破典聖杯戦争 ~黒髭エドワード・ティーチがオタ落ちした日~ 作:若槻 風亜
息子が死んだ。事件だった。安置室には横たわる死体が一つ。顔の布は取らない方がいいと言われたが、見ないと永久に囚われそうだったので覚悟はあると見せてもらった。
――本当に、見ない方が良かった。
息子はそれが本当に息子かも分からないほど無残な姿だった。元々長く顔を合わせていなかったので、子供の頃の姿しか碌に覚えていない。……その姿すら曖昧だったのだが、今日で全て塗り替えられてしまった気さえする。
あまりの惨状に質の悪い連中に絡まれたのかもしれないという予測は出たが、それすらも分からない。近隣に防犯カメラはあったのだが、
最近健人の家に男が転がり込んでいたらしいが、男と会話したことがある健人の家の近所の主婦や健人の唯一の友人は、その男が自身を「健人の母の親戚」と名乗ったと証言している。
健人に接する様子や健人の様子からは、その関係性を疑うようなおかしい点はなかったそうだ。むしろ、叱り諭し褒める様子や、反発しつつも慕う様子は友人のような親子のようだった、という証言すら出ている。
健人の死後、その男は見つかっていない。逆に警察から何か知らないのかと訊かれた。
訊かれても、何も知らない。健人とは一切交流がなかったから。
健人のタブレットから出てきたという男の写真を見せられても、何も分からない。仕事が忙しく妻側の親戚付き合いは一切していなかったから。
実の息子や妻に関することでこんなことしか言えない自分が、情けなく、恥ずかしかった。
「……健人っ……!」
何年ぶりだろう、息子の前で、息子の名前を呼んだのは。
息子が幼い時分は、ずっと忙しかったのだ。会社の経営が波に乗り、やることが尽きないほどだった。
だから、息子が学校でいじめを受けていると知っても構っていられなかった。引っ込み思案でぼそぼそ喋るのが気に食わない気持ちが分かって、息子の味方でいてやれなかった。
妻がこの世を去った時、これから息子と二人で暮らしていくのかと思うと気が重かった。学校にも行っていない、まだ15歳になったばかりの子供に構いながら仕事をすることへの重圧だけが、頭を埋めていた。
だから、息子が家を出たいと言った時、正直ほっとしてしまったのだ。
お互いその方がいいとすぐに納得して一人で暮らせるように手配した。ゴミ捨て場が近くにないとあっという間にゴミ屋敷になりそうだったので、それを避けるために申請もした。息子がゴミ屋敷の住人などと会社の人間や取引先に知られたら印象が悪すぎる。それは避けたかった。
1年が経つ頃、食事や掃除も自分で出来ると聞いたので家政婦を引き払った。家政婦には最後まで食い下がられたが、住む場所と暮らす金を渡しているのだから十分だろう、とその言葉は聞き流した。人が必要なら自分で手配すればいい。いつまでも引きこもりなんて馬鹿馬鹿しいと本気で思っていた。
2年が経った頃、家に資料の置き場が欲しくて息子の部屋を空けることにした。そこで初めて――後悔した。
部屋を掃除させる前に、一応妻のものがないかを確認するべく部屋に入った。漫画などの趣味のものは全てあちらの家に持って行ったので、部屋に残っていたのは学校関係のものばかり。
机の上には一度も開かれなかった中学の教科書が山となっていた。苦々しく思いつつ机の引き出しをひとつずつ開けていく。中に入っているのは当たり前に健人のものばかり。
そして最後に一番大きな引き出しを開けて、違和感に気付いた。
やけに膨れ上がった教科書やノートがいくつも重なっている。表紙からして小学生の頃のものだ。湿気で膨れたのかと手に取り、絶句した。
教科書はびりびりに破かれ、あるいはマジックでぐちゃぐちゃに塗りつぶされ、赤いペンで「死ね」「学校来るな」「ゴミ」などと書かれている。どくりと心臓が嫌な音を立て、喉が詰まるような感覚を覚えた。
まさかと他の教科書やノートを開いていく。そこには罵詈雑言が重ねられ、当たり前のように破かれ、汚されていた。
そういえば、と一番広い引き出しに「記録」と書かれたノートが入っていることを思い出しそれを取り出す。
中を見れば、幼い字が並んでいた。日付は息子が小学生の頃の物。そこには幼い息子が同級生たちからどんな扱いを受けたのかが刻まれていた。妻の話を聞き流していたことを心の底から後悔するほど、そこには地獄の苦しみが広がっていた。
眩暈がして机に手をつき身を傾ぐと、机の横にかけられたボロボロのランドセルが目に入った。大人しい息子が、ものを大切に扱う息子が、ランドセルをこんな風に扱うわけがない。何をされたのか、察するに余りある。
幼い心を壊すには十分すぎるこの痛みを、ずっと無視して、お前が悪いと、言い続けていたのだ。
後悔した。後悔した。後悔した。息子のことを守らなかったことを。妻の言葉を無視したことを。こんなにも傷付いていたのに。
今すぐにでも息子と向き合い謝りたかったが、思い出されるのはあの家で暮らしたいと言った時の息子の顔。恐怖の対象と話しているような、引きつって青ざめた顔。
またあの顔をさせてしまうのかと思うと、怖くて仕方なくなった。
結局息子の部屋に手は付けられなかった。かといって、あの家に訪れる勇気も、電話をかける勇気も、過去と向き合う勇気も、出すことは出来なかった。
そうして4年が経ち、最期がこれなのだ。
今更何の役にも立たない後悔だけが、いつまでも脳裏に巡り続ける。
健人以外にも不審死が多かったこともあり、半年ほど本格的な捜査が続いていたが、1年が経つ頃には捜査本部も閉じられ細々とした操作が続くだけとなった。
現場保存を、と言われていた健人の家も、階段下収納の床板の下から、ただのアンティークと化したとても古い銃が箱にしまわれ飾られているような状態で出てきた程度で、それ以外には特に怪しいこともなかった。
捜査員が漫画やDVDを1つずつチェックしていたが、何かが隠されているということもなかったようだ。結果、見落とした何かがあるかもしれない電子機器以外は片付けてもいい、というお達しが出た。――結局手はつけられなかったが。
そして数年後、世間の大半が事件を忘れた頃になって、ようやく息子が暮らしていた家を片付けるため重い腰を上げた。
家中にあった漫画、ゲーム、フィギュア等々のオタクグッズは売れるというので業者に任せることにした。
そしてその片付けが終わったというので、久々に――完成直後以来にその家に足を踏み入れた。画像で見た家と同じ家とは思えないほどすっきりした室内。本当に息子は、何も残していかなかったのだな、と胸が締め付けられる。
しばしの感傷の後、リビングに残されていた数少ない荷物に手を付けた。服やスクラップ帳、DVDの再生機、タブレット等々、細々したものがいくつか。パソコンは元の場所に置いたままになっている。
タブレットを目にした時、そういえばこれに例の男の写真が入っていたのだと思い出した。子供の頃から写真嫌いであったが、もしかして妻の親戚だという男と過ごしていた期間なら、1枚くらい健人の写真も残っていないものか。
薄い期待を込めてタブレットを立ち上げる。家でしか使わないためか警察が解除したのか、パスワードはかかっていなかった。
アルバムのアイコンを探し、タップ。写真のフォルダを見つけ、タップ。
そしてそこに、期待以上のものを見つける。
フォルダの中には複数の写真。そのどれに映っている息子も、知らない姿をしている。引きつったり怒ったりした顔もあれば、例の男がポーズを付けている写真も、その男と一緒に映っている写真も出てくる。ふざけた様子で隣り合って写る姿は、証言通り、確かに親子のように見えた。
そんなことを思う資格もないのに、胸の奥に仄暗いものが灯る感覚を覚える。それを考えないように先へ先へとスワイプしていき、ある一枚で、手が止まった。
「……健人……」
そこに映っているのはもう何年も見ていない、見た記憶もない息子のとても楽しそうな笑顔。笑った時の目元がこんなに妻と似ていたことも、知らなかった。
覚えず床に突っ伏す。嗚咽で喉が詰まりひどく痛い。もう、何もかも全てが遅いのだ。そう思うと、溢れてくる涙を、止めることは出来なかった。
これにて破典聖杯戦争終了です!
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