宝鐘マリンになったホロリス、カルデアで人理を航海する   作:ホロリスのホロリスによるホロリスのたm

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特異点Fへ出航

特異点Fへ出航

 

管制室へ戻ると、空気はさっきよりも重くなっていた。

 

赤い警報光はまだ消えていない。カルデアスは炎上する未来を映すように赤く染まり、シバの観測値は特異点Fを示し続けている。職員たちは倒れていない。施設も壊れていない。けれど、誰の顔にも「助かった」という安堵はなかった。

 

爆発しなかっただけだ。

 

人理は燃えている。

 

「レイシフト準備、第二段階へ移行します!」

 

「霊子変換炉、出力不安定。補助術式で固定中!」

 

「特異点F座標、炎上汚染都市・冬木。観測誤差、依然として大きいです!」

 

報告が飛び交う中、オルガマリーは中央に立って指示を出していた。顔色は悪い。けれど、その声だけは折れていない。今のカルデアで、彼女が所長として立ち続けることには意味がある。たとえ本人がそれを自分への罰だと思っていたとしても。

 

私はその横で、端末に表示された術式を確認していた。

 

「うーん……これ、レイシフトする側としてはかなり嫌な感じですねぇ」

 

「嫌な感じで済ませないで。具体的に言いなさい」

 

オルガマリーが即座に突っ込んでくる。

 

「では具体的に言うと、カルデア側の管制が毒入りスープみたいになってます。飲めなくはないけど、そのまま飲んだらお腹壊します」

 

「余計に分かりにくいわよ」

 

「船長的にはかなり分かりやすくしたつもりなんですけど」

 

ロマンが通信越しに苦笑した。

 

「要するに、レフが残した霊子汚染がまだ完全には抜けていない。マリンの補助で安全域まで落とし込めるけど、通常のレイシフトより危険度は高い」

 

「ドクターの翻訳助かります」

 

「君の例えはたまに独特すぎるからね」

 

「感性が海賊なので」

 

「それで逃げられると思わないでほしいな」

 

逃げられなかった。

 

私は肩をすくめつつ、視線を藤丸立香へ向けた。藤丸はレイシフト用の簡易装備に着替え、緊張した顔で立っている。隣にはマシュ。彼女もカルデアの制服姿のままだが、胸元を押さえるようにして、時折小さく息を整えていた。

 

霊基反応は、さっきより強い。

 

まだ表には出ていない。けれど、彼女の内側で何かが目を覚まそうとしている。人理焼却の逆流、レフの霊子汚染、藤丸を守ろうとする意思。それらが絡み合って、彼女の奥に眠る英霊の残滓を刺激している。

 

私はそれを見ないふりができなかった。

 

「マシュさん」

 

「はい、マリンさん」

 

「胸の熱さは?」

 

「先ほどより少し強いです。ですが、意識ははっきりしています。身体も動きます」

 

「知らない声は?」

 

マシュは一瞬だけ黙った。

 

その沈黙で、私の背筋に冷たいものが走る。

 

「……声、というほどではありません。ただ、誰かが近くにいるような感覚があります」

 

藤丸が不安そうにマシュを見る。

 

「マシュ、大丈夫?」

 

「はい、先輩。大丈夫です」

 

マシュはすぐにそう答えた。答えてしまった。大丈夫じゃない可能性を抱えたまま、安心させるために笑う。その笑い方は、あまり好きではなかった。

 

私は口を開きかけて、閉じた。

 

言いたいことは山ほどある。今すぐ検査へ戻すべきだ。レイシフトなんてさせたくない。霊基異常が出ている状態で特異点へ送るなんて、どう考えても危険だ。そんなことは分かっている。

 

でも、藤丸を一人で行かせるわけにもいかない。

 

マシュ自身が、行くと決めている。

 

そして何より、彼女の中に眠る力は、おそらくこの先で必要になる。

 

「……分かりました」

 

私は息を吐いた。

 

「ただし、異常が強まったらすぐ報告。戦闘になっても、無理に前へ出ない。藤丸さんを守りたい気持ちは分かりますけど、自分が倒れたら元も子もありません」

 

「はい」

 

「本当に分かってます?」

 

「……努力します」

 

「今、絶妙に信用ならない返事でしたね」

 

藤丸が小さく笑った。

 

「俺からもちゃんと言います。マシュが無理しそうだったら止めます」

 

「お願いします。藤丸さんの仕事、いきなり増えて申し訳ないんですけど」

 

「いえ。マシュには、何度も助けてもらっているので」

 

その言葉に、マシュが少しだけ目を丸くした。

 

まだ旅は始まっていない。けれど、二人の間にはもう何かがある。特別な関係、なんて軽く言うには早い。だが、少なくとも互いを置いて行けない程度には、もう繋がっている。

 

私はそこに割り込まないよう、一歩だけ引いた。

 

「いいねぇ」

 

横でドレイクが笑う。

 

「出航前に守るものがはっきりしてる奴は強いよ」

 

「ドレイクさん基準だと、強さの判定がだいぶ豪快ですね」

 

「生き残るには大事なことさ。何を守るか分かってない奴は、嵐の中で舵を間違える」

 

「……そういうの、たまに本物っぽいこと言うから困るんですよねぇ」

 

「本物だからね」

 

「それはそう」

 

ドレイクは当然のように笑った。ずるい。こういう時の彼女は、本当に本物の船長にしか見えない。

 

いや、実際に本物なのだが。

 

オルガマリーが端末を閉じ、こちらへ歩いてくる。彼女もレイシフト用の調整を終えていた。魔術礼装は最低限。前線に出る装備としては心許ないが、所長として指示を飛ばすには十分だ。

 

「オルガマリー所長」

 

ロマンの声が硬くなる。

 

「最後に確認するけど、本当に行くんだね?」

 

「何度も言わせないで。私は行くわ」

 

「君のレイシフト適性は安定していない。マリンの補助があっても、危険は残る」

 

「分かっている」

 

「現場で君が倒れたら、藤丸くんたちの負担になる」

 

「それも分かっているわ」

 

「なら――」

 

「だからこそ、倒れない」

 

オルガマリーは短く言った。

 

その言い方は、ひどく彼女らしかった。根拠があるわけではない。自信があるわけでもない。ただ、自分で決めた以上、そうするしかないという声だった。

 

ロマンはしばらく黙った。

 

「……無茶をするな、とは言わないよ。たぶん、言っても聞かないから」

 

「分かっているじゃない」

 

「でも、生きて帰ってきて。これは医療部門責任者としての命令だ」

 

オルガマリーは少しだけ目を逸らした。

 

「善処するわ」

 

「所長、その返事は死亡フラグっぽいのでやめましょう」

 

私が口を挟むと、彼女は睨んできた。

 

「あなたは本当に縁起でもないことを言うわね」

 

「船長、フラグ管理にはうるさいので」

 

「そのフラグって何なのよ」

 

「説明すると長くなるので、今度お茶でも飲みながら」

 

「絶対に面倒な話でしょう、それ」

 

「よく分かりましたね」

 

オルガマリーはため息をついた。

 

その表情が、少しだけ柔らかくなる。ほんの少しだ。だが、それで十分だった。出航前に顔が強張ったままでは、見ているこちらの胃が痛い。

 

ロマンが咳払いする。

 

「では、今回のレイシフト編成を確認する。前線マスター、藤丸立香。随伴、マシュ・キリエライト。現地指揮補助としてオルガマリー所長。顧問兼霊子安定補助として宝鐘マリン。契約サーヴァント、フランシス・ドレイク」

 

「了解」

 

藤丸が緊張した顔で頷く。

 

マシュも深く頷いた。

 

「了解しました」

 

ドレイクは銃を肩に担いだまま笑う。

 

「ようやく出航か。待たせるじゃないか」

 

「カルデアのレイシフトを船旅扱いしないでほしいんだけどね」

 

ロマンのぼやきに、ドレイクは悪びれもしなかった。

 

「似たようなもんだろう。港から未知の海へ出る。帰ってくる保証はない。なら航海さ」

 

「……言い得て妙なのが嫌だね」

 

「でしょう?」

 

私は胸のリボンを整える。

 

短銃は腰に。短剣は袖の内側に。煙幕弾はベルトのポーチに二つ。ロープ付きフックは外套の裏。海賊らしい装備一式。これで本当に特異点へ行くのかと思うと、冷静に考えてかなり絵面が怪しい。

 

だが、これでいい。

 

奥にしまったものへは触れない。まだ早い。便利だからと手を伸ばせば、きっと余計なものまで開いてしまう。今ここで見せるべきなのは、海賊らしい短銃と短剣、それから少しばかりの悪知恵で十分だ。

 

「マリン」

 

オルガマリーが小声で呼んだ。

 

「はい?」

 

「あなた、何か隠しているわね」

 

「隠し事のない女は魅力半減だと何度も」

 

「茶化さないで」

 

その声が思ったより真剣で、私は口を閉じた。

 

オルガマリーは管制室の赤い光の中で、私をまっすぐ見ていた。

 

「あなたはレフの爆弾を知っていた。人理焼却が起きることも、完全ではないにしても予期していた。マシュの異常にも、必要以上に反応している。藤丸立香のことも、まるで最初から何か知っていたみたいに見ている」

 

「……所長、観察眼鋭すぎません?」

 

「あなたが雑なのよ」

 

「辛辣」

 

「答えなさい。あなたは、どこまで知っているの」

 

管制室の喧騒が遠くなる。

 

ロマンは通信越しに黙った。藤丸とマシュも、こちらを見ている。ドレイクだけが、何も言わずに腕を組んでいた。彼女は私が答えないことも、答えられないことも、たぶん分かっている。

 

私は笑った。

 

笑って、首を横に振る。

 

「全部は知りません」

 

これは本当だ。

 

「でも、いくつか知っていることはあります」

 

これも本当だ。

 

「ただ、それを今ここで全部話すと、たぶん船が出る前に沈みます」

 

オルガマリーの眉が寄る。

 

「比喩で逃げる気?」

 

「逃げたい気持ちはあります」

 

私は正直に言った。

 

「でも、今は逃げません。所長を死なせない。藤丸さんを潰させない。マシュさんを兵器にしない。カルデアを沈ませない。少なくとも、今話せるのはそこまでです」

 

マシュが小さく息を呑んだ。

 

藤丸も、何かを言いかけて止めた。

 

オルガマリーはしばらく私を見ていた。怒ると思った。問い詰めると思った。だが、彼女はただ、深く息を吐いた。

 

「……帰ってきたら、続きを聞くわ」

 

「はい」

 

「逃げたら許さない」

 

「船長、追われるのは苦手なので逃げません」

 

「信用できない返事ね」

 

「でも、帰ってきます」

 

オルガマリーはそれ以上言わなかった。

 

その時、管制室の照明が一段階落ちた。レイシフト準備が最終段階へ入った合図だ。床面の魔術式が淡く光り、霊子変換のための円環が起動する。通常なら整然とした青白い輝きが広がるはずのそれは、今はどこか赤みを帯びていた。

 

レフの残した汚染が、まだ完全には抜けていない証拠だ。

 

私は円環へ歩き出した。

 

「マリン、補助術式を」

 

ロマンの声に頷く。

 

「了解。船長、ちょっと真面目モード入ります」

 

「普段から入りなさい」

 

オルガマリーのツッコミを聞き流し、私は周囲に張り巡らせていた補助術式へ意識を向けた。

 

使うのは、ほんの表層だけだ。奥にあるものには触れない。名を持つ何かも、遠い記憶も、今ここで開くべきではない。ただ、レイシフト時の霊子の流れを整えるために、こちらと向こうの間へ細く線を引く。糸を張るように。帆を張るように。燃える冬木へ続く航路を、無理やり安定させる。

 

視界の端に、知らないはずなのに懐かしい光が一瞬だけ過った。

 

すぐに消す。

 

まだ早い。

 

「航路固定。霊子安定、補助入ります」

 

自分の声が、少しだけ低くなる。

 

ロマンが息を呑む気配がした。

 

「……確認。レイシフト経路、安定値まで回復。すごいな、本当に航路を引いているみたいだ」

 

「褒めても何も出ませんよ。船長、今わりと必死なので」

 

「じゃあ帰ってきたら褒めるよ」

 

「それなら受け取ります」

 

藤丸とマシュが円環の中心に立つ。オルガマリーが少し離れてその横へ。ドレイクは当然のように私のそばに立ち、面白そうに空間の揺らぎを眺めていた。

 

「マスター」

 

「はい」

 

「怖いかい?」

 

「めちゃくちゃ怖いです」

 

「よろしい」

 

「よろしいんですか?」

 

「怖いのに立ってるなら上出来さ」

 

ドレイクは銃を肩に担いだまま笑った。

 

その笑顔は、荒波の上でも変わらないのだろう。私は少しだけ羨ましくなった。

 

「レイシフト開始まで、十秒!」

 

管制室の声が響く。

 

十。

 

藤丸が深く息を吸う。

 

九。

 

マシュが胸元に手を当てる。霊基反応がまた揺れた。

 

八。

 

オルガマリーが背筋を伸ばす。指先は震えているが、目は逸らさない。

 

七。

 

ドレイクが笑う。まるで出航の鐘を聞いているみたいに。

 

六。

 

私は短銃のグリップを確かめる。

 

五。

 

赤い光が強くなる。

 

四。

 

胸の奥で、マシュとは別の何かがかすかに軋む。昔の記憶ではない。今はまだ、開けない。

 

三。

 

藤丸がマシュを見る。

 

二。

 

マシュが頷く。

 

一。

 

私は笑った。

 

「総員、出航準備完了」

 

ゼロ。

 

視界が白く弾けた。

 

身体がほどける感覚。足元が消え、重力が揺らぎ、意識だけが細い航路を滑っていく。レイシフトは船旅とは違う。そう思っていた。けれど今だけは、ドレイクの言葉が少し分かる気がした。

 

これは、航海だ。

 

安全な港を離れ、燃える歴史へ落ちていく航海。

 

途中で、何かが軋んだ。

 

レイシフト経路に残っていた黒い汚染が、蛇のように伸びる。狙いは藤丸。いや、藤丸を中心にした霊子反応。その先にいるマシュが、反射的に手を伸ばした。

 

「先輩!」

 

白い光の中で、マシュの声が響く。

 

彼女が藤丸を庇うように前へ出る。その瞬間、彼女の内側にあった霊基反応が大きく膨らんだ。盾の影。城壁の気配。誰かの手が、彼女の背中を押すような感覚。

 

まずい。

 

「マシュさん、下がって!」

 

叫んだが、遅かった。

 

白い光と黒い汚染がぶつかり、視界が反転する。マシュの身体を包む光が一瞬だけ形を変えた。鎧のように、盾の輪郭のように。まだ完全ではない。けれど、もう確かにそこにあった。

 

私は歯を食いしばり、航路を引き直す。

 

「っ、船長の航路で事故るとか、冗談じゃないんですよ!」

 

補助術式が熱を持つ。使いすぎるな。深いところには触れるな。分かっている。分かっているが、ここで藤丸とマシュを取りこぼすわけにはいかない。

 

ドレイクの笑い声が、白い光の向こうから聞こえた。

 

「いいねぇ、マスター! 荒れてきたじゃないか!」

 

「よくないです! 全然よくない!」

 

叫んだ直後、足元が戻った。

 

いや、戻ったというより、叩きつけられた。

 

焦げた匂い。

 

熱い空気。

 

崩れた街並み。

 

赤黒い空。

 

私は膝をつきかけ、片手で地面を押さえた。アスファルトが熱を持っている。周囲には炎が揺れていた。遠くで建物が崩れる音がする。

 

冬木市。

 

ただし、私の知るどの冬木よりも歪んだ、燃える都市。

 

「……到着、ですかね」

 

隣でドレイクが平然と立っていた。

 

「上々じゃないか。沈まずに着いた」

 

「着地が雑すぎます……」

 

私は顔を上げる。

 

藤丸は少し離れた場所で倒れかけていたが、意識はある。マシュがその前に立っている。彼女の腕には、まだ完全な盾ではない、淡い光の輪郭が残っていた。本人もそれに気づいていないのか、ただ呆然と自分の手を見ている。

 

オルガマリーも無事だ。座り込んではいるが、怪我は見えない。

 

私は息を吐いた。

 

よかった。

 

全員いる。

 

その安堵が胸に広がった瞬間、炎の向こうで何かが動いた。

 

黒い影。

 

人型ではある。だが、生者の気配ではない。燃える街に徘徊する、骨の兵士。特異点Fの最初の歓迎としては、最低の部類だ。

 

ドレイクが銃を抜く。

 

「さあ、マスター」

 

彼女は楽しそうに笑った。

 

「初めての特異点だ。号令を」

 

私は立ち上がる。

 

短銃を抜く。短剣の位置を確かめる。マシュの霊基反応がまだ不安定だ。藤丸も戦い方を知らない。オルガマリーを前に出すわけにはいかない。

 

だったら、まずは私が道を作る。

 

怖い。

 

でも、笑え。

 

船長なんだから。

 

「総員、落ち着いて」

 

私は燃える冬木の空を見上げ、口角を上げた。

 

「特異点F、到着です」

 

炎の中で、骨の兵士たちがこちらへ向かってくる。

 

私は短銃の撃鉄を起こした。

 

「人理修復、最初の航海を始めましょう」

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