シャルル様との服選びが終わった翌日。
場面が変わって再び図書館。昨日の事を思い出しながら、ワタシは再び調べ物を続けていた。
王都の近くにある大図書館は、朝の柔らかな光に包まれていた。
ずっと昔に建てられた石造りの建物は、内部に入ると外界の喧騒とは無縁だ。ただひたすらに、別世界のように静謐な空間が広がっている。
天井まで届く木製の書架が整然と並び、その間を縫うように細長い廊下が伸びていた。床には年代物のモザイクタイルが敷き詰められ、一歩踏みしめるたびに微かな軋み音が響く。
そんな中、ふと昨日の事をワタシは思い出していた。
(シャルル様……)
『僕は良いものだから選んだのではなく、カノンさんが選んでくれたものだからこっちが良いといったんですよ』
あの時の笑顔が今も瞼の裏に焼き付いていた。
王女――否、王子様ともあろう方がそんな素直な言葉をかけてくれるとは思わなかった。
そして――、
『案外、わかってませんね。カノンさんは』
(まったく。王子様がワタシみたいな下っ端騎士にあんな言葉かけちゃダメですよ)
だけど、それ以上に……
『カノンさんの選んでくれた服を着れて嬉しいです』
あんな嬉しそうな表情を見せられたら何も言えなくなるではないか。
「……まったく、厄介な御方だ」
思わず漏れた呟きに我に返る。周囲を確認するが誰もいないようだ。
ほっと胸を撫で下ろしつつも気を取り直して資料探しを再開することにする。今日もまた長い一日になりそうだ。
(……別にシャルル様がどのような方でも、ワタシのやる事は変わらないじゃないか)
ワタシは騎士団の騎士だ。そして、シャルル様は王子様――そして、次期国王様だ。
別にシャルル様への感情がどうであれ、守る事には変わりない。
それが騎士としてのワタシの役目なのだ。
相手が立派な王族であろうと、そうでない王族だろうと。
それこそが、騎士であるワタシの役目。
「王継の儀、か」
さて、と一つ息をつく。
実際に自分が関わることになった今となってはもう他人事ではない。念のためにもう少し確認しておくことにする。万が一にも王子様を危険に晒すようなことになっては取り返しがつかない。
そして、問題は他にもある。
東のシンセティック帝国――通称帝国。西のヒスイ皇国――通称皇国。
いずれも、このコランダム王国と対立する立場の国だ。
王継の儀では、この両国の国境付近にも行く必要がある。
皇国は、元々文化的に相容れぬところがあり、幾度も戦になった。
帝国はここ数十年で急激に勢力を拡大した新興の国。それまで、王国の東には 小国が群雄割拠しており、一部敵対する国もいたが概ね平和だった。仮に、戦になっても間違いなく勝てた。だが、そのさらに東にある国だったシンセティック帝国が急激に勢力を拡大。それらの小国を併呑していき、純粋な領土では王国の倍以上という巨大な帝国を築き上げ、ついには王国と領土が隣接することになった。
現状、交戦には至っていないが帝国の皇帝は帝国による統一を公言している。西も東も危険な状態といえた。
(何もこんな時期に……)
そう思うが、もしかしたらこんな時期だからこそ、シャルル様は王にならなければならないのかもしれない。
それも、今のマリア女王陛下のような立場の弱い王様ではなく、強く王国を引っ張っていける王様に。
とはいえ――、
(難しいことだよなぁ……)
ワタシは思う。
実際問題として、今の王国の内政状況は決して安定しているとは言い難い。むしろかなり厳しいと言えるだろう。
なぜならば現在進行系で国内には多数の派閥が存在しているからだ。それぞれの権益を守るために水面下で互いに牽制し合っている状態である。
帝国と組んで、因縁のある皇国を滅ぼそうと考える帝国派。逆に長年の怨念を封印し、皇国と手を組んで帝国の脅威を退けようとする皇国派。
その帝国派と皇国派にしても、帝国か皇国との対等な同盟関係を考える者から従属してでも王国の存続を図るべきだと考える者まで様々だ。
ただ共通しているのは、今の王国では帝国か皇国。どちらかを敵に回した場合、王国は単独で勝つのは難しいという現実だ。
王国はワタシの所属する王国騎士団は精強だ。しかし、国力が違う。
(まあ、今は王継の儀に集中しよう)
感嘆の溜息と共に視線を送る先には壁一面にびっしりと本棚が並び、そこに隙間なく本が収められている。まさに知識の宝庫と言っても過言ではない空間であった。
とりあえず、頭の中で王継の儀について整理する。
この旅は、最終的な目的地でもあるコランダム湖に戻るまでに三つの要所に向かう必要がある。
そこで、その三カ所で精霊と契約する必要があるのだ。
そして、最後に湖の精霊と契約する事によって、王継の儀は終わり、シャルル様は王家の魔法が使えるようになる。
距離的に最も近いのは西の都市・シオン。皇国との国境付近――というか、ヒスイ皇国とかつて争って奪った都市だ。長らく王国領となっているが、皇国の最前線の都市といってよく危険が大きい。
まず最初に行く事になるのはこの都市となる。より正確には、この都市の地下に契約のための祭壇があり、そこに行く必要がある。
(最初から困難だな)
これが、この旅で一番楽といっていい行き先なのだ。
誰もいないがらんとした図書館でつい溜息をついてしまう。
次に行く先は、南の港町アクアクリーン。王国最大の港町だ。
そして、最後に東の帝国との国境に近い竜王山。これは正式な名前ではないが、皆こう呼ぶ。かつて強力なドラゴンが数多く生息していたという伝説からこう呼ばれている。西から南。南から東に。そして最後に国境最北端に位置する場所にあるこの王城、そしてその先にあるコランダム湖に向かう。
北から西へ、そして南、東と向かい最後は北に戻ってくる。逆時計周りの旅だ。
帝国と皇国の国境沿いに行く必要があるし、道中もあまり整備されていない街道を通る必要もあり危険が大きいといえた。
そんな風にワタシが憂鬱になっていると――、
「今日は一人か?」
背後から声をかけられた。
「キラ副団長?」
振り向くとそこには再びキラ副団長がいた。
相変わらず端正な顔立ちであり、無愛想な団長と違って平民人気の高い方だ。名門の出身という事もあり貴族からの人気も高いという。
だが、同じ騎士団にいると彼の恐ろしさがよく分かる。
この笑みの下ではどんな恐ろしい策謀を考えているかわからない。
(いや、まあこの方と敵対するわけじゃあないんだけどさ……)
誰に向けていいのかわからない言い訳を内心でしながら本題に入るべく口を開く。
「どうも……」
とりあえず軽く頭を下げる。何せ相手は、騎士団のナンバー2だ。公の場ではないとはいえ礼を失するわけにはいかない。
「よほど勉強熱心になったらしいなキミは」
「いえ、そういうわけでは……」
やはり何か疑われているのだろうか。
ついそう思ってしまう。
何とか、早々に会話を切り上げようとすると今度は副団長から話しかけてきた。
「実は僕も任務で暫く出っ張る事になってね」
「副団長が?」
何か探りを入れているのだろうか。警戒しながらも、話の先を聞く。
「ああ。皇国が兵を出すという噂があってね。シオンの方まで出向く事になったんだ」
「……そうなんですか」
偶然だろうか。つい警戒してしまうが、失言のないよう口を噤む。
それ以降の沈黙に耐え切れなくなったワタシは適当な質問を投げる事にした。
「その、皇国は本気で兵を出すんですか?」
「ん? どういうつもりだい?」
「いえ。その、これまで通り形ばかりの出兵になるのではないかと……」
ここ数年、皇国とは本格的な戦にはなっていない。
毎回、兵や騎士団をシオンに駐留させるだけで終わっている。
「まあ、その可能性は高いだろうね」
「その」
「何だい?」
「あ、いえ……」
だが、言いよどんだ。
「もしかして、わざわざ僕が出向く必要がないといいたいのかい?」
「え、いやまあ」
「だがまあ、そういうわけにはいかないよ。もし出兵の話が本当なら、大問題だからね。万が一それでシオンを失陥しようものなら僕の首一つで償いきれない大失態さ」
「そ、そうですよね……」
これまで兵を出すだけだから今回も大丈夫――などとはなるはずがない。
「それとも、その方が都合が良いのかい?」
「い、いえ……」
つい焦る。
そんなことないと思いながらも、全身から冷や汗が出て来たような気がして、脂汗が流れていく感覚を覚える始末だった。
内心焦っているものの。
何とか表情には出さない。
努めて冷静に対応する――できているだろうか。
鏡のないこの場で、自分の顔を確認することはできない。
「あ、えっと。その……」
うまい事誤魔化すことができない自分が嫌になる。
笑顔のままのキラ副団長の視線だけでも怖かった。
腹芸なんて、ワタシには無理だ。
「まあ良いさ」
しばらく無言で見つめられたあと、キラ副団長はそんな言葉を吐き出した。正直言って心臓に悪い時間を過ごしたものだと思う。それだけに解放された時に感じた安心感はひとしおなものだと言うほかあるまい。
(良かった)
一先ず窮地を脱したことだけは間違いない、いや副団長が追求しようとしなかったというのが正確だろう。
「まあ、これで僕は行くよ。色々と準備しないといけないからね。こんな時にキミのような戦力がいなくなるのも残念だが」
「こんな時?」
しまった。
つい好奇心から余計な事をいったか。このまま大人しく立ち去ってもらった方が良かったのに。
「ん? ああ。帝国軍が侵攻してくるという噂があるからね。僕がシオンに行く間、キミに残って貰っていたらと思ったんだ」
「帝国軍ですか? 皇国軍ではなく」
予想外の言葉につい聞き返す。
「ああ。帝国にも、王国領に出兵するという噂があるんだ」
「そうなんですか……」
もしそれが本当なら、竜王山の方も危なくなる。
「まあ、噂程度の情報でもあるんだけどね。帝国と皇国が、同盟を結んでいるという噂もあるんだ」
「同盟ですか?」
帝国と皇国は対王国という点では利害は一致している。
「ですが、帝国と皇国では文化的にも政治的にも全く噛み合いません」
仮に、王国を半分ずつ分割する条件で同盟と共闘をしたとしても、その後に揉める事は目に見えている。
「そうだ。だから噂なんだよ。まあ、そうなっても湖の精霊様の加護があるさ。皇国にも帝国にも我が王国は負けないよ」
そう最後に言い放つと、キラ副団長は図書館から出て行く。
(やれやれ)
全く。この大事な時に、出鼻をくじくような情報をよこさないで欲しいものだ。
思った以上に前途多難な状況である事を理解し、ワタシは思わず溜息をつくのだった。