それはうだるように熱い、夏の日の事だった。
私はその暑さに参りながらも、マスクを付けて歩いていた。
マスクの下は暑さで蒸れ、人に見せられる状態ではなくなっている。
それでも私は、外出する時はマスクを忘れずにつけていた。
そうじゃないと、私が耐えられなかった。
横断歩道で止まる。
周りを見ると、大きな病院が立っているのが見えた。
熱い日差しが差し込み、思わず目を瞑った。
早く家に帰って、クーラーの効いた部屋でテレビでも見よう。
そう思い暑い中駆け足で歩き出した。
信号機が見え、スピードを落とす。
その横断歩道はボタン式の物で、近くに人が立っていた私は、その人がそのボタンを押すのを待っていた。
……少し待っても、ボタンは押されなかった。
疑問に思って隣を見る。
病服を着て、杖を持った一人の女の子が立っていた。
綺麗な黒髪、病的に真っ白な肌は綺麗を通り越して心配になるくらいで、腕はとても細かった。
ふらふらと動きながら、信号が変わるのを待っている。
ボタンがあるのに、なんで押さないのか。
そう思ったけれど、彼女が持っていた杖を見て分かった。
彼女は目が見えないのだと。
その前に彼女の様子がおかしい。
今にも倒れそうで、顔は真っ赤になっている。
明らかに熱中症になりかかっている。
私はすぐに彼女に話しかけた。
大丈夫です、とそう言っていたが、明らかに大丈夫ではない。
病服を着ているからあの病院に入院している人だと思い、肩を貸して病院まで彼女を送り届けた。
意識は朦朧としていて、すぐに看護師さんに声をかけた。
看護師さんや親御さんからはとても感謝されたけど、私はそれよりも彼女の様子が心配だった。
院内で水を買うと、病室に戻る。
少女は目を覚ましたみたいで、ドアを開けると私の方へ顔を向けた。
目は見えていない筈なので、音で誰かが来たのが分かったのだろう。
「――――」
少女が何かを言った。
私はそんな彼女の様子を見て、少しほっとした。
話せるくらいには大丈夫だったのだと。
怪しい人ではない、と怪しい人の常套句を言いつつ、自分が不審者ではない事を必死にアピールした。
「――――」
そんな私に、彼女は笑顔を向けてくれた。
久しぶりに、誰かが私に対して笑いかけてくれた。
その事に意識が止まり、その場に立ちすくむ。
急に静かになった私に疑問を抱いたのか、彼女は心配そうな表情を浮かべた。
こんな優しい子に心配をかけてはダメだ。
私は買ってきた水を差しだすと、あまり一人では歩いてはいけない事と、熱中症には気を付けるという事を伝えた。
なんであの場所にいたのかも聞いた。
病室にずっといると退屈で、たまに一人で抜け出す事があるらしい。
それを聞いて余計に口うるさくなってしまったけど、こんな細い子があんな場所で倒れたら大変だと、心を鬼にして伝えた。
「――――」
そんな私に、彼女は変わらず嬉しそうに笑って、分かったと言ってくれた。
分かってくれたなら、今後は気を付けるように。
と、何様かと思われるだろうという言い方をしてしまった。
はっと思い直し、自分が今までした発言に対して謝罪をした。
身勝手なことをしてしまったと。
それでも彼女は、心底嬉しそうな顔で返事をしてくれたんだ。
「優しい人ですね」
目が覚める。
周りを見渡すと、太陽の光が私の顔にかかっていた。
通りで眩しい訳だ。
時計を見るとまだ早い時間。
隣を見ると、母はまだ寝ているようだった。
いつも通り起き上がり、洗面台へと向かう。
顔を払い、口をゆすぎ、服を着替えてリビングに向かう……前に、ゆうのに挨拶する。
「おはよう、ゆうの」
ゆうのもまだ寝ていた。
起きないようにゆっくりとその場を離れると、今度こそリビングへと向かう。
テレビをつけてソファに座った。
相変わらずニュースでは女性キャスターばかり映り、天気を紹介しているのは「お天気お姉さん」ならぬ「お天気お兄さん」だ。
教育番組に変えれば、「歌のお兄さん」は「歌のお姉さん」になり、アニメでは逆ハーレムアニメが放送されていた。
……朝から子供に悪影響じゃないのかな……。
今日は土日。幼稚園はないため、ゆっくりと一人の時間を楽しむ。
前世では毎日こんな感じだったのを思い出す。
何をするのも疲れて、無心でテレビを眺めてた時もあったっけ。
そう思えば、この世界に来てからの日常は、とても楽しくて、あったかくて、そしてとても愛らしい日々ばかりだ。
前世の私も、来世がこんなに幸せだって知ってたら……もっと世界が楽しく見えたのだろうか。
……時間は全てを変えていく。
残酷でもあるし、それが希望になる人もいる。
私も大きく成長したら、今のような生活は大きく変わるんだろう。
大きくなればこの世界の制度の対象になるし、体格や身長も変わる。
そうなれば、私も今のままではいられない。
愛されて、それに流されているようでは……一人で生活した時に寂しくなる。
今はまだ大丈夫……大丈夫。
こうして一人でいても、仕方ない事だと理解できるし、耐えられる。
だからいつまでも甘えたままでは駄目なんだ。
……そういえば、前世の夢を見た気がする。
あれは何の記憶なんだろう。
まったく思い出せないし、あんな事があったと言う事すら知らなかった。
日常の一部? それとも思い出したくない記憶だから、今まで覚えていなかったのか。
ただ、あの夢の、あの記憶は――
「優しい人ですね」
どこか懐かしくて、なんだか胸がキュッとするような。
とても、大事な記憶のように感じた。