『ボーン・アブソリューション』 (The Bourne Absolution) 作:T/A2000
アビドス高等学校、対策委員会室。
遮光カーテンが完全に引かれた薄暗い部屋の中で、壊れた蛍光灯がジジ……と不気味な音を立てて明滅していた。黒板の前に立つデイヴィッド・ウェッブは、チョークを一本手に取り、無造作に白い円を描いた。その中央に、明確な敵の名を刻む。
**【KAISER CORPORATION】**
机に並んで座る五人の生徒たち——小鳥遊ホシノ、砂狼シロコ、黒見セリカ、十六夜ノノミ、奥空アヤネの視線が、その文字に釘付けになった。
「結論から言う。君たちを連日襲撃している不良集団(ヘルメット団)の背後にいるのは、君たちの借金先である『カイザー・コーポレーション』だ」
ウェッブの声は低く、冷徹だった。対策委員会室に一瞬の重い沈黙が流れた後、少女たちの口から漏れたのは、驚きではなく、重い「得心」の溜息だった。
「……やっぱり、そうだったのね」
セリカが拳を握りしめ、悔しげに奥歯を噛み締めた。「ただの不良の分際で、なんであんなに新型の弾薬を湯水のように使えるのか不思議だったのよ。私たちが利息を返すたびに、ヘルメット団の武器が重武装化していった。あいつら、私たちが払ったお金をそのまま裏の軍資金に回してやがったんだわ!」
「ん。合点がいった」
シロコが愛銃のレシーバーを静かに撫でる。「彼女たちの襲撃ルートは、いつも私たちの自治区内のパトロール経路を避けてた。アビドスの防衛線が薄くなる時間帯を正確に狙えるのは、土地の権利を管理しているカイザーしかいない」
「うへ~、おじさんもね、薄々怪しいとは思ってたんだよ~」
ホシノが椅子の背もたれに体重を預け、オッズアイを細めて黒板の文字を睨みつけた。「利息の取り立てにしては、あの子たちのやり方は『学校を壊すこと』そのものが目的みたいだったからねぇ。最初から、私たちに借金を返させる気なんてなかったんだ」
ノノミも普段のゆるふわな笑顔を消し、静かに頷く。
「ネフティス(実家)の物流網のデータでも、アビドス周辺の砂漠にカイザー名義の出所不明な重重貨物が大量に運び込まれている記録がありました。すべて、私たちを押し潰すための準備だったんですね」
「あいつらの狙いは金の回収ではない。アビドスという学園の完全な解体と、土地の強奪だ」
ウェッブはチョークを机に置いた。
「守勢の防衛戦(ディフェンス)はここで終わらせる。これより、主導権を奪い返すための攻性の諜報(オフェンシブ・インテリジェンス)を開始する」
ウェッブは、かつてCIAの最高傑作「ジェイソン・ボーン」として、世界のあらゆる防衛網を単身で無力化してきた。その血生臭いトレードクラフト(スパイ技術)を、彼は「元外交官の情報分析論」という仮面の下に隠し、黒板に三つの項目を書き加えた。
* **トラッシュ・インテリジェンス(廃棄物分析工作)**
* **スピア・フィッシング(標的型心理詐欺)**
* **ブラックバッグ・ジョブ(秘匿侵入工作)**
「アヤネが情報の統合と作戦計画(プランニング)を担当しろ。ホシノ、お前が現場の指揮(エグゼキューション)を執れ。成功率を極限まで上げるため、俺が現地に同行し、全員で順を追ってステップを踏む。いくぞ」
将校(スタッフ)として指名されたアヤネが、緊張に顔を強張らせながらも、生真面目な目でブリッジを押し上げた。
「……はい! 対策委員会のインテリジェンス・チェーン、構築を開始します!」
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### 【作戦第1日:深夜・カイザーローン出張所裏】
作戦は、アビドスを借金漬けにしている元凶であり、この地域で最もセキュリティが弛緩している「末端のゴミ」から開始された。砂混じりの冷たい風が吹く路地裏。黒いフライトジャケットを羽織ったウェッブの影に、対策委員会のメンバーが息を殺して潜んでいた。
「ゴミは嘘をつかない。人間はシュレッダーにかける数秒の手間を惜しみ、丸めただけの紙に致命的な足跡を残す」
ウェッブの囁きがインカムに響く。
アヤネが事前に算出した、監視カメラの死角となる周期(四十五秒)。現場の指揮権を持つホシノが、低く鋭い手サインを出した。
「セリカ、ノノミ、外周の警戒。シロコ、いくよ」
ホシノとシロコが音もなく突入し、出張所裏の大型ゴミコンテナから「秘書室」と書かれた廃棄袋を的確に間引き、用意した黒い防波袋へと詰め込んでいく。ウェッブは一歩下がった闇の中から、通りを巡回するガードロボットのライトの動きを凝視し、寸分の狂いもないタイムキーパーとして彼女たちの退路を確保していた。
翌日、対策委員会室は紙屑の山で埋め尽くされた。
アヤネがピンセットと特殊ライトを用い、執念深くジグソーパズルを組み立てていく。コーヒーの染みがついた付箋、何度も丸められて破れた書き損じのメモ。
「……先生、ホシノ先輩。復元、完了しました」
アヤネの震える声に、全員が長机に身を乗り出した。
それは、出張所長からヘルメット団幹部へ直接手渡された、弾薬の支給明細とアビドスの防衛網の隙間を指示する極秘の連絡書だった。用紙のヘッダーには、カイザーのロゴマークが鮮明に印字されている。
「これで一つ目のピースが繋がった」
ウェッブはアヤネの解析画面を指差した。
「次は、このゴミから得られた情報を使って、二つ目のステップ――スピア・フィッシング(標的型詐欺)を仕掛ける」
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### 【作戦第2日:午後・アビドス対策委員会室】
アヤネのPC画面を、ウェッブと残りのメンバーが取り囲んでいた。
「ゴミの中から、支店長秘書が日常的に使っている私用メールアドレスと、パスワードの変更履歴が見つかりました」
アヤネがキーボードを叩く。ウェッブはその横から、画面の構文を冷徹に修正していった。
「文章の冒頭には『連邦生徒会監査室の緊急通達に基づき』という偽の公的文脈を入れろ。さらに『本日十七時までに確認がない場合、社内アカウントを凍結する』と時間的制限を設けるんだ。アヤネ、心理学的に人間は『権威』と『焦燥』が重なった時、最も思考力を失い、日常のセキュリティプロトコルを無視する」
ウェッブの指導を受け、アヤネは完璧に偽装されたフィッシングメールを構築し、送信ボタンを押した。
数十分後。勤務時間中に私用端末でそのリンクを開いた秘書の油断により、アヤネのコンソールに鮮やかな青いシグナルが灯った。
「システムへの足がかり(アクセス・インフラ)の接続に成功! カイザーローンの社内ネットワークの最下層へ侵入しました!」
しかし、アヤネがどれほどキーボードを叩いても、画面に表示されるのは出張所の小規模な財務データだけだった。アビドス全体に関わる上位の作戦計画は見当たらない。
「……ダメです。より上層の極秘データは、外部ネットワークから完全に隔離(エアギャップ)された、上位管区の『カイザー・コンストラクション(建設)』のビル内サーバーにあるようです。ここからじゃ届きません」
「想定内だ」ウェッブの眼鏡の奥の目が、獲物を捉えた工作員のそれに変わる。「デジタルで届かないなら、物理的に裏口を開けにいく。全員でいくぞ。最後のステップ――ブラックバッグ・ジョブ(秘密潜入工作)に移行する。影になるんだ」
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### 【作戦第3日:午前二時・カイザー・コンストラクション本社ビル】
月のない漆黒の夜。アビドス自治区の砂漠にそびえ立つ無機質な鉄筋コンクリートのビル。
建物の外周にあるコンクリートブロックの死角に、ウェッブ、シロコ、ホシノ、セリカ、ノノミが壁際に張り付いていた。近くに偽装駐車した軽自動車の車内からは、アヤネが無線でバックアップを行う。
『先生、現場のホシノ先輩。全員のインカム、音声同調よし。現在のビルの警備ロボットの巡回周期は三分四十秒です。次の死角が発生するまで、あと十五秒……今です!』
「突入」
ホシノの低い命令の元、アヤネがゴミから復元した社員データをベースに作成した「偽造IDカード」を勝手口のリーダーに通し、五人は滑るように影を渡ってビル内部へと滑り込んだ。
目指すは地下のメインサーバールーム。階段を音もなく駆け下り、重厚な鉄扉の前に達する。
「セリカ、ノノミ、通路の両端を警戒。シロコ、俺のサポートを」
ウェッブが電子ロックのパネルを開け、アヤネの遠隔ハッキングツールを物理配線にバイパスさせようとした、その時だった。
壁の非常用インジケーターが、突如として不気味な橙色の明滅を始めた。
『しまっ……! 先生、大変です! カイザーの警備システムが、予定にないランダムの「動的プロトコル変更」を実行しました! 巡回ロボット二機がそっちの通路に向かっています。あと三十秒で鉢合わせします!』
「何ですって!? 嘘でしょ、どうするのよ!」セリカが銃を構え、顔を強張らせる。
「うへ~、ここで派手にドンパチやったらスパイ失格だねぇ……」ホシノの体勢が低くなる。
『さらに天井の熱検知センサーがアクティブになります! 動いたら即座にアラームが鳴ります!』アヤネの悲鳴に近い無線。
猶予は二十秒。ウェッブの脳細胞が超高速で駆動する。
「全員、動くな。床の冷気パイプの直上に身を伏せろ。体温を偽装する」
ウェッブは即座にシロコとホシノの肩を掴んで床に引き倒し、自身もその上に覆いかぶさるように伏せた。ノノミとセリカも直感的に冷たい金属パイプの影に滑り込む。
通路の角から、赤いレーザーを放つ警備ロボットの無機質な駆動音が近づいてくる。
ジジ……ジジ……。
ロボットのセンサーが、ウェッブたちのすぐ頭上をなぞる。熱検知センサーは床の冷却パイプの冷気によって遮られ、かろうじて彼女たちのヘイローの熱源を「背景ノイズ」として誤認した。
ウェッブは床に伏せたまま、ポケットからトラッシュで拾っていたカイザー職員の「使用済み電子タバコのバッテリー」を取り出し、通路の反対側の配電盤の隙間へと正確に放り投げた。
バチチッ!
小さなショート音と火花が上がり、ロボットの注意がそちらへと向けられる。ロボットは不審な電子ノイズの確認のため、ウェッブたちの前を通り過ぎて通路の奥へと移動していった。
「……息が止まるかと思ったわよ……」セリカが額の汗を拭う。
「ん。先生、今の即興(アドリブ)、完璧だった」シロコが静かに親指を立てる。
「アヤネ、今のショートでシステムのログが一瞬狂ったはずだ。一気に書き換えろ」
『了解……! 電子ロック、解錠しました!』
カチャリ、と重い扉が開く。ウェッブとシロコはサーバールームへ飛び込み、メインハブの物理配線に、小型の『ローグAP(不正アクセスポイント)』を物理的にマウントした。基盤を固定すると、ローグAPの小さなランプが青く点滅を始める。
「設置完了。撤収する」
車内のコンソールで待機していたアヤネのノートPCの画面に、突如として暗号化される前の生の通信パケットが津波のように流れ込み始めた。
「データ、降りてきます……! 通信パケットのバイパス、成功です!」
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### 【翌日・アビドス対策委員会室】
アヤネが解析を完了したその巨大なデータクラスターを展開した瞬間、一同の顔から完全に血の気が引いていった。黒板には、トラッシュ、スピア・フィッシング、秘密潜入工作によって得られたすべてのピースが、時系列順に一本の線で結ばれている。
「……これ、ただの借金の取り立てなんかじゃないわ……!」セリカが絶句する。
* **第一のデータ:≪アビドス管区買収計画(Project LAND-GRAB)≫**
最初からアビドスという学園の全土地を不当な安値で買い叩き、自治区そのものを地上から完全に抹消するための、緻密に計算されたビジネスとしての解体計画書。
* **第二のデータ:≪前線作戦基地(FOB)『ブラボー』構築要領≫**
カイザーPMCが砂漠の境界線に大規模な軍事拠点を構築し、無人機や重火器を移動させている事実。
* **第三のデータ:≪実働部隊委託契約書:便利屋68(代表・陸八魔アル)≫**
ヘルメット団に代わって間もなく前線に投入される予定の、ゲヘナ学園の生徒たちで構成された民間実働部隊の存在。
「へぇ……。本格的に軍隊を駐留させるつもりなんだねぇ、カイザーの旦那たちは」
ホシノの言葉から、いつもの軽薄なトーンが完全に消え失せていた。
さらに、ウェッブはカイザーの予算書『Project PUPPET』の最下層、決裁プロトコルの隠し条項を指差した。そこには、無機質なフォントで、冷酷極まる一文が記されていた。
> ≪SUBJECTS TO BE LIQUIDATED AFTER OPERATION(作戦終了後、対象を処分・排除せよ)≫
「これは……便利屋68の事ですか?」アヤネが息を呑む。
「彼女たちは、雇い主であるカイザーに完全に騙されている。カイザーは便利屋68を我々と正面衝突させ、用が済んだ後は違法行為の全責任をなすりつけて口封じに抹殺する算段だ」
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### 【作戦第4日:昼——カイザー物流倉庫周辺】
判明した「便利屋68」の脆弱性を特定するため、ウェッブは全員を連れて街道沿いの物資集積倉庫へと向かった。近接監視(ヒューミント)の実戦訓練である。
倉庫の裏手の路地裏、陽炎が揺れるコンクリートブロックの死角に、ウェッブと五人の生徒たちが息を殺して潜んでいた。
倉庫の搬入口に、一台の古びたバンが停まる。中から現れたのは、黒いコートを翻した少女、陸八魔アル率いる「便利屋68」の四人だった。
彼女たちは、カイザーの倉庫職員から支給された弾薬箱……にカモフラージュされた「大量のカップ麺」と「スナック菓子」の段ボールを、必死になってバンの後部に積み込み始めている。
「ちょっとハルカ、それ潰さないでよ! 私たちの貴重な備蓄なんだから!」と慌てるアル。
「アルちゃん、もやしもちゃんと積んだよ〜。くふふ、これで一週間は生き延びられるね」とクスクス笑うムツキ。
「すみません、すみません! 私がこの世に生きているせいでぇ!」と地面に穴を掘って埋まろうとするハルカ。
そして、深いため息をつきながら周囲を警戒している鬼方カヨコ。
「……ねぇ先生。おじさん、もっと冷酷無比な悪党みたいな連中が来ると思ってたんだけど」ホシノが呆れたように片目を瞑る。
「ん。あの社長、お財布の中身を見て今にも泣きそうな顔をしてる。警戒レベルは高くない」シロコが淡々と呟いた。
ウェッブは単眼鏡を収め、全員を見回した。
「これで、すべてのパズルは完成した。我々は**情報の非対称性**を最大の武器にする」
「情報の非対称性……ですか?」アヤネが訊ねる。
「カイザーは便利屋を騙し、任務後に始末しようとしている。便利屋はそれを知らない。さらにカイザーは、我々がその事実をすべて握っていることを知らない。武力で彼女たちを排除するのではない」
ウェッブは五人の生徒たちを見回し、不敵なトーンで告げた。
「彼女たちが我々に牙を剥こうとするその瞬間に、この『雇い主の裏切りという真実』を突きつけ、彼女たちの銃口をカイザーへと転向(デフェクション)させる。共通の敵を叩くための、即席の味方にするんだ」
「なるほどね。……毒を以て毒を制す、か。先生、本当におじさん感心しちゃったや」
ホシノが髪をかき上げ、そのオッズアイに獰猛な信頼の光を宿して微笑んだ。
「作戦の準備にかかれ。近いうちに、彼女たちは必ず動き出す。その時、最大の『武器』を叩き込む」
ウェッブの命令に、アビドス廃校対策委員会の五人は、力強く頷いた。カイザーの陰謀を切り裂くためのインテリジェンス・チェーンは、今、完璧に繋がった。