男装騎士と女装王女   作:高見一樹

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宿での一時

 竜車の扉が開かれた瞬間、乾いた土埃と生活の匂いが混ざり合った空気が流れ込んでくる。

 

 最初の町は小さく、王都の賑やかさとは全く異なる静かな雰囲気だった。それでも日暮れの準備をする商人たちや、家路を急ぐ人々がちらほら見える。

 

 竜車の御者に別れを告げ、まずは宿屋へと向かう。

 元々、貴族などもお忍びで使うという宿屋らしく、豪華ではないがそれなりに整った宿だ。

 その一室に入ると、ワタシはまずは椅子に座っているシャルル様に向き合った。

 

「まずはお疲れ様でした。シャルル様」

 

「ありがとうございます。カノンさんも。お疲れ、というのでしたらカノンさんの方では? 僕は少し眠らせてももらいましたし」

 

 椅子に腰を下ろすと、そう言いながらもシャルル様は少し疲れた表情を見せた。

 肉体的にはともかく、精神的には別のはずだ。

 公務などで王都を離れられる時はあったとしても、その時は多くの護衛の騎士や兵が付き添っていたはずだ。

 今のように、ワタシのような頼りにならない騎士一人の時とは根本的に違う。

 

「長距離移動はお疲れでは?」

 

「いえ、確かに竜車は慣れていまし、ずっと外ばかり見ていましたから」

 

 確かに眠る前、外の景色に釘付けになっていたシャルル様の姿が目に焼き付いていた。

 まるで幼い子どものようだと笑みがこぼれてしまう。

 

「カノンさんこそ全然お休みになっていませんね」

 

「ですが、ワタシはシャルル様を守る必要がありますから」

 

 旅が始まって以来、休息と言えば仮眠程度しかとっていない。だがそんな事は王子様の騎士としては当然のことだ。

 

「そうですか……。申し訳ありません」

 

「いえいえ! そんなことはありません!」

 

 ワタシが慌てて否定すると彼は申し訳なさそうに俯いてしまう。

 

(いけない。シャルル様を落ち込ませてしまったかもしれない)

 

「そ、その。やはり疲れは溜まりますよね」

 

 何とか会話の糸口を作ろうとワタシがそう言うとシャルル様は苦笑して頷いた。

 

「まあ、それは仕方ありませんね。慣れない環境ですから」

 

 シャルル様は机に向かい合ったまま肩をすくめる。窓際のベッド脇の灯りが彼の白磁のような肌に柔らかく映える。夕焼けを浴びた髪は淡いオレンジを帯びて幻想的な輝きを放っていた。

 

「……それで」

 

 ふとシャルル様の目が伏せられる。睫毛の影が頬に落ちる様が妙に艶めかしく感じられてしまう。

 やっぱり、王子様より王女様といった方が信じられるような美しさがシャルル様にはある。

 

「これからの事を考えましょう」

 

「そうですね」

 

 ワタシは軽く咳払いをして思考を切り替えた。

 

「とりあえず今夜はここでゆっくり休むという事で」

 

「ええ。それはわかっています」

 

 シャルル様は椅子に腰掛けてワタシを真正面から見据えた。

 

「僕としては、一刻も早く王継の儀をすませたいのですが、焦りは禁物ですよね?」

 

「はい」

 

 そう頷くワタシ。

 ここでふと、シャルル様の視線が部屋の中にある二つのベッドに向けられる。

 

「その、本当によろしかったのでしょうか」

 

「何がでしょうか?」

 

「僕と同じ部屋で、です」

 

「当たり前です」

 

 ワタシは即答する。

 

「もし離れている間に何か起きたら困りますから。ここは、王都に近い、比較的安全な町とはいえ万が一のことがあります。ここで、敵がシャルル様を狙う可能性だってあります。それに――」

 

 ふと視線が窓の外へ向いた。宿屋の廊下からは微かな話し声が聞こえてくる。

 

「それに?」

 

「宿屋によっては部屋が限られていることもありますし。特にワタシたちのような旅行者は」

 

 実際、宿帳にはすでに数組の客名が記されていた。今から別の部屋を探そうにも難しそうだ。

 

「まあ、そうですね」

 

 シャルル様は窓際に寄りかかりながら呟いた。

 

「ただ、その……

 

「何か問題でも?」

 

「いえ、何でもないです」

 

 彼は笑って首を振る。

 

「カノンさんは騎士として当然のことですね。理解しています」

 

 しかし、言葉とは裏腹にその瞳には複雑な色が揺れている。

 

「ですが、異性と同室になんてしたら、万が一の間違いが起きてしまうかも知れませんよ?」

 

「え?」

 

「冗談ですよ」

 

 冗談めかした口調でシャルル様が言う。常に穏やかなその表情は、本気なのか冗談なのかわかりにくい。

 ワタシは思わず唾を飲み込む。

 確かにそういう可能性もゼロではない。むしろその間違いは、シャルル様ではなくワタシが……。

 

(ああ! やめろワタシ! ペブルみたいな事を考えるな)

 

 首を振り余計な考えを追い払おうとする。

 

「それにしても素敵な部屋ですね」

 

 シャルル様が、部屋を見渡す。

 先程の「冗談」の事をすでに気にしていないのか、くすくすと笑っている。

 

(もう、シャルル様)

 

 案外、子供っぽい――いや、年齢的にはワタシよりも下の15歳なのだが――ところがある御方だ。

 

「そうですね」

 

 そんな風に思いながらも部屋の内装を見渡す。

 普段、シャルル様が泊まられるであろう、高価な宿に比べれば庶民的な作りではあるだろうが、清潔で居心地の良い空間だ。

 壁には田舎風の風景画が飾られ、窓辺には鉢植えがいくつか置いてある。

 

「こういう素朴な宿もいいものですね」

 

「ええ……」

 

 ワタシは曖昧に同意しながらも胸騒ぎが収まらなかった。

 王子と一介の騎士。本来なら決して交わるはずのない二人がこうして同じ屋根の下で過ごすことになるなんて。

 王族の護衛なら今後もやる機会はあるかもしれない。

 しかし、今は他の護衛はいない。

 今後、再びシャルル様の護衛をやらせていただける機会があったとしても、その時は間違いなく複数の人間でという事になるだろう。

 

 となれば、こんなことは間違いなく最初で最後の機会になるだろう。

 

「では、そろそろ旅塵を落としてきます」

 

 そんな中、シャルル様が言った。

 

「はい」

 

 ワタシは頷く。

 

「それでは、お先に失礼しますね」

 

 この部屋には全身に水を浴びる事ができる、水浴装置(シャワー)と呼ばれる魔道具がある。庶民にはそれなりに根は張るものだが、手が届かないというレベルではなく、ある程度裕福な家庭にはある。宿にも一定以上のランクの所にはほぼ必須である。

 とはいえ、休めの宿の場合共用の場合もあるがこの宿の場合は個室に用意されている。

 シャルル様が水浴室に入り、着替えをしているのか衣擦れの音が聞こえる。

 

 耳朶に響くその音は静かに続く水音に変わった。金属製の蛇口をひねる微かな摩擦音。続いて勢いよく湯が噴き出す音。その後すぐに彼が身体に浴びせる湯の飛沫音が続く。カノンは椅子に深く腰掛けたまま、意識せずとも耳を澄ませてしまう自分がいた。

 

(何を考えているんだ……!)

 

 ふと、脳裏に浮かんだのはシャルル様の濡れた金髪が額や首筋に張り付いたシャルルの姿。湯気で蒸気した白皙の肌。引き締まった背中と小さくもすらりと伸びた脚――。

 

「あっ!?」

 

 思わず声が漏れ出た。自分で驚いたように口元を押さえると同時に血流が頬に集まるのがわかる。

 

「どうされました? カノンさん」

 

 扉越しに届いたその問いかけに、心臓が跳ね上がる。水音はやまない。

 

「な、何でもありません! 大丈夫です!」

 

 慌てて答えるも声が裏返った。シャルルが軽く笑う気配がする。

 

「そうですか。よかった」

 

(落ち着けワタシ……)

 

 混乱するワタシをよそに、扉越しに響く水音がやや弱まる。

 そろそろ水浴びを終えたのだろうか。

 暫くは身体を拭いていたのだろう、やがて部屋着に着替えたシャルル様が現れる。

 

 水浴び後の血色の良くなった肌がほのかに上気しており、額には雫が一筋垂れている。

 

「カノンさんもどうぞ。体も髪も綺麗になりましたよ」

 

「ありがとうございます」

 

 ワタシは椅子から立ち上がると、水浴装置の方へと移動する。

 脱衣場で服を脱ぎながら、ワタシは思う。

 

(そうか。彼もついこの前までは「彼女」として生活していたんだな……)

 

 だからだろうか? この距離感は。彼の纏う気品や上品さは確かに王族としての教育の賜物だろうが、根底には『少女』時代の名残があるように思える。

 

 ふと、自分の胸元に手をやる。

 無骨な筋肉と、硬く引き締まった肉体。

 そこには女性らしい柔らかさなど一片も存在しない。

 シャルル様のほっそりとした肢体と比較すれば一目瞭然だ。ワタシは――こんな身体だ。

 だが、だからこそ王国人の女性のか弱いものとは違う。

 シャルル様を守る事ができるのだ。

 

(なら――何も後悔することはない)

 

 内心で過っていた不安をワタシは振り払う。

 そして、手早く着替えて水浴びの準備を済ませる。

 

 金属製の蛇口をひねると、水浴装置から温かい湯が勢いよく流れ出した。

 頭上で響く水流の音に耳を傾けながら、全身に湯を浴びていく。汚れと共に邪念も消えて欲しくなる。

 

(……)

 

 ワタシはシャルル様の後に入っている。主よりも先に使うわけにはいかないからだ。それは当然。だが、つい先程までシャルル様がここに裸でいた事をつい意識してしまう。

 蛇口を捻る音も、湯がかかる音も全てが生々しく感じられてならない。

 

(いや、だからそういう事は考えるな!)

 

 そんな事を考えながらも、水浴を終えると再度着替え直して部屋へ戻る。

 

「おかえりなさい」

 

 シャルル様が、ベッドの端に腰掛けながらこちらを見上げてきた。

 

「ありがとうございます」

 

 礼を言ってから隣のベッドに腰掛ける。

 既に髪の毛は乾いているようだ。

 

「その。明日の朝、その髪の毛束ねさせていただきますね」

 

「はい。楽しみにしています」

 

 そう言いながらも、竜車で橋の辺りを渡っていた時と同じ眠たげな顔つきになる。

 やはり慣れない環境は、予想以上に彼は消耗しているのかもしれない。

 

「ごめんなさい、眠くて」

 

「いえ、詳しい話は明日からにしましょう。今はお休みになってください」

 

「はい」

 

 そう言って、ベッドの中に入っていく。

 

「おやすみなさい、カノンさん」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 そう言いながらも、シャルル様をじっと見る。

 

「あの」

 

「はい」

 

「カノンさんは、まだ眠られないのですか?」

 

「ワタシは護衛でもありますので。シャルル様がお眠りになったのを確認してから」

 

「そうですか……」

 

 少し寝づらそうにしていたシャルル様だが、それでも睡魔に負けたのかやがて夢の世界に旅立っていかれた。

 

(しかし……)

 

 ワタシは内心ドキドキしていた。

 ベッドで眠る、彼の柔らかさそうな身体を意識してしまいそうになるし、王子様と同じ部屋だという事実に心臓の鼓動が激しくなるのを感じてしまう。

 

(落ち着けワタシ……!)

 

 確かに、王子様は可愛らしい。

 だが、この御方は王子様。ワタシは騎士。

 こんな邪な感情を持つなどあってはならない。

 

 ふと、シャルル様の顔を見ると、緊張が溶けていったのか安らかな様子が感じられた。

 さらに暫くすると、規則正しい寝息が聞こえて来たため安堵することができた。

 

(この調子なら、大丈夫そうだな)

 

 ワタシはそのままシャルル様を優しく見つめる。

 

「――おやすみなさい、シャルル様」

 

 そんな風に、ワタシは再び守るべき主人に向けてそう言ったのだった。

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