遺産で引き継いだSPメイドたちがヤバ過ぎる   作:最高司祭アドミニストレータ

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『地域のドン』来訪

 ぽかぽかとした暖かな春の午前中。

 

 四十万家の大豪邸のリビングには、奇跡としか言いようがない、極上の『静寂』が訪れていた。

 

 

「誰もいない」

 

 

 俺は最高級の革張りソファに深く腰を沈め、淹れたてのコーヒーの香りを楽しみながら、信じられない思いで周囲を見回した。

 

 いつもなら背後の影に同化しているセツナは今、屋根裏の通気口や梁の『狙撃ポイントの再点検と清掃』という名目で天井裏に潜っている。

 

 瑠璃は、屋敷の外周二キロの『不審物(※ただのゴミ)排除パトロール』に出かけており、ひまりは裏庭で『想定外の地盤沈下に備えた土壌の押し固め(※ひたすら地面を全力で踏みつける作業)』に勤しんでいる。

 

 そして、唯一の常識人である結衣さんは、俺が頼んだ春の新作スイーツを求めて駅前のデパ地下へと買い出しに出かけていた。

 

 つまり今この瞬間、この広大なリビング空間において、俺は完全に『一人きり』なのだ。

 

 頭上から試薬が降ってくる恐怖も、突然壁がぶち抜かれる危機もない。俺の平穏至上主義が、入居以来初めて完璧な形で成立している。

 

 

「最高だ! 結衣さんが帰ってくるまでの一時間、俺は誰にも邪魔されず、静かに相場をチェックし、優雅な読書を楽しむぞ!」

 

 

 俺は歓喜に震えながら小説を手に取り、コーヒーカップに手を伸ばした。

 

 

 ――ピンポーン。

 

 

 その瞬間、エントランスのインターホンが、無情にも俺の絶対的平穏を切り裂いた。

 

 

「…嘘だろ」

 

 

 ため息をつきながら、俺はリビングの壁面モニターへと視線を向ける。

 

 画面には、重厚な門扉の前に立つ一人の来訪者の姿が映し出されていた。

 

 その風貌を見た瞬間、俺の背筋に冷たい汗がツーッと流れ落ちた。

 

 画面越しでも伝わってくる、尋常ではない凄み。

 

 上質な紬の和服を着流した、眼光の鋭い老人だ。

 

 白髪を綺麗に撫でつけ、姿勢はピンと伸びているが、何よりも目を引くのはその頬に刻まれた『三本の新しい切り傷』である。

 

 刃物でスパッとやられた直後のような生々しい傷跡が、彼の「修羅場をくぐり抜けてきた」恐ろしい背景を雄弁に物語っていた。

 

 

「ほ、本職の人か!? なんで世田谷の高級住宅街に、極道映画のドンみたいな御老人が!?」

 

 

 俺の心臓が早鐘のように打ち始める。

 

 大富豪の屋敷というものは、常に表と裏の両方から目をつけられるものだとは聞いていたが、まさかこんな絵に描いたような任侠の徒が直接乗り込んでくるとは。

 

 天井裏のセツナや外の瑠璃を呼ぶべきか? いや、ダメだ。

 

 彼女たちを呼べば、確実に「武装勢力のカチコミ」と判断され、問答無用で火炎放射やロケットランチャーによる『排除』が始まってしまう。

 

 仮に相手が裏社会の人間だとしても、玄関先で死体を転がされるわけにはいかないのだ。

 

 

「当主として、ここは俺が一人で穏便に済ませるしかない」

 

 

 俺は決死の覚悟を固め、震える足に鞭打って玄関へと向かった。

 

 重い扉をゆっくりと開ける。春の風と共に、和服の老人が纏う独特の威圧感がフワッと漂ってきた。

 

 老人は俺の顔を見ると、その鋭い双眸をわずかに細めた。

 

 

「おめぇさん、ここの新入りかい。挨拶しに来たんだがね」

 

 

 ドスを効かせた、腹の底から響くような低い声。俺はビクッと肩を震わせながら、なんとか愛想笑いを作って頭を下げた。

 

 

「は、はい。先代からこの屋敷を相続した、四十万慧と申します。ご丁寧に挨拶まで痛み入ります。どうぞ、中へ」

「ほう? 若いのに大した度胸だ。お邪魔するぜ」

 

 

 玄関先で追い返せば後でどんな報復を受けるか分からないと考えた俺は、老人をリビングへと通し、向かい合うようにしてソファに腰を下ろした。

 

 結衣さんが淹れ置きしてくれていた予備のコーヒーを差し出すと、老人は「上等な豆だな」と一口啜り、ゆっくりとカップを置いた。

 

 そして、獲物を見定めるような鋭い目で、俺を真っ直ぐに射抜いた。

 

 

「いいか兄ちゃん。単刀直入に言わせてもらうぜ。この『シマ』で無事に暮らしたけりゃ、ルールってもんを守ってもらわねぇとな」

「ル、ルール…ですか?」

 

 俺は生唾を飲み込んだ。

 

 シマ。その単語が出た時点で、俺の推測は確信へと変わった。

 

 

「ああ。まずは、毎月キッチリと『みかじめ料』を俺たちのところに納めてもらう。これはこの土地で生きていくための、言わば場所代みたいなもんだ」

 

 

 老人は懐からスッと、和紙の束のような分厚いバインダーを取り出し、ローテーブルの上にドンと置いた。

 

 

(やはりみかじめ料の要求か…! だが、金で済むならいくらでも払おう)

 

 

 俺が震える手で財布を出そうとしたその時。老人の目がスッと険しくなり、声音が一段と低くなった。

 

 

「だがな、金さえ払えば何でも許されるってわけじゃねえ。ウチのシマは『掟』に厳しいぜ。特に…『ブツの処理』をミスる奴は、絶対に許さねぇ」

「ブ、ブツの処理…っ」

「そうだ。決められた日に、決められたやり方で、キッチリと証拠を残さずに処理する。それを少しでもミスって中身が表に漏れ出た日には…容赦なく『ペナルティ』を下す。玄関先に警告のステッカーをベタベタに貼り付けて、この町から追い出すことも辞さねぇからな」

 

 

 老人の頬の傷が、ピクリと動いた。

 

 ブツの処理。証拠を残さずに処分。俺の脳内で、とてつもなく物騒な想像が膨れ上がっていく。

 

 やはりこの町には、表沙汰にはできない危険な組織のルールが存在しているのか。

 

 

「いいか兄ちゃん。掟を守れねぇ奴は、この町じゃ絶対に生きていけねぇ。それは分かってるな?」

「は、はい…! 重々、承知しております…!」

 

 

 俺が青ざめた顔で何度も首を縦に振ると、老人はニヤリと満足げに笑い、テーブルの上のバインダーを俺の方へと押しやってきた。

 

 

「話の分かる若ぇので助かるぜ。…分かったら、ここに『血判』を押しな。それで契約成立だ」

 

 

 血判…つまり、印鑑のことだろう。

 

 俺はガチガチと震える手でリビングの引き出しから朱肉と印鑑を取り出し、老人に差し出されたバインダーのページへと視線を落とした。

 

 いくらを要求されているのだろうか。百万か、一千万か。

 

 その紙面に印字されていた文字を見た瞬間。

 

 俺の目は点になり、全身の震えがピタリと止まった。

 

 

『第三ブロック・世田谷桜ヶ丘町内会 入会同意書および口座振替用紙』

『町内会費:月額五百円(※資源ゴミの分別には厳しいルールがあります。未分別の場合は回収拒否シールが貼られますのでご注意ください)』

 

 

「……」

「どうした兄ちゃん? ペンがないのか?」

「いえ…なんでもありません」

 

 

 俺は心の中で腹を抱えて大爆笑。同時に、盛大な安堵のため息を吐き出した。

 

 

(ただの町内会長じゃねえか!! なんだそのコテコテのヤクザ風の言い回しは! 『シマ』じゃなくて『第三ブロック』! 『みかじめ料』じゃなくて『月額五百円の会費』! 『ブツの処理』は『ゴミの分別』のことかよ!!)

 

 

 俺は顔の筋肉が緩んでいくのを必死に堪えながら、財布から五百円玉を一枚取り出して老人に渡し、バインダーの端にポンと平和なハンコを押した。

 

 

「ほい、確かに受け取ったぜ。ちなみに俺の顔のこの傷、さっき野良猫に引っかかれちまってな。痛くてかなわねぇよ、ハッハッハ!」

「そうでしたか。とても迫力があって、格好いいですよ」

 

 

 老人は豪快に笑いながら立ち上がり、「兄ちゃん、話の分かる奴でよかったぜ! 今度の週末、公園の清掃があるから顔出せよ!」と気さくに肩を叩いてきた。

 

 俺もすっかり肩の力が抜け、「ええ、必ず参加させていただきます」と笑顔で老人を玄関まで見送った。

 

 重厚な門扉が閉まり、町内会長の姿が見えなくなる。

 

 

「ヤクザ映画の見過ぎのような話し方をする、面白いお爺さんだったな」

 

 

 これで我が四十万家も、無事にこの地域のコミュニティの一員として平和なスタートを切ることができたのだ。

 

 俺はホッと胸を撫で下ろし、リビングへと戻った。

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