宝鐘マリンになったホロリス、カルデアで人理を航海する   作:ホロリスのホロリスによるホロリスのたm

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爆発しないカルデア

 

 

カルデアの管制室は、いつ見ても寒々しい。

 

いや、実際に寒い。雪山のど真ん中にある施設なのだから当然ではあるのだが、それにしたって空気まで冷えている気がする。白い壁、青白い照明、無数のモニター、忙しなく動く職員たち。人類の未来を観測する場所、なんて大層な看板を掲げるには、あまりにも人間味が薄い。

 

その中央で、私はいつものように笑っていた。

 

「いやぁ、嫌な予感しかしませんねぇ」

 

自分でも軽い声だと思う。けれど、その軽さを作るのに、どれだけ意識を割いているかは誰にも言わない。背筋を伸ばし、口角を上げ、胸元のリボンと赤い外套が乱れていないかを指先で確かめる。宝鐘海賊団船長、宝鐘マリン。外見は公式準拠、年齢は当然のように十七歳。そこだけは、何があっても譲れない。

 

隣で、豪快な笑い声がした。

 

「はっはっは! 嫌な予感がするって顔じゃないねぇ、マスター。むしろ、今から嵐に突っ込む前の顔だ」

 

「ドレイクさん、それは本物の船長の感覚なんですよ。船長、基本的に荒波は配信画面越しで十分なんですけど?」

 

「なら、なんでそんな格好でここにいるんだい」

 

「それはほら、船長なので」

 

「答えになってないねぇ、マリン」

 

フランシス・ドレイク。私が最初に契約したサーヴァントにして、本物の女海賊。本物、という言葉がこれほど似合う相手もなかなかいない。私が宝鐘マリンを演じる偽物なら、彼女は海と嵐と黄金の匂いをそのまま人の形にしたような存在だった。

 

彼女は私の隣で、肩にかけた上着を揺らしながら管制室を見渡している。魔術師たちが何度もこちらを見ては目を逸らすのは、ドレイクの豪放さのせいだけではない。たぶん、私のせいでもある。

 

時計塔のロード級魔術師。カルデア顧問。神代帰りの異物。バビロンの海賊。

 

魔術師たちは、人を肩書きと血統と成果で測る。だから、彼らは私をそう呼ぶ。私が本当は、推しの姿になってしまっただけの一般人ホロリスだなんて、誰も知らない。知られてたまるかという話でもある。

 

「ロード・ホウショウ」

 

背後から硬い声が飛んできた。

 

振り向くと、オルガマリー・アニムスフィアが眉間に深い皺を刻んで立っていた。若くしてカルデアの所長となった少女。気位が高く、責任感が強く、いつも誰かに追い立てられているような顔をしている。

 

私は片手を上げた。

 

「Ahoy! 所長、本日も眉間が絶好調ですね」

 

「誰のせいだと思っているのよ。あなたが管制室にいると、職員の集中が乱れるの」

 

「えぇー? 船長、場を和ませてるだけなんですけど」

 

「その服装と態度で?」

 

「公式準拠ですぅ」

 

「またその謎の公式を持ち出すな!」

 

近くのスタッフが小さく咳き込んだ。笑いを堪えたのだろう。オルガマリーが鋭く視線を向けると、そのスタッフは即座に背筋を伸ばした。さすが所長。圧が強い。

 

ドレイクは楽しそうに腕を組んでいる。

 

「いいじゃないか。張り詰めすぎた船は、ちょっとした波で折れるもんだよ」

 

「サーヴァントにまで説教される覚えはありません。そもそも、あなたも本来なら待機でしょう。どうして当然のように顧問席にいるんですか」

 

「そりゃ、あたしはマリンのサーヴァントだからねぇ。マスターが出るなら、あたしも出る」

 

「カルデアは船ではありません」

 

「人類最後の航海に出るんだろう? なら、船みたいなもんさ」

 

軽口に聞こえるのに、不思議と冗談だけでは済まない響きがあった。オルガマリーもそれを感じたのか、言い返しかけた口を閉じる。

 

今日のカルデアは、特別な日だった。カルデアスによる未来観測、シバによる特異点観測、そしてレイシフト実験。説明だけ聞けば、人類の未来を守るための偉大な一歩だ。実際、カルデアの職員たちはその使命を信じて動いている。

 

けれど私は知っている。

 

この日、カルデアは爆破される。

 

人理焼却が始まり、未来は消え、レイシフト適性を持つマスター候補たちは壊滅的な被害を受ける。オルガマリーは命を落とし、マシュはデミ・サーヴァントとして目覚め、藤丸立香は焼け落ちた人理を修復する旅に出る。

 

知っている。

 

知っているからこそ、私はここにいる。

 

「……マリン」

 

オルガマリーの声が、少しだけ低くなった。

 

周囲に聞こえないよう、彼女は私の名を呼んだ。ロードでも、顧問でも、ふざけた年齢詐称海賊でもなく、ただマリンと。

 

「あなた、本当に何も隠していないでしょうね」

 

「隠し事のない十七歳なんて、魅力半減じゃないですか?」

 

「ふざけないで」

 

「ふざけてませんよ。船長、いつも真剣にふざけてます」

 

「それが一番信用ならないのよ」

 

その言葉は、いつもの棘をまとっていた。けれど、その奥には不安があった。幼い頃から見てきたから分かる。オルガマリーは、誰よりも自分を信用していない。自分が失敗することを恐れて、失敗を許されない場所に立ち続けている。

 

私は笑った。

 

笑って、彼女の肩に軽く手を置く。

 

「大丈夫ですよ、所長」

 

「何が?」

 

「今日は、爆発しません」

 

オルガマリーの目が細くなる。

 

「……今、何と言ったの?」

 

「いえいえ。船長の予感です。嫌な予感がすると言ったでしょう?」

 

「あなたの予感は、予感で済んだ試しがないのよ」

 

「えー、そんなことあります? 船長、普通の十七歳美少女海賊なんですけど」

 

「普通の十七歳美少女は時計塔でロード級扱いされないし、サーヴァントを連れてカルデアの顧問席に座らないわ」

 

「正論パンチはやめてもらっていいですか? 船長、物理より効くので」

 

そんなやり取りをしながらも、私は視界の端で管制室全体を見ていた。

 

職員の位置。マスター候補の配置。マシュ・キリエライトの姿。所在なげに立つ藤丸立香。彼らの表情、歩幅、緊張。全部を確認する。

 

そして、レフ・ライノールの位置も。

 

穏やかな顔をした男だった。知的で、親しげで、オルガマリーにとっては数少ない頼れる大人。カルデアの職員たちからも信頼されている。柔らかい言葉、丁寧な態度、研究者らしい理性。

 

その顔の裏にあるものを、私は知っている。

 

「ミス・ホウショウ」

 

レフがこちらに歩いてきた。いつも通りの穏やかな微笑みだった。

 

「本日は顧問としての立ち会い、ありがとうございます。あなたがいると、所長も少しは落ち着くようです」

 

「いやぁ、そうでしょうそうでしょう。船長、癒し系なので」

 

「癒し系?」

 

オルガマリーが本気で怪訝な顔をした。

 

「そこ、疑問形にしないでもらえます?」

 

レフは小さく笑った。その笑みは自然だった。あまりにも自然で、だからこそ気味が悪い。人を騙す顔というものは、もっと歪んでいてくれた方がありがたい。綺麗な顔で裏切られると、心がついていかない。

 

「ドレイク船長も、どうぞ本日は大人しくお願いしますよ」

 

「あたしに大人しくしろって? そいつは難しい相談だ」

 

「実験中に砲撃などされたら困りますので」

 

「撃つ相手がいなけりゃ撃たないさ」

 

ドレイクの目が、笑ったままレフを見ていた。

 

その視線に気づいたのか、レフは一瞬だけ沈黙する。だが、すぐに柔らかな笑みへ戻った。さすがだと思う。私なら、ドレイクにあんな目で見られた時点で「すみません全部白状します」と言ってしまう自信がある。

 

情けない? いや、一般人メンタルなんてそんなものだ。

 

管制室のアナウンスが響いた。

 

レイシフト実験の最終確認が進んでいく。各セクションから報告が上がるたび、職員たちの緊張が増していった。モニターに映る数値は安定している。カルデアスは青く輝き、シバの観測情報が流れ、未来の保証を示すはずの光が室内を照らす。

 

私は、胸の奥が少しずつ冷えていくのを感じていた。

 

来る。

 

本来なら、ここで来る。

 

床下、壁面、機材裏、魔力配線の影。人間が見落としやすい場所に仕込まれた悪意が、一斉に牙を剥く。白い管制室は炎と瓦礫に変わり、悲鳴が響き、運命が原作通りに転がり始める。

 

だから、私は先に動いた。

 

この数日間、笑いながら施設を歩き回った。職員に差し入れを配り、若いスタッフに軽口を叩き、オルガマリーに怒られ、ドレイクに笑われながら、カルデア中を見て回った。怪しまれない程度に。いや、だいぶ怪しまれたかもしれないが、そこはロード・ホウショウの奇行ということで押し通した。

 

そして見つけた。

 

全部、見つけた。

 

爆弾そのものだけではない。魔術的な起爆経路、予備回線、偽装された信号、管制系に仕込まれた遅延術式。正直、途中で胃が痛くなった。これを全部見つけて解除するなんて、普通の一般人ホロリスにやらせることじゃない。

 

でも、やった。

 

やらなければ、死ぬ人間を知っていたから。

 

「カウント開始」

 

誰かが告げた。

 

十。

 

私は口角を上げた。

 

九。

 

ドレイクが隣で片手を腰に当てる。

 

八。

 

オルガマリーがモニターを睨む。

 

七。

 

マシュが緊張した顔で立っている。

 

六。

 

藤丸立香が、よく分からないまま息を呑んでいる。

 

五。

 

レフは笑っている。

 

四。

 

私の指先が、わずかに震えた。

 

三。

 

怖い。

 

二。

 

でも、笑え。

 

一。

 

船長なんだから。

 

ゼロ。

 

何も起きなかった。

 

管制室は静かだった。爆音もない。炎もない。天井が崩れる音もない。職員の悲鳴もない。ただ、レイシフト実験の開始を告げる電子音だけが、冷たい空気の中に響いた。

 

数秒、誰も異常に気づかなかった。

 

予定通りに進んでいる者にとって、予定外の不発は異常に見えない。職員たちはモニターを確認し、数値を読み上げ、所長は眉間に皺を寄せたまま指示を続けている。

 

ただ一人。

 

レフ・ライノールだけが、表情を失った。

 

ほんの一瞬だった。けれど、私には見えた。穏やかな笑みの奥で、何かが崩れる音がした気がした。

 

ドレイクが、低く笑う。

 

「おや。嵐が来ると思ったが、帆が破れないねぇ」

 

「船長、言ったでしょう?」

 

私は、できるだけ軽く言った。

 

「今日は爆発しませんって」

 

オルガマリーがこちらを見る。レフもこちらを見る。管制室の何人かが、不穏な空気に気づき始める。

 

私は手を叩いた。

 

乾いた音が、妙に大きく響いた。

 

「はいはい、皆さん注目ー。カルデア顧問、宝鐘マリンから大事なお知らせです」

 

「マリン、あなた何を――」

 

「本日このカルデアに仕掛けられていた爆発物、および関連術式、起爆系統、予備信号、全部まとめて撤去済みです」

 

管制室が凍った。

 

誰かが息を呑んだ。誰かが椅子を鳴らした。オルガマリーの顔から血の気が引いていく。マシュは目を見開き、藤丸立香は状況を理解しきれないまま周囲を見回していた。

 

私は笑い続ける。

 

笑っていないと、声が震えるから。

 

「いやぁ、危なかったですねぇ。さすがに船長も、カルデア爆散配信はちょっと刺激が強すぎるかなって」

 

「ふざけている場合なの!?」

 

オルガマリーの怒鳴り声が響いた。

 

「爆発物? 撤去済み? どういうことよ、マリン!」

 

「言葉通りです。誰かさんがカルデアを吹き飛ばそうとしてました。なので、船長がこっそり全部外しておきました」

 

「なぜ報告しなかったの!」

 

「報告したら、仕掛けた本人に逃げられるかもしれないじゃないですか」

 

その瞬間、視線が一斉に動いた。

 

私が見ている先へ。

 

レフ・ライノールへ。

 

彼はまだ笑っていた。表面だけは。けれど、その笑みは先ほどまでとは違っていた。柔らかさが剥がれ、薄い膜のようなものだけが顔に張りついている。

 

「ミス・ホウショウ」

 

レフが静かに口を開いた。

 

「それは、随分と物騒な冗談ですね」

 

「冗談だといいんですけどねぇ」

 

私は肩をすくめた。

 

「でも船長、こう見えて顧問なので。カルデアの安全管理くらいはしますよ。十七歳だけど」

 

「十七歳は関係ないわよ!」

 

オルガマリーのツッコミが飛んだ。正直、助かった。空気が重くなりすぎる前に、いつもの音が入った。こういう時、人は日常の名残にしがみつける。

 

でも、レフは違った。

 

彼の視線は、もうオルガマリーを見ていなかった。私だけを見ていた。観察するように。測るように。計画外の異物を、どのように処理するか考える目だった。

 

ああ、嫌だな。

 

私は内心で呟く。

 

本当に嫌だ。こういう目は嫌いだ。神代でも、時計塔でも、何度も見た。人を人として見ない目。使えるか、邪魔か、壊せるかだけを測る目。

 

私は宝鐘マリンの顔で笑う。

 

中身の私は、今すぐ逃げたい。

 

「ドレイクさん」

 

「なんだい、マスター」

 

「たぶん、ここから荒れます」

 

「ようやくかい。待ちくたびれたよ」

 

ドレイクは笑いながら、一歩前に出た。その背中が、妙に大きく見えた。本物の船長は、嵐の前でも怯えを見せない。いや、怯えないのではなく、怯えたまま進む方法を知っているのかもしれない。

 

私はまだ、そこまで強くない。

 

だから演じる。

 

推しの姿を借りた、十七歳の船長を。

 

「レフ教授」

 

私は彼の名を呼んだ。

 

「これ以上、所長の前でいい人の顔を続けるの、疲れません?」

 

管制室の空気が、音を立てずに変わった。

 

レフの笑みが消える。

 

ほんの少しだけ、口角が下がる。それだけで、別人のように見えた。今まで穏やかだった男の目に、底冷えするような色が宿る。

 

オルガマリーが息を呑んだ。

 

「レフ……?」

 

彼女の声は、信じたくないものを前にした子どものように細かった。

 

胸が痛む。

 

私はその声を聞きたくなかった。だからこそ、今日を変えたかった。爆発を止めたかった。少なくとも、何も知らないまま奪われる結末だけは避けたかった。

 

けれど、未来は完全には止まらない。

 

カルデアスの警報が鳴った。

 

一つ、二つ、三つ。管制室のモニターが赤く染まっていく。未来観測の数値が乱れ、シバのログが異常を吐き出し、職員たちが次々に声を上げる。

 

「未来観測、異常!」

 

「カルデアスの表示が――赤に!」

 

「西暦以降の人類史、観測不能!」

 

爆発は起きなかった。

 

だが、人理は燃え始めた。

 

私はモニターを見上げた。赤い光が視界に広がる。その色は炎に似ていた。どこか遠い時代で見た夕焼けにも似ていた。けれど、その記憶に触れた瞬間、胸の奥で何かが軋む。

 

いけない。

 

まだ、そこを開けるな。

 

今は、そこじゃない。

 

私は息を吸った。

 

「……マリン?」

 

ドレイクが横目で私を見る。

 

「大丈夫です」

 

声は笑えていたと思う。

 

「まだ、沈んでませんから」

 

レフが低く笑った。

 

それはもう、レフ・ライノールの顔をした誰かの声だった。

 

私は彼を見据える。怖い。逃げたい。泣きたい。なんで自分がこんなところにいるのか、今でもたまに分からなくなる。

 

それでも、ここはカルデアだ。

 

ここには、まだ死なせたくない人たちがいる。

 

「総員、非常体制」

 

私は顧問席から一歩前に出た。

 

「所長、指揮を。職員は観測異常の解析。マシュさん、藤丸さんの近くへ。ドレイクさん、いつでも撃てるように」

 

「命令が板についてきたじゃないか、マスター」

 

「やめてください。内心めっちゃ手汗やばいです」

 

「そいつはいい。生きてる証拠だ」

 

ドレイクが笑った。

 

私は笑い返す。

 

宝鐘マリンとして。

 

偽物でも、今この瞬間だけは舵を握るために。

 

「さあ」

 

赤く染まる管制室の中で、私はレフを見た。

 

「答え合わせの時間です、教授」

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