その場所は破壊し尽くされていた。
破壊された床や建物の瓦礫と氷が混ざり合い、塔の一部は崩落し、調和を保っていた美しい空間は今や爆撃をくらった後のようである。
その中心に佇むのは一人の幼い少女であった。元々際どかった衣装は既に服としての機能をほぼ果たしておらず、隠さねばならない場所が色々と露出していたが、少女に気にする様子は無い。
ふと少女が空を仰ぐと一人のメイド服姿の少女が少女の傍らに降りたとうとしていた。
「茶々丸か」
「マスター、ご無事ですか?」
茶々丸に呼びかけられた少女ーーエヴァンジェリンは一つ頷き、剥き出しの胸を手でなぞる。
「流石に脳味噌と心臓の同時破壊は効いたが所詮は気に包まれているとはいえ唯の拳や刃だ。筋肉ダルマ程練り上げられ、極圧縮された気ならともかくあの程度では致命傷にはならん」
そう言ってエヴァンジェリンは歩き出そうとしたが、突如その膝が折れ、地面に蹲る。激しく咳き込み、手で覆った口の隙間から血が溢れる。
「マスター‼︎」
駆け寄る茶々丸に大事ないと手を翳し、なおも咳き込みながらエヴァンジェリンは上体を起こす。
「…心配するな、少しばかり消耗しすぎただけだ。流石に飛ばしすぎた…血が足りんな」
フラつきながらも立ち上がるエヴァンジェリン。別荘に入ることで封印が一部解けるといってもエヴァンジェリンの状態は万全ではない。ましてや風邪を引き、体が消耗した状態から、魔力を魔法の連発で激しく消費した後で、辻達により徹底的に身体全体を破壊され、強引に急速再生をした後での大呪文の行使だ。無傷に見えるが、エヴァンジェリンは辻達にかなり追い詰められていた。
「直ぐに緊急用の血液をお持ち致します」
「いや、まだだ」
エヴァンジェリンは茶々丸の申し出を跳ね除け、後ろを向く。
「生きているだろう?お前達、顔を見せてはくれんか?」
その声が流れてしばし、沈黙が降り、
「…ばれてた、かよ」
男の声と共に瓦礫の各所が蠢き、人が這い出して来た、その数は五つ。
「全員生き残ったか。しぶといな、貴様ら」
「…生憎死んでくれと言われて素直に死んでやるような根性でいねえよ」
「といっても冗談じゃ無しに死にかけだがね」
「…うん、ごめん。軽口叩く元気が無いや」
「倒れるなよ、山下、今倒れたら死ぬぞ」
「…寒い通り越して感覚無くなってきたよ」
気丈に振る舞うバカレンジャーだがその体は既に限界である。
結果として辻達は蒸発を免れたが、その体は既に半ば凍りついていた。表面の皮膚は凍結して細かい断片毎にボロボロと零れ落ちていき、出血は傷口が凍りついている為に止まっている有様だ。
「…つっても限界なのはお互い様みてえだからな、露出ロリ。止め、刺してやるよ」
中村がギクシャクした動きで構えを取ると、他の四人も構えを取る。全員半死人ながらも、戦意だけは衰えていなかった。
エヴァンジェリンは無表情に五人を眺める。やがて五人へ静かに語りかけた。
「お前達、そのままでは死ぬぞ」
「それがわからないほど、馬鹿だと思われてるかな?」
「死にたいのか?」
「まさかな。死にたいなら初めにもう少し楽に死んでいる」
「…なぜ、私に挑む」
「喧嘩を売った理由なんざ初めに話したろうが、いい歳してガキを虐めるからだよ」
問いにバカレンジャーが口々に答える。
「昨日今日知り合ったばかりの子ども一人の為になぜ命を賭けられる。そこまでお前達の命は安いのか?そこまでやられておきながらなぜ降参しない、逃げ出さない?恐怖を感じないのか?罪も無い少年を悪党の魔の手から救う、などというシチュエーションに酔ってはいないか?言っておくが今お前達が生きているのは
エヴァンジェリンの全身から凄まじいプレッシャーが溢れる。空間が震え、濃密な殺気が辻達を包み込んだ。
辻達はその圧力に耐えるように身を縮める。只の威圧ですら消耗した身体にはキツいのだ。
それでも辻達は身体を再び伸ばし、エヴァンジェリンと相対する。
「なんでかって?…正直よく解んねえし、こいつらも解って無えと思うんだわ」
暫しの沈黙の後、中村が口火を切った。
「あんたの言うとおり正直命賭けるには割に合わねえとも思う。正義感に酔ってるかと言われりゃ否定はできねえな。んで?怖くねえかって?…怖えに決まってんだろが‼︎」
中村が叫ぶ。
「殺されかけて怖くねえ奴なんざいねえよ!桁違いの力見せつけられて、逃げ出したくなったよ‼︎当たり前だろうが、このまま戦ったら下手しねえでも死ぬって…全部解っとるわ俺らは‼︎」
「でも、それでもなぁ」
豪徳寺がゆっくり後を繋げる。
「俺達は結構強いつもりだったんだよ、このキワモノ揃いの麻帆良でも勝てない奴なんてあまり思いつかない位にな。…そんな俺達が、五人がかりで目出度く死にかけてる。そんな化物が、あんただ」
「そんな奴にさ」
肩で息をしつつも、山下が続ける。
「ネギ君を襲わせる訳には、いかないでしょ。あんな喧嘩も碌にしたこと無いような、人のいいできた少年にさぁ。貴女みたいな怪物ぶつけてみろ‼︎少なくとも人生にいい影響与えない事は確実に言えるよ」
「だからこそ」
大豪院が静かに語る。
「割に合わなかろうが恐ろしかろうが、俺達が貴様を止めねばならん。女子どもが暴虐に遭うのを見過ごして、何の為の武か」
「馬鹿げて聞こえようと下らない意地に見えようと」
辻が強い意思を込め、告げる。
「弱者を守るのが
辻は気迫も露わに刀を突きつける。
「俺達はあんたを斃す‼︎刺し違えることになってもな‼︎」
「できれば勝った上で生きて帰りたいけどな」
戯けた風に中村が言う。
エヴァンジェリンは辻達の言葉を黙って聞いて、やがてくつくつと笑い始め、やがてそれは哄笑へと変わる。
「めっちゃ爆笑されてんぞ」
「ババアに時代錯誤と笑われるたぁ俺らもヤキが回ったぜ」
「いや、済まんな、馬鹿にするつもりは無い」
悔しげに唸る中村と豪徳寺に目尻を拭いながらエヴァンジェリンが言う。
「まさか貴様らのような妙な格好した
馬鹿にした風では無く本当に感心した様子でエヴァンジェリンは頷く。
「無粋な問いを発したな、
エヴァンジェリンは再び重厚な殺気を身に纏う。この上無く凶悪な目つきと共に告げる。
「死ね」
辻達は身構える。
「来るぞ‼︎」
「正念場だてめえらぁ‼︎」
かくして武道家と化物は三度目の闘争を始める。確実に言えるのは、これは死合いだと言うことだ。
「
最早弾幕と呼ぶのも生温い氷刃の豪雨が降り注ぐ。
「とばしてやがるぜあのバ…うお⁉︎」
流石に当たる全弾を弾くのは無謀と判断して逃げながら追ってくるものを受けようと駆け出した中村が
「ぐわあっ‼︎」
苦痛の悲鳴を上げる中村に弾幕の半数程が瞬時に向きを変え、中村に全方位から時間差で襲い掛かった。
手足を総動員して受けにかかった中村だが、一本、二本と落とし損ねる毎に体に刃が突き刺さり、たちまちハリネズミのようになった中村が、気力で最後の数本を砕いた後、声も無く倒れる。
「なかむ…っ‼︎」
「とりあえず貴様は最初に潰す」
中村を助けに入ろうとした辻の眼前に瞬間移動と見紛う速さでエヴァンジェリンが移動し、凄まじい速度の抜き手を放つ。当たれば体に風穴が開くと理解できる凄まじい一発だ。
「う…おおっ‼︎」
間合いが近すぎて刀で受られないと咄嗟に判断して、辻は左腕に気を纏い、エヴァンジェリンの抜き手を弾く。弾くというよりはやっと逸れるようにしてエヴァンジェリンの一撃を捌いた。が、
「がっ⁉︎」
一撃を捌いた左腕に突如紫電が纏わりつく。まるでスタンガンを喰らったようなそれに辻の全身が縮こまって硬直する。
次の瞬間、エヴァンジェリンの逆腕が放った掌底が辻の鳩尾を捉え、鈍い轟音と共に辻の体を吹き飛ばす。
「げ…ぶぅっ‼︎」
吐瀉物を撒き散らしながら吹き飛ぶ辻に、容赦無く追撃が放たれる。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック・来たれ拒絶の凍氷 薙ぎ払え」
虚空に現れるはゾッとする程薄く、長い数本の氷の
「
エヴァンジェリンは氷刃を袈裟懸けに辻目掛け振り下ろす。
「ぐ、ふっ…ああぁぁぁぁぁっ‼︎」
今だ打撃の衝撃が抜けない体に鞭打って、刀を翳し刃を受ける辻。が、
「よく受けた。が、こいつは砕けるのが仕事だ」
エヴァンジェリンの言葉通り、刃が刀に受け止められた瞬間それが砕け散る。受け止められた地点から数十、数百の刃の欠片となって、全方位に弾け散った。
「っ〜〜〜〜〜〜〜‼︎‼︎‼︎‼︎」
全身を破片に貫かれ、切り裂かれた辻が声にならない悲鳴を上げ、倒れ伏す。
「辻ぃっ‼︎〜〜貴様ぁっ‼︎」
大豪院が活歩でエヴァンジェリンの前に移動し、震脚と共に全力の体当たりを打ち込もうとする。
「なっ⁉︎」
が、震脚の為踏み込んだ正にその足が、放たれた冷気により凍りつき、瞬時に感覚を無くした足が勝手に崩れ、転倒する大豪院。
「そんなでかい一撃は出足を潰せばそもそも撃てもせん」
エヴァンジェリンは冷たく言い捨て、魔法を放つ。
「
最早冷気の奔流が大豪院を捕らえ、氷の彫像と化した大豪院が床に張り付く。
「
歯を食いしばりながら気弾を連射して、エヴァンジェリンの足止めにかかる豪徳寺。無数の気弾がエヴァンジェリンを捉え、たちまち爆煙に包まれる。
なおも気弾を形成し、撃ち放とうとする豪徳寺だが、前触れも無く煙を裂いて数本の氷刃が豪徳寺に襲い掛かる。
「ちぃっ‼︎」
氷刃を払いのけ、素早く次弾を撃つ豪徳寺だが、先程までと違い、当たった手応えが無い。
「……?」
「闇雲に撃つから対象も確認出来んのだ」
頭上からかけられる声にはっと豪徳寺が振り仰げば、そこには巨大な氷塊を掲げながら自身を見下ろすエヴァンジェリンの姿があった。
「貴様のような出力任せの力押しは、消耗させてしまえば勝負がそもそも成立せん」
「
大質量の圧倒的破壊が豪徳寺を襲った。
「くっそぉぉぉぉぉぉぉぉっ‼︎」
山下が飛び出し、エヴァンジェリンに飛翔蹴りを叩き込む。障壁に阻まれるが構わず地面を、時には空中を踏みしめながら高速で上下左右前後に動き、エヴァンジェリンの反撃を躱しながら攻撃を続ける。
「ちっ…」
エヴァンジェリンは後ろに高速で後退しながら、詠唱を始める。
山下が追いすがるが、エヴァンジェリンは無詠唱で氷や闇の弾丸をばら撒き、山下に接近を許さない。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック・来たれ真闇の獣 食い千切れ」
山下の周囲に霧のような闇が満ちる。
「
闇が密集し、巨大な獣の顎のようなものを形作り、山下を両断せんと高速で閉じる。
「ッ〜‼︎」
間一髪で噛み砕かれるのを跳躍して回避した山下が、空中で顔を歪める。牙の一本に足を引っ掛け、ふくらはぎが大きく切り裂かれている。
直ぐに攻防が再開したが、足を負傷した山下には最前のキレが無い。
躱し損ねた数発の闇の弾丸を喰らい、襲い掛かる脱力に刹那動きが止まる。
そこにエヴァンジェリンが弾丸のような勢いで突っ込み、魔法を至近距離で打ち込む。
「
冷気の爆風を間一髪躱す山下だが、大きく体勢は崩れ、無防備な姿を晒す。エヴァンジェリンは腕を振りかぶり、鋭い鉤爪の一撃で山下の背中を斬り裂いた。
「ぐあああっ‼︎‼︎」
地面に激突し、悲鳴を上げる山下。
止めを刺しにエヴァンジェリンがなおも詠唱に入り…
「ゴ、フッッ⁉︎⁉︎」
次の瞬間咳き込み、吐血しながら体勢を崩す。
「おおおおおおおおっっ‼︎」
その隙を逃さず、跳ね起きた山下がエヴァンジェリンにタックルを喰らい決め、その体を摑み取る。
「ッ‼︎放せ‼︎」
エヴァンジェリンの十指が山下の体に喰い込み、肉を抉り血を飛沫かせる。
「っっ〜〜〜〜‼︎‼︎」
激痛に歯を食いしばりながら山下がエヴァンジェリンを抱きすくめるように、両腕を肩の上から脇の下へ後ろから通し、襟首を両手で掴むとそのまま、高速でスープレックスのように後方へブリッジで倒れ込む。
「…弧月落とし」
エヴァンジェリンがまともに脳天から地面に凄まじい勢いで激突し、脳漿が零れ、不気味な形にエヴァンジェリンの頭が歪む。
「ッ⁉︎〜〜〜な゛めるなガキがぁっ‼︎」
エヴァンジェリンは濁った叫び声を上げ、山下を腕力で強引に振りほどき、蹴りの一撃で山下を吹き飛ばす。
「があっ⁉︎」
吹き飛んで壁に激突する山下によろけながらもエヴァンジェリンは追撃の魔法を唱え…
「ぐううっ⁉︎」
背中で気弾が爆発し、詠唱を中断させられる。
エヴァンジェリンが背後を振り返ると、血達磨になりながらも立ち上がった中村が掌打を振り抜いた姿勢で笑っていた。
「常時、壁張る、余力も。…もう無いみてえだな」
「貴様…」
一歩踏み出すエヴァンジェリンが今度は横合いから飛び出して来た気弾を下がって躱す。
「外、したかよ」
血塗れであちこち体が
辻は出血多量で痙攣する体を抑えながら、刃先が欠け、あちこち刃こぼれした刀をそれでも構える。
大豪院の体を覆っていた氷はいつの間にか砕け落ち、低体温症で青い顔をしながらも大豪院がこちらへ向かって来る。
山下はめり込んでいた壁からゆっくりと身を剥がし、腹を抑えながら歩みを進める。
「しつ、こい連中め」
息を乱しながらエヴァンジェリンが毒づく。
「もう、一息だ。くた、ばるなよ、お前ら」
「…おうよ」
「目が、霞む。いく、らも持たない、な」
「正に、死力って、奴だね」
「んじゃ…」
最後に中村は血塗れの壮絶な顔で獰猛に笑う。
「潰しに、いくぞロリババア」
武道家達は殴られ、斬り裂かれ、転がされながら再び立ち上がり、攻撃をしかける。
吸血鬼は斬り裂かれ、殴打され、気の爆発を喰らいながら、その身を再生させ相手を潰し続けた。
「…体、動かねえ」
中村は地面に転がりながら力無くこぼした。
「…こっちも、だ」
豪徳寺がやはり横たわりながらポツリと返す。
「死ぬ。これ本当に死ぬよ」
山下が同じ状態で朦朧と呻く。
「…右に、同じだ。辻。…生きているか?」
大豪院が壁に寄りかかり、辻に呼びかける。
「…ぃきて、るよ」
死んだようにうつ伏せで倒れていた辻が蚊の鳴くような声で応じる。
正に死屍累々、といった様子だ。五人共に正真正銘の限界であり、このままでは死を待つばかりだろう。
「……ババア、てめえは生きてっか?」
中村がエヴァンジェリンに呼びかける。
エヴァンジェリンは精魂尽き果てた様子で瓦礫の山に身を横たえていた。
「…生憎としぶとい性分でな。まあこれ以上
「…クソが」
中村は悔しげに呻く。辻達は戦闘不能、最早追撃は不可能。武道家と吸血鬼の闘争の結末だった。
「…でかいこと言っときながら、恥ずかしい、限りだぜ」
「…そう、だね。うん。…申し訳無い、な」
「
息も絶え絶えながら、悔恨の念を口にするバカレンジャー。
辻は悔やんでも悔やみきれなかった。結局は、負けだ。どこまで追いつめようと、どれほど奮闘しようと、勝たなければ駄目なのだ。
…これは、試合じゃ無いんだから。
「…そう悔やむな、お前達はよくやった。まあ、救われはせんだろうがな」
エヴァンジェリンは億劫そうに起きあがり、よろけながらも辻達の方へ歩いてくる。
「…言い残すことはあるか?」
静かにエヴァンジェリンは問う。
「…へっ……」
微かに中村が笑う。
「未練なんざいくらでもあらぁ、言っても言い足りねえよ。だから、…悔しいが、悔いは無い、だ」
中村の言葉に、他の面々も微かに笑う。
「…だな」
「…ネギ君には、悪いけどね」
「…そうだ、ネギ少年に、気にするな、とだけ。頼む、吸血鬼。…まあ、無理だ、ろうが」
辻は中村の言葉に不思議とすっきりするものを感じていた。
…そうだ。
「後悔は、無いな」
辻は呟いた。結局無駄に終わったのは忸怩たる思いだし、あの子供先生には無責任に後を任せることになってしまう。だが、
「やるべきことを…やろうとしたんだ」
だからこそ、よくはないが、こうでなくてはいけない。
「……丸、……に…絡を…れ」
思考が霞む。遠くで誰かの声が聞こえる。
…ああ、死ぬんだな、俺。
…すまない、ネギ君、神楽坂ちゃん、近衛ちゃん。いろいろ、投げ出して、先に逝くよ。本当にごめん。
……桜咲。…結局、忠告を守らなかったからこうなったのかな、俺は。
…でも、
…こうしなけりゃ、悔いが残るから。
…馬鹿な、先輩で…ごめん。
辻の意識はゆっくりと闇に落ちていった。