「フン♪フン♪フフンフンフンフン♪フンフンフンフンフン♪」
月詠はこの上無く上機嫌そうに鼻歌を歌いながら刀の手入れを行う。
「…なんであんなに機嫌いいねん、月詠の奴……」
気味悪いわ、と黒髪の少年ーー犬上 小太郎は誰にとも無く呟く。
「やる気があるならなんでもええわ。月詠はん、何処の誰にご執心だろうとウチにはどうでもええことや。でも仕事はきっちり果たして貰うで」
千草の言葉に月詠は笑顔のまま頷いた。さこ
「はい~お給料分はきっちり働かせて頂きますわ~」
ならええわ、と千草は返し、室内にいる残り二人の人物の方に振り返る。
「
千草の言葉に並んで腰掛けている内の一人、白髪の少年が返す。
「予想よりも人数が増えているといっても想定の範囲内だ。此方がするのはサポートのみ、その条件で一定の戦果を出せるのなら貴方をスカウトしよう。条件は変わっていないよ」
それで文句は無いね?と傍の黒衣の青年に尋ねる。青年は面倒臭そうに片手を振って了解の意を返す。
「ハッ、上等や」
千草は獰猛な笑みを浮かべ、気勢を上げる。
「目にもの見せたるわ、東の魔法使い共にも、西の日和った平和ボケ共にも、…あんたらにもなぁ」
千草は言い捨て、踵を返す。
「…千草姉ちゃん」
部屋から出て行こうとする千草に小太郎が声を掛ける。
「なんやコタ。あんたもそろそろ準備に入りい」
「解っとる。……千草姉ちゃん、大丈夫なんか?」
「何がや?術のことなら安心しい。魔法使いと違て前準備で八割勝負が決まるのが陰陽師や。この日の為に積み上げて来たんや、失敗はあり得ん」
自信満々に頷く千草に小太郎は首を振り、何処かもどかし気に言う。
「そないなこと言うとるんちゃうわ…」
「じゃあ何やねん、時間押しとるんや、さっさと言い」
苛立たしげに千草がせっつく。
「千草姉ちゃんは、これでええんか?」
「…何がや」
「居られへんなるで、
「コタ‼︎‼︎」
千草の一喝に小太郎はビクリと体を竦ませ、言葉を飲み込む。
「下らんこと言うとるんやないわ。とと様もかか様も、もう居らん。ウチがどう生きようと、ウチの勝手や。ビビったんか、コタ?辞める言うんならあんたは参加せんでええ。元々あんたは巻き込むつもりは無かったんやさかいな」
「ちゃうわ‼︎俺はただ…」
「今更止まれんし、止まるつもりも無いんや、ウチは」
小太郎の抗議を一顧だにせず、千草は再び歩き出す。
「辞めんのやったら黙って言うこと聞きぃ。ガキが一丁前に大人の心配せんでええんや」
言い捨て、千草は部屋を後にした。
「……………」
小太郎は俯き、何かを堪えるように拳を握りしめた後、部屋を飛び出して行った。
「…小太郎はんは小太郎はんで大変そうですわ〜」
言葉とは裏腹に気楽に月詠は言い、手入れの終わった小太刀と短刀を手に立ち上がる。
「ほな、ウチも行ってきますわ〜……うふふ、楽しみですな〜お兄さん♡」
ルンルンと上機嫌のまま月詠は部屋を後にする。
残された二人は無言のまま身じろぎもしなかったが、やがて白髪の少年が黒衣の青年にポツリと呟く。
「…大変だね、
「…どうでもいいがな、俺からすれば」
詰まらなそうに青年は呟く。
「…じゃあ、行って参ります、姫様」
辻はややぎこちない様子で木乃香と刹那に頭を下げる。日本橋の前、月詠の待つ決闘の場に辻は居た。観客の中には中村達の姿も見える。
…
辻は礼の為ついていた膝を上げ、立ち上がる。
「…辻先輩、気ぃつけて下さい…」
「申し訳ありません、私がみすみす…」
「言いっこ無しだ」
刹那の言葉を遮り、辻は前に向き直る。
「心配召されるな、姫。何があっても私が、姫様達をお守り致します。…私は、何処にも行きはしません」
辻の言葉に周りの観客が湧き上がる。
………寒っ‼︎って言うか痛い俺‼︎
辻は芝居がかった己に羞恥心を覚える。頼むから知り合いが見て居ないでくれよと祈る辻である。
「うふふ〜格好よろしいですな〜剣士様〜」
月詠は橋の上で笑いながら刀を手に笑う。
「それでは始めましょうか〜お兄さん、尋常の勝負をお願いします〜」
「…お兄さん、になってるぞ。お芝居はもういいのか?」
辻の問いかけに月詠は笑って返す。
「ええんです〜元々お遊びでやったことですし〜。それに〜」
エロリ、と抜き身の小太刀を幼い見た目に似合わぬ艶かしい仕草でひと舐めして、
「…もう我慢も効かんなってしまいそうなんです〜」
顔を赤らめて陶然とした様子で月詠は言い放つ。
……やっぱ引き受けなきゃよかった………‼︎………
辻はヘタれた思考を頭を一振りして振り払い、月詠に問いかける。
「月詠…だったよな。勝負の前に一つ聞きたいことがある」
「はい〜なんですか〜お兄さんなら何でも答えちゃいますよ〜」
月詠は朗らかに返す。
「…なんでお前、俺に執着する?」
辻は気になっていたことを問いただす。
「正直お前は強い。俺よりもずっとな。強い奴と闘いたいなら桜咲は俺よりもずっと強いぞ。こっちからすればわざわざ俺に向かってきてくれるのは助かるが、何故だ?格下に一本取られたのがそんなに悔しいのか?」
辻の問いかけに月詠は笑って言った。
「まあ正直それも無いでは無いです〜真面に見ればお兄さんが私よりも剣の腕が下なんは確かだと思いますから〜」
でも〜と、月詠は続ける。
「お兄さん、嘘ついてますやろ〜?刹那先輩が自分より強いって、本気で言うてはりますか〜?」
月詠の返しに辻は淡々と返す。
「…当たり前だ。あいつは俺よりも剣の腕は上だ」
辻の返しに月詠は目を細めて言い放つ。
「そうですな〜お兄さんの言うことは正しいです〜、でもそれは
辻は息を詰める。
「…何を根拠に、」
「わかるんです〜」
月詠は辻の言葉を遮り、言う。
「お兄さんは何処か普通や無いんです。言葉で説明するんは難しいですけど、わかるんです〜、
嗤って月詠は言う。鬼気迫る様子は宣言した事が冗談でも何でもないと、言葉よりも雄弁に告げていた。
辻はそんな月詠を黙って見つめ、やがて溜息を吐いて言葉を溢す。
「…本当に知り合いが見てなくて助かったよ」
辻は下げていた刀を抜き放つ。
「…月詠、最初で最後の宣告だ」
辻は不思議そうに首を傾げる月詠に続けて告げる。
「降伏しろ。今すぐ近衛ちゃんを狙うのを止めて大人しく縛につくなら
月詠は辻の言葉を聞いてキョトン、として目を見開き、やがて硬直から立ち直りケタケタと笑い出す。暫く笑声を響かせた後、辻にやっと向き直り、言った。
「お兄さん、悪い冗談です〜。…ウチがそないなこと言われて、本気で剣を収めるとでも…思ってはりますか〜?」
月詠が笑みを消し、能面のような無表情で続く言葉を告げる。
「…萎えることほざくなや……!」
月詠は再び凄まじい気迫を全身から放つが、辻はそれを受け微動だにしない。
「……そうか………」
辻は、奇妙に感情の籠らない口調で、誰にとも無く言い放つ。
「
「っ⁉︎…………」
月詠は辻の言葉を聞き、自分の中の
……これですわ〜…………!
月詠は歓喜する。やはり自分の見立ては間違っていなかった。この男は自分と同じで
「うふ、うふふふふふふふ〜ええですよ〜お兄さん♡じゃあ
心底嬉しげな月詠の宣言に、しかし辻は首を振って告げる。
「…残念ながら
辻はそう宣言する。月詠は驚きに目を見開くが、辻を見て確信する。
…本気で言ってはりますな〜お兄さん………
それだけに月詠は腑に落ちない。辻程の腕前ならば両者の実力が拮抗している場合、一合なら兎も角、一撃で決着が着くことなどほぼあり得ないと理解している筈だからである。
やや困惑した様子の月詠に構わず、辻は刀を振り上げる。
それは一見して剣術で言う、剣を頭上に振りかぶり、肩の上辺りで刀を構える八相の構えに似ていた。しかし、辻は刀を八相の構えよりも高く、刀の柄を右耳の辺りにまで上げ、刀の刃を体の外側に向ける。左足を前に出し、腰を低く落としたその姿は、月詠をして、不用意に踏み込めぬ凄まじい威圧感を放っていた。
……この構え、何処かで………
月詠は僅かに記憶の片隅に残るその姿勢に、動悸が早まるのを自覚する。そんな月詠に構わず、刀を構えた辻は、月詠を真っ直ぐ見定める。そして………
「ちえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぃっっ‼︎‼︎‼︎‼︎」
.......っっ⁉︎⁉︎⁉︎
己が身が反射的に竦むのを月詠は自覚した。辻の引き締まってはいるが細身の体の、一体何処から出たのか不思議な程の凄まじい大音量の絶叫に、先程までざわめいていた観客も水を打ったように静まり返る。
……来る‼︎‼︎………
月詠は身構え、辻の一挙一動も見逃さぬと全神経を集中させ辻を注視する。本来待ちの構えは斬り合いを史上とする月詠にとって本意では無いが、そんなことを言っていられないだけの
月詠は集中し、辻の姿を見て待ち構え、暫しの時間が過ぎた。だが月詠は一瞬たりとも辻から目を逸らさず、集中していた。
気がついた時には辻の刀が恐るべき速度で頭上から降ってきていた。
…………え?…………………………
月詠は反射的に小太刀と短刀を掲げ、防御の姿勢を取る。しかし、辻の斬撃はそれをものともせず、短刀を粉々に打ち砕き、続いて間に入った小太刀は砕けはしなかったが、その威力を受けきれず、小太刀は辻の斬撃に押されるような形で……月詠の額に、その峰をめり込ませた。
「いぎっ、ああぁぁぁぁぁぁっ⁉︎⁉︎」
月詠が己が頭部に喰い込んだ小太刀を取り落とし、両の手で割れた傷口を抑えてのたうち回る様を辻は冷たい目で見下ろしていたが、その内心は驚きで満たされていた。
……受けたのか、俺の
辻は殺す覚悟を決めていた。己の中で月詠を両断してしまう事に欠片も躊躇が無かったと言えば嘘になる、
だとしても、月詠は辻の一刀を
…こいつ、桜咲よりも
辻は戸惑いながらも、地面に転がる月詠に告げる。
「勝負ありだ、降伏しろ。下手をすれば頭蓋が割れて脳に損傷が及んでいる。今から医者にかかれば命は助かるかもしれない」
だが、月詠は変わらず地面でのたうち、呻き声を上げる。
「うう、うっ、うっ、うううううっ………」
……聞こえる状態じゃないか………
辻が会話を諦め、月詠の小太刀を拾い上げて懐から救急車を呼ぶ為携帯電話を取り出そうとしたその時……
「うう、うっ、うふ、うふふ、うふふふふふふふふふふふふふっ……」
明らかに呻き声とは口に出る声の様子が異なり始める。辻が思わず動作を中断し、月詠を再び注視する。そして………
「うふふふふふふふふっ、あは、あはは、あーっはっはっ、あはははははははははははははははははっ‼︎‼︎‼︎」
呻き声を途中からけたたましい笑声に変え、月詠は跳ね起きる。
っ⁉︎……
辻は再び刀を構えるが、そんな辻の様子に一切構うこと無く、月詠は両手で傷を抑えながら狂ったように笑う。
「あはははははははははは、ひ、ひひ、ひゃははははははははは‼︎凄い、凄いい‼︎‼︎…ウチが見えんかった‼︎見えへんかったあっ‼︎あひゃあはははははっ‼︎何ですか、なんですかそれはあっ‼︎こんなん初めてや、凄い、なんやこれぇっ⁉︎あひゃはははははははははははははっ‼︎」
……………‼︎‼︎
辻は戦慄する。額を叩き割られて笑う目の前の女が、辻は恐ろしかった。理解出来なかった。
……なんだ、なんなんだ、こいつ……‼︎
辻が見つめる中、月詠は傷口から片手を放し、潤んだ瞳で辻を覗き見る。
「ひひ、ひひひひ、予想以上や、見つけた、見つけたで…‼︎ウチの背の君。ウチを
うひゃあははははははははは‼︎‼︎お兄さん、いや、
………あ、ヤバい……………………
血の気が引いていくのを自覚しながら辻は思う。なにか、絶対に踏んではいけない地雷を自分が思いっきり踏み抜いてしまったことを辻は理解した。
「ああ、駄目や、駄目やのに、ウチ、我慢出来ん、おかしくなる、ああ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉︎⁉︎」
月詠は全身をくねらせ、内股をもじもじと擦り合わせる。太腿は足の間から溢れ出る液体で濡れぼそり、発情した犬のように荒い息をつく。
「
月詠はフラフラと後ずさる。それを見て辻はようやく我に返り、刀を構える。
……ようやくわかった、こいつは、逃がしちゃいけない……‼︎
再度斬りかかろうとする辻を見て、月詠は潤んだ瞳を更に輝かせ、額から溢れる出血で染まる赤よりもなお紅く熟れた林檎のように紅い顔を振り、辻に告げる。
「ああ、あきまへん、
「……!…会話が通じねえのはよくわかったよ……‼︎」
辻は最早言葉を発さず月詠に斬りかかる。だが、月詠は懐から札のようなものを取り出し、それを眼前に掲げて、辻に言い放つ。
「名残惜しいですけど、お別れです〜、……
言葉を終えた瞬間、月詠の姿がかき消える。辻が辺りを見回すが、月詠らしき姿は影も形も無い。完全に、逃げられた。
………………………………………。
辻は無言で佇んでいたが、突然刀を放り出し、四つん這いになって己の不幸を嘆く。
「…っ‼︎なんっなんだよあの女ぁぁぁぁぁぁぁっ⁉︎ヤバいよ、絶対ヤバいよ。ヤバい女にロックオンされたぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉︎どうすんだよ俺、これからどうやって生きてくんだよぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁっ⁉︎…………」
嘆いている辻に、静まり返っていた観客の一人が恐る恐る、という感じに声をかける。
「…お、おい兄ちゃん‼︎」
「…………………………………」
無言のまま無表情でそちらに顔を向ける辻。そんな辻にビビりつつも、観客のおっちゃんは思ったことを正直に告げた。
「こ、この劇続編やんのか?流石に特殊な層を狙い撃ちし過ぎなような気がするんだが…………」
「五月蝿ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ⁉︎⁉︎⁉︎」
辻は全身全霊で叫び返した。