帰りの車の中。
高級車を運転しているのは彼女の家の運転手。
その後部座席には、美音の使用人である私、
窓の外を見ている彼女は、家の者が見ればいつもの無表情なつまらない子だと言うだろう。
しかし、彼女が生まれた時から一緒に過ごしている私にはその表情は違って見える。
小林優斗。
美音様が話してくれる話の中に登場する、一人の男の子。
幼稚園で出会ったという彼の事を、美音様はとても楽しそうに話してくれた。
自分が一人でいる時に、一緒に座ってくる子がいる、と。
他の人みたいにジロジロと見ないし、他の男の子みたいに威張りながら話しかけてこなくて楽だ、とも。
最初は本当にそれだけの存在だったみたい。
でも優斗様の存在は、彼女の沈んでいた心を、悲しかった心を次第に癒していった。
本当はもっと高く、セキュリティの厳しい幼稚園に行く予定だった。
その幼稚園に落ちて今の幼稚園に来たけれど、今の幼稚園の方が良かったと私は思う。
あそこの幼稚園では、美音様は今のように楽しめなかっただろうから。
ただ彼女の近くに黙っている男の子の存在がどうやら気になり始めたようで、彼と話をしたいと相談された。
まだ幼いのに感情を抑えて生活していた彼女が、何かに興味を持ってくれた事に私はとても嬉しかった。
最初はまさか男の子だとは思わなかったけど、どうやら私のアドバイスのお陰で彼と仲良くなる事が出来たみたいで、ある日を境に彼の話を今までよりもよく聞くことになった。
私が使用人を勤めている美澄家は、化粧品や衣類を扱っている「美澄ブランド」を運営している。
今やこの世界で知らない人がいないという程までに人気なブランドに成長させたのは、新進気鋭の若手社長である「
彼女がその采配を振るってこの会社を成長させてきた。
そんな彼女の一人娘、それが美音様。
お父様である「
涼香様は日々会社の運営などで忙しい。
そこで、生まれてからの美音様を私が任された。
当時の私は子供の世話などした事がなく、まさか会社の社長直々の指名という事もあって、とても色々な事に苦戦した。
何で泣いているのか理由は分からないし、やっと寝てくれたと思ったらすぐに起きて泣いていたり。
心が折れそうになる事もあったけど、彼女が見せてくれる笑顔がとても可愛くて、いつの間にか我が子のように彼女を育てていた。
すくすくと成長した彼女は、それはそれは可愛い子に育っていった。
それでも、お母さまである涼香様は、彼女にあまり興味を持っていなかった。
歩けるようになった時も、顔を出してはくださらなかった。
初めて話せるようになった時も、社会に出て会社に悪影響が付かないように、と講師の事を呼んで、色々な事を幼い彼女に求めた。
美音様も涼香様に愛されたくて、話をしたくて、良い所を見せて褒められたくて、必死に頑張っていた。
こんな幼い年齢なら、色々な事をしたいだろう。
嫌な事は嫌だって言いたいだろう。欲しい物があったら欲しいって言いたいだろう。
それでも、美音様はお母様の事だけを思って、必死に努力していた。
いつからだろうか。
その綺麗で宝石みたいな幼い目が輝かなくなっていった。
私にあれがしたい、これがしたいという我儘を言わなくなった。
涼香様に会いたいと言わなくなった。
自分の事を抑えて、涼香様の役に立つために頑張っているその姿を見て、私の心はとても痛んだ。
だから、彼女がプールに行きたい、と言ってくれた時。
私は本当に嬉しかった。
それも美音様のお友達である男の子に招待されたと。
涼香様のためにあれだけ我慢していた美音様がこの事を私に相談するのは、とても勇気が必要な事だったと思う。
もしこの事を涼香様が知ったら、絶対に行かせないようにすると思う。
涼香様は美音様に、将来会社を継いでほしいと思っていらっしゃる。
今のこの勉強も、そのための準備。
遊ぶ事を知ったらどんな事を言われるか分からないし、元夫の雑賀様はいい男の人とは言えず、涼香様も苦労なされていて彼の事で男の人をとても嫌っている。
男の子と遊ぶ、という事を知っただけでもうどうなるやら。
そんな事を美音様は知らないけど、何かを察して涼香様ではなく私に聞いてきているのだ。
どうしても行きたいから、と。
そんな美音様の思いに、答えない訳がなかった。
涼香様には勉強のための資料探しを美音様とする、という旨を伝えた。
普段美音様に興味がない涼香様は、それほど深く確認する訳でもなく、あっさりと了承した。
そんなこんなで迎えた今日の朝。
普段は起きても眠そうにしている美音様が、朝早くにどこか落ち着かない様子で私の元にやってきた。
「どんな服を着たらいいのか分からない」と美音様が言った。
三歳児とはいえ、美音様も女の子。
噂の男のの前では可愛くなりたいのだろう、と微笑ましい気持ちになった。
彼女に似合う白いワンピース。
夏、という事で麦わら帽子。
という私なりに考えたコーデ。
わ、私は男の人と話をした事はあったけれど、そういう関係になった事がないから……そういう本を参考にするしかないのが悲しい……。
安直ではあるけど、妖精のように可愛らしい美音様の美音様を見たら、やはり何でも似合うのだなと涙が出てしまいました。
「にあうかな」と上目遣いで私を見た時は、鼻時を出して倒れるかとも思いました。
オシャレをして、車に乗って、教えてもらった彼の住所に向かう。
車の中でもどこかそわそわしながら私の手を握り、自分の服や胸に抱いた帽子をいじいじする美音様に萌えながら、彼の家に到着しました。
出てきた例の少年は、特別とは言えない子でした。
家は一般家庭、体つきは普通。
そしてお顔は特徴的。
今はそれほどおかしくはないし、イケメンとはいえない。
将来成長しても、世の中の女の子が好きな顔立ちにはならないでしょう。
失礼ですが、最初はそう思ってしまいました。
彼が美音様の結婚相手に相応しいのかどうか。
私はそれを見極めていたのです。
……でも、彼はとてもいい子でした。
美音様だけではなく、私にも優しくしてくれました。
体調の心配をして、飴をくれました。
幼い子とは思えない程気配りが出来て、周りを笑顔にする。
美音様も、そんな彼の事が好きになったのだろう、そう感じました。
彼のお母様もいいお方で、彼と娘の優乃ちゃんをとても愛していらっしゃるようでした。
同年代の子と比べても、彼程優しい男の人はいないでしょう。
いえ、大人の男の人と比べても、彼のような人はいなかった。
可愛がられた結果、全ての我儘が叶えられてきた結果、自分の思い通りにならないと癇癪を起こす人。
幼い頃に女の子に囲われすぎて、女の子が怖くなった人。
男という存在に生まれ、その優位性に酔いしれて女の人を所有物のように扱う人。
自分より弱い存在を虐めたくなるような、暴力性のある人。
男の人の数が少ないとはいえ、学校、街中、テレビ……色々な男の人を見てきました。
もちろんまともな人もいらっしゃいます。
しかし、どこか女の人との距離に一線を引いている人が殆ど、それが当たり前です。
そんな私の価値観は、彼によって変わりました。
幼いとはいえ、そんな彼の事に抱きついていた少女がいました。
それは、優斗様の友達の「宮寺美玖」様。
幼くても、普通は女の人が近づいてくるのでさえ男の子は拒否します。
それは男という存在が持つ物といいますか。
女の子に対して普通は「恐怖感」という物を持つのが当然です。
しかし彼は、美玖様が近づくのを許すどころか、思いっ切り抱き着かれても嫌な顔一つすらしなかったのです。
おまけに抱き着いた美玖様の髪を撫でる始末。
そんな事をする男の人に、幼い美玖様が嫌いになる訳ありません。
私も最初に覚えた印象は直ぐに消え、「優斗様」というその存在そのものを、今日一日で好きになりつつありました。
美玖様だけではなく、栞様というお友達も優斗様にはいるようで、優斗様の良さが周りに知られるのも時間の問題かもしれません。
栞様は普通の子と同じように成長しているみたいで、今は優斗様という存在の特別さには気づいておられません。
それでも、一緒に遊んでくれる友達として、とても好きだということは見て分かるくらいです。
これは美音様……ライバルは多いでしょう。
この国は妻を迎える人数が複数人までと決まっております。
人工授精の技術が上がる前の時代は、一人の男の人が複数人と結婚することを義務付けている時期もあったそうですが、男の人達の反発や技術の進歩もあって今のようなそれを望む人だけに適用される物となりました。
普通は複数の女の人を妻に迎える男の人はいないので、この制度もあってないような物ですが……
優斗様は優しいですが、複数人の妻を迎える気があるかどうかは分かりません。
ですので。
最悪を考えて、彼の一番になるため、そして彼の心を射止める手助けは惜しみません。
絶対に優斗様を手に入れましょう、美音様。
最後に皆で撮った記念写真。
その写真が映ったスマホを大事そうに手に持ちながら、美音様は今は疲れたのか眠そうに顔を上下に動かしていらっしゃいます。
まだ幼い体には重そうな携帯を預かるり、美音様の頭を私の方へとゆっくり倒すと、安心したように夢の中へと落ちていった。
色々と心配事も多かったけど、今日は来れてよかった。
楽しかったね美音。
今度は皆を誘って、どこかに遊びに行きたいね。
優斗くんは男の子だから、もうちょっと大きくなってからじゃないといけないけど……
美音の人生が、とてもいい物になりますように。