(……まったく)
ヒナタ達とはいったん別れた後、宿の一室に戻る。
扉を閉めた途端、ワタシは大きく溜息をついた。
シャルル様は荷物をまとめながら、いつもと変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「あの、シャルル様」
呼びかける声が、自分でも思いがけず強くなった。
「……何ですか? カノンさん」
シャルル様が振り向き、きょとんとした顔で私を見る。その澄んだ片方の青い瞳を見た瞬間、胸の奥で抑え込んでいたものが爆発した。
「何ですかではありません! さっきのアレは一体どういうつもりですか!?」
机を叩きつけたい衝動を必死に抑え、拳を固く握る。
「……ヒナタさんのような方に話をつけるには、あれが一番手っ取り早いかと」
淡々と返すシャルル様の態度に、ワタシは言葉を失いそうになった。だがここで引いてはダメだ。
「そんな簡単に……! 危険すぎます! もし万が一怪我でもされていたらどうするんですか!?」
思わず大きな声になってしまい、自分でも驚く。
シャルル様は一瞬だけ目を伏せたが、すぐにワタシを見上げた。その表情は、ワタシの無礼な言葉に怒っている様子はない。
むしろ、申し訳なさでいっぱいな様子だった。
「……そうですね。心配をかけて申し訳ありませんでした」
そして、すっと頭を下げる。その動作はあまりに自然で美しい。けれど今はそんな形式的な謝罪が欲しいわけじゃない。
「その……」
私が口を開いた途端、シャルル様は微笑んだ。それはいつもの優しい笑みではなく、少しだけ悲しげな色を帯びていた。
気まずい沈黙が場を支配する。
だがやがて、シャルル様の方から口を開く。
「でもカノンさん。あの時はあれが最善の選択肢でした」
「最善?」
思わずオウム返ししてしまう。
「ヒナタさんは皇国人です。力で物事を判断する民族です。彼らにとって『話す』より『示す』ほうが効果的なのです」
説得力のある言葉だった。
皇国人は、圧倒的な武の力か、あるいは戦場に立つ覚悟を見せつければ素直に従う。
逆に、いかに利があっても、安全圏にいるだけの者に敬意を払うことは決してない。
シャルル様が、いかに上手く説得しようとも、あの脳筋達は納得しようとはしなかっただろう。
実際、あの巨漢のヒナタが納得したのは事実だ。
シャルル様の方法は正しい。
だが――。
「しかし……! だからといってあなたが危険に身を晒す必要はありません!」
「そうかもしれません」
シャルル様はゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「僕は王子という立場を理解しているつもりです。しかし同時に、守られるだけの存在にはなりたくないのです」
その言葉に胸が痛んだ。無力さに対する焦燥と、未来への重責。彼の幼い肩に乗っているものの大きさを思うと、胸が締め付けられる。
「シャルル様……」
ワタシは深呼吸し、震える声をどうにか整えた。
「あなたの考えは分かりました。王族としての覚悟も素晴らしいと思います」
ゆっくりとシャルル様に歩み寄り、膝をついて視線を合わせる。
「だからこそ……」
シャルル様の小さな肩に手を置く。
とてもではないが、こんな華奢な身体な持ち主が、あのヒナタに挑んだなどと言っても誰も信じないだろう。
だが現実にシャルル様はそれをやり遂げた。王となるべく育てられた覚悟の表れだったのは、揺るがない事実だ。
「ああいう危険な方法を取るのであれば……。必ず事前にワタシに相談してください」
言葉を選びながら、精一杯の誠意を込めて伝える。これは叱責ではなく、説得だ。
「あなたの勇気と決断を否定するつもりはありません。ですが……」
少し間を置く。ワタシの想いを少しでも伝えることができるよう、続ける。
「あなたにはもっと多くの命がかかっているのです。あなたの命が失われれば、何千人もの運命が左右されるかもしれない。ワタシにはその重さが見えています」
シャルル様はじっと私を見つめていた。その瞳は揺れていない。強い意志が宿っている。
「……分かりました」
彼はゆっくりと頷いた。
「カノンさんの言葉、肝に銘じます」
そして静かに付け加えた。
「ご心配をおかけしました」
その一言に込められた彼の思いを、ワタシは読み取るしかなかった。
「ごめんなさい。そして、ありがとう」
謝罪と、そしてお礼の言葉をシャルル様は口にする。
きっとシャルル様もまた、ワタシを読み取ろうとしている。
理解してくださろうとしているのだ。
「はい」
ワタシは静かに頷いた。
言いたいことはちゃんと伝えたし、シャルル様も誠意を持って応えてくださった。
ひとまずは、これで良い。
そんな中。シャルル様はふう、と一つ息をついた後に苦笑される。
「全く。叱ってください、とは言いましたけどこんなにすぐにだなんて」
「え? いえそれはその」
そういえば、そんな話をしていた気がする。
あまりにもシャルル様が危ない事をするものだから、完全に忘れていた。
「いえ! その、すみません。ワタシもその、そんなつもりでは」
「あははは」
ワタシが謝ろうとすると、シャルル様は軽やかに笑われた。あまりに唐突なその笑いにワタシも呆気にとられる。
「いえ、無意識のうちに僕を叱ってくれていたのならその方が嬉しいですよ」
そう言われてしまうと何も言えない。
「そんな事はありません。ただ、そうですね……」
少し考えてからシャルル様は続ける。
「だったら、今度はわざと危ない事をしましょうか? その方がカノンさんも遠慮なく叱れるでしょう」
「な、何を仰るのですか!」
そんなワタシの反応を見てシャルル様は楽しそうに笑っている。
「ふふ、すみません。でも本当なんです」
「もう……」
ワタシは呆れてため息をついた。
本当にこの方は……。どこか憎めないんだよなぁ。
「……まあ、とにかく!」
ワタシは強引に話を切り上げる。
これ以上この話題を続けても埒があかない。
「とにかく今度からはちゃんと相談する事! そして不用意に危険な真似はしない! 約束してください」
「はい! 分かりました」
まったくわかっているのかわからない返事をするシャルル様。とりあえず承諾はしてもらったし良しとしようか。
そう思っていると急に彼は真剣な表情になった。一体どうしたんだろうと思っていると耳元に口を寄せられる。
そして囁かれるように言われた言葉は、
「……ありがとうございます。ちょっと恥ずかしくて色々と茶化しちゃいましたけど、叱ってもらえて嬉しかったのは本当ですから」
ワタシも少し恥ずかしくなり――胸の中に暖かいものを感じさせるものだった。
それは本当に小さく掠れるような声ではあったが、ワタシに確かに届いたのだ。
「もう!」
ああもう、シャルル様はズルい人だ。
「とにかく! ワタシは言うべきことは言いましたからね!」
せめてもの抵抗とばかりにそう言うが、シャルル様はくすくすと笑っている。もう。
「さて。それでは準備を済ませますか」
「はい!」
「では出発の準備をしましょう。ヒナタさんも待っています」
ワタシは扉に向かいながら振り返った。
「はい」
シャルル様が微笑む。その笑顔はいつもの優しいものに戻っていた。
その微笑みがまたひとつ、ワタシを救ってくれるような気がした。
(守らねばならない)
その想いを新たに刻み込んだ。王子を。そして彼が持つ未来を。それらを全て、この剣と盾で護り抜くために――。