破典聖杯戦争 ~黒髭エドワード・ティーチがオタ落ちした日~ 作:若槻 風亜
様子見、ということで話がまとまった翌日の早朝。健人はまとめていたゴミ袋を前にじりじりとしていた。
ゴミを捨てに行きたいが、目と鼻の距離すら今は怖い。とはいえ、家をゴミ屋敷にしたら早々に引き払う、と父から最初にきつく言われている。捨てないわけにはいかない。
どうしたものか、と悩んでいると、リビングで夜通しネットゲームをしていたティーチがひょいと顔を出してきた。
「おい健人、ゴミ捨てならもっと明るくなってからにしろよ。早朝と深夜は人目が少ないから絶好の狩り時だぞ」
要は人が出歩く時間に行け、ということらしい。確かにこの近辺は住宅街なので、通勤・通学の人がちらほらと行きかっている。人とは会いたくないが、命の危機には代えられない。
仕方なく、健人は一度出ることを諦めひとまず食事を取ることにした。
しばらくして、外に人の気配が少しずつ増えてきたので、健人は改めてゴミ袋と向き合う。今度はティーチが一緒に行ってくれる様子であったので、先程よりは恐怖が薄い。
それでもびくびくしながら外に出て、ちょこちょこと小走りでゴミステーションにゴミ袋を置き、同じ速度で踵を返した。隣を大股で歩くだけで普通についてくる高身長の男が羨ま妬ましい。
無事に敷地の門に辿り着いた、その時だ。健人に試練が訪れる。
「あら、健人君? 久しぶりねー。すっかり大きくなって。お元気?」
背後から聞こえてきたのはおっとりとした女性の声。ぎくりと体を強張らせ、健人は顔だけそぅっと動かし声の主に視線を向け、すぐに逸らした。
そこにいたのは50代かそこらの女性。隣の家の住人で、まだ母が生きていた頃や家政婦の女性がいた頃にはよく二人と世間話をしていた。
健人は直接話したことは数度しかないが、やり取りを窓から何度も見たことがあるので顔は覚えている。下の名前は知らないが確か苗字は間島と言ったはずだ。
いつもニコニコとして穏やかな女性であることは知っているが、頭がぐるぐるしてしまって何も思い浮かばない。いっぱいいっぱいになりながら小さく頭だけ下げて家に入ろうとするが、首根っこをティーチに掴まれて止められてしまう。
「こら待て。ご近所さんとの挨拶は大事だって小夜子が言ってただろうが」
小夜子、とは、ティーチが一昨日くらいに見ていたアニメのヒロインだ。純愛系青春アニメで、見ながらティーチが「いいなぁ……」と呟いていたのがとても印象に残っている。なんでも生前女性に不自由したことはないが、近付いてくるのは財産目当ての相手ばかりだったので、純粋な気持ちがただただ眩しかったとのことだ。
健人が言えた義理ではないが、アニメに影響を受けすぎではないか? と視線を上げると、ティーチがテレパシーを飛ばしてきた。
パスでつながったマスターとサーヴァントの間で使用出来る能力らしい。突然使って挙動不審にならないように、と事前に練習していたので健人は動揺することなくそれを受け入れる。
『俺と一緒にいるところ見られてんだ。変に疑われて警察なんて呼ばれたら面倒事になる上に敵に見つかるかもしれねぇ。話合わせろ』
言われた言葉に確かに、と健人はティーチ越しに間島夫人に視線をやった。
そうして視界に入れた表情を見て、彼女が健人でも分かるくらい不安を隠せていないことに気が付く。ぎゅう、と胸の前で握りしめられた拳は無意識だろうか、少し震えていた。
気持ちは分かる。ティーチは傍目から見たらデカくて強面の危険そうな男だ。本当なら関わりたくなかっただろうに、良心的な人物である彼女は、健人を慮って勇気を振り絞ってくれたのだろう。
そう思うと、ちゃんと話さなくては、という気持ちが湧いてきた。
唾を飲みこみ喉を鳴らし、健人はティーチの横まで戻って改めて頭を下げる。
「……おっ、おはよう、ございます」
声がひっくり返った。恥ずかしかったが、間島夫人はティーチが引き止め健人がそれに答えたことに少しほっとしたようだ。表情が若干和らいだ。そこに間髪入れず、笑顔を浮かべたティーチも挨拶を重ねる。
「おはようございます。エディ・ライダーと申します。いやーすみませんね、うちの甥っ子が失礼な態度取っちゃって。ずっと引きこもってるもんだから態度が悪くて」
下げていた頭を乱暴に撫でるようにさらに上から押さえつけられるが、少々強いくらいで痛みはさほど感じなかった。
「まあ、健人君のおじさん? そういえばお母さんイギリスのハーフって言ってたかしら。お母さんのお兄さんなんですか? あら、でも名前……」
「ああ、いや、母方の親戚なんで、正確には伯父甥ってわけじゃないんですがね。名義上甥って呼んでるんですよ。俺は完全にイギリス人です」
「まあー、そうなんですね。それなのに日本語お上手なんてすごいわぁ」
「いやー、日本が大好きなんです。だから健人の母親と健人とも、日本に親戚がいると知って昔から連絡取ってたんですよ。今回来日したので、家にお邪魔させてもらってまして」
よくそうポンポンと嘘が出てくるものだ。感心しつつも、健人は実は今それどころじゃない。無意識だろうティーチの手がまだ頭を撫でてきている。その感触に、健人はそわそわが止まらなかった。
父親が健人を褒めたことは記憶にある限り一度もなく、当然頭を撫でられた記憶もない。教師に頭を撫でて褒められるタイプでもなかった。母方の祖父は亡くなっており、父方の祖父とは疎遠。
なので、実は大人の男性に頭を撫でられるという状況はこれが初めてなのだ。ただの演技なのは分かっているのだが、それでも嬉しさとくすぐったさがどうしても湧き上がってくる。せめて誰にも知られないように、と願っていたのだがそれは無駄に終わってしまった。
「あら? あらあらうふふ、健人君ってばライダーさんに撫でられて嬉しそうねー」
「あらあらうふふー? 健人ってば甘えん坊ですかー?」
目端の利く夫人がニコニコとして指摘してくる。健人とティーチの間の不審が晴れたので気が抜けたのかもしれない。
気付かれたことに健人は顔を赤くした。追い打ちをかけるようにティーチがにやにや笑って間島夫人の物言いを真似てくるのだから質が悪い。頭を撫でる力は強くなりガシガシという勢いになっていた。
「~~~~違うしっ! 僕もう家入る!」
真っ赤になってティーチの手を振り払うと、健人は今度こそ家の中に引っ込む。門扉を超えた向こうからは呵々大笑というに相応しい笑い声が聞こえてきて、怖いよりも腹が立った。
絶対格ゲーで一撃も与えられずに倒してやる。そんな決意が健人の心を占めるのだった。