宝鐘マリンになったホロリス、カルデアで人理を航海する   作:ホロリスのホロリスによるホロリスのたm

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17歳船長と所長

 

 

カルデアの医療区画は、管制室よりもさらに白かった。

 

清潔な壁、無機質な照明、透明な隔離ガラス。そこに並ぶベッドの上で、マスター候補たちが眠っている。爆発は起きなかった。炎に呑まれた者はいない。けれど、全員が無傷で済んだわけではなかった。

 

霊子筐体から逆流した汚染。管制系に残された術式の残滓。人理焼却が発動した瞬間にカルデア全体を叩いた、目に見えない衝撃。その全部が、彼らの身体と精神を内側から揺さぶっている。

 

私はガラス越しに、その光景を見ていた。

 

「……生きてるだけ、マシなんでしょうけどね」

 

口にした瞬間、その言い方が嫌になった。生きているだけでいい、なんて簡単に言えるはずがない。彼らには彼らの人生があって、誇りがあって、役割があった。全員が人理修復のために集められたマスター候補だ。とくにAチームは、カルデアの切り札になるはずだった。

 

その切り札たちは今、ベッドの上で眠っている。

 

「マシ、ではないわ」

 

隣に立つオルガマリーが言った。

 

白衣を羽織った医療スタッフたちが慌ただしく行き来する中で、彼女はまっすぐガラスの向こうを見ていた。顔色はまだ悪い。レフの裏切りを目の前で知ったばかりだ。それでも、所長として立つ姿勢だけは崩していない。

 

「これは、私の失態よ。カルデアの所長として、私はレフを信用していた。施設内に仕掛けられた術式にも気づけなかった。あなたがいなければ、全員死んでいた」

 

「所長」

 

「慰めはいらないわ」

 

「慰めじゃないです」

 

私は腕を組み、できるだけ軽い声を作った。

 

「今の発言、自己採点が厳しすぎます。船長基準だと減点対象ですね」

 

オルガマリーがこちらを睨む。

 

「この状況で採点?」

 

「大事ですよ。落ち込んでる時ほど、雑な自己評価って危険なんです。所長、自分を責める時だけ計算が雑になりますから」

 

「あなたに言われたくないわ。普段から全部ふざけて誤魔化しているくせに」

 

「船長、誤魔化しのプロなので」

 

「誇るところじゃない」

 

いつものように返してくる声は鋭かった。けれど、その奥にある震えは消えていない。オルガマリーは強い。強くあろうとしている。だが、強くあろうとする人間ほど、自分の傷を無視する。

 

私は、それを昔から知っていた。

 

遠い昔ではない。神代の話でも、王の話でもない。もっと近い時代の、霧の深い街の記憶だ。

 

時計塔の廊下は、今の医療区画とは違う白さをしていた。磨かれた石の床、古い魔術礼装の匂い、血筋と派閥と成果で人間の価値が決まる空気。その隅で、小さな少女が一人、泣かないように唇を噛んでいた。

 

泣けば負けだと思っている顔だった。

 

私はその時も、今と同じ姿をしていた。赤い外套に、海賊帽。時計塔の厳かな空気からは笑えるくらい浮いていた。いや、実際かなり浮いていたと思う。廊下を通る魔術師たちの視線が痛かった。

 

それでも、私は少女の前にしゃがみ込んだ。

 

『泣かないんですか?』

 

少女は、きっと私を睨んだ。

 

『泣いてないわ』

 

『まだ何も言ってませんよ?』

 

『今、言ったでしょう』

 

『あっ、たしかに』

 

その時の彼女は、今よりずっと小さかった。けれど、目だけは同じだった。誰にも弱さを見せまいとする目。自分が傷ついていることを認めたら、その場で何かが終わってしまうと思い込んでいる目。

 

私は、そういう目に弱い。

 

だから、その少女の前で笑った。

 

『じゃあ、泣いてない記念に飴いります?』

 

『いらないわ。子ども扱いしないで』

 

『いやぁ、船長も十七歳なので、子ども扱いされる側なんですけど』

 

『嘘つき』

 

『バレたかぁ』

 

少女は、ほんの少しだけ呆れた顔をした。泣きそうな顔より、ずっとよかった。

 

その子の名前が、オルガマリー・アニムスフィアだった。

 

「マリン?」

 

呼ばれて、意識が現在へ戻る。

 

オルガマリーが眉を寄せて私を見ていた。

 

「何をぼうっとしているの」

 

「いえ、所長の昔を思い出してました」

 

「忘れなさい」

 

「早い」

 

「あなた、ろくなことを覚えていないもの」

 

「失礼な。船長、結構いい思い出も大事にしてますよ。たとえば、所長が昔、飴を受け取らないと言いながら結局ポケットに入れて――」

 

「忘れろと言ったでしょう!」

 

勢いよく遮られた。耳まで少し赤くなっている。よかった。怒れるなら、まだ大丈夫だ。

 

医療スタッフが数名、こちらをちらりと見てすぐに目を逸らした。所長とロード・ホウショウの口喧嘩は、カルデアではそれなりに見慣れた光景なのだろう。私としては、これくらい日常の音が戻ってくる方がありがたい。

 

その時、背後から軽い足音が近づいてきた。

 

「おやおや、雰囲気が少しだけ戻ってきたね。いいことだ」

 

ロマニ・アーキマンが端末を抱えて立っていた。顔には疲れが見える。さっきから管制、医療、解析を行き来しているのだから当然だ。軽い口調を保っているが、目の下には濃い影が落ちていた。

 

「ドクター、状況は?」

 

オルガマリーが問うと、ロマンは表情を引き締めた。

 

「マスター候補たちの生命維持は安定している。ただし、レイシフトは全員しばらく無理だ。Aチームも同じ。カドックくんは近いうちに意識が戻る可能性があるけど、前線に出すのは危険だね。キリシュタリアくんは封印治療が必要になる」

 

「……そう」

 

オルガマリーの指先が、わずかに震えた。

 

「全員、生きてはいるのね」

 

「うん。マリンのおかげでね」

 

ロマンの言葉に、私は肩をすくめた。

 

「いやぁ、船長、爆弾処理配信は初だったんですけどね。意外となんとかなりました」

 

「初めてで全爆弾処理するんじゃないわよ」

 

「所長、そこ怒るところなんです?」

 

「怒るところよ。なぜ事前に相談しなかったの」

 

「相談したら止められるか、レフに漏れるか、所長が無茶するかの三択だったので」

 

「三つ目は何よ」

 

「心当たりありません?」

 

オルガマリーは黙った。

 

あったらしい。

 

ロマンが困ったように笑う。

 

「まあ、その件は後でしっかり事情聴取するとして、今は特異点Fだ。レフはそこへ逃げた。シバの観測によれば、冬木市は異常な炎上状態にある。人理焼却の起点か、少なくとも重要な楔である可能性が高い」

 

「追うしかないわね」

 

オルガマリーが即答した。

 

ロマンの顔が曇る。

 

「所長、本当に行くつもりなのかい?」

 

「行くわ」

 

「君はカルデアに残るべきだ。指揮系統も、施設の復旧も、マスター候補の管理もある。君が現場へ出るのは危険すぎる」

 

「危険なのは分かっている。でも、私だけここに残って安全な場所から命令するなんてできない」

 

「それは感情論だよ」

 

「そうよ」

 

オルガマリーはロマンを見た。

 

「でも、感情のない所長に、今のカルデアがついてくると思う?」

 

ロマンは言葉に詰まった。

 

私も、何も言えなかった。

 

彼女は分かっている。自分が行くことの危険を。所長が現場へ出る愚かさを。レイシフト適性の問題も、特異点の危険も、全部分かっている。その上で、ここに残って震えている自分を許せないのだ。

 

それは正しい判断ではない。

 

けれど、人間としては分かってしまう。

 

ドレイクなら、たぶん笑って背中を押すだろう。海に出たいやつを港に縛りつけても、ろくなことにならないと言うはずだ。実際、さっき似たようなことを言っていた。

 

私は額に手を当てた。

 

「所長、ひとつ確認です」

 

「何」

 

「行きたい理由は、レフを追うため? 責任を取るため? それとも、自分がここに残るのが許せないから?」

 

オルガマリーは少しだけ目を伏せた。

 

「全部よ」

 

「欲張りですねぇ」

 

「あなたほどじゃないわ」

 

「それはそう」

 

即答すると、オルガマリーが呆れた顔をした。ロマンも微妙な顔をしている。いい。空気が重くなりすぎるよりはましだ。

 

私はガラスの向こうを見る。

 

眠るマスター候補たち。まだ目覚めないAチーム。彼らを置いて、特異点へ向かう。その事実は変わらない。彼らを守るためにも、今動ける人間が動くしかない。

 

そして、今動ける人間の中に、オルガマリーは含まれている。

 

含めたくないのに、含まれてしまっている。

 

「……分かりました」

 

私が言うと、ロマンが目を見開いた。

 

「マリン?」

 

「所長は連れて行きます」

 

「本気かい」

 

「本気です。ただし条件付き」

 

オルガマリーが腕を組む。

 

「言ってみなさい」

 

「前線に出ない。単独行動しない。私かドレイクさんの指示に従う。藤丸さんとマシュさんを責めない。怖い時は怖いと言う。あと、無茶したら船長が全力で回収します」

 

「多いわね」

 

「所長、前科ありそうなので」

 

「ないわよ」

 

「これから作りそうなので」

 

「失礼すぎない?」

 

「愛です」

 

「その言葉で誤魔化せると思わないで」

 

オルガマリーは眉を吊り上げたが、否定はしなかった。条件を飲む気はあるのだろう。ロマンはまだ渋い顔をしていたが、彼女を止める言葉を探しきれずにいる。

 

私は声の調子を少し落とした。

 

「ドクター。所長をここに残しても、たぶん心だけ特異点へ行きます。そうなると、管制にも治療にも集中できない。なら、目の届く場所にいてもらった方がいい」

 

「君は……どうしてそこまで所長を分かっているんだい」

 

ロマンの問いに、オルガマリーがこちらを見る。

 

私も彼女を見る。

 

一瞬、時計塔の廊下が頭をよぎった。泣かない少女。飴を受け取らないと言いながら、結局ポケットに入れた小さな手。大人たちの期待と評価に押し潰されそうになりながら、それでも顔を上げていた子ども。

 

それを、ここで言うつもりはなかった。

 

「船長なので」

 

私は笑った。

 

「船員の顔色を見るのは得意なんです」

 

「私はあなたの船員になった覚えはないわ」

 

「えー? じゃあ所長枠のゲスト乗船ということで」

 

「何なのよ、その枠」

 

「特別待遇ですよ。チケット代は高めです」

 

「請求したら減給するわよ」

 

「カルデア顧問って減給あるんですか?」

 

「作るわ」

 

「職権乱用!」

 

ロマンが小さく笑った。

 

その笑いに、少しだけ救われる。誰も笑えない状況で、無理にでも笑う。その行為が意味を持つことを、私は長い時間の中で学んでいた。笑いは現実を変えない。でも、次の一歩を踏み出すための息継ぎにはなる。

 

医療区画の扉が開き、マシュと藤丸が入ってきた。

 

マシュはまだ少し顔色が悪い。藤丸も緊張している。けれど、二人とも立っていた。逃げずに、ここへ来た。

 

「マリンさん、所長、ドクター」

 

マシュが頭を下げる。

 

「特異点Fへの準備について、指示を受けに来ました」

 

藤丸も続いて頭を下げた。

 

「自分も、お願いします。分からないことだらけですけど……行くと決めました」

 

オルガマリーが藤丸を見る。

 

その目は厳しかった。だが、そこに見下しはなかった。藤丸が一般人であることも、未熟であることも理解している。それでも、今のカルデアに必要な前線マスターであることを認めようとしている。

 

「藤丸立香」

 

「はい」

 

「あなたは魔術師として未熟どころか、ほぼ素人よ。戦闘経験もない。特異点へ出れば、死ぬ可能性がある」

 

「はい」

 

「それでも行くのね」

 

藤丸は一度、拳を握った。

 

「怖いです。でも、行きます。自分にできることがあるなら」

 

オルガマリーはしばらく彼を見つめた。

 

そして、短く息を吐いた。

 

「いいわ。なら、私はあなたを正式に前線マスターとして認めます。ただし、勝手に死ぬことは許さない。カルデアの命令として、生きて帰りなさい」

 

藤丸の表情が変わる。

 

不安は消えていない。それでも、彼は背筋を伸ばした。

 

「はい。必ず戻ります」

 

その横で、マシュが静かに微笑んだ。

 

私はその姿を見て、胸の奥が少し痛んだ。マシュの中にある霊基反応は、さっきよりも落ち着いている。けれど、消えたわけではない。むしろ、藤丸の言葉に反応するように、奥で何かが静かに揺れている。

 

誰かを守りたいという意思。

 

それが、彼女の中に眠るものを呼び起こしている。

 

「マシュさん」

 

「はい」

 

「違和感があったらすぐ言ってください。胸の奥が熱いとか、視界が変だとか、知らない声が聞こえるとか」

 

マシュは少し驚いたように目を瞬かせた。

 

「知らない声、ですか?」

 

「例えです。例え。船長、心配性なので」

 

嘘ではない。だが、全部でもない。

 

マシュは真面目に頷いた。

 

「分かりました。異常があれば、すぐに報告します」

 

「お願いします。あと、藤丸さんを守ろうとして無茶しすぎるのも禁止です」

 

「それは……努力します」

 

「今ちょっと間がありましたね?」

 

「努力、します」

 

藤丸が苦笑した。

 

「自分も、マシュに守られてばかりにならないようにします」

 

「はい、いい返事です。船長ポイント加算です」

 

「そのポイント、何に使えるんですか?」

 

「今のところ何にも使えません」

 

「ないんですね」

 

「これから作ります」

 

ドレイクが扉にもたれて笑っていた。

 

「楽しそうじゃないか。出航前にしては上出来だ」

 

「ドレイクさん、準備は?」

 

「いつでも。あたしは海がなくても出られる女だよ」

 

「ライダーの説得力すごいですね」

 

「マスターも見習いな」

 

「船長、陸酔いするタイプなんですけど」

 

「それはただの運動不足だね」

 

「急に現実的な指摘やめてください」

 

いつもの調子で返しながら、私は内心で準備を整えていた。

 

短銃の弾倉。短剣の位置。煙幕弾。ロープ付きフック。礼装の予備。カルデア側のレイシフト補助。オルガマリーの保護術式。藤丸の生存優先。マシュの霊基異常の監視。ドレイクの火力運用。

 

そして、絶対に開けてはいけない奥の箱。

 

王の財宝は使わない。まだ早い。ウルクの記憶も、王の名も、ここで出すべきではない。初代ハサンの歩法も、できる限り抑える。今の私は、宝鐘マリンを演じるホロリスで、カルデアの顧問で、ドレイクのマスターだ。

 

それでいい。

 

それで、今は十分だ。

 

ロマンが端末を操作しながら言った。

 

「レイシフト準備にはもう少し時間がかかる。特異点Fの座標は冬木市。観測上は炎上汚染都市と呼ぶべき状態だ。通常の冬木ではない。何が起きるか分からない」

 

「分からないことだらけですねぇ」

 

私は笑った。

 

「でもまあ、航海ってだいたいそういうものらしいので」

 

ドレイクが満足そうに頷く。

 

「分かってきたじゃないか、マリン」

 

「本物に褒められると照れますね」

 

「照れてる暇があるなら、舵を握りな」

 

「はいはい」

 

私は一歩前に出た。

 

オルガマリー、藤丸、マシュ、ドレイク。ロマンの通信。医療区画に眠るマスター候補たち。まだ目覚めないAチーム。全員の視線が、ほんの少しだけこちらに集まる。

 

偽物でも、演技でも、今だけはその視線に応えなければならない。

 

「それでは、出航前の確認です」

 

私は指を一本立てた。

 

「藤丸さんは死なない。マシュさんは無茶しすぎない。所長は勝手に前に出ない。ドレイクさんはカルデアを壊しすぎない。船長は……まあ、いい感じに頑張ります」

 

「最後だけ雑ね」

 

「自分のことになると雑になるタイプなので」

 

オルガマリーが呆れたようにため息をつく。

 

「そこは直しなさい」

 

「前向きに検討します」

 

「直す気ないでしょう」

 

「バレたかぁ」

 

そのやり取りに、藤丸が少し笑った。マシュも、ほんの少し表情を和らげた。オルガマリーは怒った顔をしているが、その目の奥の震えは、さっきより小さくなっている。

 

よかった。

 

このくらいの空気なら、まだ出航できる。

 

ロマンの声が入る。

 

「レイシフト準備、最終段階へ移行する。みんな、管制室へ戻ってくれ」

 

「了解」

 

オルガマリーが先に歩き出す。藤丸とマシュが続き、ドレイクが私の横に並んだ。

 

「マスター」

 

「何ですか?」

 

「あんた、所長に甘いねぇ」

 

「そうですか?」

 

「ああ。かなり」

 

私は少しだけ黙った。

 

否定することはできた。いつものように、船長は誰にでも優しいんですぅ、とでも言えばよかった。けれど、何となくそれは違う気がした。

 

「昔、泣かない子だったんですよ」

 

気づけば、そんなことを言っていた。

 

ドレイクは何も言わず、ただ聞いていた。

 

「泣かないようにしてる子って、見てると心臓に悪いんです。だから、まあ……放っておけないだけです」

 

「そうかい」

 

「それだけです」

 

「そういうことにしておくよ」

 

ドレイクはそれ以上聞かなかった。

 

ありがたかった。

 

管制室へ戻る通路は、警報灯の赤に染まっていた。世界は燃えている。レフは逃げた。未来は消えた。それでも、カルデアにはまだ人がいる。笑う声も、怒鳴る声も、震えながら立つ足も残っている。

 

なら、まだ終わっていない。

 

私は赤い通路の先を見た。

 

「人理修復、出航前夜ってやつですね」

 

「まだ夜明け前だよ、マスター」

 

ドレイクが笑う。

 

「だからこそ、面白い」

 

私は苦笑して、帽子の位置を直した。

 

怖い。だけど、逃げない。

 

オルガマリーを死なせない。藤丸を潰させない。マシュを兵器にしない。眠る候補者たちを、数字にしない。

 

全部守れるなんて思っていない。

 

それでも、舵を握るふりくらいはしてみせる。

 

宝鐘マリンとして。

 

「さあ」

 

私は、管制室へ向かう扉の前で笑った。

 

「17歳船長、出航準備に戻りますか」

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