覚が駆け巡った。
倒れているアーシャの周囲に黄金の魔力が吹き荒れた。その中心で、アーシャの体が大きく跳ね上がった。
「あが、あぁがぁぁぁああああ!」
「お、お母さん!?」
ラピスは慌てて立ち上がり、アーシャの体から離れる。
「ラピス!!」
ニクスは咄嗟に体を動かすと、ラピスの腕をとって、勢いよく引っ張った。二人はもつれるように体勢を崩す。
ニクスが視線をアーシャに向け直すと、その
アーシャの斬られた右腕の断面から、いびつな形の腕が急速に再生していく。続いて、背中から勢いよく何かが突き出た。それは人の腕によく似ていた。
あまりのおぞましさに、ニクスは目の前の人物が、母親であることを一瞬忘れてしまう。アーシャはゆっくりと首を動かし、こちらへ振り返った――。
彼女の左目は三つに分裂していた。