『ボーン・アブソリューション』 (The Bourne Absolution) 作:T/A2000
西区の廃射的場は忘れられた場所だった。
かつては百花繚乱の生徒たちが腕を磨いた射場も、今は雑草に半ば飲み込まれ、朽ちた的(マト)の木枠が風にかたかたと乾いた音を立てている。祭りの提灯の灯りもここまでは届かない。月光だけが荒れ果てた射線を青白く照らしていた。
その射線の先で――たった一人の少女が銃を構えていた。
御稜ナグサ。
白い肌に、雪女のような冷たい佇まい。彼女は「百蓮」のアイアンサイトを覗き込み、ほとんど呼吸すら止めたまま遥か彼方の的を狙っていた。
――タンッ。
乾いた銃声。百メートル以上先の的の中心に近い一点が正確に撃ち抜かれる。
見事な腕前だった。だがウェッブの目は、その完璧な射撃の陰に潜む一つの綻びを瞬時に捉えていた。
(――右腕)
引き金を引いた後、ナグサの右腕がほんの一瞬痙攣するように震え、彼女はそれを左手でそっと押さえた。負傷の後遺症。かつて何かを――誰かを――掴み取ろうとして掴みきれなかった腕。
そしてもっと深い綻びがあった。
彼女は完璧な射撃を誰にも見せるあてもなくただ延々と繰り返している。的を撃ち抜くことに意味も目的もない。腕を鈍らせないためと本人は言うだろう。だがそれは違う。彼女はただ引き金を引いている間だけ何も考えずにいられるのだ。
(――レンゲと同じだ)
身体を動かしていないと考えてしまう。自分が何者でもなくなってしまったことを。
「――ナグサ様!」
ユカリが堪えきれずに駆け出した。「ようやく、ようやくお会いできましたわ、ナグサ様……! 身共、ずっとずっとあなた様を探して……!」
ナグサの肩がびくりと跳ねた。スコープから顔を上げた彼女は駆け寄るユカリを見て、そして――その隣に立つ見知らぬ男を見てすっと表情を消した。冷たい完璧な仮面が瞬時に顔に貼りついた。
「……人違いよ」ナグサは氷のように平坦な声で言った。「私はあなたの知っている御稜ナグサではないわ。百花繚乱は解散した。私はもうただの一般生徒。ここには誰もいない。……帰りなさい」
「そ、そんな……! ナグサ様、身共は――」
「帰りなさいと言ったの」
拒絶は鋭かった。ユカリが傷ついた顔で立ち尽くす。
ウェッブはその一部始終を静かに観察していた。
(見事な仮面だ。だがいくつも穴が空いている)
ナグサは「帰れ」と言いながら銃口を一度も彼らに向けていない。「誰もいない」と言いながらその声はわずかに震えていた。そして何より――本当に他人を拒絶しきった人間はこんなにも「完璧な拒絶」を演じたりしない。彼女は拒絶することすら演技でしかできないのだ。
ウェッブはゆっくりとナグサに歩み寄った。
「近づかないで」ナグサが警告した。「あなた、シャーレの……。ニヤから聞いたことがあるわ。学園の裏で暗躍する危険な大人。……悪いけれどあなたの相手をする気はないの」
「一つだけ言わせてくれ」ウェッブは彼女の警告を意に介さず、しかし一定の距離で足を止めた。「その射撃には目的がない。的を撃っても何も守れていない。お前は腕を鈍らせないためだと言うだろうが――違うな。お前はただ引き金を引いている間だけ自分を忘れられるから撃っているんだ」
ナグサの完璧だったはずの仮面に初めて亀裂が走った。
「……何を言って……」
「御稜ナグサ」ウェッブはその名を事実として告げた。「元副委員長。委員長代理を務め、そして務めきれなかった。お前は自分自身を完全に見限っている。『私はアヤメにはなれない無能な半人前だ』と心の底から信じ込んでいる。――そうだな」
図星を真正面から容赦なく突き刺す言葉。
ナグサの手から百蓮が滑り落ちそうになった。彼女は震える手でそれを握り直し、そして――こらえきれずに叫んだ。
「――そうよ!! その通りよ!!」
冷たい仮面が砕け散った。その下から現れたのはずっと隠されていた剥き出しの傷だらけの少女だった。
「私は無能なの! アヤメの代わりなんて務まるはずがなかった! みんなは私を『百花繚乱で一番強い』なんて言ってくれたけどそんなの嘘! 私はただアヤメの隣にいたかっただけ! アヤメみたいに強くて優しくてみんなに愛される委員長を必死に『演じて』いただけ……!」
彼女は震える右腕を左手で強く掴んだ。
「それなのにアヤメが黄昏に呑まれそうになった時――私はこの腕を伸ばしてあの子を掴もうとして……掴めなかった! 私の力が足りなかったから! 私が無能だからアヤメを、たった一人の親友を救えなかったの……!」
涙が月光の下でぽろぽろとこぼれ落ちた。
「だから私は逃げたの。委員長代理なんて役目、私には重すぎた。みんなに『あなたには資格がない』って失望される前に……自分から消えたの。……これのどこが『百花繚乱で一番強い』なの? 私はただの臆病な逃げ出した半人前よ……!」
ユカリが涙を浮かべて言葉を失っていた。彼女が憧れ続けた「クールで強い先輩」のあまりにも脆い本当の姿がそこにあった。
ウェッブはしばらく無言でそれを聞いていた。
そして――彼は彼女の慟哭の一言一句を痛いほど理解していた。
自分を見限り、自分から消えた人間。それはウェッブ自身だった。ブラックブライアーの闇に追い詰められ、真実のリークに失敗しすべてを失った男。ニューヨークの研究所の屋上から雨の降るイースト川の暗い水面へと自ら身を投げた男。あの瞬間、彼もまた確かに自分自身を見限っていたのだ。
だからこそ彼は知っていた。
こういう人間に安っぽい慰めは毒にしかならないことを。「お前は無能じゃない」「腕はきっと治る」「みんな待っている」――そんな言葉は見限った本人の耳には白々しい嘘としてしか響かない。
必要なのは慰めではない。事実だ。
ウェッブは地面に落ちかけた百蓮を静かに拾い上げ、その銃身をまじまじと見た。
「――お前の右腕は確かにもう昔のようには動かない」ウェッブは残酷なほど率直に言った。「後遺症だ。長時間の連続射撃には耐えられない。反動の大きい銃ももう扱いきれないだろう。……それは事実だ。慰めても変わらない事実だ」
「……っ」ナグサが俯いた。追い打ちをかけられたと思ったのだろう。
「だが」ウェッブは彼女の目の前に百蓮を差し出した。「それが何だと言うんだ」
「……え?」
「腕が万全でなければ戦えないのか? 天才でなければ指揮官の資格はないのか? ――違う。俺が知っている本物の兵士はみんなどこかが欠けている。腕を、脚を、記憶を、心を。それでも欠けたまま隣の仲間のために立つ。それが本物だ」
ウェッブの声に初めて抑えきれない実感がこもった。それは誰にも語れない自身の半生から絞り出された剥き出しの真実だった。
「お前がアヤメになれなかったのは当たり前だ。お前はアヤメじゃない。お前は御稜ナグサだ。アヤメを掴もうとして腕が壊れるまで手を伸ばした――そういう人間だ。それのどこが無能なんだ」
ナグサが顔を上げた。涙で濡れた瞳が揺れていた。
「でも……委員長代理は……私には務まらなかった……」
「務まるはずがない」ウェッブは即答した。「お前一人に天才が一人でやっていた仕事を全部背負わせたんだ。潰れて当然だ。――それはお前の無能じゃない。組織の設計ミスだ」
その一言がナグサの中で何かを大きく揺さぶった。
「組織の……設計ミス……?」
「百花繚乱は一人の天才がすべてを背負う構造だった。アヤメが背負い、次にお前が背負おうとして潰れた。――だが俺が作る新しい組織は違う」ウェッブは廃射的場の荒れ果てた射線を見渡した。「一人が全部を背負う必要はない。指揮も判断も責任も全員で分け合う。お前はアヤメの代わりに『天才』を演じる必要はない。ただ御稜ナグサとして仲間の真ん中に立てばいい。それで十分に回る組織を俺が作る」
それはナグサがずっと欲しかった――しかし決して手に入らないと諦めていた赦しの言葉だった。
「アヤメを演じなくていい……?」ナグサの声が掠れた。「私は……ただの私のままで……いいの……?」
「それが一番強い」ウェッブは静かに頷いた。
ナグサは差し出された百蓮を震える両手で受け取った。だが彼女はまだその銃を胸に抱いたまま俯いていた。
「……でも。私はもう一度みんなの前に立つのが怖いの」彼女は掠れた声で言った。「また失敗したら……また誰かを守れなかったら……今度こそ私は……」
言葉にならない恐怖。それを断ち切ったのはウェッブの言葉ではなかった。
現実の暴力だった。
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廃射的場を囲む雑木林の暗がりから複数の足音と下卑た笑い声が一斉に湧き上がった。
「よォ、見つけたぜ。羽織のガキとシャーレの用心棒。それに――噂の逃げ出した副委員長サマまで雁首揃えてよォ」
面をつけた魑魅一座の一団。その数、二十を超える。昨夜ウェッブに追い散らされた連中が報復のために数を集めてきたのだ。しかも――その背後には彼らを操る別の意志の匂いがあった。
(――誘導された。塀の上から俺たちを見ていた奴がこの連中をここへ差し向けた。花鳥風月部の最初の一手(プローブ)だ)
ウェッブは瞬時に状況を計算した。開けた射場。遮蔽物は少ない。数は圧倒的に不利。そしてこちらの戦力は――自分と混乱したナグサと戦い慣れないユカリの三人だけ。
「ユカリ、ナグサの後ろへ回れ。ナグサ、まだ動くな」ウェッブは低く指示を飛ばし自らは前に出た。
「はっ、たった三人で何ができる! やっちまえ!」
不良たちが一斉に襲いかかってきた。
その混沌の中で事態は起きた。ユカリを狙って二人の不良が側面から急襲する。ユカリは制式ライフルを構えたが動揺で照準が定まらない。ウェッブは別の三人を捌いている最中で間に合わない。
ユカリに暴力が迫る。
その瞬間だった。
――タンッ、タンッ!
二発の寸分違わぬ銃声。
ユカリを襲おうとした二人の不良のそれぞれの武器が手から弾き飛ばされた。一切肉体は傷つけていない。ただ武器だけを正確に撃ち落とす神業の射撃。
ユカリが呆然と振り返る。そこには――百蓮を構えた御稜ナグサの姿があった。
その目にもう涙はなかった。あるのは仲間を守ろうとする純粋な意志だけだった。
彼女は考える前に身体が動いていた。「また失敗したら」という恐怖より先に「ユカリを守りたい」という思いが引き金を引かせていた。
「……ユカリには」ナグサは静かに、しかし凛とした声で言った。「指一本触れさせない」
その瞬間ウェッブは確信した。この少女はまだ戦える。誰かのために引き金を引ける。凍りついていた引き金は他者を守るという理由を得てようやく動いた。
「――全員来い」ウェッブが号令した。「ナグサ、援護射撃。ユカリ、俺の後ろにつけ。散らばるな、固まれ!」
だがそこへ――さらに二つの銃声が雑木林の反対側から響いた。
「まったく。世話の焼ける後輩たちね」
現れたのはこけしではなく、実銃を構えた桐生キキョウ。そして。
「おらおらおらァッ! アタシの後輩に手ェ出してんじゃねえぞ、テメエら――ッ!!」
雄叫びと共に突っ込んできたのは不破レンゲだった。その手には青春の火花。羽織をしっかりと肩にかけている。
「レンゲ様! キキョウ様!」ユカリが歓喜の声を上げた。
「あんたの安否くらい追跡させてもらったわ」キキョウが冷静に敵の側面へ回り込みながら言った。「作戦参謀が味方の位置を把握してないわけないでしょ」
「ナグサ先輩……! 戻ってきてくれたのか……!」レンゲが涙目でナグサを一瞥し、それから敵に向かって咆哮した。「積もる話は後だ! まずはこの馬鹿どもを片付けるぞォッ!」
四人の百花繚乱――ナグサ、キキョウ、レンゲ、ユカリが崩壊以来初めて同じ戦場に揃った。
そして彼女たちは戦った。
一人ひとりの銃の腕は確かに超一流だった。ナグサの精密射撃、レンゲの果敢な突撃、キキョウの的確な状況判断、ユカリの必死の奮闘。数で勝る魑魅一座はみるみるうちに数を減らしていく。
――だが。
その一部始終を援護に回りながら冷徹に観察していたウェッブの目に映ったのは「勝利」ではなく「危うさ」だった。
(――バラバラだ)
レンゲが突撃すればその背後がぽっかりと空く。キキョウがそれを援護しようとするが二人の間に無線も合図の取り決めもない。だからキキョウの援護はいつも半歩遅れる。ナグサが優秀な狙撃で敵を仕留めても次に誰を狙うべきかの優先順位が部隊内で共有されていない。ユカリは味方の射線を横切りそうになり二度危うく同士討ちになりかけた。
彼女たちは四人の優れた個人だった。しかし一つの「部隊」ではなかった。
火力を統合する術がない。機動と射撃を連携させる術がない。指揮系統がない。共有された戦術の言語がない。もし敵がこの魑魅一座程度の烏合の衆でなく訓練された部隊だったなら――彼女たちはその卓越した個人技もろとも連携の穴を突かれあっけなく各個撃破されていただろう。
(勝ったのは敵が弱かったからだ。彼女たちが強かったからじゃない)
やがて魑魅一座は四人の百花繚乱と一人の工作員を前に恐れをなして潰走した。射場に静寂が戻る。
――正確には、一人だけ静寂に取り残された者がいた。
逃げ遅れて足を挫いた面の少女の襟首を、ウェッブが音もなく掴み上げていたのだ。
「一つだけ聞く。今夜ここを襲えと言ったのは誰だ」
「し、知らねえよ! 姐さんだ、闇市流に出入りしてる……上物の着物の、背の高い姐さん!」
「顔は」
「緑の目の、大人の女で……あれ。……いや、待てよ。アニキは『若い行商の女に頼まれた』って言ってた……っけ……?」
面の下の声が本気で混乱していた。嘘をつく者の混乱ではない。ウェッブは手を離し、少女が転がるように逃げていくのを黙って見送った。
(同一の接触者。だが証言の人相が一致しない。手配師が複数いるのか。それとも――一人の人間が、複数で"いられる"のか)
彼は結論を出さなかった。ただ頭の中の名簿に「人相不定の女」という一行を書き加え、その横に未検証の札を静かに提げた。商店街で消えたあの祭り装束の女の「消え方」が、その一行のすぐ隣に並んだ。
「はぁっ、はぁっ……や、やったわ……! 撃退しましたわ……!」ユカリが肩で息をしながらそれでも満面の笑みを浮かべた。「久しぶりに百花繚乱四人が揃って……!」
レンゲとキキョウが気まずそうに、しかしどこか嬉しそうに顔を見合わせる。そして三人の視線が静かに佇むナグサへと集まった。
「……ナグサ先輩」レンゲが羽織の袖で涙を拭いながら一歩踏み出した。「アタシ、先輩にずっと言いたかったことが……」
「レンゲ」ナグサは静かに首を振った。「いいの。私が悪かった。何も言わずに逃げて……あなたたちを傷つけて」
「そんなことっ……!」
「でも、もう逃げない」ナグサは百蓮をしっかりと抱え直した。その瞳にはかつての「演じられたクール」ではなく地に足のついた本物の静かな強さが宿っていた。「私はアヤメにはなれない。天才にはなれない。……でもあなたたちの隣に立つことならできる。御稜ナグサとして。――もう一度私を仲間に入れてくれる?」
ユカリが、レンゲが、そしてキキョウさえもが目を潤ませて大きく頷いた。
崩れ落ちた組織の最後の礎石が――中央に還ってきた。
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散り散りだった四人の再会を少し離れた場所から見守りながら、ウェッブは繋ぎ合わせた脅迫状の一文を胸の内で反芻していた。
――歓喜の時、空に花咲きたるその刻に。
彼はたった今の戦闘を冷徹に採点し直していた。
礎石は揃った。心は繋がった。それは大きな一歩だ。だが――今の彼女たちの実力では花鳥風月部の本格的なテロ計画を止めることは絶対にできない。今日証明されてしまった。彼女たちは優れた個人であって機能する部隊ではない。
四人の天才をただ並べただけでは火は消せない。彼女たちを一つの「軍隊」に鋳直さなければならない。
そのためには――言葉でも感動でもなく、地道な退屈で過酷な「訓練(トレーニング)」が必要だ。
ウェッブは心の中で次のフェーズへの号令を静かに下した。
外国内部防衛(FID)の第二段階。ホスト国の治安部隊を評価し、そして――鍛え直す。
「ナグサ」ウェッブは四人に歩み寄り声をかけた。「戻ってきてくれて感謝する。だが一つだけはっきり言っておく」
四人が彼を見上げた。
「今日の戦いでお前たちは勝った。だがそれは敵が弱かったからだ。お前たちの連携は――控えめに言って落第だ」
ユカリが「え、ええっ!?」と目を丸くしレンゲが「な、なんだとォ!?」と気色ばむ。だが作戦参謀のキキョウだけははっとした表情で俯いた。彼女は戦いながらウェッブと同じ「穴」をいくつも見ていたのだ。
「……悔しいけどその通りよ」キキョウが静かに認めた。「私たちは四人だった。でも『四人で一つ』じゃなかった。ただ四人が別々に戦っていただけ」
「その通りだ」ウェッブは頷いた。「だがそれは直せる。個人の才能じゃなく訓練で直せる。――明日からお前たちに俺のやり方を教える。今まで頼ってきた兵法書も継承戦の伝統も一度全部忘れてもらう。ゼロから本物の『部隊』の作り方を叩き込む」
「ほ、本物の部隊……?」ナグサが戸惑ったように問うた。
「そうだ」ウェッブは月光に照らされた荒れ果てた射場を――これから彼が「錬兵場」に変えるその場所を静かに見渡した。「祭りまであと一か月を切った。時間はない。……覚悟しておけ。地獄のような二週間になる」
その言葉に四人の少女は思わず身を固くした。
だがウェッブの言葉には脅しの冷たさだけではなく確かな約束の熱があった。
「その代わり約束する。二週間後お前たちは、今のお前たちが決して敵わない本物の力を手に入れている。花鳥風月部の火を自分たちの手で消し止められる本物の百花繚乱に生まれ変わる」
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【百鬼夜行連合学院 天守閣・最上層】
その頃。
祭りの喧騒を眼下に見下ろす天守閣の暗がりで、一人の少女が包帯を巻いた足を投げ出して座っていた。
花鳥風月部・箭吹シュロ。手には火縄銃の種子島を抱え、退屈そうに街の灯りを見下ろしている。
「――コクリコ様ぁ。手前、報告がありますよぉ」
その背後の闇から艶やかで、しかし底冷えのする声が応じた。
「なんね、シュロ」
「例のシャーレの用心棒が動き出しましたよぉ。しかも面白いことに――潰れた百花繚乱をわざわざ集め直して鍛え直そうとしてるみたいで」シュロはくつくつと嗤った。「あんなガラクタ組織を。ご苦労なことです。手前、思わず笑っちゃいました」
闇の中のコクリコはしばらく沈黙し、それから静かに言った。
「……妙な手を打つ男やね」その声には嘲りではなく微かな警戒が滲んでいた。「絶望を希望へと変えてしまう。――我らにとって最も相性の悪い類の『大人』かもしれん」
「えぇ〜、大袈裟ですよぉコクリコ様」シュロが唇を尖らせた。「あんなの手前がちょちょいと絶望のどん底に叩き落としてあげますって。あの用心棒も集めたガラクタどももまとめて」
「そう急くでない」コクリコがたしなめるように言った。「花が咲くまでまだ間がある。……せいぜいその用心棒に無駄な希望を積ませておやり。高く積み上げた城ほど崩れ落ちる時の絶望は深く美しい」
天守閣の窓の外では二十年ぶりの燈籠祭を待つ無数の提灯が何も知らずに橙色の灯を揺らしていた。
崩れた城壁を築き直す男と、その城を灰にしようとする者たち。
静かな戦いの次の火蓋が切って落されようとしていた。