男装騎士と女装王女   作:高見一樹

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湖からの旅立ち

 朝靄が立ち込めるコランダム湖の湖岸。

 その澄んだ水の煌めきが、出立するシャルル様の蒼と紅の瞳に映り込んでいた。ワタシはその傍らに控えている。これから始まる旅への緊張と高揚感が、全身に満ちているのを感じる。

 

「それでは行って参ります。母上、父上」

 

 シャルル様が膝を曲げて優雅な礼をしてみせる。

 その声は穏やかだが、凛とした芯があった。

 その辺りは王子様であれ、王女様であれ、王族としての教育の成果といったところか。

 

「シャルロット……いや、シャルル」

 

 湖岸に立つ女性――マリア女王が一歩前に出る。彼女はシャルル様と瓜二つの赤と青の双眸を持っているが、その眼差しは息子に対する深い愛情と一抹の不安で曇っていた。白磁のような肌、繊細な美貌はまるで湖畔に咲く儚げな花のようだ。

 

「どうかご無事で……。精霊様の御加護がありますように――」

 

 声には微かな震えがある。

 女王という地位にあっても、母親としては一人の人間に過ぎないのだろう。

 

「こんな時だが、お前が『男』として。本来の性別として暫く過ごせる事を私はこころから嬉しく思う」

 

 背後から低い声が響く。

 振り返れば、逞しい体躯の男性――王配リチャード様が立っていた。

 彼の鋭い視線はシャルル様に注がれている。武の王国を率いる男として相応しい、厳しくも情の深い表情だ。

 

「リチャード……」

 

 マリア女王が夫を振り返る。

 リチャード様は妻を守るように肩を抱き寄せる。

 その姿は一国の君主夫妻というより、古くからのパートナーとしての連帯を感じさせた。

 

「騎士カノン」

 

 そんなリチャード様がワタシの方を向く。

 

「……我が子を、頼む」

 

 言葉は短いが、だからこそ彼の本心がはっきりと伝わってくる気がした。

 

「勿体ないお言葉です。必ずや、この身に代えても王子殿下をお守りいたします」

 

 ワタシは右手を胸に当て、騎士の誓いを立てる。

 万が一という事が――その万が一を起こさせないこそがワタシの役目なのだが――あればこれが最後の別れとってしまう。

 女王陛下もリチャード様も、家族との別れは苦しいのだろう。

 

「カノン殿」

 

 不意にマリア女王が声を掛けてきた。

 

「息子――お願いします」

 

 彼女の優しい微笑みが胸を打つ。

 

「はい。ワタシの如き者にこの大役、心から感謝いたします」

 

「――その。旅立ちの前に少し話せないでしょうか?」

 

「え?」

 

 不意に言われたマリア様のお言葉。

 女王陛下が一体、ワタシに一体何のご用だというのだろうか。

 

「シャルル。私はカノン殿と少し話しますので、リチャードとここにいてね」

 

「え? 母上とですか?」

 

 シャルル様にとっても意外だったのか、驚いた様子で目を見開いている。

 

「別におかしな事はしませんよ。貴方の騎士様を取ってしまうような真似は」

 

 マリア女王は、シャルル様に対してそういたずらっぽく笑ってみせる。

 

「もう。そのような心配はしてませんよ」

 

 シャルル様も少し怒った様子を見せる。どこか子供っぽい仕草だ。

 普段の公務などでは見せないそれも、家族の、それも他に人のいない状況だからこそ見せられるものなのだろう。

 

「リチャード」

 

「ああ」

 

 リチャード様が、シャルル様の肩に手を置く。

 リチャード様は万が一の時のシャルル様の護衛でもあるのだろう。そういえば、リチャード様もものすごく強い御方だと聞いた事がある。そんな二人の親子から離れ、マリア様と共に歩き出す。

 

「……」

 

 沈黙が痛い。

 女王陛下と二人っきりなど気まずいどころではない。

 ワタシのような軽輩で若輩な者が話し相手などおこがましい。

 

「ふふ。そんなにかしこまらなくてもいいのですよ?」

 

「い、いえ。そういうわけには」

 

 そうはいうが無理である。

 いくら立場が弱いなどと言われても、この方は女王陛下なのだ。

 

「今回の旅――このような役目を押しつけるような真似をしてしまい、本当に申し訳ありません」

 

「いえ、王家に仕える騎士として王族を守るのは当然の事かと。ましてや本来は、ワタシのように下々の者には過ぎた大役」

 

 ワタシが選ばれたのは女性であり、それなりに強い騎士という消去法の選択肢の結果だ。

 それでも選ばれた以上は最善を尽くすつもりでいる。

 

「……」

 

 それでもマリア様は憂い顔を消さない。

 

「今回の旅は――危険なのです」

 

「それは、そうでしょうが……」

 

 返す言葉に困る。

 

「私の時の王継の儀は――楽なものでした。あの人は、リチャードは当時王国最強の騎士と言われ、まさに一騎当千の騎士といって良かった。王城よりもリチャードの近くにいる方がはるかに安全でしたので。その時のことを話しても、あなた達の王継の儀には全く参考にならないでしょう」

 

「……その、申し訳ありません。ワタシにそのような力がないばかりに」

 

「あ、いいえ。気を悪くしないで、あなたの実力を見くびっているわけではないのです」

 

 そう言って女王様は申し訳なさそうに笑う。

 

「ただ、今回はあの時よりも情勢がはるかに悪いのです。それに男性王族は本来、15歳にもなれば一人で騎士団を壊滅できるくらいには強いのです。ですが、あの子は戦闘経験なんてありません。どれだけ才能があっても、いっさい経験がなければ意味はありません」

 

 それは騎士として分かる。いくら才能があっても、シャルル様は訓練などしていないはずだ。

 

「あの子を王子ではなく王女として育ててしまったのは、私とリチャードの判断です。それが間違いだったとも思いません。暗殺される事もなく、15まで生きることができたのですから」

 

「……」

 

「だからこそ。あの子に何かあってからでは遅い。だというのに、あなた以外の護衛をつける事もできない。王継の儀は、男女二人のみで行う――これは太古からの誓約であり、これを破れば大精霊様の怒りに触れ、その加護を失うとされています」

 

「はい」

 

 その事はワタシにも分かっている。だからこそ、その責任は重大なのだ。

 

「ここから先――両親としての支援もできません」

 

 精霊との加護にも関わるため、国としても、両親としてもいっさいの手助けができないとはそういう事なのだろう。

 王族――それも次期国王陛下と二人っきりで旅をするという状況に思わずワタシの気分も重くなる。

 

「あの」

 

 一つ息をつく。

 

「女王陛下も、リチャード様も。もちろん、シャルル様も――」

 

 躊躇しながらも、ワタシは言葉を吐き出す。

 

「ワタシの生まれについて、しっかりとご存じなのですよね?」

 

 ごく一部の相手にしか知らない、ワタシの情報。

 性別だけの話ではなく、隠しているワタシの秘密。

 だが、それは完全に秘匿されているわけではなく、騎士団長や一部の者は知っているはずだ。

 

 そして、王継の儀という重要な件に関わらせるというのに、調べなかったはずがない。

 この御方達は分かっているはずなのだ。

 

「――ええ」

 

 女王様は、笑みを浮かべたまま頷く。

 

「もちろんです。私もリチャードも。そしてもちろん、あの子も。分かった上で、王継の儀の相方に選んだのですよ」

 

「そうですか……」

 

 不敬ながらも、その上でワタシを選ぶなど見る目がない――。

 ついそう思ってしまう。「女」という条件を満たす必要があるとはいえ、他にも候補はいたはずだ。

 

「そのような事はありませんよ?」

 

 だが、そんなワタシの内心を見透かしたように女王様は言う。

 

「これでも、見る目はあるつもりです。まがりなりにも、この王国の女王ですから」

 

「そう、ですか……」

 

 女王様にそこまで言われてしまうと、ワタシはこれ以上は何も言えない。

 

「なので」

 

 一つ息をついてから、マリア様は続ける。

 

「私達の子を、息子を――よろしくお願いしますね」

 

 先程と同じ言葉だ。だが、改めてその言葉の重みがワタシにのしかかる。そんなワタシの気分を察したのか、リラックスさせるように女王様は小さく笑ってみせる。

 

「旅の間、あの子が何か悪いことをしたらちゃんと叱ってあげていいですからね。母として許可します」

 

「いえ、そんな……」

 

 正直、恐れ多い。

 王子様に注意なんて出来るかどうか怪しい所だ。

 

「旅の間くらいは、私達の代わりに母親であり父親のような気持ちであの子に接してください」

 

「……」

 

 つまりは、普通の少年のように扱ってほしいという事か。正直、ワタシにそんな事ができるだろうか。いや、そもそも「悪いこと」なんてあの善良さの塊のようなシャルル様がするとは思えない。

 

 とはいえ――、

 

「分かりました。頑張ってみます」

 

「お願いしますね」

 

 ワタシの立場ではそう答えるしかない。だからこそ最善を尽くすしかない。出発の時間が迫っている。

 

「それではワタシはこれで。失礼いたします」

 

「ええ。よろしくお願いします」

 

 それだけ挨拶してシャルル様とリチャード様の方に戻る。こちらを見ていたシャルル様が手を振る。それですらどこか上品な仕草だ。

 

「カノンさん。母上と何を話していたんですか?」

 

「あ、いえ。特には……。ただ二人で仲良くって」

 

「何ですか、それ」

 

 ワタシの答えにシャルル様も呆れたように微笑む。やはり彼はとても美しく可愛いらしい少年だった。だが同時に責任感もある立派な王子様でもある。

 

「カノンさん」

 

 シャルル様がワタシの目を見据え、こちらを見つめてくる。

 その顔には先ほどまでの堅い表情はない。

 ただただ純粋な感謝が滲んでいた。

 

「改めて――これからよろしくお願いしますね」

 

「はい。殿下のお役に立てることこそが、ワタシの使命です」

 

 紛れもなく本心の言葉だったが、少し照れ臭くもある。

 

「さあ」

 

 シャルル様が歩き出す。

 彼の後ろ姿を見送りながら、ワタシの胸に新たな覚悟が生まれる。

 

 ――必ず成功させる。そして帰還する。

 

 女王様と王配様が並んで立ち尽くす湖岸。

 そこから遠ざかりながらワタシたちは道を進む。

 

「行きましょう」

 

「ええ」

 

 ワタシとシャルル様は揃って湖畔を後にする。

 東の空は既に明るくなり始めていた。

 新しい旅路の幕開けを告げるように輝きだしている。

 

 それは、旅路を祝福しているようにすら思える。

 ワタシ達の旅が今はじまったのだと実感したのだった。

 




これにて序章は終わり、次の話から第一章となります。
まだ書き溜めはありますので、暫くは早いペースで行けると思います。
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