「走れぇぇぇぇぇぇぇぇ稲妻よりも速く‼︎」
「お前がやってみろ!これが精一杯だ‼︎」
中村達は駅から旅館までの道を全力で逆走していた。
辻のメールを見て直ぐにGPS機能を用いて辻の現在位置を特定、ホテルから3km弱の地点にいることを確認し、先程から辻が殆ど移動していないことから犯人と交戦していることを中村達は把握した。生憎木乃香の方は寝起きの浴衣姿だった為携帯を所持しておらず、辻と同じ地点にいるかはわからない。だからこそ一刻も早く辻と合流する為に彼らは駆けていた。
…私は、何をやっている?
全力で走りつつも刹那は自問する。
木乃香を護ると息巻いておきながら陽動にあっさり引っかかり護る対象は何処にいるかもわからない。あまつさえ素人扱いして遠ざけようとしていた辻に足止めなどという危険な役目を行わせ、助けられている、これではどちらが護衛かわからない。
そして刹那はそんな状況においても自分がまだ全力で事に臨んでいないのを自覚していた。無論今現在刹那は本気で
しかし、
…だがそれがどうした。
…お前は何としても、自分の命に替えてもお嬢様を護るのでは無かったのか、お前の覚悟はその程度だったのか……?
刹那は己を叱咤する。だが、刹那は踏み切れない、決意が、揺らぐ。
中村達が、ネギが紛れもなく善人だとわかっていても、いや、だからこそ…
刹那は拒絶が、怖かった。
……私は……………
「桜咲‼︎」
己の名を呼ぶ声にハッと刹那が顔を上げるといつの間にか中村達からやや遅れてしまっている。走りながら大豪院が振り向いて刹那に声をかけた。
「何を考えているかは知らん、だが迷うなら今は捨て置け‼︎今自分が出来ることを全力で行え‼︎時間をかけねば結論などは出ん!」
「っ‼︎」
まるで思考を読まれたような忠告に、刹那は言葉を返せない。
「難しいことはまず誘拐犯ぶっ殺してから考えろ!もうじき着くぞ桜咲ぃ‼︎」
豪徳寺の叫びに、見ればホテルが直ぐ近くに見えている。ここから辻の所まで、どういう移動をしても最早大した差は無いだろう。
…言い訳か……
……卑怯者め…
己を蔑みながらも刹那は更に体に鞭を打ち、速度を上げた。
「ざーんがーんけーん‼︎」
「っんぐっ‼︎」
真面に受ければ刀どころか腕ごと持っていかれそうな剛撃を辻はなんとか受け流す。
既に千草の姿は見えなくなっている。このままでは木乃香をみすみす攫われてしまうのだが、目の前の月詠という少女は見た目からは想像もつかない手練れだった。
小回りの効く小太刀と短刀の二刀流は絶え間無い斬撃の嵐をこちらの急所目掛けて打ち込み続け、辻はほぼ反撃を許されない。無論、手数の多い分一撃の重さは刹那よりも劣る。だが、こちらが強引に出ようとしたり、連撃の合間に隙が出来ると神鳴流の技を用いてこちらを両断しかねない超威力の斬撃を見舞ってくる。八方塞がりとはこのことであった。
…くっそっ、こんな馬鹿げたチャンバラやっている場合じゃ無いってのに‼︎
歯噛みする辻だが突破口は見出せない。これだけ攻めていても月詠には全く隙が無い、少なく見積もっても月詠は刹那とそう変わらない実力がある。辻はそれを身を以て体感していた。
「う〜〜ん……」
激しい攻めとは全く噛み合わない緩い調子で月詠が唸る。
「基本に忠実で〜堅実にして堅牢〜。そんな感じの剣ですね〜お兄さん〜」
「…?……」
容赦無く首を狙ってくる短刀を鍔元でなんとか受けながら僅かに眉を上げる辻に月詠は笑って言う。
「何時もやったらお兄さんみたいな攻めきれん人は喜んで喰いに掛かるんですけど〜今日は噂に聞いてた先輩とやり合えるかもしれん思てたからでしょうか〜」
月詠は僅かに目を細め、
「…正直ちょっと退屈ですわ〜」
月詠は跳ね上げた小太刀で辻の刀を打ち払う。僅かに体勢の崩れた辻に月詠は両の刃を輝かせ、告げる。
「そろそろ終わりにさせてもらいますわ〜」
放たれるのは必殺の威力を込めた超速度の連撃。
「にと〜れんげきざんてつせ〜ん!」
「………っっ‼︎‼︎」
ヤバイ。
故に辻は
「あや?」
月詠は初撃をぶち込みながら疑問の声をあげる。
辻は振り下ろされた小太刀を、刀を背負うようにして肩越しに受け、次の短刀が体を斬り裂く前に全力で月詠に体全体でぶつかりに行った。
「っ‼︎」
月詠の振り上げた短刀が腕の肉を削るが、構わず辻は体当たりで月詠を後ろに吹き飛ばす。
…剣で圧倒できる程腕に差は無い、気の扱いでは明らかに向こうが上!なら俺が勝っているのは、体格差と、体重差‼︎
空中で体勢を立て直し、着地する月詠に辻は全力で刀を大上段から振り下ろす。
「くっ!」
初めて苦鳴をあげ、小太刀と短刀を交差させ鎬で受ける月詠。辻は構わず、刀から片手を放し手の塞がった月詠の腕を掴む。
「なっ…」
辻は腰を沈めながら右足を軸に旋回、しゃがんだ体勢の月詠を強引に腕力と体重の乗った遠心力で地面から引っこ抜く。
…少なくともこの投げを堪えられる程の
辻は月詠を一切の容赦無く地面に鋭角に叩きつけた。
「ぐっ⁉︎」
真面に左肩から背中にかけてを打った月詠はくぐもった悲鳴を上げる。
辻は投げで掴んだ腕を放さないまま右足を後ろに、まるでサッカーでシュートを放つように高々と上げる。
驚いたように見開かれた月詠のこちらを見つめる瞳を見据えながら冷たく辻は言い放つ。
「…お前なんかに構ってる暇無いんだよ」
直後、辻の全力のサッカーボールキックが月詠の頭を蹴り上げた。
「ガッ⁉︎……」
月詠の頭部がバネ仕掛のおもちゃのように跳ね上がり、戻る。短い悲鳴を上げた後月詠の眼から光が消えた。
「……っ、ふうぅっ……!」
残心を取った後、辻は大きく息をついて月詠の腕を放す。
…正直女の子にやるような攻撃じゃ無いけどな…
辻は顔を顰めながらも、今は非常事態、甘っちょろい考えは無しだと気を取り直し、斬られた右手をゆっくりと開閉する。
…よし、動く。筋や骨はやられていない。
袖口を破って傷口に巻き付けた後、辻は屋根に飛び上がり上から千草を追跡にかかった。
…近衛ちゃん、待っててくれ‼︎
辻が去ってしばらくした後、ピクリとも動かず地面に転がっていた月詠が、唐突に跳ね起き、油の切れたゼンマイ人形のような不気味な動きで体全体を捻じくねらせる。
「……フ…」
ゴキリベキリと首を鳴らして頭を左右に振る。
「…ウフフッ……」
堪えきれぬとばかりに月詠は口から笑いを溢す。
「ウフフフフフフッ、なんですかお兄さん、詰まらん動きしかせえへん思たら急にあんなに強引に〜〜」
ゴキッ‼︎と一際大きな音を立て、九十度近く真横に月詠の頭が傾く。
「…ええ顔できるやないですか、お兄さん♡」
嗤いながら月詠は落ちていた小太刀と短刀を拾い、宙を舞う。直ぐに白い後ろ姿は辻の消えた方向へと、闇に紛れた。
「ちっ、車を潰されたんは痛かったわ…」
千草は熊鬼の肩に乗り、移動しながら忌々しげに吐き捨てる。
時刻は真夜中に迫ろうとしており、道路に人影は全く無い。だが、巨大な熊の縫いぐるみが浴衣姿の少女を抱え、肩に女性を乗せてそれなりの速度で移動する様が人目につかない筈は無い。全く街に人が出ていない訳が無いのだ。目撃されて騒ぎにでもなれば、近くまで来ていると言っていた護衛達に追いつかれてしまうかもしれない。
故に人気の無い道を選んで逃げている千草だが、言うまでも無くそれでは大通りを直進するのに比べ時間がかかる。
…こんなことやったら移動用の式を持参してくるんやったわ。
千草は後悔するが、後の祭りだ。
兎に角もう少しで合流地点に着く、そうすれば目的の第一段階は突破だ。
千草はそう自分に言い聞かせ、逸る気持ちを抑えて裏路地をゆっくりと進む。が、
「…止まれ」
後ろから響く声に千草は身を震わせ、まさかと思いながら慌てて振り向く。
果たしてそこには刀をだらりと下げ、鋭い目付きで千草を見据える辻の姿があった。
「なっ…月詠はん、こないなガキにやられたゆうんか⁉︎」
「充分強かったがね。楽しみに人斬りに来てる人でなしなんかにやられる訳にはいかないんだ」
辻は荒い息をつきながらも刀を構える。手傷はそう深くは無いが、血が止まらない。あまりダラダラと戦ってはいられないようだ。
「…はあっ……もうええわ」
辻がジリジリと間合いを詰めていると千草が溜息と共に言い放つ。
「…なに?」
「もういい、ってゆーたんや。曲がりなりにもガキやし、月詠はんにも殺さんようにとだけは言うとったがな。ここまで邪魔するんやったら関係ないわ」
千草は懐から複数の札を取り出す。
「…
千草は懐から木札を取り出す。今まで見た紙札とは表面の文様から何から造りがまるで違い、否応なしに「奥の手」だと理解させられた。
辻は警戒して歩調をやや緩める。辻の知識ではあれが先程の爆発のような攻撃用なのか傍らにいる熊鬼のような式神を召喚するものなのかすらわからない。
「来いや、
木札の文様が輝き、朧な影が路上に現れる。次第にその影は輪郭をはっきりさせていき、やがてはっきりとしたその姿は、巨大な四足獣だった。粒らな瞳を持つ頭の周りには等間隔に節の入った環状の飾りを持ち、全体的に丸みを帯びた
「ポ○・デ・ライオンじゃねーか‼︎」
辻の力の限りのツッコミが炸裂した。
千草は露骨に動揺しつつ、
「な、なんの話や?ウチはデザインをパクったりなんてことはしとらんで!」
「語るに落ちてんじゃねーか‼︎てめえ今までの緊張感返せこの女ーっ‼︎」
「や、喧しいわ‼︎兎に角可愛らしいのは見た目だけや!ズタズタにしたるわガキぃっ‼︎」
「その間抜けな盗作珍獣でやれるもんならやってみろデザインセンス0女‼︎」
「誰がいい歳して少女趣味の痛女や‼︎もうええわやったれ獅鬼!」
「ポーンッ‼︎」
「言ってねえよ!そして隠す気ねぇなこの女⁉︎」
ツッコミに忙しい辻に向かって獅鬼が加速する。次の瞬間その姿が金色の風となった。
「うおわぁっ⁉︎」
辻が慌てて右に飛び、そのすぐ脇を獅鬼が掠めて路地の壁に激突、蜘蛛の巣状の巨大なクレーターを作成する。
「うお…………」
振り返って惨状を目にした辻が冷や汗を流す。かなりの速度とパワーである、間違いなく舐めてかかれる相手では無い。
「ふん、舐めた口聞いた事をあの世で後悔しぃ」
「パクリは事実だろうが」
「しゃあないやろ可愛いんやから‼︎」
「開き直りやがっ…うぉっ⁉︎」
再び爪と牙を振りかざし襲い掛かって来た獅鬼を身を屈めて避けつつ、刀を振るう辻。斬撃は確かに獅鬼の腹を引き裂いたが、獅鬼は気にした様子も無く着地し再び辻に襲い掛かる。
「くっそ!」
「ホホホ獅鬼はパーツごと斬り落としでもせん限り幾ら傷をつけた所で意味無いわ!そのまま翻弄しときぃ獅鬼‼︎」
千草は懐から数枚の紙札を取り出す。
「じゃあなあ兄さん、ほとぼり冷めたら線香ぐらいは上げに行ったるわ」
…やばいか⁉︎
正直獅鬼の攻撃が激し過ぎて回避ができそうに無い。そうしている間にも千草は紙札を辻に向けて翳し、術を発動させた。
「焦炎大熱符‼︎」
路地の通路全体を覆う程の火炎の波が辻に向かって放たれた。
「っっ⁉︎⁉︎」
辻は飛んで逃れようとするが獅鬼が体当たりしてそれを阻む。
「お前も焼け死ぬぞポ○・デ・ライオン‼︎」
「獅鬼や‼︎見当違いなこと抜かすなや、式神は焼けようが千切れようが気を使えば再度利用可能や阿呆ぉ‼︎」
嘲る千草の声と共に眼前に炎が迫る。
…あ、死んだ。
辻があっさりとした人生の終わりを実感したその時。
「
見えない壁が辻の前で炎を遮り、双方共に弾けて消える。
「なんやっ⁉︎」
「…これは‼︎」
「おおおおおおおおぉっ‼︎」
雄叫びと共に人影が辻と獅鬼目掛けて落下し、獅鬼の背面を踏み潰しながら着地、踏みしめた際に全身が連動、下方へと落下の勢いを加算した凄まじい力が弾ける。
「哈ァ‼︎」
「ポーーンッ⁉︎」
人影ーー大豪院の沈墜勁が獅鬼に真面に直撃、胴体から真っ二つに千切れ、煙となって獅鬼は消えた。
「遅くなった、無事か辻⁉︎」
「…ははっ、またヒーロー冥利に尽きるタイミングで登場してくれるな…」
辻は笑う。
「
「
「ぬわぁっ⁉︎」
空から輝く気弾が飛来し、千草に着弾、爆発と共に千草が路地の奥に吹き飛ぶ。
「神鳴流奥義…」
凛とした少女の声が響く。
「斬鉄閃‼︎」
「クマーッ⁉︎」
熊鬼の体が一刀両断に裂け、煙と消える。支えを失い、落下する木乃香を着地した少女ーー刹那がしっかりと抱きとめる。
「お嬢様…よかった……」
心底安堵した様子で刹那が笑みこぼれる。
「ありゃ、出番無かったね、僕」
「辻さーん!木乃香さーん!無事ですかーっ⁉︎」
「うぉーっ、危ねえタイミングだったぜ‼︎」
カモを肩に乗せたネギを抱えた山下が路地に着地する。
「やったかあの女?」
「大豪院ゴルァァーッやってないフラグを建てんなって前に山ちゃんにも行ったろがーっ‼︎」
中村と豪徳寺が言い争いながら着地する。
「お前ら、……正直遅いぞ」
「言い訳の余地も無い」
「ごめんね、位置の把握に時間かかっちゃった」
申し訳なさそうに大豪院と山下が謝る。
「近衛は無事か桜咲ーっ?」
「はい、薬で眠っているだけのようです」
豪徳寺の声に心配無いと頷く刹那。
「っ‼︎やってくれるやないかガキ共ぉっ‼︎‼︎」
「ほらやっぱやってねえ、豪徳寺の所為だな」
「巫山戯んな」
怨嗟の声を上げフラフラと起き上がる千草の姿に中村が嘆き、豪徳寺がツッコむ。
「お嬢様は返させて貰った、大人しく降伏しろ、西の術士‼︎」
刹那の言葉にせせら笑う千草。
「そう言われてはいわかりました言う阿呆が何処におんねん、今日はしゃあない、死ぬ程癪やが、ここらで引いたるわ」
「…それで俺達がみすみすお前を返すとでも思っているのか?」
大豪院が構えを取り、低い声で千草に告げる。
「まあ正直ウチ一人じゃ逃げるのも難しいわなぁ。でも考えてみぃガキ共、ウチが一人で関西呪術協会の長の娘を誘拐なんて大それたこと仕出かすと思うか?」
千草が不敵に笑い、返す。
「あん?」
「まさか増援⁉︎」
「…神鳴流剣士の護衛は沈めたぞ、俺」
「…辻部長、神鳴流剣士と交戦したんですか⁉︎お怪我は…」
「ああちょっと腕斬られたけど大丈夫だ、桜咲」
「だってさ、望みは無いみたいだよ?」
「ふん、…お目出度い頭しとんなぁ、自分ら」
千草の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、その体が地面に
「「「「「なっ⁈」」」」」
驚く一同。よく見れば濃密な闇の様なものが地面の上に蠢いており、その中に千草の体は入り込んで行っていた。
「影…いや、闇の
「なんか知らねーが逃がすかぁっ‼︎」
カモの驚愕の声を背に中村が駆け出す。
「中村さん、迂闊に突っ込むのは危険です‼︎」
ネギの忠告を無視し中村は拳を打ち込む。
「
光り輝く正拳を、唐突に闇の中から突き出た白い手が言葉と共に壁を創り、迎撃する。
「
直後、擬似的な質量を持つ程に圧縮された闇が中村の爆圧の拳の威力を全て吸収する。
「はあっ⁉︎」
驚きの声を上げる中村を余所に低く、何処かくぐもった声が
「ヴェロス・オニムス・ザムウェルス・来たれ風霊 闇の精 闇を纏いて迸れ 心喰らう覇王の咆哮」
「
中村に伸ばされた掌から漆黒の烈風が巻き起こり、中村を飲み込み、吹き飛ばす。
「中村ーっ‼︎」
吹き飛ぶ中村の軌道上に割り込んだ山下が自身を回転させつつ、中村を両手に抱え闇の暴風圏内から抜け出す。
「無事ですか⁉︎」
「闇の上級魔法⁉︎敵に西洋魔術師がいんのか⁉︎」
ネギは二人に駆け寄り、カモは敵が
「おーきにおやかまっさん、また来るで、ガキ共」
千草の頭が沈み込み、白い腕も同様に引っ込む。闇が消えた後には沈黙が訪れた。
「…中村は?」
「気絶してる、だけみたい。衝撃波を喰らったのもあるけどあの黒い風、少し掠っただけの僕まで凄く疲れてる。体力的にじゃなくて、なんて言うか
しばらくして我に返った辻が尋ねると、山下が力無く答える。
「あの魔法は精神を直接攻撃する
ネギが心配そうに中村を覗き込みつつ、説明する。
「なんで関西なんたらと事構えてたのに魔法使いが出てくんだよ…」
「わからねえ…金かなんかで雇われた傭兵にしちゃあ転移魔法に上級魔法の行使、正直凄腕過ぎて考えにきぃし…」
豪徳寺が理解不能という顔で言うとカモも首を振って答える。
「…ともかく、中村と近衛後輩を連れてホテルへ帰ろう。現状分析は後でいい」
大豪院が色々振り切るように軽く首を振ってから皆に告げる。
「……そうですね、まずはお嬢様を安全な場所まで運びましょう」
刹那も暫くしてから頷き、眠る木乃香を抱え直し、立ち上がる。
「よし、移動するか、山ちゃん、中村は俺が担ぐぜ、立てるか?」
「僕は掠っただけだから対して…っ⁉︎辻、避けて‼︎」
豪徳寺に手を差し伸べられ、その手を取って立ち上がろうとした山下が、豪徳寺の肩越しに
「っっ‼︎」
辻が即応し、飛び下がると同時に
「今度はなんだ⁉︎」
「これは…斬空閃?神鳴流剣士か⁉︎」
危うく難を逃れた辻が叫び、刹那が驚愕する。
「さっきはどうも〜お兄さん〜」
路地の傍らの雑居ビルの屋上でゆるゆると手を振るのは先刻辻と斬り合った神鳴流剣士、月詠である。
「なんだ、あの女は‼︎」
「俺がここに来る前、やり合った、神鳴流剣士だ…」
大豪院の鋭い詰問に辻が愕然としながらも答える。素人が喰らえば永眠しかねない勢いで頭部に蹴りを入れたのだ。幾らタフでも後暫くは意識を失っている筈なのだから辻が驚くのも無理はない。
「お兄さん、ウチお兄さんに悪いことしたんで、謝りに来たんです〜。お兄さんたら、初めての人みたいに全然動いてくれへんから、ウチつい我慢効かへんで焦ってもうて〜そしたらお兄さん、いきなり荒っぽくなるんですもん、ウチ痺れてしまいましたわ〜。でもお兄さんはそれで気ぃ悪くしたから行ってしもたんですやろ?えろうすいませんでした〜」
本当に申し訳なさそうな様子でぺこりと頭を下げる月詠。それを見て辻は怖気が走る。
…あ、この女ヤバい。
先程全力で蹴りを入れられた男に対して怒りの欠片も見せず、自分が雑に勝負を決めようとしたから辻が気を悪くして去ったのだと、この女は
ふと、辻が月詠以外にも視線を感じ、目線を下げると何故かネギ以外の全員からじっとりした視線を注がれている。やがて大豪院が辻に尋ねる。
「辻…一体あの女と何をしていた?」
「真剣使ってのチャンバラだよ‼︎この傷が目に入らないのかお前らぁ⁉︎」
刹那にまで疑いの眼差しを向けられ、辻は割と本気で傷ついた。必死で手練れの剣士を撃破し、木乃香を助けようと闘っていたのにあんまりな扱いである。
「お前もだよ誤解を招くような言い方するんじゃない、…えーと」
「月詠言います〜是非とも覚えていて下さいお兄さん〜、お兄さんの名前はなんて言うんですか〜?」
「お前はなんかヤバそうだから教えないよ‼︎二度と俺の前に顔を出すな‼︎」
辻のすげない拒絶の言葉に月詠は身をくねらせ、
「やぁんもう、イケズな人ですわ〜。まぁええです、お堅い人
などと言ってのける。そして月詠は木乃香を抱えた刹那に視線を向け、告げる。
「そこの綺麗な剣士さんは、神鳴流のお人ですよね〜、刹那センパイで間違ごうて無いですか〜?」
声をかけられた刹那は月詠を鋭く見据え、
「…そうだ。貴様も神鳴流剣士だな?お嬢様をかどわかそうとするような輩に手を貸すとは、自分のやっていることが本当にわかっているのか?」
月詠はその言葉に笑みを深める。
「…わかっているからこちらについとるんです〜。ウチはただ、美味しそうな人と剣を交えたいだけですから〜」
朗らかな顔で狂気地味た事を口走る月詠に刹那が言葉を失い、他の面々も顔を歪める。
「お兄さん〜」
「…なんだよ?」
再び呼びかけられ辻が嫌々応じると、月詠は刹那を片手で指し、
「刹那センパイ、ウチとお兄さんがやり合うてた、てウチが言った時に渋い顔してはりましたけど…お兄さんは刹那センパイと恋仲なんですか〜?」
とんでもない言葉を口にした。
辻は本気でずっこけ、刹那は木乃香を抱えたまま、なっ⁉︎と驚きの声を上げ顔を赤くする。
…こんなイカレ女にまでそんなこと言われるのか、俺と桜咲は。
暫く失意に沈んだ後、辻は跳ね起きて咆える。
「桜咲は単なる後輩だ‼︎大体なんでお前がそんなこと気にするんだよ⁉︎」
辻の言葉に月詠はのほほんと笑う。
「そやったんですか〜刹那センパイ、ええ人と付き合い持ってはりますね〜。優しげな人なんに、
月詠は刹那と辻を交互に見て笑みこぼれる。小太刀と短刀を腰に履き、歩き始めながら月詠は最後に二人に言った。
「刹那センパイ、是非とも一度剣を交えましょ〜。お兄さん、…また近いうちに会いに来ますわ〜」
「来んな‼︎‼︎」
ウフフフフフフフフ、と笑いの残響を残しつつ、月詠は姿を消した。
暫くその場に重い沈黙が降り、大豪院が辻にポツリと言った。
「…疑ってすまなかった」
「……厄日だ、今日は」
辻は力が抜け、路面に座り込んだ。