破典聖杯戦争 ~黒髭エドワード・ティーチがオタ落ちした日~ 作:若槻 風亜
【Fate】第1章 黒髭召喚【破典聖杯戦争】①
暗い室内に突如閃く強い光。バチバチと音を立てるそれはまるで細い稲妻のように渦を巻き、生じた風は嵐のように吹きすさぶ。床に直に置かれた雑誌や漫画がバタつき、棚に所狭しと置かれたフィギュアはころころと転がり、あるいは床に落ちて見るも無残な姿となった。
分厚い眼鏡越しに、長い前髪越しに、その現象から目をそらせずにいる少年――
そうしている内に、健人は光の向こうの変化に気が付いた。
人が、いる。
揺れる電光の先でシルエットしか見えないが、それは確かに人の形をしていた。ごくごく一般的な感性、あるいはそれよりも怖がりだと自覚する少年が勇敢に
結局何の言葉も発せぬまま、人影と少年を隔てていた風はやみ、電光すらも消え失せた。
そうして露になった人物の姿に、健人は心臓を掴まれたような恐怖に包まれ体を跳ねさせる。
そこにいたのは、身長二メートルを優に超していそうな長身の大男。筋肉がついているため、細長いというよりはがっしりしている体つきだ。豊かな黒髭を蓄えた顔立ちは当然のように恐ろしく、特に鋭く凶悪な眼光は常人のそれとは大いにかけ離れていた。
服装は現代日本からすれば明らかに異質な、はっきり言ってコスプレのようなもの。だが、不思議なことに、あたかも普段着のようにその男に馴染んでいる。
何なんだこれは。こんなのありえない。これは夢だこれは夢だこれは夢だ。早く覚めてくれ。早く早く早く早く早く早く早く早く。
「おい」
混乱を極めた頭はすぐにでもその意識を手放そうとしていた。だが、それが叶うより早く、男が健人に声をかけてくる。瞬間、健人はそれまで動けなかったことなど嘘のように素早く床に両手と両膝、額を擦りつけた。
「ごっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! お金もキャッシュカードも通帳もハンコも全部渡します! 警察には言いません! 暗証番号もちゃんと正しい奴教えます! 助けてくださいっ、殺さないでください!! お願いします、お願いします!」
全身全霊の命乞い。ああおかしい。健人は恐慌する頭の端でそんなことを考える。こんな人生早く終わればいいのにと思っていたはずなのに、いざこうしてあからさまな死が近付くと、先に立つのは「死にたくない」という強い願いだ。
そもそも、何故こんなことになったのか。
始まりは四日ほど前のことだった。いつも通り特に目的もなくSNSを見ていた健人は、フォローしている相手がRPした画像付きの投稿を見つける。
そこには「召喚成功!」という文字と、四枚の写真が添付されていた。1枚目にはカメラに向かってドヤ顔をしている、ハーフと思しきチャラい男性が写った写真が大きく表示されていた。
これだけなら身内の目にしかつかなかった痛い写真だろう。だが、人々の目を引く理由がそこにはあった。
一枚目の男性の写真の奥に、怪しげな魅力を湛えた絶世の美女が写っていたのだ。二枚目は男性と女性が笑って顔を寄せ合っているもの、三枚目と四枚目はポーズをとった女性の全身を前から後ろから撮ったものだ。
そしてその返信欄に「この魔法陣を書いてこの召喚呪文を唱えると、魔力がある奴なら呼べるぜ! 魔力が高まる日付と時間も画像に書いてるから、みんなチャレンジ!」とコメントが続けられた。そのコメントに貼られていたのが、本文中にあった魔法陣等が写っている写真だった。
返信欄には「ただのリア充」「そんな美人呼べるなら俺もやるわ」「すごーい!」「すごーい(笑)」と、話に乗ってふざけるものや揶揄するものなどの投稿が相次いだ。しかし、「絶世の美女」という効果は素晴らしく、その投稿は瞬く間に一万以上のRPといいねを集めた。
そんな騒動から一夜明けた翌日には、投稿主が「こわーい人たちに見つかっちゃったから高飛びしまっす☆」と揃えた指を額に当てるという古式ゆかしいポーズを撮った写真を添えて投稿し、少しもせずにアカウントが運営から削除されたらしい。
だがこのネット社会、一度広まったものはそう簡単には消えない。次から次に転載され、次から次へと削除されがいたちごっことなり、今でもそれは続いている。転載されたものがすぐさま削除されるのが、面白がりのネット民たちを刺激してしまったのだろう。
健人も、その投稿を本気にしたわけではなかった。だが十九歳になっても溢れかえる中二心をくすぐられ、耐えきれるわけがなかったのだ。保存していた画像を参照に最適な日時を決め、魔法陣を描き、召喚の呪文をこの上なくカッコつけて唱えた。
そして、何も起こらないしんとした室内で、「ですよねー」と笑って片付ける。それが予定だった。くだらない遊びのはずだった。なのに、なのに。
かつてない恐怖にさらされながら、全身を大きく震わせ、健人は全身に脂汗をかいている。どうかこの恐ろしい男が自分に何の危害も加えずどこかに去ってくれますようにと。浮かんだ涙で歪む視界の中願うことはそればかりだ。
健人が土下座をしてから優に五呼吸分の間を開けてから、男は思いのほか明るい声で喋り出した。
「おいおいおーい。この
大きな足音を立てて、男が大股で近付いてきた。さらに身を縮こませたその首根っこを乱暴に掴まれ、健人は悲鳴を上げる。そんな反応などお構いなしに、男は健人を無理やり立ち上がらせ、さらに自分の視線の高さまで持ち上げる。
遠慮なく首が締まり胸が圧迫された。先程まで自然と漏れていた荒く短い呼吸とはまた違う苦し気なそれを漏らす少年に、恐怖の塊はちらりと視線を下に向けてから怪訝な顔をする。
「パスは間違いなくつながっている、令呪もある。――てめぇ、俺のマスターだよなぁ? 何だってんだその反応は」
マスター? 途切れ途切れにオウム返しにすると、男は目をすがめた。一層視線が恐ろしくなり健人は口を引き結ぶ。
「……あぁん? 何だこりゃあ? 魔術回路はそれなり、魔力は十分。だってのに、
そろそろ窒息しかけていた健人を投げ出し、男はがりがりと頭を乱暴に掻いた。
「こりゃあ外れ引いちまったか」
黒髭を撫でながら男は難し気な顔をする。その足元で激しくむせていると、男は突然両手を打ち鳴らした。健人が体を大きく跳ねさせたのと同時に、巨体が目の前の床をきしませしゃがみ込んでくる。
顔に浮かんでいるのは笑み。浮かぶ感情はマイナスというよりはプラスなのだろう。だが、健人からすれば何にしろ「怖い」以外の感想は浮かばない。何せ人物も事情も何も把握出来ないのだから。
「まあこの際そんなことはどうでもいい。どんな逆境すらこの黒髭様を立ち止まらせることなんざぁ出来ねぇんだからよ。おう小僧、てめぇ名前は?」
豪快な笑みで問われるが、健人は視線をあちらこちらに泳がせるばかりで答えられない。こんな不審者に名前を教えていいものだろうか。何か良からぬことに巻き込まれてはたまらない。しかし
おろおろしている内に男の顔から笑みが消える。待たされていることに不愉快を感じている雰囲気を素早く察知し、健人は両目を強く閉じて叫ぶように答えた。
「なっ、中原 健人です! あっ、あなっ、あなたのお名前は?」
咄嗟に名を尋ねるまで含めてしまい、直後に心臓が凍り付く。こんな余計なことを聞いて気を悪くさせたらどうしたら――! 頭に瞬時に浮かんだ最悪の結末をシミュレートし、健人は不安で顔を青ざめさせる。
だがそんな不安はどこ吹く風か。男は立てた親指を自分に向けて胸を張る。
「俺様の名前はエドワード・ティーチ。カリブの大海賊、かの有名な黒髭様よ。まさか、知らねぇたあ言わねぇな?」
笑顔で脅され健人は頭が取れんばかりの勢いで何度も何度も頷いた。元ネタがある漫画のキャラクターはとりあえず調べる、という癖が自分についていたことに、そのキャラクターを出してくれた漫画に、彼はこの時ほど感謝したことはない。
普通なら、例えば脅されただけなら、彼が本当にエドワード・ティーチその人だ、と納得することなどなかっただろう。確実に抱く恐怖はさておき、内心ではなりきりコスプレの痛い男だ、と思っていたはずだ。
けれど信じざるを得ない。何せこの男は、種も仕掛けもない場所から突然電光と暴風と共に現れたのだから。誰かが種を仕込んだ大掛かりな手品という可能性だって微塵もない。何せ健人は
延々と頷く健人の頭をティーチの大きな手が掴んで止める。本人にしてみれば力など微塵も入れていない、言ってみれば当てただけのそれは、しかし健人にはそのまま握り潰される不安を与えるに十分だった。
両手を顔の高さまで挙げて涙目になる健人に、手を外した黒髭はやりにくそうに顔を歪める。
「俺を恐れるのはいいことだが、こうビビってたんじゃあ話にならねぇな。これから命がけの戦になるんだぞ。小便臭ぇ餓鬼とはいえ、俺様のマスターになったんだ。覚悟を決めな」
命がけの戦。思いがけない単語に健人はぎょっとした。その様子に、黒髭は頬をひきつらせた。
「おいおいおい、小僧、てめぇまさかと思うが、聖杯戦争すら知らねぇとは言わねぇな? 仮にも召喚を成功させたマスターだろ? 俺に関する触媒とか持ってんだろ?」
追い詰められた健人の脳内に浮かぶ、「もちろん知ってるでござるよ」と「すみません知りません……」の選択肢。そんな場合じゃないと分かりつつも、
しかしこれは現実。万が一しくじってバッドエンドになんてなっても、コンティニューは出来ないのだ。
冷静に、冷静に、と必死に自分に言い聞かせようとするが、混乱を極めた頭は健人の意思など介さず結論を急いでしまう。
「す、すみませ、なにも、知らない、です……!」
歯の根が合わない素直な回答。自分はもう終わりだろうか。
怒りに打ち震えているのだろう。健人は一層自分の命の終焉を予見した。
だが次の瞬間、ティーチからは予想とは真逆の反応が飛び出す。部屋中に響き渡るほど、大きな声で笑い出したのだ。