宝鐘マリンになったホロリス、カルデアで人理を航海する 作:ホロリスのホロリスによるホロリスのたm
カルデアの管制室から、音が消えた。
実際には、警報は鳴り続けている。職員たちの声も飛んでいる。カルデアスの表示異常、シバの観測乱れ、通信系統の混線、霊子演算の暴走。いくつもの報告が重なり、管制室は一瞬で戦場のようになっていた。
それでも、私には音が遠かった。
赤く染まったモニターの光が、床に、壁に、人の顔に反射している。爆発は防いだ。瓦礫も炎もない。誰も吹き飛ばされていない。けれど、人類の未来を示すはずのカルデアスは、まるで燃え尽きた星のように赤い。
「西暦以降の人類史、観測不能! カルデアス内、未来領域の保障が消失しています!」
「シバの観測値が戻りません! 特異点反応、冬木市に集中!」
「レイシフト筐体の霊子接続に異常! マスター候補の安全確認を急いでください!」
職員の叫び声が遅れて耳に届く。
私は息を吐いた。大丈夫。まだ大丈夫だ。爆弾は止めた。少なくとも、原作で失われるはずだった命は、まだここにある。なら、次にやるべきことは決まっている。
「所長、指揮を!」
「分かっているわ!」
オルガマリーが叫び返す。顔は青ざめていたが、声は折れていなかった。いい。そこが彼女の強さだ。どれだけ追い詰められても、所長として立とうとする。
「医療班はマスター候補の確認! 管制班はレイシフト筐体を切り離しなさい! カルデアスの異常推移を記録、シバの観測補正を急いで!」
「了解!」
指示が飛び、職員たちが動き出す。その光景を見て、ほんの少しだけ胸が軽くなった。オルガマリーは生きている。職員たちも動けている。カルデアは沈んでいない。
けれど、沈めようとした男は目の前にいる。
「素晴らしい」
レフ・ライノールが拍手した。
乾いた音が、警報の中でもやけにはっきり響いた。彼はゆっくりと手を叩きながら、私を見ている。先ほどまでの穏やかな研究者の顔はもうない。口元は笑っているのに、目だけが冷たい。
「いや、本当に素晴らしい。まさか仕掛けを全て取り除かれていたとは。ミス・ホウショウ、いえ、ロード・ホウショウと呼ぶべきかな。君は私の想定よりもずっと厄介だ」
「褒め言葉として受け取っておきますねぇ。十七歳なので褒められると伸びます」
「この状況でまだそれを言うのかい」
「言いますよ。船長なので」
軽口を返しながら、私はレフの足元を見る。彼の重心、肩の向き、指先の動き、魔力の流れ。そういうものを自然に見ている自分が、少し嫌になる。私は本来、こんな見方をする人間じゃなかったはずなのに。
ドレイクが私の横に並んだ。
「マスター、撃つかい?」
「まだです。撃つなら、ちゃんと当てられる距離でお願いします」
「いいねぇ。大人しく逃がす気はないって顔だ」
「逃げられると困りますから。主に精神衛生上」
「はっはっは! そいつは大事だ」
ドレイクは笑っている。けれど、その手はもう銃へ伸びていた。彼女の笑いは軽い。だが、軽いまま敵を撃てる。それが本物の海賊だ。私はまだ、その域にはいない。
「レフ……」
オルガマリーの声が震えた。
「あなた、何をしているの。これは、あなたがやったの?」
「ええ、所長。もっとも、本来なら今ごろ君はここに立っていないはずだったのだが」
その一言で、オルガマリーの表情が固まる。
私は奥歯を噛んだ。言葉にするな。そう思った。けれどレフは、そういう顔をしていた。相手の心を踏みにじることを、必要な手順としか思っていない顔。
「どういう、意味よ」
「そのままの意味だ。カルデアはここで壊れるはずだった。レイシフト適性者たちはまとめて処分され、君もまた、アニムスフィアの未熟な後継者として終わるはずだった。そうすれば、人理焼却の計画はより滑らかに進行した」
「処分……?」
オルガマリーの唇がわずかに震えた。
「あなた、私たちを……カルデアを、最初から……」
「君が何を思っていたかなど、些末なことだよ。重要なのは、人類史が不要になったという事実だ」
言葉が管制室に落ちた。
誰もすぐには反応できなかった。人類史が不要。そんな言葉を、人間の顔をした男が平然と口にした。その異常さに、職員たちの動きが一瞬止まる。
私の中で、何かが冷えていく。
怖い。確かに怖い。今すぐ逃げたい。でも、それよりも腹が立った。オルガマリーを見下したことに。マスター候補を処分と言ったことに。命を、計画上の邪魔な数字みたいに扱ったことに。
「レフ教授」
私は一歩前に出た。
「所長に謝ってもらっていいですか?」
レフが目を細めた。
「謝る?」
「はい。今なら船長、まだ温情ありますよ。土下座までは要求しません。いや、してくれたら動画映えしそうですけど」
「君は、自分が何を相手にしているのか分かっていない」
「分かってますよ」
笑う。
笑えている。
「最低の裏切り者です」
レフの顔から、完全に笑みが消えた。
次の瞬間、管制室の床に黒い魔力が走った。爆弾ではない。もっと直接的な、魔術式の展開。赤い警報光の下で、床面に刻まれた見えない線が歪み、空間そのものが軋む。
「総員、下がって!」
オルガマリーの声と同時に、ドレイクが銃を抜いた。
砲声。
室内に鳴るにはあまりにも大きすぎる音が、管制室の空気を叩き割った。魔弾が床の術式を撃ち抜き、黒い線が弾ける。職員たちが悲鳴を上げて伏せ、モニターの一部が火花を散らした。
「おっと、施設は壊さない方向でお願いします!」
「無茶言うんじゃないよ、マスター。敵が室内で変なもん広げてるんだ」
「カルデア修繕費、船長のポケットマネーじゃ足りません!」
「なら敵に請求しな!」
ドレイクは二発目を撃つ。レフは片手を上げ、魔力の障壁で弾いた。弾丸が砕け、火花が散る。けれど、衝撃は彼を一歩後ろへ下がらせた。
その一歩を、私は見逃さなかった。
「マシュさん!」
「は、はい!」
「藤丸さんを連れて、所長の後ろへ! 今は前に出ない!」
「分かりました!」
マシュが藤丸立香の腕を引く。藤丸は混乱しながらも、すぐに頷いて動いた。いい判断だ。足がすくんでいない。一般人にしては、あまりにも肝が据わっている。
レフの視線が藤丸へ動いた。
「ほう。彼が残るのか。予定外だな。だが、所詮は数合わせの一般人だ」
「その一般人を舐めて痛い目見るの、悪役あるあるですよ?」
「君の口はよく回る」
「売りなので」
口は回る。声も出る。けれど、足の裏は冷たい。手汗もひどい。心臓はうるさいくらい鳴っている。私はドレイクのように戦いを楽しめない。戦闘経験がどれだけ積み重なっても、中身のどこかはずっと一般人のままだ。
それでも、前に出る。
そう決めた。
レフが片腕を広げる。空間が裂けるように揺れた。人間の魔術師が展開する魔術とは違う。これは、人の形をした何かが、内側に隠していた別の構造を外へ漏らしているような気配だった。
「爆破を防いだ程度で勝った気にならないことだ。人理焼却はすでに始まっている。カルデアが多少残ったところで、未来は燃え尽きる」
「でしょうね」
私は答えた。
「だから、あなたを捕まえて吐かせます」
「できると?」
「できないと困るんですよ。こっちは予定が狂ってるんです。いや、狂わせたのは船長なんですけど」
ドレイクが笑った。
「マリン、無駄口が増えてるよ」
「緊張すると喋るタイプなんです」
「知ってるさ」
その声が妙に優しかった。
次の瞬間、レフが動く。黒い魔力の奔流が、ドレイクではなくオルガマリーへ向かった。最初から彼女を狙っていた。計画が崩れた以上、せめて予定されていた死を取り戻すつもりか。
「所長!」
オルガマリーが反応するより早く、私は短銃を抜いた。
海賊らしく、派手に。震えを誤魔化すように引き金を引く。撃ち出したのは通常弾ではなく、魔術式の継ぎ目に食い込むよう調整した礼装弾。狙いはレフ本人ではない。彼が広げた黒い魔力の流れ、その一点だけだ。
銃声が跳ねる。
黒い奔流の表面が一瞬だけ乱れた。そこへ、私は煙幕弾を床へ叩きつける。白い煙が広がり、赤い警報光をぼかす。職員たちの視界を切り、レフの照準もずらす。
「小細工を!」
レフの声が煙の向こうで歪む。
「小細工上等! 海賊ですからね!」
私は叫び返しながら、左手の短剣を抜いた。綺麗な剣術ではない。短銃で崩し、煙で隠し、短剣で隙間へ入る。正面から勝てない相手の姿勢を崩して、味方の火力へ繋げる。私に許された、船長らしい戦い方。
けれど、最後の一歩だけが違った。
煙の中で、足音が消えた。
自分でも分かる。踏み込む角度が変わった。呼吸が薄くなった。視界が狭まり、相手の首ではなく、障壁の継ぎ目だけが見える。軽口が喉の奥で途切れ、指先から余計な力が抜ける。
それは海賊の喧嘩ではなかった。
死地を歩く者の足運びだった。
短剣の切っ先が、レフの障壁に触れる。滑る。弾かれそうになる。けれど私は、銃弾で乱したわずかな綻びへ刃を押し込んだ。
硬い感触。
次に、砕ける音。
レフの障壁が割れた。
「な――」
レフの目が見開かれる。
私は踏み込む。もう一歩。近すぎる距離。相手の息が分かる距離。怖い。怖い。怖い。でも、止まるな。止まったら死ぬ。止まったら奪われる。止まったら、また誰かがいなくなる。
短剣はレフの肩口を斬った。
深くはない。殺すための一撃ではなかった。殺せなかった、と言った方が正しい。私はまだ、そこまで踏み越えられない。けれど、十分だった。レフの身体が大きく傾き、黒い魔力が乱れる。
ドレイクの銃声が重なった。
弾丸がレフの足元を撃ち抜く。床が弾け、彼の退路が一瞬ずれる。私はそのまま追撃しようとして、膝がわずかに揺れた。
「マリン!」
ドレイクの声で我に返る。
息が詰まる。視界が一瞬、赤から白へ飛びかけた。まずい。今の一歩で、変なところを開けた。まだ出すつもりのないものが、煙の奥からこちらを見ていた気がする。
レフは肩を押さえながら、私を見る。
その顔には怒りよりも、驚愕があった。
「君は……何だ。今の足運びは、海賊のものではない」
「十七歳美少女海賊の嗜みです」
声が少し遅れて戻ってくる。
「今の動きのどこに海賊要素があったというのよ!」
オルガマリーが叫んだ。無事だ。ちゃんと生きている。なら、それでいい。
私は振り向かずに答える。
「所長、ツッコミできるなら元気ですね」
「あなたが無茶をするからでしょう!」
「いやぁ、船長なので」
「その言い訳、万能だと思ってない!?」
レフが笑った。
今度の笑いには余裕がなかった。肩口から黒いものが滲んでいる。血ではない。少なくとも、人間の血には見えなかった。
「なるほど。君は単なる神代帰りではない。いや、神代帰りという言葉で片付けるには、あまりにも歪だ」
「女性に歪とか言うの、モテませんよ教授」
「私は感心しているんだよ。実に不可解だ。宝と海の匂いに紛れて、死の影がある。君は何を抱えている?」
その言葉に、胸の奥が冷えた。
死の影。
余計なところまで触れられた。いや、まだ見抜かれてはいない。だが、隠している荷物の輪郭を、指でなぞられたような不快感がある。
ドレイクが私の前へ半歩出た。
「それ以上、うちのマスターを品定めするんじゃないよ」
「うちの、か。サーヴァントに庇われるロードとは、実に愉快だ」
「庇われるのもマスターの仕事ですぅ」
「開き直るんじゃないわよ!」
オルガマリーの声が入る。私はそこでようやく、少しだけ息ができた。
レフは一歩下がった。捕まえるべきだった。追うべきだった。けれど、身体がまだ言うことを聞かない。さっきの踏み込みで、体力ではなく精神の芯を削った感覚がある。
ドレイクが銃口を向ける。
「逃がさないよ」
「逃げる? いいや、予定を修正するだけだ」
レフの背後で空間が歪んだ。カルデアの機器が悲鳴のような音を立てる。シバの観測ログが激しく流れ、冬木市の座標がモニターに浮かび上がった。
「特異点F……!」
ロマニ・アーキマンの声が通信に混ざる。いつの間にか回線が繋がっていたらしい。彼の声はいつもの柔らかさを失っていた。
「レフ、君は何をするつもりだ!」
「ドクター。君も生きているか。いや、これはこれで面白い。カルデアが完全には沈まず、予定外の駒が残った。ならば、最初の火種を利用するまでだ」
「逃げる気ですか!」
私は短剣を握り直す。右手の短銃には、まだ弾が残っている。だが、指先が震えていた。さっきの一歩をもう一度やれば、たぶん追いつける。けれど、それを今やっていいのか分からない。
レフは笑った。
「追ってくるといい、ロード・ホウショウ。いや、宝鐘マリン。君がどれほど足掻こうと、人理はすでに燃えている」
「っ、ドレイクさん!」
「分かってる!」
ドレイクが撃つ。
弾丸が走る。だが、それより一瞬早く、レフの身体が歪んだ空間へ沈んだ。撃ち込まれた弾丸は黒い裂け目を削り、火花を散らす。レフの姿が揺らぎ、最後にその目だけがこちらを見た。
「君の航海が、どこで沈むか楽しみにしているよ」
次の瞬間、レフは消えた。
管制室に残ったのは、赤い警報光と、焼ける未来を示すカルデアスと、床に残った黒い痕跡だけだった。
誰もすぐには動けなかった。
オルガマリーが膝をつきかける。私は慌てて支えようとしたが、その前にマシュが駆け寄った。
「所長!」
「平気よ……平気。まだ、倒れるわけにはいかないでしょう」
声は震えていた。けれど、彼女は立った。立とうとしていた。だから私は、冗談を言うことにした。今この場に、日常の名残が必要だったから。
「所長、今の立ち姿、かなり主人公感ありましたよ」
「褒めているの、それ」
「もちろんです。船長、こう見えて褒め上手なので」
「信用ならないわね」
オルガマリーはそう言って、息を整えた。
通信越しに、ロマンの声が飛ぶ。
「状況を整理しよう。レフは特異点Fに逃走。人理焼却は継続中。カルデアスの未来保障は消失。マスター候補たちの安否確認も必要だ。マリン、君は動ける?」
「動けます」
即答した瞬間、ドレイクが私の肩を掴んだ。
「嘘だね」
「ドレイクさん?」
「あんた、今の一歩でかなり削っただろう。足元が少し浮いてる」
「浮いてませんよ。船長はいつでも地に足ついた十七歳です」
「そういう冗談は、もう少し顔色を戻してから言いな」
反論できなかった。
オルガマリーもこちらを見る。マシュも、藤丸も。視線が痛い。やめてほしい。そんな顔をされると、普通に弱いところが出そうになる。
だから、私は笑った。
「大丈夫です。沈むにはまだ早いので」
ドレイクは少しだけ目を細めた。
「なら、次の波に備えな。マスター」
「はい」
私は頷いた。
今はまだ、誰も死んでいない。けれど、人理は燃えている。レフは逃げた。特異点Fが口を開けて待っている。マスター候補たちの状態も確認しなければならない。やることは山ほどある。
逃げたい気持ちは、まだ胸の中にある。
それでも、ここで舵を離すわけにはいかない。
私は赤く染まったカルデアスを見上げた。
「教授」
もうそこにいない裏切り者へ向けて、私は小さく呟く。
「船長、追いかけるのは得意じゃないんですけどね」
横でドレイクが笑う。
「なら、今から覚えりゃいい。航海ってのは、だいたい予定外から始まるもんさ」
「本物の船長理論、スパルタすぎません?」
「褒め言葉だね」
私は苦笑した。
怖い。だけど、笑える。なら、まだ大丈夫だ。
「総員、状況確認を続行。特異点Fへの追跡準備に入ります」
オルガマリーが顔を上げる。
「マリン、あなたにも後で全部説明してもらうから」
「えぇー、船長の秘密は高いですよ?」
「請求先はカルデアでいいわ」
「やったぁ、経費で落ちる!」
「落ちるわけないでしょう!」
怒鳴る声が戻った。
それでいい。
私は短銃を収め、短剣を袖の奥へ滑り込ませる。今の一歩は、まだ誰にも説明できない。あの足運びも、あの静けさも、煙の奥で触れた死の気配も。いつかは向き合わなければならない。けれど、それは今ではない。
今は、出航の準備をする時だ。
爆発しなかったカルデアで、人理は燃えた。
ならば次は、燃える未来へ追いつく番だった。