「どうしてこない!」
クラスに声が響き渡った。
その声のボリュームに、クラスの中で遊んでいた女の子達がビクッと反応する。
入り口を見ると、一人の少女が仁王立ちで立っていた。
室内を見回し、私と視線が交差する。
見つけた、と言わんばかりにずんずんと近づいてきて、私の顔の前にズズッと顔を出した。
「ど・う・し・て・こ・な・い!」
「聞こえてないわけじゃないよ……」
私、怒ってます。
そういわんばかりに腕を組み、ぷんぷんと頬を膨らませる少女。
まさかこの子があのベンチに座っていた神秘的な女の子だとは誰も思わないだろう。
「あと、クラスの皆と、しおりちゃんが驚いてるから……ね?」
私の隣で、一緒に本を読んでいたしおりちゃんが目を真ん丸にして少女を見ていた。
クラスの子は厄介事が起きたとこそこそとクラスを出ていくのが見えた。
この歳で賢い子達だなぁ。この世界の子は早熟なのかな。
「……なまえ!」
「名前?」
びしっと私を指さす。
「名前? 僕?」
「なまえ!」
あ、そうか。
私も教えていなかったか。
では、改めて……
「小林優斗だよ。よろしくね。えっと……」
「…………」
何も言わないベンチちゃん。
あ、もうベンチちゃんでいいかも。
もちろん、冗談。
「ベンチちゃん?」
「! ベンチちゃんじゃない!かわいくない!」
可愛ければいいのか?
名前は可愛くないけど、雰囲気は可愛いから丁度いいじゃないか。
「ベンチちゃん。可愛いよ」
「かわいくないし!」
顔を真っ赤にして、視線をきょろきょろと移動させながら、口をもごもごと動かすベンチちゃん。
あれ、これどっかで見たことあるな。
「……ん」
「え?」
「み・お・ん! みすみ、みおん! おぼえて!」
「わ、分かった」
みすみ、みおん……
そんな名前してたんだ。
始めて会ってから結構たつけど、初めて知ったな。
それにしても……みすみ、みおんちゃんか。
「綺麗な名前だね」
「……ッ! ……ぅ、うん」
顔がさらに真っ赤になる。
可愛いなぁ。
頭をナデナデ。
「……! な、なに!?」
「あ、ごめん。いつもの癖で」
みくちゃんに毎日やってるから、つい手が出ちゃった。
みくちゃんだとこの後抱き着いてくるから、抱きしめ返すのもセットなんだよね。
「ごめんね。もうやらないから」
手を放すと、小さな手が私の手を掴んだ。
強く掴んだら折れちゃいそうな、ぷっくりとした子供の手。
「……ちょっとなら、いい、よ」
「…………」
な、なんか……
初めて会った時から、印象が全く変わったな……
正直になってくれたのかな。
それともこれが素の状態なのか。
「…………」
「…………」
真っ赤になった小さな子と、その子の頭を撫で続けている男の子。
いつまでこの状況を続ければいいんだ……と、ちょっと恥ずかしい気分になった私だった。
「……あの、わたしも、ここにいる……」
私とみおんちゃんの間に挟まれたしおりちゃんが、寂しそうな声でそう呟いた。
休日がやってきた。
毎週やってくる休日は、幼稚園という空間から解放される至福の時間でもある。
精神年齢が既に20を余裕でオーバーしているこの私だが、流石に小さい子に混ざって幼稚園で生活したり勉強したりするのは大変である。
それ相応に演技もしなければいけないし、気の休まる所は案外ないと言っていい。
最近はみおんちゃんがたまに話しかけてくれるようになったし、新しくできた友達のしおりちゃんは、休みの時間になると真っ先に私に会いに来てくれる。
親戚の子が慕ってくれているようで、嬉しいやら恥ずかしいやら。
そんな私だが、休日は休日で大変ではある。
「ゆうとくーーーーーーーん!!!!!」
「ぐえっ」
弾丸のように発射されたみくちゃんが私を捉えると、掴んで離さない。
ひしっと抱き着き、足を足に絡ませ、うんうん言いながら匂いを嗅ぐ。
これが毎日の習慣である。
「ごめんなさいね優斗くん。みくが会いたい会いたいって仕方なくて」
「い、いえ……僕も、あいたっ!? いぃので……」
最近は抱き着きだけではなく、耳をはむはむしたりするのを覚えたみくちゃん。
一体どこに行こうというのか。
私にそんな事をしても何もないというのに。
「ゆうとくんゆうとくんゆうとくんゆうとくん……」
「こ、怖いよみくちゃん……」
流石に何か強い念を感じるよ。
もしかして私の体から変な匂いでも出てるのか?
「み、みくちゃん。幼稚園はどう? 仲のいい子、できた?」
「ん~? なかのいいこ~?」
「そう。友達! みたいな子」
「ん~」
いつもふわふわしていて、どこか不思議な雰囲気を持つ彼女だけど、考える時は考える実は賢い子だ。
幼いながらもこう見えて空気を読めるし、あまり人に迷惑をかけない。
私といる時は全力で甘えてくるけど、みくちゃんのお母さんといる時はここまでじゃないみたいでその変わりように毎回驚いている、という話をお母さんとしているのを聞いた事があった。
「ゆうとくんじゃないこ~?」
「そうだね」
「じゃあいな~い!」
まだ強く抱きしめられ、首がグエってなる。
と思えば少し首に回っている腕が緩まって、優しく背中を抱きしめてくる。
今見たいに苦しい声を出すと、いたわるみたいに優しく撫でてくれたりするし、今は大変だ~って時はくっ付いてこないし、本当にいい子だよ、みくちゃんは。
「そっか。じゃあ男の子でいい子っていた?」
「おとこのこ~? ゆうとく~ん!」
「あはは……僕以外の子は?」
「きょうみな~い」
ですよね。
いつも聞いてるけど、同じ答えしか返ってこない。
みくちゃんのお母さんが私と一緒に入園できなかったから、せめて男の子がいる幼稚園に入れてあげたいと言う理由で色々な幼稚園を探したようで、私がいる幼稚園よりも、ものすごく有名な幼稚園に彼女は入園している。
有名な俳優とか、芸能人の子供とかが集まる幼稚園らしく、それくらいのレベルの男子児童が集まるという事で、その幼稚園に女の子が入園できる基準は、家柄やお金持ち、そしてその子の顔が可愛いかどうか、というもので判断しているという噂がある。
みくちゃんは物凄く可愛いし明るいから、噂を信じると、それで選ばれたのだろうか。
私みたいな存在と仲良くしてくれているのさえ奇跡と言っていい。
むしろ、私なんかと一緒にいる方が彼女に悪影響なんじゃないか。
みくちゃんが私の事を気に入っているのは、最初に出会った男の子ってだけで、私以外の男の子を知らないからじゃないか……そんな思いが、いつもは隠している心の奥から溢れてくる。
みくちゃんは腕を緩め、顔を後ろに引いて私の目を見つめた。
……やっぱり、みくちゃんにはバレちゃうか。
私が少しでも悩むと、彼女はどうして困っているのか、何で悩んでいるのかを知ろうと、こうやって目を見つめてくる。
そしてそれに私が笑うと、さっき以上に強く抱き着いてくるんだ。
納得は多分していないと思う。
けど、私の気持ちは聞いてこない。
私が言うのを待ってくれているかのように。
……なんて、彼女はまだ三歳だ。
私は前世があるから色々と考えちゃうけど、彼女はそこまで深く考えていないだろう。
「はぁ……美玖ちゃんに抱きしめられる優斗くんも可愛い……食べちゃいたい」
そして、相変わらず親馬鹿が発生しているうちの母さん。
お腹はもう大きくなっていて、もうすぐ出産の予定日だ。
激しい動きは出来ないけど、手に持っているスケッチブックで必死に私達を描こうとしている。
これがないと楽しみがない! という事で、今の期間は黙って描かれる事にしているのだ。
「ね~。ゆうとくん、ともだちできた~?」
「そうだね、出来たよ」
そういうと、みくちゃんがバッと顔を放し、私をじっと見つめてくる。
その気迫は否や、獲物の狙いを定めるライオンのよう。
「おんなのこ?」
「え?」
「おんなのこ?」
「え、えっと……」
「おんなのこ?」
「こ、怖いよ、みくちゃん……」
顔を放し、私を掴んでいるみくちゃんの手を放し、少し距離を取る私。
距離を近づけ、私の背中を両手で離れないように抱きしめ、顔を近づけるみくちゃん。
あれ? 距離が離れてない。
「ともだち、わたしだけじゃないの~?」
「ご、ごめんね。でも今のところ一番仲が良いのはみくちゃんだよ。それは本当」
なんせみくちゃんとは本当に小さい頃から一緒に居たし。
みくちゃんが覚えてない時の時期も私の意識はあったから、まだ歩けない時のみくちゃんの事だって私は知っている。
しおりちゃんや……出来るなら、みおんちゃんとも仲良くしたと思うけど、ここまで付き合いのある子はみくちゃんしかいない。
それは間違いないのは確かだ。
「……ならいいよ~」
「ほっ」
「ずっと、ずっといっしょにいようね。ゆうとくん」
普段聞いている声とは違う声で、私の耳元に囁かれた。
驚いて顔を見ると、いたずらが成功した子供みたいに、ひひっと無邪気な笑みを浮かべて笑い、また頬をくっつける。
いたずらっ子な一面もある、とても魅力的な子だ。
小さな子の純粋な笑みは私を心から安心させてくれる。
マイナスな感情を隠せない年頃だから、彼女の笑顔は本当の物だって分かるから。
そんな大事な物を、私が受けてもいいのだろうか。
こんなに幸せでいいのだろうか。
この子を信じていいんだろうか。
こんなに愛されて、私は本当に……
『近づくなよ。変態』
「ッ」
『キモイんだよ。ブスが移る』
何度も見た光景だ。
何度も何度も思い出してきた記憶。
何度も何度も何度も何度も何度も――――
この子を信じたい。
お母さんを信じたい。
この世界の人達は、前の世界の人達と違うんじゃないかって。
そう、ずっと思ってきた。
それでも、やっぱり、前世での経験は、それが嘘だと。
信じるだけ悲しいだけだと。
昔もそうだったじゃないかって……
大きくなれば、皆離れていく。
小さい頃はまだ楽しかった。
それは前世でも同じだった。
弟がいて、母さんがいて、父さんがいて……楽しかった。
顔が怖いだけで、まだ友達はいて。
幼い頃の記憶だけど、幼稚園で楽しく遊んだ記憶。
その幸せな記憶だけが、私の心をギリギリで繋ぎとめていたんだ。
当時の私は、全てが辛くて死にたかった。
家族なんて信じられなかった。
信じられるのは、記憶の中の……あの頃の家族だけ。
手を繋いで、鬼ごっこをして、かくれんぼをして。
それで……
それだけだ。
幸せな記憶は、それだけしかない。
あとは全部、辛い記憶。
もしかしたら幸せな記憶も全部忘れてるのかも知れない。
だけど、もしそうだとしたら、私はその幸せな記憶以上のもっと辛い記憶も忘れているのだろう。
今までの記憶は耐えられた。
辛いけど、この顔でいる以上起こりうる事。
でも、自分が思い出せないほどの辛い記憶があるのだとしたら‥‥‥
私は耐えられるのだろうか。
前世のあの死に方が、偶然じゃないとしたら。
トラックに轢かれたのは、自分が辛い人生終わらせたくって、自分から死んだのだとしたら?
分からない。
まだ大人じゃないから、まだ子供だから。
でも、幼稚園の子達はどうだ?
私の顔を見て泣いている。
私の顔を見て怖がっている。
それは事実だ。
まぎれもない事実。
変えられない現実。
だから――私が、
いつか、俺《・》の元から去って行って、また一人になる。
そんな経験は――もう、耐えれないから。