『ボーン・アブソリューション』 (The Bourne Absolution) 作:T/A2000
基礎体力と新兵課程の最低ラインをクリアしたアビドスの面々を待っていたのは、真の意味での「地獄」だった。
教務室の黒板には、デイヴィッド・ウェッブのチョークによって新たな二つのドクトリンが書き殴られていた。
『統合出版物第3-22号(JP 3-22):外国内部防衛(FID)における特殊作戦教理』
『陸軍野戦教範第3-05.202(FM 3-05.202):特務部隊による治安維持部隊の訓練技術手順』
「これより第二段階――アドバンスド・フェーズを開始する」
ウェッブの声は砂漠の夜気のように乾いていた。
「ヘイローという超常の防護膜があるからと、君たちは戦術的な『死』を軽視している。だが、防衛線が瓦解し、弾薬が尽き、通信が途絶すれば、どれほど頑強な肉体を持っていようとも、待っているのは冷徹な捕虜収容所か、あるいは自治区の消滅だ。組織戦として機能するための戦術的OSを、君たちの脳に完全にインストールする」
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【フェーズ1:基本戦闘技術(Basic Combat Skills)の徹底】
訓練は、個人の戦闘能力を極限まで底上げする過酷なルーティンから再開された。
まず課されたのは、戦闘射撃術(Advanced Marksmanship)の自動化だ。
「実戦において、静止した状態で標的を撃てる状況など存在しない。常に動き、遮蔽を渡りながら火線を維持しろ」
ウェッブは校庭に、実戦用の様々な遮蔽物を模した木製ボード(バリケード)を設置した。
砂狼シロコと黒見セリカが並んで銃を構える。ウェッブは彼女たちの背後から、予告なしに銃身を叩き、あるいは強制的にボルトを後退させて「ダミー弾(模擬不良弾)」を送り込んだ。
カチリ。セリカのアサルトライフルが虚しい撃鉄音を立てる。
「しまっ、ジャム(弾詰まり)――!」
「立ち止まるな! タップ・ラック・バングだ!」ウェッブの怒声が飛ぶ。
セリカは咄嗟にマガジンを激しく叩き(タップ)、ボルトハンドルを力任せに引いて不良弾を弾き出し(ラック)、即座に次弾を射撃(バング)する。その一連の動作を、ウェッブはストップウォッチで一秒未満に収めるよう要求した。
シロコは、不規則な穴がいくつも開いたバリケードの影に滑り込み、銃を真横に寝かせる「C.A.R.システム」の変形スタンスをとった。地面すれすれの隙間から銃口だけを覗かせ、体軸を完全に隠したまま標的を撃ち抜く。遮蔽物利用射撃(バラケイト射撃)のドクトリンだ。
続いて行われたのは、より凄惨な野戦救急(TCCC:Tactical Combat Casualty Care)の訓練だった。
キヴォトスの生徒は頑丈だが、大口径の弾丸や爆風の直撃を受ければ、ヘイローが一時的に減衰し、質量衝撃によって四肢の麻痺や気道閉塞、ショック症状を引き起こす。
「戦闘下での救護(Care Under Fire)だ。敵の激しい銃撃が続いていると仮定する。被弾したバディを救おうとして自分が立ち止まれば、二人まとめて制圧される。片手で対処しろ」
ウェッブは、セリカの左腕をロープで強制的に固定した。
「セリカ、お前の左腕は敵の重機関銃の衝撃で完全に麻痺した。右手だけで、三十秒以内に大腿部に止血帯(ターニケット)を装着しろ。できなければ出血多量で判定負傷、リタイアだ」
「くっ……、この、固くて解けない……!」
セリカは片手と歯を使い、必死に戦闘服の太ももへ止血帯を巻き付け、ベルクロを締め上げる。
その横では、アヤネが血糊を模した赤ペイントを浴びながら、気絶判定となったノノミの巨体を安全な陰へと引きずり込んでいた。
「アヤネ、下顎挙上(かがくきょじょう)だ! 気道を確保しろ! 意識を失った兵士の舌根沈下を防ぐ手順を忘れたか!」
「は、はいっ! 顎を持ち上げて……っ、ノノミ先輩、息をしてください……!」
アヤネは胃痛で顔を歪めながらも、ウェッブの叩き込んだ衛生ドクトリンを必死に指先に再現していた。
さらに、通信・生存技術(Comms & Survival)の規律が彼女たちの精神を削る。
砂漠の真ん中での野営訓練。ウェッブは全員の通信機から電子音を消去させた。
「無線の発信源は、敵の電子戦部隊(インテリジェンス)に対する絶好の標的(ターゲット)だ。符号(コード)を使え。大文字のアルファ、ブラボー、チャーリー以外の無駄な私語は一切禁止する。電波のバースト(短時間発信)規律を破った者は、その場で位置暴露としてペイント弾を撃ち込む」
限られた水筒の水と、米軍の無機質な戦闘糧食(MRE)のパウチ。おやつ無しの過酷な環境下で、五人は無線機(AN/PRC-117G)の暗号チャンネルを維持し、徹底的な隠蔽規律を身体に染み込ませていった。
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【フェーズ2:小部隊戦術(SUT:Small Unit Tactics)】
個人の技術が自動化された段階で、ウェッブは彼女たちを一つの「面」として動かし始めた。小部隊戦術――部隊の組織戦能力を司る背骨のフェーズだ。
アビドスの広大な砂丘を、五つの影が移動していく。
「陣形を崩すな。カラム(縦隊)からウェッジ(楔形)へ移行しろ。周囲三百六十度、視線の重複(オーバーラップ)を維持せよ」
ポイントマン(先頭)のシロコが右前方を警戒すれば、セリカが左前方、中央のノノミが重火器を構えて右側面を睨み、殿(しんがり)のホシノが後方の脅威をクリアする。アヤネは中央で地図とコンパスを握り、部隊の現在地をミリ単位でトラッキングしていた。
誰がどこを見て、誰が誰の死角をカバーするか。言葉を交わさずとも、互いのヘイローの残光と歩調だけで陣形が自動的に伸縮する。
「斥候・偵察(Reconnaissance)の手順だ。シロコ、足元を見ろ」
ウェッブは砂地の一角で屈み込んだ。
「何が見える」
「ん。……古いテクニカル(機関銃車両)のタイヤ痕。砂の崩れ方から見て、風化が進んでる。通過したのは……約三時間前。個体数は三から四」
「そうだ。それが戦闘追跡(コンバット・トラッキング)だ。敵が残した痕跡は、嘘をつかない。インテリジェンスを自ら拾い上げろ」
その偵察の直後、ウェッブが仕掛けたダミーの待ち伏せ(アンブッシュ)が炸裂した。
突如として岩陰から、リモコン式のペイント爆弾が爆発し、警告音が鳴り響く。
「アンブッシュ(待ち伏せ)を感知――!」セリカが叫ぶ。
「立ち止まって撃ち返すな! キルゾーンから離脱しろ! 即座の強襲(Immediate Assault)プロトコルを執行!」
通信規律に基づき、ホシノが即座に叫んだ。
待ち伏せに遭遇した際、防御に回れば全滅する。それが特殊作戦の冷徹な鉄則だ。五人は躊躇なく、最も激しい火線が上がっている「敵の正面」へと、逆に全員で最大火力を集中させながら猛烈なスピードで突撃を仕掛けた。
ノノミのミニガンが文字通り砂丘を薙ぎ払い、シロコとセリカの突撃銃が交差する。敵の待ち伏せ陣地を「速度と圧倒的な暴力」で逆に突き破り、キルゾーンを無効化する離脱ドクトリン。アビドスの面々は、圧倒的な連携でウェッブの仕掛けたダミー標的群を瞬時に圧し潰した。
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【フェーズ3:応用・特殊戦術(Specialized Operations)】
訓練の舞台は、最も致死率の高い閉鎖空間――校舎内へと移る。市街地軍事作戦(MOUT)および近接戦闘(CQB)のフェーズだ。
「これよりキルハウス(屋内戦闘訓練場)を用いたルームクリアリングの反復練習を行う。入り口(ドア枠)は『フェイタル・ファンネル(致命的な漏斗状地帯)』だ。すべての銃線がそこに集中する。コンマ一秒でも立ち止まれば、ヘイローごと肉体を削り取られるぞ」
ウェッブのお手本(デモンストレーション)は完璧だった。ドアのノブに手をかけ、開放すると同時に、身体の軸をブラさずに曲がり角の死角を扇形に削り取るように覗き込む。
「スライシング・ザ・パイだ。角を刻め」
シロコとセリカがバディを組み、ベニヤ板で組まれた訓練用の部屋へ突入する。
ドアを開けた瞬間、室内のダミー標的に向かって、シロコがファーストマン(一番手)として滑り込み、左隅の死角を潰す。セリカがセカンドマンとして右側の死角を完全にクリアにする。2つの銃口が、部屋のあらゆる「角」をコンマ数秒で完全に制圧した。
「ルーム・クリア!」セリカの鋭い声が響く。
その校舎全体の防衛能力を担保するのが、ベースディフェンス(陣地・基地防御)の手順だった。
ウェッブはアヤネのコンソール画面に、校舎の構造図を展開させた。
「ノノミの重機関銃の最大有効射程と、セリカのアサルトライフルの射線を幾何学的に組み合わせろ。敵がどこから校門を突破してこようとも、二つ以上の火線が必ず重なるように配置する。『十字砲火(クロスファイア)』だ」
「これなら……」アヤネが数値を入力し、驚愕の声を漏らす。「カイザーの重装甲部隊が正面から突入してきても、物理的な質量の壁で完全に圧し潰せます……!」
ノノミが自らのミニガンを土嚢の影に据え付け、計算された火線の角度(セクター)を確認し、満足げに微笑んだ。
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【フェーズ4:指揮統制(C2)と「Train the Trainer」】
数ヶ月に及んだ地獄の訓練の最終段階。それは、ウェッブという後ろ盾が去った後も、アビドスが自立して戦い続けるための「教育」だった。
指揮統制(C2)および軍事意思決定プロセス(MDMP)。
ウェッブは指揮官の席を降り、すべての作戦立案と執行の権限を、アヤネとホシノの二人に委ねた。
「アヤネ、お前が将校(スタッフ)としてインテリジェンスを分析し、作戦を立てろ。ホシノ、お前が現場の下士官(下士官:NCO)として、現場の規律を執行する全部隊の『背骨』となれ」
「うへぇ~、おじさん、軍曹なんてガラじゃないんだけどねぇ……」
ホシノはそう言っていつものように欠欠伸を噛み殺したが、ひとたび戦術マップの前に立つと、そのオッズアイの瞳は極限の冷徹さに染まった。
「セリカちゃん、セクターの弾薬が二十パーセントを切ったら、ノノミちゃんの補給線(サプライ・チェーン)と同期して位置を下げて。アヤネちゃん、電子戦のログ解析を急いで。敵の第二波の座標(グリッド)を割り出すよ」
「了解です! 各員のデータロガーと同期、兵站チェーンを再構築します!」
アヤネのタイピングが、教務室の静寂を切り裂く。それは、将校と下士官のチェーン・オブ・コマンドが完全に機能し始めた瞬間だった。
そして、最も重要なプロトコル――教官育成(Train the Trainer)。
校庭には、ウェッブの代わりに、教壇に立つ砂狼シロコの姿があった。彼女の前には、セリカとノノミが並んで立っている。
「ん。これより戦闘射撃の補習を行う」
シロコの声は、いつの間にかデイヴィッド・ウェッブの持つ、あの感情を削ぎ落としたトーンを完璧にトレースしていた。
「セリカ、銃口管理(マズル・ディシプリ)が甘い。ステップを踏む時に指をトリガーにかけるな。ノノミ、抑制射撃のサイクルがブレてる。下半身の質量をストックに預けろ。言語化できない戦闘経験は、次の戦場では何の価値もない。……実行しろ」
「ちょっと、シロコまで先生の真似しなくていいじゃない!」
文句を言いながらも、セリカは完璧なローレディの構えをとり、鋭いステップで防壁を越えていった。
その様子を、校舎の二階の窓辺から、デイヴィッド・ウェッブは無言で見つめていた。
眼鏡の奥の目に、かつての冷酷な殺人兵器としての孤独はない。あるのは、自らの技術をすべて移植され、恐るべき精鋭へと変貌を遂げた少女たちへの、静かな確信だった。
グリーンベレーの特殊作戦教理が、アビドス廃校対策委員会という肉体に、完全に定着した。
彼女たちはもう、ただ「困っている学生の集まり」ではない。
デイヴィッド・ウェッブという最強の「戦術OS」をインストールされた、あらゆる戦場を生き残り、支配するための凶悪な「特殊作戦部隊(タスクフォース)」へと、完全に覚醒していた。
ウェッブは手元のタクティカルタブレットの画面を消去し、低く呟いた。
「……アセスメント完了(能力評価・終了)。いつでも来い、カイザー」