「ん………」
木乃香はゆっくりと意識を覚醒させた。頭は霞がかかったように思考が要領を得ず、頭の芯が鈍い痛みを主張している。
……あれ、ウチ何してたんやったっけ………
「お目覚めになりましたか、お嬢様」
耳慣れない、しかし僅かに聞き覚えのある声が木乃香の耳に入ってくる。木乃香が霞む目を瞬いて声のした方を見ると、そこには眼鏡をかけた年若の陰陽術士、天ヶ崎 千草の姿があった。
「んっ!……⁉︎…んんっ、んん⁉︎」
千草を見て、気を失う迄の記憶が蘇り、反射的に悲鳴を上げかけた木乃香は、そこで初めて自分が口を塞がれ、覆い布一枚だけを纏って石の台座の上に寝かされているという異常な状態に気付き、声にならない悲鳴を口内でくぐもらせる。
そんな木乃香を、千草は刺激しないようにゆっくりと宥め、優しいとさえ言える口調で木乃香に言い含める。
「ご安心下さい…ちゅうても安心できる訳あらへんやろうけどお嬢様、これだけは誓います。ウチは誓ってお嬢様に痛いことはしませんし、
当然そんな言葉を、この状況で額面通りに木乃香が飲み込める筈も無いが、少なく共その真摯な響きを持つ言葉に、今すぐに危害を加えられることは無いと悟り、木乃香は暴れるのを止める。
千草は満足げに微笑み、木乃香に短く言い含めて台座を離れる。
「お嬢様は寝とるだけでよろしやす。繰り返しますが痛いことはあらしまへん……却って気持ちええかもしれませんね」
「…姉ちゃん」
「ああ、コタ。ご苦労やったな」
木乃香から離れ、
「…別に大したことしとらんわ」
小太郎は何処かブスッとした様子で言葉を返す。その様子を見て、千草はクスリと笑って小太郎の頭をやや荒っぽく撫で回しながら言う。
「あんた女殴るんも逃げるんも嫌いやろ?気ぃの進まんこと頑張ってやってもろたから礼言うとるだけや」
小太郎は照れ臭さから僅かに顔を赤らめながらも、千草の手を払い除ける。
「やめえや姉ちゃん。頭撫でられるほどもうガキや無いわ」
「ガキや無い言うとる内はガキのまんまやコタ。昔と違うて可愛げのうなったもんやわ本当に」
千草は払われた手をヒラヒラさせつつ、嘆息して小太郎に言う。
「はっ!可愛いなんて言葉喰らわずに済むんやったら寧ろ大歓迎やわ可愛げ無うて大いに結構や」
「このガキはホンマに…っ⁈ゴフッ⁉︎」
舌を出してのたまう小太郎に千草は呆れながら何事かを言いかけ、言葉の途中で血を吐いて地面に膝をつく。
「千草姉ちゃん⁉︎」
顔色を変えて駆け寄る小太郎に、千草は咳き込みながらも片手を上げて、心配ないと小太郎に示す。
「やっぱ無理が祟ったんや‼︎あないに沢山式神出して、体が無事で済むはずないやろ‼︎」
「大…丈夫や、コタ…。一気に気を持ってかれすぎただけやから、少し休めば問題ないわ…」
千草の言葉に、しかし小太郎の顔は晴れない。
「少し休めばて…千草姉ちゃんこの後
「大袈裟や…ちぃと寿命が縮む程度のことやろが。そないな事にビビッといて、西と東の鼻を明かせるかい」
千草の言葉に、小太郎は我慢ならない様子で激しく千草に言い募った。
「千草姉ちゃん‼︎もう止めえやこないな事‼︎姉ちゃんがここまで頑張ったって、誰も喜びやせんのや!西の連中も、東のいけ好かん魔法使い共も。死んだ姉ちゃんの両親やかて…俺やかて‼︎姉ちゃん自身も楽しかないやろこんなことやっとったって‼︎見てられんならこっから居なくなればええんや‼︎どっか離れたとこで静かに暮らしておったらええやんか‼︎」
「やかましいわ‼︎そないなことしてイモ引いて、それで気が収まるとでも思とんのかい‼︎コタ、あんたにウチの何がわかるんや⁉︎」
「姉ちゃんの苦労なんざ知らんわ‼︎でもな、俺は姉ちゃんのことはよう知っ取るで‼︎」
斬りつけるように拒絶を返す千草に、小太郎は負けじと声を張り上げそう言った。
「なんやて……?」
「姉ちゃんは基本面倒臭がりや‼︎身の回りの事とか家の事は放ったらかしで、何も無い日は家でゴロゴロしながらようわからん縫いぐるみ作ったり訳わからん子ども向けのアニメ見たりして一日中過ごしとる‼︎正直姉ちゃんの歳でそないに可愛げなもんばっか弄り回してんのはどうかと思うで、俺は‼︎」
「なっ……こんガキ、唐突になんやぁ⁉︎」
突然の小太郎の言葉に、千草は戸惑いつつも何やら自分の趣味嗜好の全否定をする小太郎にたまらず声を荒げる。だが、小太郎は構わず言葉を続ける。
「でも、姉ちゃんは仕事になったらすごいきちっとしとる。どないに嫌な奴からの仕事でも、他が受けたがらん面倒な仕事でも、最後の始末まできっちり付けとる。カタギには手を出さんし、どないに面倒臭がっても姉ちゃんのお袋さんの教えや言うて、姉ちゃんは料理だけは毎回きちっと作ってくれた。俺みたいな小生意気で可愛げのない、素性の知れんガキを、色々世話してくれたのが千草姉ちゃん、あんたや‼︎」
「……コタ………」
小太郎は目にうっすらと涙を浮かべながら、必死に千草に告げる。
「姉ちゃんらしく無いんや、こんなやり方‼︎カタギのお嬢様に手ぇ出して、素人の兄ちゃん達殺そうとして、死ぬほど嫌いやった魔法使い達と手ぇ組んで!そうやって自分殺してまでせなあかんもんなんか、復讐なんてもん‼︎姉ちゃんの言った通りや、姉ちゃんの親父さんやお袋さんは、もうおらへんのや‼︎どう生きても勝手言うんやったら、もっと自分を大切にせぇや⁉︎姉ちゃんは、自分のこと、どうでもええと思うとるんやろうけどなぁ‼︎」
小太郎は自らを指し、悲痛な声で千草に問う。
「俺のことは、どうでもええんかい⁉︎俺はよう無いわ‼︎俺は、千草姉ちゃんを…本当の姉ちゃんみたいに、思うとるんや。だから俺は、姉ちゃんが心配や!どうでもよくなんか無い‼︎姉ちゃんにとって、俺は単に気まぐれで拾っただけの、仕事に使える駒でしか無かったんか?姉ちゃんにとって俺は…家族みたいなもんや、無かったんか……?」
溢れそうになる涙を懸命に堪え、小太郎は千草を正面から見据える。
「…小太郎」
「……なんや…?」
暫しの沈黙の後、静かに千草が小太郎の名を呼ぶ。
「最初に言うとくわ。ウチはあんたのことを、手の掛かる弟みたいに思うとる。どうでもええなんて思っとらんわ」
千草の表情からは感情が伺えなかったが、言葉の響きは何処か柔らかかった。
「あんたの言うことが正しいんやろ、ウチの
でもなぁ、と千草は続ける。
「多分ウチは、それが納得出来ん人間やから、あんたと一緒に居れたんやと思うで?」
「……姉ちゃん………」
小太郎の呼びかけに千草は僅かに、ではあるが微笑み、
「ウチはなぁ。西が東と手ぇ組もうが、矜恃に抱きついて小っさくやって行こうが、どっちでもええんや」
「…なら、何でや……なんでここまでやるんや……」
理解出来ないと言った小太郎の様子に、千草は何処か笑みを寂し気なものに変える。
「言うたやろ?気に入らんのや。落ち目に入ってるゆうんに、身内同士でグダグダ下らん争い続けてる西の連中全てが、ウチは気に入らん。なあなあに全部有耶無耶にして併合しようとしよる穏健派も、グチグチ恨み言垂れるだけで大した行動も起こさん腰抜けの過激派も‼︎筋の通らんやり方を、ウチは認めん‼︎とと様とかか様が命賭けてまで護りたかった
千草は叫ぶように言葉を放つ。
「……姉、ちゃん………」
「せやから引導を渡したるわ…ウチがな。ウチが成功しようが、失敗しようが。…もう西に、選択肢は残されて無いんやからなぁ」
小太郎の言葉は届かない。千草は小太郎の頭をクシャリと撫で、小太郎に告げる。
「ウチは儀式を始める。コタ、周辺の護りは任せたで?」
「っ‼︎姉ちゃん!俺は……‼︎」
「頼むわコタ」
堪らず顔を上げ、抗議しようとする小太郎に、千草は頭を下げる。
「…ウチの、悲願なんや、これは…」
「っ〜〜〜〜〜‼︎‼︎」
小太郎は声にならない唸り声を発し、無茶苦茶に頭を掻き毟る。
「……っ!勝手にせぇやっ‼︎‼︎」
小太郎は踵を返し、橋の向こうへ走り去っていった。
千草はそれを悲しげな顔で見送っていたが、一つ頭を振り、儀式の準備を再開する。
「…駄目な姉でごめんなあ……コタ」
「どうだろう、ここで大人しくしていてくれれば僕達は一切君達に危害を加えない」
「…逆に歯向かうなら最悪死ぬぞ。どっち選ぶべきかぐらい馬鹿じゃあるまいし解んだろ?」
青年と少年から
…二人共に、遥か格上、だな……
辻の全身から冷たい汗が滲む。数で有利な状況にも関わらず、この場を切り抜けられるイメージが浮かび上がらない。絶対絶命の一歩手前であった。
……それでも…………
辻は周りの悪友と後輩達の顔を見渡す。全員の目には緊張と微かな怯えがあったが、心の折れている者は一人もいなかった。
……頼もしい奴らだな、本当に。
辻は一つ頷き、青年と少年に向き直り、はっきりと宣言した。
「生憎だが俺達は学園でも名うての馬鹿で通っていてなぁ……状勢不利だからって諦めつく程、頭良くは無いんだよ」
「……ああ、そう……」
辻の言葉に、黒衣の青年は呟き、面倒臭い、と小さく続けた。
「…では相手をしよう」
白髪の少年は言い、
「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト・小さき王八つ足の蜥蜴邪眼の主よ…」
「来るぞ畜生‼︎」
「つーか相変わらず何言ってるかわかんねえ、何が来んだおい‼︎」
「…これは、さっきと同じです‼︎石化魔法が…‼︎」
「触れたら石になるという奴か…‼︎」
「ヤバイよ一旦逃げ…!」
「遅っせーよ」
慌てふためく一同に下らなそうに青年が告げる。
「…時を奪う毒の吐息を」
「
次の瞬間、辻達の周りを纏めて巨大な灰色の雲が満たした。
「…はい、終〜了〜……」
黒衣の青年が適当な調子で宣言する。
「じゃあ一応儀式の場所まで移動するか…おい、どうした?」
魔法を放った後動かない少年に青年は訝し気に問いかける。
「…いや、何か手応えが……⁉︎」
白髪の少年が怪訝そうに言いかけたその瞬間、灰色の雲が裂け、千々に千切れて霧散する。
「なっ……⁉︎」
驚愕と共に青年が振り向いた先には、刀を振り上げ、構える辻の姿があった。
「っ⁉︎⁉︎」
得体の知れない怖気に見舞われ、少年は咄嗟に障壁を全開にしつつ飛び下がる。が、
「ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇぃっ‼︎‼︎‼︎」
怪鳥のような咆哮が響き渡った瞬間には、白髪の少年の
「なっ………⁉︎⁉︎」
「はあ⁉︎⁉︎」
一拍遅れて片足の支えを失ってその場に転倒した少年と一部始終を目の当たりにしていた青年が驚愕の声を上げる。それに構わず辻は叫んだ。
「逃げろぉぉぉぉぉぉっ‼︎」
その言葉に即座にバカレンジャー達が反応した。
「行くぞオラァ‼︎‼︎」
「わっ⁉︎」
「こっちだ‼︎」
「わ、ちょっと⁉︎」
「来い、桜咲後輩‼︎」
「なっ…⁉︎」
中村がネギの体を抱え上げ、全力で走り出し、山下と大豪院がそれぞれ明日菜と刹那の手を引き走り出す。豪徳寺は殿につき、後ろを警戒しながら一行に続いた。
「てめえら……⁉︎」
反射的にそちらに向かいかけた黒衣の青年が、悪寒を覚えて咄嗟に前方に飛ぶ。直後、青年は背中に熱い感触を覚えた。
…斬られたのか⁉︎
地面に転がりつつも青年は振り向く。そこには一刀を振り下ろした体勢の辻がいた。
……いつの間に……⁉︎
青年はややもたつきながらも身を起こし、魔法を辻に叩きつける。
「
青年の手から十を超す黒い散弾が放たれ、辻へと殺到する。
「っ‼︎」
辻は刀を振り下ろした体勢から一歩分体を引き、飛来する弾丸の群れに対してフツノミタマを一閃した。
キン‼︎と澄んだ高い音が鳴り響き、刀に裂かれた弾丸は元より、
「っな……⁉︎」
…術式が
あり得ぬ事態に混乱する青年に、辻の追撃の一刀が地面スレスレから蛇のように跳ね上がる。黒衣の青年は倒れ込むようにそれを何とか躱すが、掠った腕から血が飛沫く。
「
倒れ込んだ状態から身を起こした白髪の少年が残った右手を突き付け、そこから砂が圧縮された弾丸を撃ち放つ。その砂の弾丸達は四方八方から辻へと殺到するが、フツノミタマに目を一瞬辻が落とし、刀が一瞬震えて何事かを辻に伝える。応えて辻が飛び出して、フツノミタマを砂の弾丸が飛来する方向の虚空に向かい薙ぎ払った。
直後、少年の操作により、自らぶつかり合った弾丸同士が弾け、無数の魔力を纏った砂の散弾に
「…どういうことだ……?」
砂の着弾により僅かに上がった土煙が晴れ、少年は呻くように口を開いた。
無数の穴が空いた蜂の巣のような地面の中心に辻は佇んでいた。幾つかの散弾が体を掠めたらしく、身体の数箇所から血を流している。
辻は油断無く刀を構え、逆方向の二人を警戒する。不可解な事態の連続に警戒してか、少年、青年共に、起き上がった以降は動きを見せない。
…完全に警戒態勢に入られた。こうなると闇雲に斬り込んでも返り討ちに遭いそうで下手に動けん。
辻はジリジリと位置を変える二人に合わせて身体の向きを微調整しつつ、思う。
…少なく共あっちのガキは
辻が切断した左手と左足の断面からは血が一滴も溢れておらず、少年は右足だけで苦も無く立ち上がり、辻の方を睨み据えている。
『…断った感触からして人形か何かだな。折角の主の一刀も余り堪えておらんらしい。矢張り初太刀で
「…そう簡単に
…
辻は小さく呟き内心で抗議してから、うわ、何か詰まらない冗談言ったみたいになった、と気付くが、時既に遅し。フツノミタマはクツクツと笑い、刀身がカタカタと微細に震える。
『中々上手い返しじゃないか、主』
「忘れてくれよ。そんなつもり無かったよ。それよりどうする?上手いこと足止めになってはいるが、さっきみたいに何時迄も上手いこと行きゃしないぞ。特に最後の砂の散弾を
『うむ、私からすればこれでも完璧な成功とは言えんのだが、確かに初めてやったにしては上出来すぎる出来。次からは確かにこう上手くはそうそういかんだろうな…』
少年と青年に悟られぬように、小声で呟く辻に、懸念事項を返すフツノミタマ。
「……!ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト・小さき王八つ脚の蜥蜴邪眼の主よ…」
「ヴェロス・オニムス・ザムウェルス・来たれ闇精境界を覆え…」
膠着状態から、意を決したように少年と青年が同時に詠唱を始めた。
「ゲェッ⁉︎」
『まあ、得体の知れん相手には順当な攻めだな』
小さく悲鳴を上げる辻に、何処か他人事のように呟くフツノミタマ。
「言ってる場合か、こういう場合…!」
「
「
「ヤバ……!」
『主‼︎』
灰白色の光線が貫き、凝縮された闇の幕、としか形容の出来ないモノが辻を全方位から押し潰す寸前に、辻の足元に魔法陣が浮かび上がり、辻の姿がかき消える。光線と闇は虚しく虚空を穿ち、潰した。
「………転移魔法か…?」
「いや、恐らく
白髪の少年は一つ飛んで、自らの左手と左足の落ちている地点に着地すると、左腕を拾い上げ、無造作に左腕の断面に、腕の断面を押し付ける。
「…駄目だね、繋がらない」
暫くその体勢のまま停止していた少年だが、やがて右手を無造作に離すと、左腕がドシャア‼︎と音を立てて地面に落ちる。
「……こっちも傷口が癒着しない。……どうなっている?」
黒衣の青年は背中を手繰り、納得のいかない様子で呟く。
「…戦局から離脱したと思うかい?」
左足の接合は諦め、右足一本で黒衣の青年の傍らに着地して、少年は尋ねる。
「……あの様子からして無いだろ。儀式の場所に向かったか、体制を立て直してこっちに来るな…」
青年は溜息を吐き、面倒臭い、と呟く。
「……何にせよやる事は変わらない。とは言え想定外の状況だ、手を抜いていたつもりは無いけれど…」
「ああ…」
少年の言葉を引き取り、青年は言い放つ。
「面倒臭いが、この身体なりに
閲覧ありがとうございます、星の海です。馬鹿な削除を行ってから早一日、遅くなって申し訳ありません。明日からは一日一回で恐らくあげられるようになります。どうかお見限り無く、本作をよろしくお願いします。辻が今回は色々怪しい点も見せつつ活躍しています。これからどんどん辻について掘り下げて行きますので、興味を持って下されば幸いです。それではまた次話にて、次もよろしくお願いします。