シャルロット様とはじめて会った日の二日後。
王継の儀への出発を五日後に控えたこの日、予行演習を兼ねて市井への外出が始まった。
といっても、この日は城下町だ。
王族が護衛一人で外出するには危険とはいえ、王都の外よりは安全といっていいだろう。
だが、それよりもワタシを驚かせたのは、シャルロット様の服装だった。
「おお……」
つい声が出てしまった。
昨日の王女としての姿はどこにもなく、今目の前にいるのはごく普通の少年としての服装だ。
質素な麻布のシャツに、黒のズボン。飾り気のない革靴に簡素な紅の外套。平民のがよく着るありふれた格好の少年がそこにいる。
「カノンさん?」
シャルロット様が小首を傾げる。
その動作一つ取っても、生まれついての優雅さがにじみ出ている。
肩の角度、膝の曲げ具合、歩幅の取り方—どれも教養ある家庭で育った者の身についた自然な所作だ。
(ああ、やっぱり王子様なんだな……)
そこでワタシは改めて納得する。女物の王女用の服に身を包んでいた昨日とは別人のように見えるのに、芯から滲み出る気品は全く隠せていない。
「……その。とてもよくお似合いです」
正直なところ、まるで釣り合っていない。
服装の方が安っぽすぎて、違和感がありすぎる。
だが、そんなワタシの感想にシャルロット様は少し照れたように笑った。
「ありがとうございます。普段とは違う格好ですので、自信が持てなくて」
もしかしたら、場違いな服装で来られるかもしれないと思っていたが、本当に平民の着るような服でちゃんと来る辺り、その辺りの常識はしっかりと弁えているようだった。
世間知らずの王女(王子)様というわけではなさそうであり、少し安心する。
城下には、国外からも来ているらしい商人などもおり、活気づいている。
色鮮やかに、様々なものを売っている。
そんな市場を見て、シャルロット様は目を輝かせて各所の商品を眺め始めた。
「見てくださいカノンさん! この剣、相当な業物ですよ!」
子供のようにはしゃぐ姿に戸惑いつつもワタシは平静を保とうとした。
それにしても剣を見て嬉しそうにするあたりは、男の子らしい――といえなくはないのかもしれない。
「本当に楽しそうですね殿下」
「こうやって、自分で市場を見回るなんて滅多にないので嬉しいです!」
その笑顔があまりにも純粋だったため思わず微笑み返してしまう。
そんな時だった。
「よう! カノン!」
不意に背後から豪快な声がかかる。振り向けば、同期入団のペブルが白い歯を見せていた。
同期といっても、歳はワタシよりも3つほど上だ。
赤毛の短髪にそばかす顔、いつも陽気な男だ。だが、何かと気を許せる相手のいないワタシにとっては貴重な話し相手の一人でもあった。
「……なんだペブルか」
思わず眉間に皺を寄せる。
ワタシのそんな態度が気に入らなかったのか、ペブルが絡んでくる。
「だってよー、最近、お前素っ気ない態度が多いぜ。一昨日ぐらいからずっと、難しい顔してるぜ? なんか悩み事でもあんのか?」
そう言いながらペブルはワタシの肩に手をやる。
「別に。ただ任務が多くて少々疲れていただけだ」
「そういえば、団長に呼ばれてたな。お説教か?」
「馬鹿な事を言うな。お前じゃあるまいし。ボクは品行方正だ」
同期に対してワタシは一人称として『ボク』を用いていた。当然、ワタシの本来の性別は彼も知らない。
いや、知らないで良いだろう。彼は良いヤツだとは知っているが、同時に女好きで有名だった。いや、女好きなどというレベルではない。ペブルの活動範囲の女とは絶対仲良くなるなという、暗黙のルールが騎士団には存在している。かなりの確率で『兄弟』になってしまうからとの事。
そんな事もあり、性別を明かすわけにはいかない筆頭だった。
「……あの、こちらの方は」
怪訝そうにこちらを見やるシャルロット様を見て安心する。今は、どこにでもいる――というにはあまりにも気品があるが、少年としての格好をしている。まさかとは思うが王女様だとわかっていても、この男は手を出しかねない。
いわゆる、節操なしとはこの男の為にあるかのごとくだ。
貴族令嬢を良い仲になったなどと自慢していた事もある。
「同期のペブルです。覚えなくても、問題のない男です。シャ――あなた様の貴重な記憶容量を使う必要は全くありません」
いや、むしろ覚えて欲しくない。
彼が何か迷惑をかけられたら、ワタシにまで責任が及ぶかもしれない。
ワタシが簡単に紹介すると、ペブルはおおげさに手を差し出した。
「ペブルってもんです。よろしくお願いします」
そう言って握るのはもちろんシャルロット様の手だ。ワタシの手ではなく。握手というには長い時間握られながら、じっくりと上下に揺さぶられた上でやっと開放されるとシャルロット様は困惑した表情を浮かべるばかりだった。
「あの、何か……」
不思議そうな顔をしているペブルにシャルロットが首を傾げる。
だが、その質問には答えず、
「うーん」
ペブルは怪訝そうな顔をしてからシャルロット様の胸のあたりに手を伸ばす――そして、ごく自然にペブルはシャルロット様の胸の辺りを鷲掴みにしてしまった。
「な!?」
「お、お前!? 何やってる!」
驚くシャルロット様。そして、慌ててワタシはペブルの手を振り払う。
振り払われた手をみてもペブルはにやりと笑う。
「何だやっぱり男か」
そして手の中の感触を確かめるように、何度か開いて閉ざしてを繰り返している。
「――っ!」
そんなペブルを見てシャルロット様は唇を噛みしめており、頬が赤くなっているのが分かる。
「おい!」
ワタシはペブルの腕をつかむ。
「うお!?」
「おい、痛いって!」
叫ぶペブルに構わず力を込める。
骨が軋むような音が聞こえるが、気にしない。
「何してるんだお前は!」
「い、いや悪い。かわいい女の子かと思ってつい」
「本当に女の子でも問題だろ!」
全く、本当に何を考えてるんだコイツは。
「いやでも、大抵の場合、むしろ喜んでくれるし。ベッドの後なんてもうメロメロよ」
「おい」
平然と下ネタを噛ましてくるこの男の腕を握る手に力を込める。
「いだだだ! お前、マジで力強えんだからやめろよな!」
「……」
ペブルから視線を逸らすと、シャルロット様は先程以上に顔を赤くしている。
やっぱり、こういった話に耐性がないのか、それとも先程胸を揉まれた衝撃があまりに大きかったのか。
「いやー、ごめんな。悪かったって」
チャラい口調ながらも、一応は謝罪の言葉を吐き出したペブルの手を一応は離してやる。
「……カノンさん」
シャルロット様が次の言葉を吐き出すのに、少し間があった。
いや、まさかこの場で首を刎ねろとか言い出さないよね? 割とそれだけの事をしてる気はするけど、さすがに同僚相手にそれはやりたくないよ。
「構いません。この人なりの、ただの挨拶だと捉えます。 ……ですが、何度も許しませんよ」
そう言った言葉の後ろ辺りは、まっすぐとペブルが見据えられ威圧感があった。
王族の威圧感というやつだろうか。
さすがのペブルも少し気圧されるようだった。
「あー、本当に悪い。いや、申し訳ない」
シャルロット様はそのかわいらしいお顔を赤くしながらも、ペブルを睨みつけている。
「それじゃ、俺そろそろ行くわ。じゃあな、カノン! それに見た目かわいこちゃんだけど男の子のキミ!」
その言葉に「ええ」と笑顔を――無理に貼り付けたようなそれだったが――見せるシャルロット様。
そんなシャルロット様に「じゃ」と手をあげてペブルは去っていく。
やがて、彼の後ろ姿も人混みに消えた。
――そして。
「あの方はもういませんか?」
「は、はい!」
「……カノンさん?」
「はい」
「なんなのですか! あの人は!」
シャルロット様は真っ赤になった顔で拳をぎゅっと握りしめている。
ぷるぷると肩も震わせている。
「いきなり人の胸を触るなんて!」
普段のお淑やかな振る舞いとは打って変わり、唇を尖らせて目を潤ませている。
極めて珍しい姿といっていい。
王族として遠目に見るならばともかく、シャルロット様と二人きりで会話する機会はまだ二回目。
だが、こんな風に顔を真っ赤にして怒っている姿などはじめてみる。
(……ちょっとうらやましいけど)
こんな表情をはじめて引き出したのがよりにもよってあのペブルというのは少しムカつく気もしたが。
「もう、全く!」
なおも顔を赤くして何やらぶつぶつ言っていたが、やがてその怒りも収まったらしい。
「申し訳ありません。このような事で取り乱してしまって。ですが」
シャルロット様の視線がワタシに向けられる。
「あの人は本当になんなのですか!」
再び怒りが再燃しそうになっているようだ。
その声には確かな怒りが込められている。
「も、申し訳ございません! で、ですがその、ああ見えて良いヤ、いえ根はそこまで悪いヤツではないんです!」
良いヤツと言いたくはあるが、客観的に見てペブルをそう称するには少し無理があるかと、微妙に変える。
「あ、いえ。貴女が謝ることではありません」
必死に深呼吸をして自分を落ち着かせようとしているようだ。
そして、やがて言った。
「とにかく、この件であの方を処罰するような事はありませんのでご安心を」
「あ、はい」
「まったく」
それでもまだ怒りが収まっていない様子で、頬を膨らませる姿はその辺りの子供のようであり、かわいらしいがそれを指摘するわけにはいかないのでやめた。
「……もしや、あれが平民の方の。いえ、騎士の方の間の挨拶のようなものなのですか?」
「い、いえ! 違います、アイツが特別なだけです!」
王族の方にそのような誤解をされたままでは困る。
「……そういえば」
ここでふと、思い出したようにシャルロット様は言う。
「カノンさんは、あの方と話される時は『ボク』なのですね」
「え、まあ。そうですけど」
一人称の話の事だと気づく。
騎士団内では団長や副団長のような目上の人を除いてワタシは『ボク』を使っている。
「なかなか似合ってましたよ?」
「え、そうですか?」
褒め言葉、なのだろうか。
どう返すべきか迷っている中、シャルロット様はぽんと手を叩く。
「決めました。私もこの姿でいる時は『僕』を使います」
「え、それはまあ。
自然なはずなのだが、やはり違和感が出てしまうのはあまりにも中性的なその顔立ちのせいなのか。
服装だけは平凡な少年の姿はしていても、やはり貴族令嬢のような雰囲気を醸し出してしまう。
「それじゃあ、もう少し『僕』と付き合ってくださいね、カノンさん」
そう微笑むシャルロット様の表情はどこか晴れやかで、嬉しそうに見える。
彼の金髪がさらりと揺れた。
「わかりました。シャルロット様」
「……そういえば、その名前もまずかったですね」
「え? あ、はい」
さすがに王女の名前を使うのはまずいか。
「この姿の時はシャルロットはなくシャルル、でお願いします。母上が本来つけたかった名前だそうです」
「そうなのですか?」
「ええ。僕を王女として育てる必要ができたので、変えたそうです」
それよりも、とシャルロット様は続ける。
「エスコートをお願いしますね」
「え? はい」
慌てて差し出された手をとる。
すると、彼は嬉しそうに微笑む。
男同士――には見えないか。いや、男装しているワタシはともかく、今の服装のシャルロット様ならギリギリ女の子の見えるか?
とにかく、そんなシャルロット様の手を握る。
小さく、細い指だ。
荒事とは無縁である事が分かる。
逆に、筋肉まみれのワタシの手が、そのかわいらしいお手々を粉砕してしまわないか心配になってしまう。
「それでは、行きましょうか」
そんなワタシのの内心など知らないのか、笑顔のままシャルロット様――否、シャルル様は歩き出したのだった。