破典聖杯戦争 ~黒髭エドワード・ティーチがオタ落ちした日~ 作:若槻 風亜
絶望に次ぐ絶望とは、こういうことを言うのだろう。
無意識に目を見開き、ティーチは視線をそちらに向けた。すっかり血塗れのシャーロットと、その横ですでに死んだように大人しくしている健人、その彼らを悲しげな目で見つめアルモニカを奏で続けるメスメル。
終わりの空気を、ティーチはその様子から感じ取る。
「ダメよ。そんなのに構っている暇はないわ。シャーロット、あなたもそんなものもう放っておいて帰りなさいな。さっきよりずっと汚いわ。そんな姿わたくしの視界に入れないで頂戴」
健人たちに歩みを進めようとしていたティーチの足が、アウロラの否定で止められた。令呪が使われたわけではない。そこまでの強制力は感じていない。
だが、この強制接続という魔術には最低限の命令権が織り込まれているようで、逆らうことが出来ない。
「アウロラ・ハイブリッジ! ……お願いよ、もう、本当に最期なの。せめて一言くらい交わさせてあげて……」
怒りに任せそうだったシャーロットはすぐに思い直し、アウロラに向き直って両膝をついて頭を垂れる。心の底から願われ、アウロラは歪んだ笑顔を浮かべ楽しげに声を立てた。
「ふふ、あははは、いい姿ねシャーロット。あなたってそういう姿が似合っていると思っていたわ。才能はあるかもしれないけど、みっともないそばかす顔をいつも前に向けて見苦しいわって思っていたの。いつもそっちを向いていた方がいいんじゃなくて?」
楽しげに、悪意に塗れて笑う姿の、なんと醜悪なことか。その場の誰もが思っていることを、ただアウロラ本人だけが気づかない。
「はー、ふふ。ええ、楽しかったからいいわ。ライダー、あれのところ行ってもいいわよ。わたくしは心が広いから許してあげるわ。令呪がしっかり馴染むまでもう少し時間もいるしね。ああ、その隙に殺そうなんて思わないことね? もし誓約の術式を抜けられたとしても、こんなのでも万全のサーヴァントがいるんだから無駄よ」
どこが心が広いのか。なんと腹立たしい。そんな悪態をつきたくなる気持ちをぐっと堪え、ティーチは健人を挟んでシャーロットの正面に座る。
「――健人」
声をかければ、真っ青な顔で目をつぶっていた健人がゆっくりと瞼を上げた。
「……ライダー、さん。あのさ、ぼく、いま、ぜんぜん いたくないんだ。ぜったい、いたい、はずなのに」
ぽつりぽつりと喋る健人。顔から血の気は引き、発声も上手く出来ていないが、確かに痛みに震えてはいない。流石はアトラス院の技術と医師のサーヴァントと、言ったところだろう。
「そうか、痛みなく死ねるのは良かったな」
「……よくは、ないけど、くるしくないのは、よかったかな」
胡坐をかいた膝に肘を乗せ、手の甲に顎を乗せながら健人を見下ろした。
最初怯えて一切合わなかった視線。段々慣れてきて時々合うようになった視線。ゲームをやっている時やアニメを解説している時に輝きながら向けられた視線。
もう今は、ティーチが写っているかも分からない。
「あのね、ライダーさん。ぼくね、ずっとあなたがこわかったんだ。でもね、いっしょにまんがよんで、ゲームやって、アニメみて、たのしいとか、おもしろいとか、くやしいとか、いっぱい いろんなことがあって、すごく、すっごく、しあわせだったんだよ」
左手が、震えながらほんの少しだけ浮かされる。咄嗟にティーチはその手を取り、命を削り終わる直前まで冷たくなった手を握り締めた。
「それでね、こんなこというと、ティーチさんおこるかも しれないけど、ぼく……ううん」
ゆっくり、ゆっくりと、健人の表情が動く。それは、力の抜けた、けれどはっきりとした笑みの形。
「せっしゃ、ティーチどのと ともだちに、なれて、ひじょうに、うれしかったですぞ」
掠れるような声で紡がれたその言葉に、ティーチはいつかのことを思い出す。
それは、ティーチが初めて健人の友人のたぬ太郎と画面越し・アバター越しに出会った日、彼の喋り方を「変な喋り方だ」とティーチが感想を述べた時の健人の言葉。
『僕がたぬ太郎さんの喋り方を真似てるのはリスペクトでも友情の証でもあるんだ!』
この喋り方は、健人にとってのリスペクトと友情。わざわざこの言葉に言い直した意味を、ティーチは過不足なく理解した。
一度深く目をつぶり、ひと呼吸の後、目を開けてにっと笑い空いている方の手で健人の髪をかき混ぜる。
「光栄ですな健人殿。拙者も健人殿と友達になれて非常に嬉しかったですぞ。漫画、アニメ、ゲーム。ううむ、いい文化ですなぁ。あまりにも広大! あまりにも壮大! もうひとつの大海原と言っても過言はありますまい。許されるならサーヴァント生全部かけて堪能したかった!」
気恥ずかしさなど最早知ったことかとばかりにティーチは本音を曝け出す。
ああ、そうだ。楽しかった。漫画も、アニメも、ゲームも、健人と過ごす日々も、最高に楽しかった。
大海原の大航海。そのスリルも功績も、未だ変わらずティーチの胸に輝いてる。けれど、ティーチは知ってしまった。狭苦しい部屋の中で、映し出される映像に、紙に描かれた絵に、作られた人形に、心を奪われる楽しさというものを。
「……健人とも、もっと沢山話したかったでござるなぁ」
ありったけの思いを込めてそう言えば、力なく目を見開いた健人は、すぐにふにゃりと笑った。
「へ、へへ、へ、ぼく、すごい。あのくろひげを、オタおち させちゃ、った――」
すぅ、と健人の目の光が消える。再度言葉を交わす機会を永遠に失ったことに、正面のシャーロットが泣き崩れそうになった。しかし
「まだ泣くな。キャスター、テメーもまだそれ鳴らしてろ」
ぼそりとティーチが小さな、しかし厳しい声で告げる。シャーロットはぐっと涙を堪え、メスメルもそれまでと変わらない調子でアルモニカを引き続けた。
「……何をする気かね? ライダー君。セイバーかそのマスターを殺そうというなら、大変申し訳ないが賛同しかねるが。気持ちは分かるがあれでも最優のサーヴァント。戦闘力は折り紙付きだ。落ちられたら大変に困るのだよ」
一応、と申し訳なさそうな声音でメスメルが釘を差す。ティーチは舌打ちしたい気持ちをぐっと堪え、まだ健人と話しているように体を動かした。
「わーってるよ。つーか、もう俺にセイバー共を殺せるだけの魔力は残ってねぇ。だがこのままいいように使われるだけなのはごめんだ。最後っ屁のひとつかましてやらなきゃ気が済まねぇ。それ以降は我慢するさ」
「ふぅむ……まあ、気持ちは理解しよう。それで? 何がしたいのかね?」
いまいち納得はいかないが、自由な男の最後の矜持と判断したのか、メスメルは彼のやりたいことを問いかける。それに対して返された答えに、メスメルもシャーロットも疑問を覚えた。
「ちょっと、まだ死なないの? 一般人って本当にゴキブリみたいね」
腹立たしげにアウロラが声をかけてくる。シャーロットは一度大きく呼吸してから、ふらつく足で立ちあがった。
「……つい今さっき亡くなったわ。悼む時間くらいあげたらどう?」
「もう十分あげたわ。ライダー、立ちなさい」
ふん、とシャーロットから顔を背け、アウロラはティーチに向かって命じる。一拍空けてゆらりと立ち上がり、ティーチは振り向いた。そして