リビングは静まり返っていた。
昨日は賑やかだった夕食も、今は誰も口にしない。
一人、ゆうのだけは美味しそうに食べているけど。
幸せな空間はゆうのの周りだけだ。
私はハンカチでゆうの汚れた口を拭いた。
「……それで、話しをするんじゃないの?」
「……っ、私は、昨日の夜話した事が、私の思ってた事だった。お母さんは何か言うことは無いの?」
「ないわね。私は悪い事をしたと思ってないわ」
「まぁまぁ、まずは私から言わせてもらうね」
お母さんとおばあちゃんが言い争いになりそうなのを見計らって真花さんが切り出す。
お母さんも何か言いたそうな顔をしていたけど、真花さんの目配せを見て静かにする事にしたらしい。
「お母さん、私ね……お母さんとお父さん、そしてお姉ちゃんの事、昔は他人のように感じてたんだ。お姉ちゃんはお母さんの言いなりだし、お母さんはお姉ちゃんにも私にもあれをしろこれをしろうるさいし……。お父さんに至っては滅多に見かけないし。学校に通う他の子が羨ましかった。お父さんはいないけど、幸せそうな友達は沢山見てきた。それなのに、どうして私の家だけ……って、思ってたの」
「…………」
言葉を遮る訳でもなく、おばあちゃんは静かに真花さんの話を聞いていた。
話をしている内に言いたい事があふれてきたのだろう。その言葉は止まることなく次々と出てきた。
「でもね、私も悪かったの。家族なのに、家族の事を知ろうとしなかった。与えられるまま、この人生を生きていこうとしてた。でも、お姉ちゃんが家から出てって、私思ったんだ。何かを変えるには、行動しないとダメだって。それからはお母さんの知ってる通りだよ。幼稚園の先生になるために勉強して、今は先生として働いてる。小さな子達を見るのはとても楽しくて、嬉しくて……だから、お母さんが私達を心配しての事だって事は分かってる。今はあの時の事を後悔している事も。だから、お母さんの口から、お姉ちゃんに言ってあげてよ。お姉ちゃん真面目だから、きちんと言ってあげないと伝わらないよ」
その言葉がおばあちゃんに届いたか分からない。
心境に変化があったのかすら、その顔からはうかがい知れなかった。
閉じられていた目がゆっくりと、何かを感じるかのように開いた。
コーヒーを一口飲むと、ゆっくりと息を吐いた。
「……私、お母さんの事何も知らない。お父さんとは話をしたくて、私から話をしに行ったから、仲良くなる事が出来たの。真花だって、話をしたら分かりあえた。お互いの気持ちを話したら、どうして今まで会話もしなかったのかってくらい、息が合って。姉妹だなって、思えたんだよ?」
お母さんの目から涙が溢れる。
「だから、本音で話してよ。お母さんの事が知りたいの。私、何も知らない。お母さんの事。お母さんがどう思ってるのか。口に出さないと分からないよ、お母さん。どうなの? 何か言ってよ!」
場が静まり返った。
その異様な空気に、ゆうのも何かを感じたみたい。
目に涙を浮かべ、大きな声で泣き始めた。
ゆうのの手を握る。
大丈夫だよ、と心で伝えた。
ゆうのが私を見る。
私がゆうのを安心させるように微笑むと、私の顔を見たゆうのは優しく笑ってくれた。
「……私は親として、あなた達を立派に育てたつもりよ。私が前に言った事は本当。今は分からなくても、いずれ分かる時が来るわ」
「お母さん!」
「でも……。そうね、伝わってないのなら、その思いも意味はないわね」
机の上に置いた自分の手を握り、おばあちゃんはそう呟くように言った。
「あなた達の事を愛しているか……もちろんよ。今まで愛さなかった日はないわ。あの人の子で、私の子だもの。愛さない訳ないじゃない。昔の私みたいな思いをしてほしくなかった。ただ、それだけだったのに……いつの間にか、その思いがあなた達を苦しめていた。私はこれでいいんだって、そう……納得しようとしていたのね」
「お母さん……」
俯いて、静かに涙を流した。
おばあちゃんの中にも、後悔はあった。
「ごめんなさい。私は認めたくなかった。ここまで貴方たちのためにやってきた事が、ただ私の愛らしい娘達を苦しめていたという事を。……本当は気づいていたの。これが間違ってる事だって。でも、引き返したら、私のしていた事は、ただあなた達を苦しめていた事になってしまうと思うと、怖かった……」
声は段々と静かになっていき、最後の方はもはや聞こえない位の大きさだった。
それでも、静まりかえっていたリビングの中では、その声はきちんと聞こえていた。
「許して、とは言わないわ。私は恨まれて当然の事をしたんだもの。もうこの家の事は考えなくていいわ。あなた達は自分の人生を歩んで欲しい。今更だと思うけど……。ごめんなさい。私が、悪かったわ」
気づけば、ここにいる皆が泣いていた。
私は涙を我慢していると、今度はゆうのが指をにぎにぎして慰めてくれた。
その温かさが、私はとても嬉しかった。
「あの人も、あなた達をとても愛していたわ。口下手だから、あまり仲良くなれないって嘆いていたけど……最後のあの人は、とても嬉しそうだったわ。佐奈、あなたと仲良くなれたって。真花ともそうなれればな、って話してたわ」
「……っ、お父さん……っ」
「ごめんなさい、久しぶりに帰ってきてくれたのに。優斗も、優乃も。会いたかったわ。もっと色々話がしたかった。あなた達が産まれた時は、私も大喜びしたのよ」
「おばあちゃん……」
席から立って、私達二人はおばあちゃんに撫でられる。
思わず抱き着いた。
背を落として、今度はしっかりと抱きしめてくれた。
ゆうのも同じだ。
二人で仲良く抱きしめられると、三人で笑顔になった。
「森矢さんもごめんなさいね。私達の問題につき合わせちゃって」
「……ぐすっ、い、いえ……」
「……いつも迷惑をかけてごめんなさい。夕食の時間を邪魔しちゃって……佐奈達も、本当は帰る筈だったのに。私は行くから、せめて楽しい夕食に――」
「なんでっ……なんで、勝手にっ、終わらせようとしてるの……」
おばあちゃんの言葉に被せるように、お母さんが泣きながら言葉を遮った。
いつも笑顔だったお母さんが、見たこともないくらい泣いていた。
そのくらい、自分の思いが爆発したんだ。
「わ、わたし、ひぐっ、だって……お母さんのこと、ひぐっ、す、好きだからぁ! だ、大嫌い、だって、い、いったけどぉ、ぐすっ、わた、わたし……」
「……お姉ちゃんがそんな泣いちゃったら、私が泣けないでしょ、もう。ぐすっ」
「だ、だってぇえ~」
おばあちゃんは私達にしたのと同じように、お母さんを優しく抱きしめた。
お母さんはおばあちゃんの胸の中で泣いていた。
数年間のわだかまりは溶け、再び家族全員で揃う事が出来て、私は本当に嬉しかった。
その後に食べたご飯の味は、今までよりも、もっともっと美味しかった。
おばあちゃんとも色々話した。
誤解が解ける前は冷たい印象を持っていたおばあちゃんだったけど、話してみるととてもお茶目で、お母さんと真花さんに似ている部分がとてもあった。
やっぱり、親子って色々と似るんだなぁ、と当たり前な事を感じた一幕だった。
翌朝、私達はお母さんの実家を出発した。
もう少し居ても良かったのだけれど、ゆうのがだいぶお疲れで、環境が変わり続けるのも良くないという事で家に帰る事になった。
お母さんとおばあちゃんは少し気まずそうではあるけれど、前みたいな暗い雰囲気になる事はなくなった。
もちろん見送りには森矢さん、真花さん、おばあちゃんが来てくれた。
真花さんに「さびしいよぉ~」と抱き着かれる場面もあったけど……それは置いておこう。
二日間過ごして愛着の沸いた場所とお別れするのは悲しいけれど、また皆で来ればいい。
夏休みでも、冬休みでも、あの家の人達は、優しく私達を迎えてくれるから。
家に着くと、みくちゃんが玄関先で待っていた。
私の姿を見つけると大きく手を振りながらジャンプし、その存在をアピールしていた。
久しぶりの明るいみくちゃんの姿に、思わず笑みが零れた。
自分もみくちゃんに負けないように手を振る。
その様子を見たゆうのが、真似してみくちゃんに手を振っていた。
「お母さん!」
「んー? どうしたのー?」
「また、皆で……おばあちゃん達に会いに行こうね!」
そして、大事な思い出を作りに行こう。
将来、あの時こういう事があったね、と笑えるような、そんな素敵な思い出を。