破典聖杯戦争 ~黒髭エドワード・ティーチがオタ落ちした日~ 作:若槻 風亜
「――つー話から3日」
久々に実体化したティーチは、ヘッドホンをつけてPCの前に座り込んでいた健人の背後に立つ。
突然背後に感じた気配にヘッドホンを外しながら慌てて振り向くが、それが良くなかった。振り向くと同時に伸びてきた大きな手に正面から思い切り頭を鷲掴みにされてしまう。痛いとは思わなかったが、ただただ怖い。
恐怖に健人が固まっていると、ティーチはその前にしゃがみこみ呆れた目を向けてきた。
「お前命がけの聖杯戦争中だって分かってんのか? 朝から晩まで飯もまともに食わねぇで便所と寝る時以外ずーーーーっとこのはこの画面の前に座り込みやがって。部屋も暗ぇーんだよ! 何でカーテンずっと閉めてんだ!」
「うあっ、あのっ、待っ」
健人を雑に放り出すと、ティーチは破けそうな勢いでカーテンを開いていく。床に倒れ込んだ健人がか細い声で制止を呼びかけようとするが、勇気が出ずに言葉尻が萎んでしまった。
そうしている内に、部屋には爽やかな日光が差し込んでくる。「空気も悪い」と断じて、ティーチは窓まで開けてしまった。戦争中だと分かっているのかと文句を言っていたが、戦争中に拠点を大解放するのもどうなんだ。思いはしたが、それこそ言葉に出来るはずもなく。
ぐっと言葉を飲み込むと、健人は光が差し込む範囲の床から散らばっていた漫画やDVDなどを端に寄せていく。
「よし、やっとさっぱりしたな。で? お前何やってやがんだ三日も?」
どかりと座り込み、ティーチはなおも呆れた視線を健人に向けてきた。視線に怒りを感じないことに安堵したものの、この機嫌も返答次第かもしれない。
健人は正面にそそくさと正座しティーチの目を真っ直ぐに――見られるわけがないので視線を下げつつ言い訳を口にする。
「え、っと、アニメを、み、観てました。黒髭さん……じゃなくて、ライダーさんは、その、お、お強いから、全然外出歩いても平気だと思うんですけど、その、拙し……僕、運動、体育とかも全然ダメで、僕が外出たらすぐに殺されちゃいそうで、怖くて……。それにもう何年も、その、
言い訳を重ねるたびに声が小さくなり、最終的に土下座の姿勢になる健人。「かーっ」と大きな声を上げて、黒髭は両腕を後ろにつき天井を仰ぎ見た。土下座したまま健人はびくりと大きく体を跳ねさせ細かく振動し始める。
この三日間、時々声をかけてくるものの、ティーチは怒鳴り散らしたり無理やり外に出そうとはしてこなかった。
段々とその声は健人にだけ聞こえる幻聴のように思えてきて、何なら今朝起きた辺りからはあの日のことが夢で、健人は二次元に溺れるあまりついにその域まで達してしまったか、という感覚に陥っていたくらいだ。
だがやはりこれは現実。初日の荒々しい言動に反して大人しくしていたティーチも、流石に堪忍袋の緒が切れたかもしれない。
そうしたら自分はどうなるのだろう。この安息の地から引きずり出され外を連れ歩かれ戦いに巻き込まれ、最終的に命を落とすのだろうか。自分が八つ裂きにされる様を想像してしまい、健人はぶるりと大きく震えた。
「そんな気はしたがやっぱりそうかよ。いいか健人。何度も言うが今は戦争中だ。もうちっと気を引き締めろや。ここが出来のいい魔術工房じゃなけりゃとっくに連れ出してんぞ」
上半身を勢いよく戻しながら釘を刺され、健人は声の限りの返事と謝罪を口にし、一拍空け、そろりと顔を上げる。
「……魔術工房……?」
聞き覚えのない単語だ。疑問を込めて見上げると、ティーチはさらに上に視線を上げ、人差し指で空中に円を描いた。
「やっぱりこれも無自覚か。そうじゃねぇかと思ったぜ。――俺も詳しくはねぇが、簡単に言えば魔術師の拠点だな。この家は小せぇが龍脈の上に建ってて、隠蔽と守り、それと癒しに特化してる。三日見て分かったが、ガキひとりで暮らしてんだろここ。この家どうしたんだ?」
再び視線が健人に向けられる。思わず視線を合わせることになり咄嗟に逸らしてしまうが、ティーチからは不服の声は上がらない。その代わり、首根っこを掴まれ無理やり上半身を起こされた。
視線を合わせられない先からは、早く答えろとばかりの無言のプレッシャー。固い唾を飲み落とし、健人はこの家の経緯と唯一の心当たりを説明すべく口を開く。
「――この家、亡くなった母が遺してくれたんです」
健人の母親は、四年ほど前に亡くなった。旧家の出身だという母親は実業家の父に嫁ぎ、健人を生み育て、
この家は、
健人の当時の状況に理解も納得も示さなかった父がいる家は、とても辛くて仕方なかった。
だが、この家にいる時だけは息が出来るような気がして、気が付けば実家ではなくこの家に入り浸っていた。
そのことで父と母がよくケンカをしていことも覚えている。いつも穏やかに笑っていた母は、その時ばかりは頭と口の回る父相手に全力で立ち向かって健人を守ってくれていた。
やがて母が病気に倒れこの世から去った時、健人はすぐに父にこの家で暮らしたいという旨を伝えた。母がいない状態で上手くやれる自信は、父にもなかったようだ。――母が死んだ原因を健人だと思っていたからかもしれない。
とにかく、父は反対も叱責もなく「分かった」とだけ答え、父と健人の間に行き交うものは金銭だけとなったのだ。
初めの頃は家政婦やハウスクリーニングなどが入っていたが、健人が自分で最低限の食事の用意や掃除が出来ると伝わったからか、十六歳になる頃には人が家に来ることはなくなった。
気の優しい中年女性だった家政婦は最後まで気にしてくれており、最後の日には色々な生活のためのメモをノート一冊にまとめて贈ってくれた。そのノートは困った時の虎の巻として今でも健人の生活のお供だ。
ちなみにはじめて一人になった後さりげなく一番役に立ったのがゴミ捨ての知識だ。ゴミ屋敷になった場合にどんなことが起こるか約2ページに渡って脅すように書かれていたので、ゴミだけは早朝、人がいない時間に頑張って外に出て捨てている。健人が引っ越してきてすぐ頃に新しいゴミ捨て場が家の間近に出来たのが不幸中の幸いだ。
そしてこの家で暮らし始めて今年で四年。健人は十九歳となったが、その生活に特に変わりはない。いつも通りに電気はつくしいつも通りに水は流れるしいつも通りにネットで買い物は出来る。
家に住むにも税金がかかると知った最近では、むしろ四年引きこもっている息子のために生活費や趣味の金を出してくれるいい父親な気がしてきていた。
何か伝えなくてはいけないと思うけれど、外を歩く勇気も、実家のチャイムを鳴らす勇気も、電話口で言葉を口にする勇気は出ない。結局この小さなゆりかごで、健人は引きこもり続けるのだ。
「母が魔術師だったのかは分からないです。でも、小さい時転んだ時なんかにしてもらったおまじないは本当に痛みがなくなったような気がしました……」
まだ幼い頃、母を「魔法使いだね」と言ったことがある。
魔法――魔術を実際に見たわけではなく、初めて母が料理をしているところを見た時のことだ。ただの材料がどんどん姿を変えて、最後に美味しい食事に変わったことに感動してそう言った。
言われた母は一瞬固まり、「びっくりしちゃった」と笑っていたが、ティーチ曰はく「魔術師と魔法使いは違う」とのことなので、実はその辺りが理由だったのかもしれない。
「ほーん、母の愛ってやつかね。俺には分からねぇ感情だな。――ま、何はともあれ宝の山だ。しばらくこのまま根城にさせてもらうとするぜ」
胡坐をかいた膝の上に肘を置き頬杖をついたティーチ。「それはそれで暇だな」と呟く横顔は思ったよりも大人しい。視線は面白いものを探すように部屋を行き来している。
「……い、意外、ですね」
「あん?」
「ひっ! たっ、戦うの、好き、なのかと」
頭を抱え身を小さくしながらも何とか言葉を絞り出した健人に、ティーチは口元を歪め悪辣な笑みを浮かべた。
「戦うのは好きだぜ? だが俺ぁ騎士でも戦士でもなく海賊だ。海賊ってのは奪うもんだろ?」
先程までとはまるで違う、悪逆をこねて形にしたような恐ろしい雰囲気がティーチを取り巻く。全身が粟立つ感覚に、健人は自身の迂闊な質問を呪った。
「宝ってのは焦ってばかりの奴には取れねぇもんよ。いいもん手に入れるためにも、俺たちはしばらくの間待ちの姿勢だ。この拠点は守りを前提にするならかなり有利だしな。利用しない手はないぜ」
ぱっと笑顔が浮かべられ、先程までの雰囲気が一気に霧散する。
詰めていた息をゆっくり吐きだしながら健人は、この海を駆る虎の尾は長く曲がりくねっている、と思った。踏んでいないと思った次の瞬間には思い切り踏みつけてしまう可能性があり、気が抜けない。
ともあれ、期せずして母の残した家が健人たちの助けとなった。これはまさしく、母の愛だろう。
「とはいえ、だ。待ってる間は暇で仕方ねぇ。なんかねぇのかよ?」
「えっ!? えっと、えっと――!」
突然の無茶振り。これに応えられないともしかしたら暇つぶしに死なない程度にいたぶられるかもしれない。マスターを足手まといな状態にすることなど本来するはずがないのだが、気が抜けないと思ったばかりの健人の思考はネガティブに寄っていた。
だがどう足掻いても、健人は健人。二次元としか向き合ってこなかった少年だ。勧められるものなど
「ア、アニメでも……観ます……?」
ひとつしかない。