お馬鹿な武道家達の奮闘記   作:星の海

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ようやく荒事が起こり始めた段階ですが、長くなりましたので此処で上げます。


11話 犬と少女と老人の来訪 即ち千客万来

その男について千鶴は詳しく何かを知っている訳では無かった。

ルームメイトの親しい友人の親友(頑なに認めようとはしないが)のその又知り合い、である事を知っている程度。正直な話、会話所か挨拶をした事さえひょっとしたら無かったかもしれない、という程薄い関係である。

それでも千鶴がその男ーー豪徳寺 薫を知っていたのは、(ひとえ)に豪徳寺が此処、麻帆良の地では有名人だからだ。

バカレンジャーと呼ばれる五人組にして、超人所か人外地味た逸般人(・・・)だらけのこの麻帆良で、腕っ節において小中高大の学生全ての間で最強を誇るという武道家集団の一員。その中でも外見のインパクトからかなりの知名度を誇るのが豪徳寺である。

ただ、千鶴は正直豪徳寺に対して、というよりバカレンジャー全員に対してあまりいい感情を抱いていなかった。と、いってもこれは千鶴だけで無く真面な感性を持った人間ならば誰でも同じ感情を抱くだろう。

何せ授業のエスケープなど日常茶飯事、日夜暴力行為を繰り広げ挙句の果てに覗きをやらかす(やっているのは中村だけだが悲しいかな事情を知らない人間とは犯罪者とつるんでいるだけで同類と見なす)。暴力沙汰を好まない一般的女性ならば特に好印象を抱き様が無いイメージがバカレンジャーには満載なのである。

寧ろ千鶴は3ーA女子の中でも精神的に大人びているからか、あらあら高校生にもなってガキ大将みたいに元気の良い人達ねぇ、と苦笑混じりに見やる様な、一般的女性の中ではかなり好意的な部類に入る。

それでも、千鶴が雨の中豪徳寺と繰り広げた会話は、そんな彼女をして彼への印象を大きく変えるものだった。

 

 

 

「野良なのか?そいつは…」

「首輪も着けていないので、恐らくは……」

毛並みの黒い子犬を抱き上げながら千鶴が豪徳寺の質問に答える。豪徳寺は側で傘を千鶴に差し掛けている夏美に視線を移すが、夏美は目線が合った瞬間に小さく身体を跳ねさせ、落ち着かなさ気にそっと顔を逸らしつつそわそわと体を動かす。

 

…そうだった、最近俺と話してても物怖じしない根性のある女子としか接して無えから忘れてたが、基本俺のような男らし過ぎる()は、ケツの青い女共には怖がられてんだったぜ……

 

豪徳寺は失敗したな、と内心臍を噛む。真の漢の魅力とは酸いも甘いも知り尽くしたオトナの女にしか解り得ないものであり、故にこそ他の変態だったりまだまだお子ちゃまであったりするバカレンジャーの面々と違い、自分は恐怖の対象として女に避けられるのだ、と豪徳寺は考えていた。…中村と違い特に女にモテたいとは考えていない豪徳寺ではあるが、矢張り彼もバカレンジャーの名に偽りは無いらしい。

ともあれ豪徳寺はこれ以上夏美を怖がらせない様に視線を外し、自分に対してそれ程怯えていない千鶴を対象に話を進める。

「飼い犬でも無い単なる野犬を行き倒れているからと心配するその心根は素晴らしいことだ、根性あるじゃねえかよ…那波だったか?」

「ふふ、ありがとうございます。はい、那波 千鶴と申しますわ。こちらは夏美ちゃん」

「む、村上 夏美です…」

千鶴に促され、ぎこちなく夏美が挨拶する。

「ごめんなさいね先輩。夏美ちゃんちょっと人見知りの気があるんです。…豪徳寺先輩でよろしかったでしょうか?」

「ああそうだ。…取り敢えずお前ら、その犬は俺が責任持って預かっから寮に返りな。凄え雨だから解り難いがもう陽が落ちるぞ」

豪徳寺は那波に抱えられた子犬を見つつそう告げた。

「え…でも先輩、見つけたの私達ですし……」

「つってもその犬、見た所怪我してるんだろ?お前らが獣医の知り合いでも居るなら話は早えが、そうじゃ無いなら遠慮しないで俺に任せとけ、日頃馬鹿に振り回されてるお陰でこちとら顔が広いからな。気になるなら後でどうなったか教えてやるからよ」

意外な提案に驚きながらも遠慮を見せる夏美に、妙な気を回させない為に豪徳寺は話を畳み掛ける。豪徳寺は女に興味は無いが、女子供は庇護すべき対象として気にはかける。それが漢としての豪徳寺の信念だった。

「…よろしいのですか?碌に会話をしたことも無い私達の事情でそこまで御手を煩わせてしまって…」

「気にすんな、対した手間じゃ無えよ。それより犬コロ構ってずぶ濡れじゃねえかお前。早く帰って風呂にでも入ってろ、女が身体冷やすもんじゃ無え。その犬は責任持って面倒見てやるから」

ほら、寄越せ。と豪徳寺は千鶴に対して両手を差し伸べる。千鶴は暫しその手を見つめ、次いで豪徳寺の眼をじっと見つめ返した。

「?、どうしたよ?」

「いえ……」

千鶴は小さく笑い、歩み寄って豪徳寺にそっと子犬を預けた。

「よろしくお願いします、豪徳寺先輩」

「応、任されたぜ」

微笑みながら言う千鶴に笑い返しながら豪徳寺はしかと請け負う。

「よし、じゃあお前らはさっさと帰んな。危ねえから気をつけて…」

「あ、すみません先輩、ちょっと…」

子犬を取り出した大きめの手拭いで手早く包み、長ランの懐に入れて走り去ろうとした豪徳寺は千鶴に呼び止められる。

「ん?」

「ちづ姉、どうしたの?」

怪訝そうに振り返る豪徳寺。夏美も不思議そうに千鶴へ問い掛ける。

「いえ、先輩の連絡先を教えて頂こうと思いまして。後でその子の容体を教えて頂けるのでしょう?」

「ああ、確かにな」

豪徳寺は納得し、懐から筆記用具を取り出すとサラサラと番号を書き付け、千切って千鶴に手渡す。

「落ち着いたら連絡入れな。先ず体の手入れをしろよ、じゃあな」

「はい、ありがとうございました」

「先輩、ありがとうございます!」

頭を下げる千鶴と夏美に軽く手を振り、豪徳寺は高速で走り去った。

 

「…うふふ、何だか思っていたより優しい人だったわねえ夏美?」

「そうだねー。なんかもっと怖い感じの人だと思ってたんだけど…だからちづ姉もあの子を任せたの?」

「ええ、正直子犬をダシにしてどうこう、なんて考えてたらお断りしたけれど…失礼だけど笑っちゃったわ、全く下心なんて感じない眼をしてたもの」

「だよねー、連絡先をこっちが聞いてるのにちづ姉の番号は聞こうともしなかったもん」

「そうね…じゃあ帰りましょう夏美。折角ご好意を受けたのだから、話し込んでて風邪を引いたら本末転倒よ」

「そうだね」

 

 

 

「…じゃ、居所が割れてるのからお仕事始めちゃうわね伯爵?」

くねくねと身体を動かしつつ、長身痩躯の派手な化粧とドレス姿の()は、黒の外套を纏う老人に対して宣言した。

「うむ、よろしく頼むよセルウァ君。神鳴流の剣士は兎も角、フツノミタマ(・・・・・・)を持つ彼は今回の最も警戒すべき対象だ。くれぐれも油断せずに事に当たってくれたまえ」

黒衣の老人は真剣な声でドレスの男?に対し念を押す。

「だ〜いじょぶよ伯爵!あたしお仕事に対しては真面目な女だもの‼︎それよりニテンス?貴方こそ真っ正面から当たれないからって手を抜いたりしないで頂戴ね?」

「…愚問だな」

答えたのは二m近い筋骨隆々の鋭い目付きの男。両の瞳は剣呑な光を湛え淡々と言葉を返す。

「仕事で喚ばれた以上契約者の意に俺は殉ずるのみだ。伯爵よ、小僧の居所を探りに行くとしょうか」

「うむ」

男の言葉に黒衣の老人は頷き、足元の半透明に透けている(・・・・・・・・・)三人の幼女に告げる。

「では君達は手筈通りに動いてくれたまえ。ハイ・デイライトウォーカーに悟られぬ様にね」

「りょーかいだ、伯爵」

「ステルス完璧デスぅ」

「気配の無い誘拐犯…ふふ、犯罪チック」

 

 

 

「で、どうなんだよ犬飼。その犬コロの具合は?」

「やれやれ、いきなり押しかけてきといて態度がでかいねえ豪徳寺君。こっちにも色々都合というものがあるんだよ?」

部屋の隅に座り込み、腕を組んで尋ねる豪徳寺に闘獣部部長、犬飼 砕牙は溜息を吐いて応じる。

個々は麻帆良男子高等部の男子寮の一室、豪徳寺の部屋の隣室、犬飼の部屋である。那波から子犬を受け取った豪徳寺はその足で隣室の、下手をすればそこらの獣医よりも怪我をした動物に詳しい闘獣部の長を尋ね、すったもんだの末子犬の治療に漕ぎ着けていた。

「ちゃんと治療代は払うからよ。で、どうなんだ?」

「はぁ……取り敢えず命に別条は無いよ、各部の外傷も治療済みだ。栄養失調で少し衰弱気味だから栄養剤も打ったし、大丈夫だろうさ」

その言葉に豪徳寺はそうか…と呟き、壁に寄り掛かって息を吐く。

「なんだいなんだい?やけにこの犬が大事な様じゃないか。遂に豪徳寺君も犬の魅力に目覚めたかい?獅子崎や他の部員は直ぐ安直に強そうなネコ科猛獣類ばかり育てるたがるから私は仲間が少ないんだ、どうだい今ならミオスタチンレベルを下げて筋力増強中のシェパードの子犬の育成主が決まって無いけど?」

「誰がやるか。つうか動物虐待にならねえのかその遺伝子レベルで弄った改良は?」

豪徳寺はうそ寒気にツッコむ。麻帆良には様々な意味で突き抜けた変態が居るが中でも化学、生物を扱う連中は総じてマッドな雰囲気が漂う。

「失礼な事を言うなあ、私はきちんと闘争を求める犬だけを育て上げているとも。その中で一番育成が上手く行ったのが其処にいるサーベラスさ。現に彼は僕にとても良く懐いている、妙な言い掛かりは止めてほしいね」

少々憤慨した様子で犬飼は部屋の隅で寝そべりながらも豪徳寺を油断無く見つめる、子牛程もありそうなドーベルマンを手で指し示す。恐ろしい事に、明らかに異常なサイズだというのに体型のバランスが一切崩れていない。ド○えもんのビッ○ライトで大きくしましたと言われれば納得してしまいそうな、不自然な自然さである。

「…子犬が餌にならねえよな?」

「安心したまえ、犬は共食いをしないし餌はしっかり与えてあるよ。余り失礼な事を言っていると君の方がサーベラスのオヤツになるぞ、彼は誇り高いんだ」

言われて豪徳寺がサーベラスを見ると先程よりも僅かに目が細められている。

「…悪かった」

豪徳寺は素直に頭を下げる。迫力に臆した訳では無く、人語を理解出来る程頭がいいなら犬コロ扱いは失礼だと思ったからである。サーベラスは軽く顎を引き、頷く様な仕草をすると軽く浮かせていた身体を再びシートに沈める。

「ははは、ありがとう豪徳寺君。サーベラスは僕の相棒だからね、きちんと接してくれて嬉しいよ」

「なーに、中村よかよっぽど頭が良さそうだからな。あいつ以上の扱いを心掛けるのは当然……ん?」

言葉の途中で懐の携帯が鳴り響き、豪徳寺は犬飼に一礼してから電話に出る。

「はい、もしもし…」

 

 

 

「不用心ですよ豪徳寺先輩、知らない番号から掛かってるんですから…」

千鶴はクスクスと笑いながら電話越しの豪徳寺に言う。

『お前か那波。不用心も何も番号知らないお前から掛かってくるかもしれないから出たんだろうがよ』

豪徳寺の不満気な声が千鶴に届く。

「ふふ、そうでしたわね、申し訳ありません。…あの、あの子の容体は如何でしょうか?」

千鶴は微笑みながらもからかう様な物言いをしたことを謝罪する、そして尋ねるのは子犬の容体だ。

『ああ、大丈夫だ。知り合いの獣医…では無いが獣医並みに詳しい知識を持ってるやつがしっかり専門的な治療をした。今は落ち着いて寝てんよ』

豪徳寺の言葉に千鶴は安堵の息を吐く。たかが行きずりに拾った子犬、と言ってしまえばそれまでだが、関わった以上千鶴は中途半端な真似をしたくなかった。

「ありがとうございます、豪徳寺先輩。すっかりお世話になってしまいましたね、この御礼は必ず…」

『いいよ、俺も知り合いに丸投げしただけだしな。こいつは元気になったら適当な引き取り手を探しとくから後は任せとけ』

「いえ、そこまでお世話になる訳には…」

『ぅぉぉぉぉぉ⁉︎ バウッ‼︎グルルルゥ……‼︎』

千鶴がそこまで言いかけた時、電話越しに豪徳寺では無い男性の悲鳴が小さく響き、また猛獣の様な唸り声が千鶴の耳に届いた。

「っ⁉︎豪徳寺先輩、何かありましたか⁉︎」

千鶴が少し慌てて尋ねるも、何やら豪徳寺の方は混乱した騒ぎになっている様で断片的な会話と犬の唸り声しか千鶴の耳には入ってこない。尋常でない千鶴が様子を見咎めて同室の夏美が何事かと声を掛けてくるのを制して尚も千鶴が呼び掛けること数回、ようやく豪徳寺が通話に戻った。

『……ああ、すまん那波。ちょっと予想外な事態があってな』

豪徳寺の声は電話越しにも力が無く、相当な何か(・・)が起こったらしいと千鶴に予感させた。

「どうされたんですか?真逆あの子の容体が急変したとか……」

それならば電話越しに聞こえた犬の唸り声も辻褄が合う。

『…いや、元気は元気そうなんだ、よく寝てるしな……』

「でも、明らかに何かありましたよね。なら一体どうされたんです?」

千鶴の問いに豪徳寺はあー…と言葉を濁してから、

『いや、何て説明したら…ん〜、犬が犬じゃ無くなった…いや…』

「は?」

意味不明な豪徳寺の言葉に千鶴はキョトン、とする。

『‼︎、ああいや何でもない‼︎兎に角犬…犬は元気だ!何も心配はいらない。引き取り先が決まったら連絡するからな、じゃあ!』

「あっ、せんぱ…!」

ブツリと電話が切れる。千鶴は豪徳寺の番号に掛け直したが、繋がらない。どうやら電源を切った様だ。

「…ち、ちづ姉、一体どうしたの?」

声を掛けてくる夏美に千鶴はゆっくりと携帯電話を降ろしつつ振り向く。

「夏美、ちょっと私用事が出来ちゃったから出掛けて来るわね。あやかが帰ってきたら上手く言っておいて頂戴」

「ええっ⁉︎ちづ姉、もう陽は暮れてるし、こんな雨だよ危ないって‼︎」

「大丈夫よ、そんなに遠い所に行かないから」

言いつつ千鶴は手早く身支度を整え始める。

「いやでもちづ姉…」

「夏美?」

にっこり笑いながら振り返った千鶴の、えも知れぬ迫力の様なものに夏美は気圧される。歳などを聞かれて怒った時などと違い、妙な重圧(プレッシャー)は感じないのに不思議と抗議の声が夏美は発せられなかった。

「大丈夫だから、ね?」

「は、はい……」

夏美は頷くことしか出来なかった。

 

 

 

「…どうなってんだ……」

「私が聞きたいよ……」

豪徳寺と犬飼は頭を突き合わせ、下に寝ている十歳過ぎの犬耳と尻尾の生えた(・・・・・・・・・)少年を見下ろして同時に溜息を吐く。

「遺伝子工学部の連中が遂に犬から人に変身(メタモルフォーゼ)出来る新種生物でも造ったのかな?」

「幾らあのマッド共でもそこまで行ってねえだろ。ついでに言えば俺こいつに何と無く見覚えあんだよな…」

犬飼の推測を否定して、豪徳寺が首を傾げる。

…言うまでも無くこの少年は犬上 小太郎であるが、豪徳寺が顔を殆ど覚えていないのは、京都の一件でまともに顔を合わせて会話をしたのが直接対峙した辻とネギ、そして千草の伝言を伝えた刹那位しか居ないのが原因である。事件が終わった後に小太郎を回収したのも関西呪術協会の者である為、豪徳寺は小太郎を木乃香が攫われる時に遠目に一度きりしか見ていない。その後はそんな奴がいた、と言うことを聞かされただけであった為、この場で小太郎を見て豪徳寺が誰だかわからなかったのも無理はないと言える。

「豪徳寺君達は本当に顔が広いなあ。…時にこの子は犬なのか人なのかどっちなんだろうね?…もし人に近い構造をしてるなら、人に対して使ったら不味い成分の薬を使っちゃったんだけど…」

「そういうことは早く言えよ。どうすんだマジで急変したら……」

豪徳寺の言葉に犬飼は一つ息を吐き、聴診器を取り出しながら言った。

「…再検査だね」

 

「…で?」

「特に異常は無いね。熱があるみたいで体温は四十度を超えてるけど…」

「ヤバイじゃねえかよ」

人間ならば死ぬ寸前の高熱に豪徳寺がツッコむ。

「それがそうとも言えないんだよねえ。この子は明らかに犬じゃ無いけど純粋に人でも無さそうだし。もし犬と多少似通った構造してるなら、犬の平均的な体温は三十八度手前から三十九度位はあるし。まあどちらにしても熱は有るんだけどねえ……高熱の割に発汗量が少ないし、真逆本当に人犬…この子が伝説に聞く人狼(ヴェアヴォルフ)だとでもいうのか……?」

「解ったから考察はそん位にしとけ」

豪徳寺は段々とマズい方向へ向いていく犬飼の思考を遮る。

 

…そうだ、いきなりだったんで混乱したがどう考えてもこれは魔法使いとかそっちの領分だろ……

 

何処かで見覚えがあるのもその所為かもしれない、と豪徳寺は考える。

「なんにしろ素性がはっきりしないなら後で広域指導員か何かに連絡して引き取って貰えばいいだろ」

「…ま、そうか」

犬飼は未だ小太郎を警戒して唸るサーベラスの背中を撫でて落ち着かせつつ納得する。

「じゃあとりあえずこいつを…ん?」

「どうした、豪徳寺君?」

何事かを言いかけた豪徳寺が疑問符を上げて部屋の外を向くのを見て、犬飼が怪訝そうに尋ねる。

「いや、チャイムの音がしてな。しかも方向からして俺の部屋みたいなんだよ」

「ふうん?……ああ、本当だ」

犬飼が耳を澄ませていると、部屋の中まで微かに響いてきた二回目のチャイムの音に頷く。

「こんな時間に客か?中村辺りの訳分からん襲撃じゃ無えだろうな…?」

「彼ならそもそもチャイムを鳴らさないと思うけど…気になるなら見てくればいいじゃないか」

犬飼の言葉に暫しして豪徳寺が頷く。

「…だな、行ってくる」

「はいはい」

部屋を出た豪徳寺に構わず犬飼はさて先生方に突き出すにしても裸じゃ不味いよなぁ…と呟きながら衣装ダンスを漁り始める。が…

「?、何を騒いでるのかねぇ豪徳寺君は?」

男子寮の部屋壁はチャイムが微かに聞こえてきたことからも分かる通り、それほど防音性にしっかりした作りはしていないが、部屋の奥の犬飼にはっきり聞こえる以上かなりの声量で豪徳寺は話している事になる。

「誰が来たのやら……ん、戻ってきたか」

ガチャリと自らの部屋扉が開く音に犬飼は入り口に居るであろう豪徳寺に向かって声を掛ける。

「おかえり、誰だった?」

「邪魔するぜ…とんだ来客だったよ」

「失礼致します、犬飼先輩」

「………ん?」

豪徳寺の野太い声の後に聞こえてきた鈴を転がす様な女性(・・)の声に犬飼が一白遅れて疑問の声を上げた時、既に二人(・・)は部屋に入って来ていた。

「…まあ、なんだ。悪いな勝手に入れて」

「お初に御目に掛かります、那波 千鶴と申します。……まあ、ではその子が?」

いささか気まずそうに頭を下げる豪徳寺と丁寧に挨拶をした後小太郎の姿を見て驚きの声を上げる千鶴が其処にいた。

「……どういうこと?」

 

「…はあ〜豪徳寺君にも春が来たか……」

千鶴がここに至る迄の顛末を簡単に聞き、また千鶴に拾った子犬が男の子に変身した旨を伝えるだけ伝えた犬飼は、感心した様にサーベラスを撫でながら唸る。

「訳のわからねえことを言ってんじゃ無え、阿呆」

「あらあら、そういう風に見られてしまうのかしら?」

不機嫌そうに悪態を吐く豪徳寺とにこにこ笑いながら受け流す千鶴。

「いや、まあそれはさて置くとして、那波さん。到底信じられないとは思うけれども、間違い無く君が拾った子犬はそこ(・・)の子だ」

犬飼が指差すのはダボダボのスウェットを着せられ、今だ目を覚まさない小太郎である。

「…何を馬鹿げたことを、と初めは思いましたけれど……」

千鶴は困惑気味に笑いながらも床に寝る小太郎と仏頂面の豪徳寺を見比べ、やがて一つ頷き言葉を紡ぐ。

「…まあ嘘を吐くならもう少し上手い嘘を吐きますわよね、お二人共……」

「…信じんのか?」

疑わし気に豪徳寺が返す。

「自分で説明しといて何だが相当に荒唐無稽な話だぞ?」

「あらあら、騙そうとする方はその様な事は言わないものですよ、豪徳寺先輩?」

笑顔の反論に豪徳寺がぬう、と唸る。

「それに、仮に私を騙す事が目的だったとして、余りにやり方が不確実過ぎますもの。私が此処に来たのも突発的に私が思い立ったからですし…それに、」

笑みを苦笑に変え、サーベラスを見ながら千鶴は告げる。

「そんな大きな犬を育てられてしまうのが此処(まほら)ですもの。信じ難い話でも、あり得ないことでは無い、なんて思えてしまいますわ」

その言葉に二人は沈黙し、顔を突き合わせて囁き合う。

「…出たぞ、謎の説得力を持つ台詞、『麻帆良だからしょうがない』」

「まあ実際反論の余地はないけどね。工学部の連中巨大ロボとか造ってるし、とっくに麻帆良は空想(ファンタジー)を半ば実現させてるよ…っていうか信じて貰いたく無い訳じゃ無いんだから、納得してくれるならいいじゃない」

「…まあなあ……」

複雑な気持ちで曖昧に答える豪徳寺。現実感が無いから目の前の事実をただ受け止めているだけ、にしても動じなさすぎだとは思うが、別にそれが悪いことである訳でも無い。

「…まあ、信じてくれたならいい。何にしろこいつの事情が解らないのは同じだから、回復を待って学園側に対処して貰う事になると思うが、異存は無いな?」

豪徳寺の確認に千鶴は頷く。

「はい、子犬の里親探しならまだしも明らかに私の手に余る事態ですから。…でも一応、目が覚めて元気になったら、私にも教えていただけますか?」

「解った、約束しよう」

「よし、一先ず一件落着だねえ」

豪徳寺が了承し、犬飼がホッと一息吐く。

「そうだな。…さて、話が一段落した所で那波、お前には言いたい事がある」

豪徳寺は千鶴に向き直り、目を合わせながら低い声を出す。

「はい?」

「まず電話での対応がしっかり出来ていなかったからお前はこんな所まで足を運んだんだろ、それについては俺に非があった、すまん」

豪徳寺は頭を下げ、再び千鶴を見て話し出す。

「だけどな、こんな時間に一人、歳上の男を尋ねてくるなんざお前さんには危機意識ってもんが足りねえぞ。あまつさえ男の部屋に無防備に上がり込みやがって。お前は事態の流れからして俺達が邪な企みでお前を連れ込んだんじゃ無いと当たりを付けてたみたいだが、物事に絶対なんてもんは無い。あり得ん過程だがもし俺が途中でその気(・・・)になったらお前みたいなか弱い女に抵抗の術なんて無えんだぞ?」

豪徳寺は厳しい口調で千鶴を諌める。千鶴は黙って豪徳寺の言葉を聞いていたが、一旦豪徳寺が言葉を切ったタイミングで笑みを浮かべながら言葉を返す。

「…ありがとうございます、豪徳寺先輩。確かに女子として軽率な行動でした。でも、私は先輩に子犬を託した時に、何と無く先輩を見て思ったんです。この人はそういう下心を持って接して来ていない人だって。私、これでも家柄が少々特殊なものですから、人を見る目には自信が有るんです。…豪徳寺先輩の言動を見聞きして、信用出来ると思ったからお尋ねしたんです、私」

 

……おやおや…………

 

微笑みながら告げる千鶴に、犬飼は内心目を見張る。冗談で言った豪徳寺への春到来発言が真になりそうな好意的発言である、犬飼は微妙に不謹慎ながらウキウキするものを感じていた。

 

…さて、こんな普通の野郎なら勘違いしかねない様な言葉を聞いて、この男はどうするのかな?……

 

しかし、犬飼の期待する様なリアクションを豪徳寺が取る事は無かった。

「…あのなあ……」

豪徳寺は半ば呆れた様に息を吐いて千鶴に前よりも厳しい口調で言い放つ。

「軽々しく他人を見定めんな。今日あったばかりの俺を信用?尻軽と思われても文句が言えんぞ、言葉には気をつけろ那波」

「……え、………」

豪徳寺の言葉が予想外だったか、笑みを収めて驚いた表情をする千鶴を見て、やや慌てて犬飼が豪徳寺を宥めに入る。

「いやいや豪徳寺君、好意的に見てくれてるんだから、そこまで言わなくたっていいじゃないか…」

「違う。今さっき会ったばかりの人間の言動を少しばかり見聞きした位で向ける好意なんざ、好意と言わねえ。見立てに自信があろうがなんだろうが、女が男の部屋を訪ねるってのはそう軽々と決めていいものじゃ無いんだぞ」

豪徳寺は犬飼のフォローを跳ね除け、更に千鶴に言い募る。

「自分でどう思っていてもお前はまだ十五の小娘だ。どんな経験をしてきたにしても、自分の貞操が危なくなるかもしれない様な行動の判断基準を、印象なんぞに委ねるな。大丈夫だと思っても念を押せ、お前の理屈じゃお前の見立て以上に猫を被るのが上手い奴が居たら終わりだろ…ガキが他人を見ただけで解った気になるな、もっと女として自覚ある行動を心掛けろ、那波」

豪徳寺はきっぱりと言い切った。

 

……あああこの馬鹿はまったく…………

 

犬飼は思わず額を押さえて呻く。元から格好と同じ位に頭の中も古風な男だと理解していたが、今の説教はいささか言い過ぎ、というより踏み込み過ぎだろうと犬飼は思う。言葉自体は間違ったものでは無いかもしれないが現代女子にそこ迄かっちりした行動を求めるのも酷な話だろう。豪徳寺の理屈では究極的に言えば恋愛など発展しようが無いし、そもそも千鶴を知らないのは豪徳寺も同じなのだから上から目線が過ぎるだろう。戦前の良妻賢母なら納得してくれるかもしれないが女学生でこんな高圧的な物言いをされたら大体が気を悪くするに決まっている、と犬飼は考える。

怒って帰ってしまうんじゃないかと恐る恐る千鶴を伺った犬飼は、予想とは違う姿を目にする。

千鶴はパチクリ、と目を瞬かせ、外見よりもあどけない雰囲気で豪徳寺を見つめている。本当に思ってもみなかったことを言われた、と言う感じだ。

「…おい、いつ迄惚けてんだ。俺の言った事は解ったのか、那波?」

反応が無い千鶴に業を煮やしてか、豪徳寺が千鶴を促すと、千鶴ははっとして、ようやく動き出す。

「……はい………あの、……今、豪徳寺先輩は私を、…私のことを叱ったんです、よね………?」

「あん?」

おずおずと尋ねてくる千鶴に豪徳寺は首を傾げ、

「それ以外の何だってんだ?頭ごなしに言われちゃ腹が立つかもしれねえが、歳下なのに解った様な物言いをするからだぞ」

前言を翻す事は無く、寧ろ豪徳寺は念を押す。

「…歳下……ですか…」

「なんだ?違うとでも言いてえのかよ?確かに同じ歳の女子と比べりゃ大人びてるかもしれねえが俺からすりゃまだまだガキだぞ」

「…いえ……はい、そうですね」

千鶴は何か納得したように数度頷き、顔を綻ばせる。

「…そうですね、年端もいかぬ小娘が、偉そうなことを言いました。申し訳ありません、猛省します」

「…お、おう……?」

豪徳寺は首を捻りながらも頷く。素直に受け止めてくれたのはいいが、何故笑顔なのかが解らないからだ。

頭を上げてからも何故か千鶴は上機嫌で、何事かを呟きながらクスクスと笑っている。

「………………………」

豪徳寺は無言で犬飼の元に身を寄せ、小声で問い掛ける。

「…おい、なんであいつは上機嫌なんだ?」

「知るかよ私が」

にべも無く犬飼が返す。

「私は犬心は解っても女心は解らんよ。どうもはっきり怒られたのが嬉しかったんじゃないかな?」

「…なんだそりゃあ?」

「だから私が知るかよ。しかし豪徳寺君、気を悪くするかもしれないって解ってたなら、なんであんなキツイ物言いをしたんだい?」

反対に問い掛ける犬飼に、豪徳寺は答える。

「話ぶりからして頭の回る大人びた娘だ。俺の言い方に腹を立てても、それで言葉の内容を無視するほど愚かじゃないさ。例え俺が嫌われようが、それで気をつけるようになるならそれでいいだろう?」

「…なんだいそれは。少し格好をつけ過ぎだろうに?」

「五月蝿いわ」

少し顔を赤くしながらも、豪徳寺は答えた。

 

 

 

「…しかし起きねえな、本当に大丈夫か?こいつ」

暫くして、千鶴への忠告も済んだので千鶴を女子寮まで豪徳寺が送って行く事になったのだが、結構な時間が過ぎても尚眠り続ける小太郎に、豪徳寺が不安そうに呟く。

「ああ、傷が結構多かったんで、途中で目を覚まして暴れない様、多めに麻酔を打ったからねえ。熱は小康状態の様だが流石にまだ寝てるだろう」

犬飼の説明に一先ず納得する豪徳寺と千鶴。

「じゃあ、犬飼先輩。心苦しいですがこの子をお願いします」

「俺も那波を送り届けたらまた来るから、少しの間頼むぞ」

「はい、任されたよお二方」

犬飼が二人の頼みを快く了解する。頷いて豪徳寺と千鶴が立ち上がり、玄関に向かおうとしたその時、それまで犬飼の傍らで伏せて身動ぎもしなかったサーベラスがピクリと耳を動かし、音も無く身体を起こすと前に出て、玄関に向かって唸り始める。

「あら?」

「…おい、どうしたんだこい…」

唐突なサーベラスの行動に犬飼へと振り返りながら訳を尋ねた豪徳寺は、犬飼の緊迫した表情に思わず言葉を飲み込む。するとその時、玄関でチャイムが鳴った。

「?、お客様でしょうか…他人の事は言えませんがこんな時間に…?」

怪訝そうに呟く千鶴を余所に、サーベラスは益々唸り声を強くする。

「…二人共、玄関に近づかないでくれ」

犬飼が張り詰めた声で豪徳寺と千鶴に呼び掛ける。

「…犬が見知らぬ来客を警戒するのはおかしな事じゃ無えが、ヤバいのか?」

「豪徳寺君やこの子が来た時も、那波ちゃんが来た時もサーベラスはここまで過剰に反応しなかっただろう?…こんな激しい警戒、麻帆良の森林で麻帆良四大魔獣の一体、体長六m強の魔狼フェンリルに遭遇する直前以来だ。…外にヤバい奴が居るよ」

何やら聞き流せない部分もあったが、犬飼の声は真剣そのものだ。話している間にもう一度チャイムが鳴った。

「…どうするんだ?」

「…逃げよう」

犬飼は言い放つ。

「ベランダ越しに建物の端まで移って非常階段から外へ出よう。少なくともチャイムを鳴らしているんだから、直ぐさま強引に入ってこようとはしないはずだ」

その来客に対して余りに過剰な反応に千鶴が眉を顰めて何事かを言おうとしたが、それを豪徳寺が遮る。

「…馬鹿馬鹿しいと思うかもしれねえが麻帆良の部長クラスの判断だ。納得出来なくても黙って言う通りにしてくれ、那波」

「…ですが……」

「話は後だ、静かに…」

犬飼が忍び足でベランダへ続く窓を開け、小太郎を抱き上げ様とした、その瞬間。

ゴガァン‼︎‼︎と何の前触れも無く玄関から轟音が響き、何かの倒れる音と共に部屋の中へ何者かが入ってくる足音が響く。

「!、……遅かったか……‼︎」

「那波‼︎俺の後ろにいろ‼︎」

「は、はい‼︎」

犬飼が小太郎を抱え上げながら唇を噛み、豪徳寺が千鶴を庇って一歩前に出る。サーベラスは鋭い声で侵入者に吠え立てる。

三人と一匹の目線が集中する中、上がり框を土足で上がりながら姿を現したのは、黒革製の上下に黒いロングコートを羽織り、頭には唾が広めの、矢張り黒いソフトハットを被った黒衣の老人だった。

「……どちら様?……」

やや乾いた声で問い掛けた犬飼の声に対して、老人は優雅にハットを手に取り一礼する。

 

「夜分に、しかもこんな荒々しい入り方をして申し訳ない。少々お騒がせするかもしれない、……そちらの腕の中の少年に用があるのでね」

 

物腰は穏やかながら、その眼に危険な輝きを見せつつ老人ーーヴィルヘルム ヨーゼフ・フォン ヘルマン伯爵はその場の全員に、そう告げた。




閲覧ありがとうございます、星の海です。いや、千鶴と豪徳寺の対面からヘルマン登場迄で一話使ってしまいました。もっとバランスを考えて描くべきですね、反省しています。これ迄今一影の薄かった豪徳寺が今回は結構活躍します、待っていた人が居るかはわかりませんが、お楽しみ頂ければ幸いです。千鶴が豪徳寺の説教に気分を害さずにツボに入った様な反応をしたのは、この娘はどう考えても叱られるより叱る方で、しかも大人びた外見と言動からきちんと叱られた経験なんて最近は親にもされたことが無いんじゃ無いかと作者が考えた故にです。というか怒られた事自体殆ど無いんじゃないでしょうか、千鶴姉さん…原作の小太郎とのオネショタ具合も好きですが、きちんと千鶴姉さんを本来の十五歳という年齢で見て、大人の目線で接してあげられる歳上も千鶴姉さんの相手にはいいかと思います笑)まあ、その点で言えば豪徳寺も今だ完璧じゃありませんが。それではまた次話にて、次もよろしくお願いします。

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