宿屋の外に出ると、朝霧が街並みを包んでいた。しっとりとした空気が肌を撫でる。
「朝から涼しいですね」
シャルル様が深呼吸をして呟かれる。
確かに、この日は涼しい。かといって、「寒い」というほどではない。まさにちょうどいいと表現するほかなかった。
我々が指定した集合場所は宿のすぐ近くにある公園だった。
古いベンチが並べてあるだけの簡素な場所であり、さらには早朝ということもあり人も少ない。
ここなら目立たず話せるし、ちょうどいいか。
「あそこですね」
シャルル様が指差した方向を見ると──巨大な影が既に立っていた。
公園の入口付近。黒檀のような漆黒の髪が朝日に鈍く光り、分厚い筋肉をまとった巨体がベンチの上で胡座をかいている。傍らには同じく弟子の女二人が控えていた。ヒナタだ達だ。
彼女の存在感は圧倒的だった。木々が風にざわめく中でも、あの巨躯は微動だにしない。まるで岩山のように佇んでいる。
「お待たせしました、ヒナタさん」
シャルル様が歩み寄ると、巨漢の皇国人はゆっくりと顔を上げた。眠気など一切感じさせない鋭い眼差しが私たちを射貫く。
「オメエさんらも朝早くからご苦労なこった」
低い声が地響きのように響く。その声音には昨晩の狂騒とは異なる静かな威厳があった。
「いえ、こちらこそ早朝からの準備ありがとうございます」
シャルル様が丁寧に頭を下げられる。そんなシャルル様の横で私は剣の柄に指を添えたまま警戒を怠らない。
(全く、王子様だっていうのに)
こんな蛮族のような女に、こうも簡単に頭を下げていいのだろうか、と昨日は飲み込んだはずの不満が再び喉元までこみ上げてくるが――何も言わずに黙ることにした。
「……で、次の目的地はどこだい?」
ヒナタは粗暴に欠伸交じりのまま、尋ねる。その巨大な掌で口元を隠す仕草は粗野だが、隙はない。
それは彼女に反感を持つワタシでも認めざるをえないものだ。
そんなヒナタに対し、シャルル様が答える。
「国境の町シオンに向かいます」
ヒナタの眉がかすかに動いた。
「シオンだと? 皇国との国境沿いのあの町か」
ワタシは補足する。
「ああ、そうだ。立ち寄る必要がある街なんだ」
ヒナタはしばらくワタシたちを見比べるように眺めると、不敵な笑みを浮かべた。
「なるほどね、オメエさんらが皇国人の我を雇ったのはそのためか」
「それも理由の一つです」
あの町には皇国人が多い。それも荒っぽい者ばかりだ。かつては、皇国領だった事も関係している。
「最初にあの町に行った王国人は大体、驚く」
「まあ、こっちじゃムキムキの女の人なんて珍しいからな」
ワタシの返しにヒナタも頷く。
「おう。逆に皇国人も王国人を最初に見ると驚くぜ。なんて貧弱な女ばかりなんだってな」
「……そうだな」
ワタシは彼女の挑発を受け流すように呟く。
「ヒナタ」
「ん、何だ?」
ワタシの言葉にヒナタは首をこちらに向ける。
「一応、聞いておくが男は殺せないなんて言い出したりしないだろうな」
時折、いるのだ。
守るべき対象である男は殺せないという皇国の女は。
女尊男卑の風潮が強い皇国だが、だからこそ男は守るべき存在だという風潮も強い。
「はっ! 馬鹿にするな。確かに男を殺す事に抵抗はあるが、さすがにこっちを襲ってくるような連中は別だ」
「ならいい」
皇国人は、男を殺す事を恥とする事が多い。
それもあっての問いかけだが、それは皇国男子が大人しく華奢な外見のものが多いからでもある。実際、圧力なども皇国女子の半分以下らしい。
だが、王国は違う。
王国の男は力強い。さらには、野盗の類いも大半は男だ。
だからこそ、最初に王国に来た皇国人は大抵驚く。知識としては知っていても、実際に見るのはまた違うのだ。
ヒナタも実際に男の野盗に遭遇してから戸惑われては困る。その場で「男は殺せない!」などと言ってもらっては困るのだ。
彼女の考えはどうでもいいが、シャルル様に危険が及んでは困る。何のための護衛だという話だ。
「おう、お前らもそうだろ!」
そう言って後ろに控えるカオルとカオリに話しかける。
「押忍!」
「問題ないッス! 姉貴!」
そう返事をする暑苦しい女ども。
まあいいだろう。ひとまずは安心してやるとしよう。
「……シャルル様もそれで宜しいですか?」
「ええ、もちろんです」
安心してシャルル様も同意された。その言葉に満足したのかヒナタも頷く。
「それじゃあ行くぞ」
と言い出し、歩き始めたのでそのままついて行った。
「お前ら、竜車か?」
「はい」
竜車屋は王国の組合に存在しており、王国中にその支部が存在する。この町にも当然それはある。
「そりゃ楽でいいな。まあ、道中は鍛錬にはならんか」
「押忍! 姉貴、でしたら竜車内でどうでしょう!」
「ウチも久しぶりに姉貴と組み手やりたいっす!」
暑苦しいのでやめろ。
「なあ」
ここでカオルとカオリに話しかける。
「キミ達二人が姉妹なのは分かるが、何でヒナタを姉貴と呼んでるんだ?」
「激怒!」
「侮辱っすか! ウチらが女の中の女だと姉貴の事を尊敬してるからっす! だから姉貴と呼んでいるっす! 依頼人の従者風情が侮辱は許さねえっす!」
「いや、侮辱したつもりはないけど」
要するにヒナタとこのカオルとカオリの姉妹に血縁関係はないという事か。まあ、どうでもいい。
親戚のお兄さんを『兄貴』と呼んだりすることもあるからその類だろう。何だか異常にヒナタを慕っているみたいだが。
「そう、はしゃぐな。照れちまうぜ」
「押忍!」
「ありがたいっす! 姉貴!」
そう言って拳を鳴らす。まったく暑苦しい女たちだ。ヒナタ程ではないが、かなり背が高いし筋肉も相当なものだ。
「お前たち……」
苛立って、皮肉の一つでもぶつけてやろうとでも考えた時、聡く察したのかシャルル様が口を挟む。
「まあまあ」
喧嘩腰のワタシの様子を見て心配されたのだろう。
だとすれば、反省する必要がある。
「カノンさん。お二人共ヒナタさんを慕っているのでしょうから許してあげてください」
そうシャルル様に諭されては仕方ない。
「はい。シャルル様がそう仰るなら」
ワタシは矛を収めるしかない。
「フン!」
「変な言いがかりつけられても困るっすよ!」
そんな風にカオルとカオリも暑苦しく言った後、ふと思いついたようにワタシの方を見る。
「憤!」
「あんた、ちょっといいっすか!?」
なんなんだこいつら。
「質問!」
「アンタもいざという時は闘うっすか?」
「それはそうだろう。ワタシは騎士でもあるのだから」
「……はぁ」
「何だ」
まだ何か不満があるのかコイツは。
「困惑!」
「いや、アンタがどうこうとかじゃないっす。男に闘わせるっていうのがあまり気がのらないだけっす」
ああ、そういえば、ワタシの事を男だと思っているのか。ワタシは女でシャルル様は男。だが、普通の格好をしているシャルル様と違い、ワタシは貴族の従者のような格好をしている。まあ、その方が都合が良いからいいか。
「いや、気を悪くするなよ。こいつら皇国人からしてみれば、男に戦わせて女が家を守るという王国の常識がいまいちピンと来ねえだけだからよ」
そうヒナタがワタシと二人との間に入り仲裁するように言う。
「……そうか」
「まあ、よろしく頼むぜ。カノン殿、だったか」
「呼び捨てでいい。シャルル様を呼び捨てにするのは許さんが」
「はいはい、わかった。カノン」
ヒナタ――そしてカオルとカオリとの間での話し合いはいったん解決として、そうしてワタシ達は竜車屋についた。
竜車屋に入り手続きをしている間に周囲を警戒する。
「おいおい。そんなに警戒しなくても大丈夫だろ」
「いや、お前たちも警戒しろ」
「不満」
「へいへい。わかったすよ!」
そう言いながらも、こいつらが全く警戒していないのが見て取れた。まったく油断の多い奴等だ。しかし当の本人達は特に気にしていない様子だったので無理もないだろう。
手続きが終わると竜車屋の店員がやってきた。
「お待たせしました。ご予約されていたお客様ですね。こちらへどうぞ」
「おう。行こうぜ、シャルル殿」
そう言ってヒナタがシャルル様を引っ張って歩いていくので私もそれについて行った。
「こちらになります。本日はよろしくお願いいたします」
そう言って竜車を見せられた。この町に来るまでに乗ってきたものとは違うが立派な竜車だと思った。5人を乗る前提なため、サイズは王都から来たのよりも大きめ。
「ほう! こいつぁいいな!」
「押忍!」
「うん! これは中々の品物っす!」
3人とも気に入ったようで喜んでいる。その様子を見た店員も安堵していたようだ。
まあ、こんなごつい奴らだ。
下手な難癖でもつけられては、と警戒していたのだろう。
ここからは、5人での旅だ。いや、竜車の御者がいるので6人か。
軽く若い男の御者が挨拶して、いよいよ出発しようという時。
「おい、カオルとカオリ。テメエらはシャルル殿とカノンと中に乗れ。我は上で見張る」
「押忍!」
「わかったっす!」
二人は頷くと、瞬時に飛び跳ね竜車の上に飛び乗る。
そういえばヒスイ皇国人は竜車では外で移動するのはよくある事だと聞いた事がある。
「はは! オメエさんら、仲良くしろよ!」
「押忍!」
「この王国連中次第っすね!」
そう言ってヒナタは豪快に笑っている。カオルとカオリも楽しそうだ。
憮然としているのはワタシだけか。
「応、お前らは坊ちゃんどもと仲良くやれよ」
竜車の天井部分から話しかけるヒナタ。
いや、そこ人が昇るところじゃないんだけどな。
「アンタ、本気でそこで見張るのか?」
「安心しろ。途中でカオルとカオリとも交代する」
「押忍!」
「心配いらねっす」
相変わらず騒がしい連中だな全く。そんなことを思いながらワタシとシャルル様はこの筋肉姉妹と共に車内へ入ったのだった。
竜車が動き出す。
そして、揺れながら進む。窓から見える景色は木々が生い茂り鳥たちが自由に羽ばたいていた。
窓から差し込む陽光が木漏れ日となり車内に斑模様を作る。木造の温もりを感じさせる内装は落ち着いた色調で統一され、革張りの座席が五つ並んでいた。
「押忍押忍押忍!!」
「うおおおおおおお!!!!」
車輪が砂利を噛む音だけが響く空間。シャルル様は優雅に足を組みながら静かに微笑んでいる。私の隣ではカオルとカオリが床に手をつき、暑苦しく腕立て伏せに励んでいた。上下に動く上半身が服越しにもわかる筋肉の躍動を描く。
「……騒がしい」
「まあまあ、上の方は静かみたいですし」
ポツリと私が呟くと、シャルル様が目を細める。その青い左目がちらりと天井を見上げた。おそらくヒナタのことだろう。
「暑苦しいですね、ほんと」
やれやれとばかりに首をすくめてみせる。
それを自分への侮辱だと思ったのか巨漢姉妹の片割れ・カオリがぎょろりと睨む。
「いや」
「全く。あんまり失礼なこと言ってると男といえどもぶん殴るっすよ!」
カオリの方が怒鳴る。
荒っぽいやつだ。そもそもワタシは女だ――説明してやる気はないが。
「押忍! 此奴! 依頼人! 姉貴の顔に泥を塗るな!」
意外にもカオルの方は叱責するようにカオリに言う。
「あ、いやすまねっす」
これまた意外なことにカオリも従って謝罪した。
「……」
こう殊勝な態度に出られると、それ以上は反発するわけにはいかなくなる。
気まずい沈黙だ。
やがて、ワタシは言葉を絞り出すようにして言った。
「そもそも、どうしてキミたちは傭兵のようなことを?」
「ああん?」
「いや、別に嫌なら答えなくてもいいけど」
ぎろりと睨みつけてくるカオリに答える。
「ああ、上官をぶっ殺しちまったから、行く当てがなくなったんだよ」
「え?」
意外にもはっきりと答えてくれたようだ。
だが、思いのほか物騒な話で驚く。
そんなカオリに対して、カオルも続く。
「肯定!」
どうやら本当のことのようだ。
「当時のうちらのクソババア――当時の上司のことっす。王国の戦でな。男子供も皆殺しにしろって命令を出したっす!」
「王国との?」
「ああ。5、6年ほど前に大きめの戦があったっすよね?」
「第三次シオンの戦いですね」
シャルル様が答える。5年前にあった、皇国と王国のシオンを巡る攻防戦だ。シオンを包囲した際、皇国領の村の一つが皇国からの度重なる徴収に抗議したのだ。それに激怒した皇国軍が、見せしめのために村の者たちを皆殺しにした。
「……痛ましいことです」
「押忍!」
「戦なんだから男といえども、戦場に出てきたヤツらを殺すのはまあ、しゃえねえっす。けど、ただの村人を殺すのは気が食わなくてないっす。それも、反抗的だったってだけの連中っすからね」
「故に鏖殺!」
「は?」
そんなこと言いながらもしっかりと従ったのか――と思ったが、わかりにくいカオルの言葉をカオリが訳してくれた。
「いや、だからさっき言ったクソババアの方っすよ」
「上官殺しをしたのですか?」
さすがにシャルル様が驚いたように目を見開く。
ワタシも同じ気持ちだ。
「押忍!」
「そんで今じゃこの有り様っす」
上官殺しは最大のタブーといってもいい。ならば、皇国にいられなくなるのも当然だ。
これは皇国でも王国でも変わらない。
「こいつが頭に血が上っちまったっすよ」
「応!」
「けどま、自分も同じっすね。あのクソババアにムカついていたのは確かだからな」
そんな風に笑い合う。
相変わらずガサツで荒っぽいし笑い方も下品だ。だがその笑い方は爽やかなものであった。
「お二人は姉妹なんですよね?」
「ああ。双子っすよ」
「幼い頃から一緒に訓練を?」
「肯定」
そう言って二人は笑う。
「昔はやんちゃだったっすよ!」
いや、今もだろう。
そう突っ込みたくなる気持ちを抑える。
「おっと、そろそろ最初の休憩地点につくようっすよ」
カオリがそういって、窓の外を見る。どうやら、街道に設置された休息場が近いようだ。
「……ありがとうございます。お二人の事が知れました」
「押忍!}
「つまらねえ話っすよ? そんなんでよかったすか?」
「いえ。そんな事はありません。とても興味深いお話でした」
「そうっすか? じゃあ良かったっすよ」
そう言って再び腕立て伏せを始める。
竜車が止まるまで、まだ少し時間はありそうだが。
「……ふぅ」
そんな筋肉バカ二人を見てワタシは小さく息を吐く。
まあ、この二人にも色々と事情があるのだろう――とそんな風に思った時だった。
竜車が止まる。
「おい、そろそろ休憩だぜ!」
天井の上からヒナタの声がした。
「押忍!」
カオルが返事をしカオリが腕立ての姿勢から立ち上がる。
「ほら、依頼人のお二人も行くっすよ」
「ああ」
ワタシは頷いて竜車の外へと向かうことにする。
ここは、竜や馬が休める簡易な休憩所となっている。ただ、この竜車の竜はいい竜らしく、この程度の距離ならほとんど休憩はいらないようだ。とはいえ、食事などはする必要はあるし、ワタシ達も少しは止まって外の景色を見たい。
「シャルル様も、少し外に出ましょうか」
「はい」
「お手を」
シャルル様の手を握り、外に出る。
夕暮れが近づいており、赤橙の太陽が木々の間から差し込み眩しい。その光景は美しくもあり同時に寂しく感じる。
「綺麗ですね……」
「ええ」
そう呟いてしまうほど幻想的だったからだろうか。
「おう」
そこへヒナタがやってきた。
「我はちょっと辺りを見回ってくる。オメエさんらは仲良く乳繰り合ってな」
ヒナタはそう言うと去っていく。
「ちち……!?」
ワタシは思わず顔を赤くする。
「お、おい! 護衛が離れるなよ!」
「大丈夫ですよ。カノンさん」
そんなワタシをシャルル様が窘める。
「この周囲に危険はありません。それをヒナタさんも分かっているからこそ、二人にしてくれたんですよ」
「それはそうかもしれませんが……」
「ふふ、竜車の中では四人でしたから。気を遣ってくれたんですよ」
「あのガサツそうな女に、そのような気遣いができるでしょうか?」
まあ、いいか。ここは二人で休ませてもらうとしよう。あの暑苦しい女二人を見なくてすむし。
そう安堵することにして、シャルル様を伴って用意されていた休憩所の椅子に座ることにした。