この不思議溢れる世界の神主さん   作:雀っていいよね

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神主の場合

 朝の澄んだ空気の中、竹箒が石畳を擦る小気味良い音が境内に響き渡っていた。

 

 小鳥依神社の朝は早い。神主は浅葱色の袴の裾を軽く捌きながら、手慣れた動作で落ち葉を集めていく。

 手水舎の水を張り替え、賽銭箱の周りを掃き清め、社務所の窓を開けて風を通す。どこにでもある、ごく普通の神社の朝の風景だ。

 

 ただ、集めた落ち葉の中に、時折少しばかり「変なもの」が混ざるのがこの神社の特徴だった。

 

 

 たとえば、手水舎の縁に残された、鳥でも獣でもない、指が六本ある小さな足跡。

 賽銭箱の隅に、まるで宝物のように大事に置かれていた、ピカピカに磨かれたドングリと錆びた王冠。

 あるいは、鳥居の根元に落ちていた、黒く焼け焦げた紙札の切れ端。

 

 神主はそれらを特に気にする風でもなく、足跡は雑巾で拭き取り、ドングリは神棚の端に供え、焼け焦げた札は塵取りへと放り込んだ。

 

「昨日の夜も、ずいぶんと賑やかだったようだな」

 

 独り言のように呟きながら、拾い上げた一枚の小さな羽を指先でくるくると回す。雀の羽によく似ているが、日に透かすと微かに黄金色に光るそれも、神主にとっては日常の落とし物の一つに過ぎなかった。

 

 

 日が昇り、昼時になると、神社の空気はがらりと変わる。

 

 夜の間は商店街の喧騒から切り離されたような静寂に包まれていた境内も、昼間はすっかり表世界の一部として機能していた。

 小鳥依神社は、地元ではちょっとした縁結びの神社として知られている。そのため、昼間はごく普通の参拝客がひっきりなしに訪れるのだ。

 

「すいませーん、縁結びのお守り、二つください!」

「はいよ。良い縁があるといいな」

 

 制服姿の女子高生たちがキャッキャと笑いながらお守りを買っていく。

 近所の老夫婦が散歩の途中に立ち寄って静かに手を合わせ、商店街の肉屋の主人が「神主さん、今日はお天気でよかったねえ」と世間話をしながら通り過ぎる。

 

 神主は笑顔で対応し、お守りを渡し、御朱印を書き、世間話に花を咲かせる。

 ここは決して怪異専用の駆け込み寺ではない。人間たちの日常に根差し、ささやかな願いを受け止める、真っ当な神様の庭なのだ。

 

 

 参拝客の波が落ち着いた夕暮れ時。神主は社務所の奥で、静かに事務作業――もとい、過去の客たちの「後始末」に取り掛かっていた。

 

 机の上には、いくつかの品が並べられている。

 一つは、無地の白い布。見えないものに怯えていた、あの黒髪の女子高生に渡した御守りと同じ素材だ。またいつあのような迷い子が来てもいいように、いくつか予備を縫っておく必要がある。

 

 その隣には、呪力がたっぷりと込められた少し上等な和紙の札の束。

 表世界と裏世界の狭間に足を突っ込んでいた、あの危なっかしい二人組。あの手の輩は一度縁を固定しても、またすぐに厄介な場所へ首を突っ込むものだ。次に転がり込んできた時のために、少し強めの目印を用意しておいて損はない。

 

 そして部屋の隅には、厳重に封を施された古い木箱が一つ、静かに鎮座していた。

 逃げられない仕事に縛られていた二人の女性が、夜の商店街から持ち込んできたものだ。中からはもうクサイ匂いも、不気味な呼び込みの声も聞こえない。明日の朝、お焚き上げをして完全に処理する予定だった。

 

 神主は小さな引き出しを開け、隅っこに転がっていたチョコボーの空き袋を指で弾いた。

 赤い猫の妖怪が忘れていったものだ。ゴミ箱に捨ててもいいのだが、なんとなくそのままにしてある。

 

 

 一通り作業を終えると、神主は新しく淹れた緑茶を啜り、ふぅと息を吐いた。

 

 ふと、開け放たれた障子の向こうで、風もないのに紙垂がカサカサと心地よい音を立てて揺れた。

 社務所の屋根の上で、小さな雀がちちっ、ちちっ、と楽しげに鳴く声が聞こえる。

 神様の姿は、神主の目にも見えない。しかし、確かな気配としてそこに在ることは分かっていた。

 

「……大家さんは、今日もご機嫌だな」

 

 神主は机の端に置かれた、中身のない空っぽの鈴を見つめながら、柔らかく微笑んだ。

 この鈴が鳴らない時間は、本当に平和で、退屈で、愛おしい。

 

 

 やがて完全に日が落ち、商店街の明かりが遠くに見えるだけの夜がやってきた。

 静まり返った社務所で、神主が帳簿の整理をしていると、不意にその音が響いた。

 

 チリン――。

 

 机の上の、中身のない鈴。

 それが、澄んだ高い音を立てて一度だけ鳴った。

 

 神主は手にしていた筆を置き、ゆっくりと立ち上がった。

 夜の来客だ。縁がなければ辿り着けないこの時間に、わざわざ鳥居をくぐってきた者がいる。

 

 

 神主が障子を開けて境内へ出ると、参道の真ん中に、小柄な人影が一つ立っていた。

 

 制服姿の女子高生。見覚えのある顔だった。

 いつだったか、巨大な一つ目の怪異に追われ、恐怖に顔を強張らせながらこの神社に逃げ込んできた少女だ。

 

 しかし、今日の彼女は走ってもいないし、息も切らしていない。背後に悍ましい化け物を引き連れているわけでもなかった。

 彼女は神主の姿を見ると、びくっと肩を揺らし、慌てて拝殿の彫刻や灯籠の造りをしげしげと眺め始めた。

 

「あ、あの、ちょっと夜の散歩というか、歴史的な建造物に興味があって……」

 

 明らかに無理のある、見え透いた嘘だった。

 普通の参拝客のふりをしようと必死だが、その両手は学生鞄の持ち手を白くなるほど強く握りしめている。

 

 追われているわけではない。しかし、彼女の視線は宙を泳ぎ、何かを見ないように、見えていないふりをしようと必死に戦っているのが丸わかりだった。

 一人で抱えきれないものを抱え込み、どうしようもなくなって、あの時渡した御守りを頼りに再びこの神社を探し当てたのだ。

 

「……夜の散歩には、少々暗すぎるな」

 

 神主はそう言うと、いつものようにのんびりとした足取りで少女に近づいた。

 

「まあいい。せっかく来たんだ、奥へ入りなさい。温かいお茶でも出そう」

 

 少女はほっとしたように、わずかに表情を緩めた。

 神主は中身のない鈴を懐に収め、迷える新しい――いや、二度目の客を社務所へと案内した。

 

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