遺産で引き継いだSPメイドたちがヤバ過ぎる 作:最高司祭アドミニストレータ
町内会長という名の『ヤクザ映画のエキストラ』を見送った後、俺は再びリビングのソファに腰を下ろし、冷めかけたコーヒーを啜った。
極度の緊張からの解放と、思い出し笑いが混ざり合い、俺の口角はどうしても緩んでしまう。
「シマ」だの「掟」だの「ブツの処理」だの、あのお爺さんはきっと、昔の任侠映画の熱烈なファンなのだろう。
平和な世田谷の住宅街でそんなワードを使うお茶目さに、俺はすっかり彼のことが気に入ってしまっていた。
そんな風に一人でくすくすと笑っていると、リビングの扉が開き、三人のSPメイドたちがそれぞれの任務を終えて戻ってきた。
「旦那様、裏庭の地盤固め、完了いたしました! 震度七の直下型地震でも、あの一角だけは沈みません!」
ひまりが、春の陽気でうっすらと汗をかきながら満面の笑みで報告してくる。彼女の靴の裏には、コンクリートのように押し固められた土の塊がこびりついていた。
「屋敷の外周二キロ、不審物の排除パトロール終了よ。アリ一匹たりとも、この屋敷の敷地内へは通さないわ」
瑠璃が、腰に下げたワイヤーを巻き取りながら涼しい顔で告げる。
「狙撃ポイント、清掃および視界のクリアリング完了です。これより、旦那様の背後の死角にて護衛任務に復帰します」
いつの間にか俺の真後ろに立っていたセツナが、埃一つない顔で音もなく呟いた。
「ああ、三人ともご苦労だったな。少し休んでくれ」
俺は当主としての余裕を見せつつ、ふとあることを思いついた。
そういえば、結衣さんは買い物で不在だ。
メイドである彼女たちにも、これからの屋敷の運営や生活のルールについて、先ほどの会長の言葉を共有しておくべきだろう。
特に「ゴミ出しの分別ルール」については、生活する上で必須の知識である。
そして何より──俺の心の中に、ほんの少しだけ『映画の真似事をしてみたい』という、若者特有の無邪気な悪戯心が芽生えてしまっていた。
「いやぁ、実はお前たちがいない間に、今この辺りを仕切ってる『トップの人』が挨拶に来てさ」
俺はコーヒーカップを片手に、わざとらしいほど肩をすくめ、先ほどの老人の口調を真似て話し始めた。
「この『シマ』で平和に暮らすには、毎月キッチリと『みかじめ料』を納めなきゃいけないらしいんだ。で、一番大事なのが『ブツの処理』の掟だそうだ」
「ブツの、処理…?」
「そう。掟を破って中身が表に漏れ出たり、処理の方法をミスったりしたら容赦なくペナルティが下るって、直接念押しされちゃってね。いやぁ、なかなか肝の据わった御老人だったよ」
俺は「ハッハッハ!」と笑い声を上げた。町内のルールに厳しい名物会長の姿を、彼女たちも面白おかしく想像してくれると思ったのだ。
──だが、俺の笑い声は、リビングの空間に木霊することなく、凍りついた空気の中へと不自然に吸い込まれて消えた。
「えっ?」
俺がカップを持ったまま固まると、目の前に立つ三人のメイドたちの様子が、明らかに決定的に狂っていることに気がついた。
春のうららかな陽射しが降り注いでいるはずのリビングの温度が、氷点下まで急降下したような錯覚。
彼女たちの瞳から、感情の光が完全に消失し、代わりに底知れぬドス黒い殺意が渦を巻き始めていた。
「つまり。我々が席を外しているその一瞬の隙を突いて。敵対組織のボスが単身で乗り込み、旦那様に直接『みかじめ料』を要求した…と?」
瑠璃の声が、地鳴りのように低く震えていた。彼女の拳はギリギリと白くなるほど握りしめられ、首筋には怒りの青筋が浮かび上がっている。
「ち、違う! トップの人ってのは町内会の会長で…!」
「…ブツの処理。つまり、死体遺棄における非公然の掟ですね」
セツナが、無表情のままスカートの裏地からチャカッ、と乾いた音を立てて二丁のハンドガンを抜き放った。
「我々の縄張りで独自に標的を処理することを禁じ、従わなければ粛清を下すという…明白な四十万家への脅迫です」
「待てセツナ! 死体遺棄じゃない! ゴミの分別の話だ! プラスチックと燃えるゴミの!」
「なんたる屈辱…! 許せません!」
ズドォォンッ!!
俺の弁明を完全に掻き消すように、ひまりが両手でリビングの大理石の床を叩き割った。
飛び散る破片の中で、彼女のハニーブロンドの髪が逆立つほどの怒気でふわりと舞い上がっている。
「我々が目を離した隙に、旦那様がコケにされるなんて! 護衛としての名折れ! これは四十万家への、いや、我々の命に対する完全なる宣戦布告です!!」
「その通りよ。相手がどこぞのドンだろうと関係ないわ。この縄張りの覇権を握るのは、我らが旦那様ただ一人よ!!」
瑠璃が叫びながら、太もものホルスターからワイヤーと特殊警棒をドシャッと取り出す。
マズい。完全にマズい。
俺の何気ない言葉のチョイス──いや、調子に乗ったヤクザ風の事後報告が、彼女たちの『暗殺者としての翻訳機能』を致命的にバグらせてしまったのだ。
「今すぐあの老人を追跡し、息の根を止めます! 対象の足取りは!?」
「アジトの場所を特定! 私がC4爆弾を積んだトラックで突撃し、更地にします!」
「逃走経路の封鎖、完了。路地裏に追い込み、蜂の巣にします」
ガチャッ、ジャキッ、チャカッ!
わずか数秒の間に、エプロン姿のメイドたちは、どこから取り出したのかも分からない重火器、暗器、刃物を全身に装備した『完全武装の殺戮部隊』へと変貌を遂げた。
「やめろお前たちぃぃぃっ!!」
俺は魂の底から絶叫した。
「ただのお茶目なご近所さんだ! 町内会費の五百円を払っただけだ! お前たちが今からやろうとしているのは、善良な老人への無差別テロだ!!」
俺の声は、もはや怒りのオーラで視界すら歪んでいる彼女たちの耳には一切届いていない。
「旦那様、ここは危険です! 物陰に隠れていてください! 敵の首は、あたひたちが必ず持って帰ってきます!」
瑠璃が俺を気遣うような言葉を残し、血走った目で玄関の扉へと向かってダッシュしようとする。
(このままでは、ご近所付き合いが物理的な死体の山に変わってしまう…!)
俺はコーヒーカップを放り投げ、身の危険も顧みず、リビングの床を転がるようにして彼女たちの前に躍り出た。
まずは先陣を切ろうとしていたひまりの細い足首に、泣きながら両手でしがみつく。
「頼むから行かないでくれぇぇぇっ! 俺が悪かった! 映画の真似をした俺が全部悪かったからぁっ!」
大理石の床に這いつくばり、俺は玄関へ向かおうとするひまりの足首に必死にしがみついた。
ズルズルと床を引きずられながらも、絶対に手は離さない。
ここで彼女たちを外に出せば、陽気な町内会長が問答無用で爆破され、四十万家は完全に地域社会から抹殺されてしまう。
「旦那様!? お離しください、今すぐ敵の首を獲ってまいります!」
「行かなくていい! 敵じゃないから!」
「対象が逃走する前に、狙撃で足を止めます」
「やめろセツナ! 窓を開けるな!」
窓辺に駆け寄り、ライフルを構えようとしたセツナの前に、俺はひまりの足を離して文字通り身を挺して飛び込んだ。
スナイパーライフルの冷たい銃身を両手で掴み、無理やり下へと向けさせる。
「旦那様、危険です! あたしが安全な場所に隔離しますから、少しの間だけ気絶していてください!」
「気絶ってたやすく言うな! 瑠璃、お前もワイヤーをしまえ! なんで俺の首に巻き付けようとしてるんだ!」
護衛対象である俺を『安全に拘束』させようと迫りくる瑠璃の完璧な関節技を、俺は火事場の馬鹿力と、胃壁が千切れるようなストレスによるアドレナリンで決死の回避を見せた。
リビングを縦横無尽に転げ回り、三人の猛獣の行く手を阻む。息は完全に上がり、心臓は早鐘のように打ち鳴らされている。
もうこれしかない。
俺はリビングの中央に立ち塞がると、両膝を勢いよく床に突き、そのまま額を大理石にガンッ! と打ち付けた。
『土下座』である。
「──ごめんなさい!! さっきのヤクザみたいな報告は、全部俺の作り話です!!」
「「「えっ?」」」
俺の決死の土下座に、三人の殺気がピタリと止まった。頭を下げたまま、俺はゼェゼェと息を切らしながら必死に弁明を叫んだ。
「あの会長の独特な喋り方がちょっと面白くて…俺が調子に乗って、極道映画の真似をして大げさに言ってしまっただけなんだ! 暗殺とか、粛清とか、そんな裏社会のルールじゃない! だから頼むから、その物騒な武器をしまってくれ!!」
静まり返ったリビング。
俺が恐る恐る顔を上げると、完全武装のメイドたちはポカンと口を開け、信じられないものを見るような目で俺を見下ろしていた。
「映画の真似…?」
「そう! フィクション! だから全員、一回そこに正座して俺の話を聞いてくれ!」
俺は立ち上がり胃の痛みに顔を歪めながら、リビングの隅にあった連絡用のホワイトボードを中央へと引きずってきた。
彼女たちの異常な『暗殺者フィルター』を解除するには、この日本の平和な常識を、論理的に一つずつ翻訳して叩き込むしかないのだ。
「いいか? よく見てろよ」
俺はマーカーを握り、ホワイトボードにキュッキュッと文字を書き殴った。
「まず、俺が『シマ』と言ったのは、ただの『第三ブロック・世田谷桜ヶ丘町内会』のことだ! 敵対組織の縄張りじゃない!」
「え?」
俺が『町内会』という単語を丸で囲むと、ひまりが首を傾げた。構わず俺は次の解説に進む。
「そして、『みかじめ料』というのは月額五百円の地域会費のこと! 武器や麻薬を買う資金じゃない! 夜道の暗い場所を照らす街灯の電気代を払ったり、夏休みのラジオ体操の景品を買ったり、お祭りの提灯を買ったりする、超絶平和な使い道だ!」
「みかじめ料で、電球とお祭りの提灯を…?」
瑠璃が特殊警棒を取り落としそうになりながら、呆然と呟いた。
「最後に! 最も重要な『ブツの処理』の掟! これは、死体遺棄のルールなんかじゃない! 燃えるゴミと、燃えないプラスチックゴミをちゃんと指定の曜日に分けろっていう、ただの自治体のルールのことだ! 破ったら清掃車に回収拒否のシールを貼られるだけで、命は狙われない!!」
「…」
セツナは手にしていた二丁のハンドガンを静かに下ろし、信じられないとでも言うように目を瞬かせた。
「利益や覇権を目的とせず、地域住民が自発的に資金を出し合い、街灯の維持やゴミの管理という相互扶助を行う組織…旦那様、そんな平和なユートピアのような組織が、この日本に実在するというのですか?」
「実在するんだよ! お前たちが今立っているこの町全体が、そのユートピアなんだよ!!」
俺がホワイトボードを叩いて力説すると、三人のメイドたちは完全にカルチャーショックを受けた顔で、その場に力なくへたり込んだ。
武器が床に置かれ、ようやく四十万家にいつもの(?)平和が戻ってきた。俺は疲労困憊でソファに倒れ込み、深く長い息を吐き出した。
「ちょっと、あなたたち…また何かやらかしたんですか?」
その時、玄関の方から呆れ果てたような声が響いた。
手には春の新作スイーツの紙袋を提げた、メイド長の結衣さんだった。
俺の土下座の跡と、ホワイトボードに書かれた謎の解説図。そして完全武装のまま正座して呆然としている三人を見て、彼女は深いため息をついた。
「お帰りなさい結衣さん…今度は俺の失言が原因なんだ…」
「また旦那様の命を狙おうとしたのかと思いましたよ」
結衣さんは紙袋をテーブルに置き、呆れた目で三人の猛獣たちを見下ろした。
「いくら何でも、本当に『町内会』を知らなかったんですか? あなたたち、戸籍上は日本生まれの日本育ちでしょう? ゴミ出しのルールやご近所付き合いなんて、どの町にだって必ずあるものですよ?」
その言葉を聞いた瞬間、三人の表情がスッと暗く沈んだ。彼女たちは気まずそうに目を伏せ、自らの膝の上でギュッと手を握りしめた。
「あたしが育った山奥の『施設』には、標的と味方しかいなかったわ。ご近所さんなんて概念、教わってないもの」
瑠璃が、自嘲気味にポツリとこぼした。
「私の地元では、『地域の集まり』といえば、指定された港での武器の密輸取引の隠語でした! ゴミ出しじゃなくて、薬莢の回収しかしたことがありません!」
ひまりが、悲しすぎる過去を満面の笑みで告白する。
「私が幼少期に回していた『回覧板』には、町内のお知らせではなく…次に消す人間の写真と、暗殺リストが挟まっていました。回覧板は、血の匂いがするものだとばかり…」
セツナが無機質な瞳をわずかに伏せ、ぽつりと呟いた。
「……」
「……」
俺と結衣さんは、顔を見合わせた。
こいつら、日本のどこで、どんな地獄のような育ち方をしてきたんだ。祖父は莫大な金で、一体どこから彼女たちを買い取ってきたというのか。
ドン引きするほど壮絶で、あまりにも異常な生い立ち。
今まで当たり前のように『普通』を強要していたが、そもそも彼女たちの辞書には、一般社会の常識というページ自体が存在していなかったのだ。
沈黙するリビングに、春の温かい風が吹き抜ける。俺はゆっくりとソファから立ち上がり、正座して俯いている彼女たちの前に歩み寄った。
瑠璃とひまりの肩にそっと手を置き、セツナの頭を軽くポンと撫でた。
「…まあ、お前たちの過去に何があったのか、深くは聞かない。だがな」
俺は当主として、彼女たちを預かる一人の家族として優しく微笑みかけた。
「今日からお前たちも、この平和な世田谷の町の立派な『住民』だ。人を殺さなくても、武器を持たなくても、ここでは誰も怒らないし、誰も命を狙ってこない」
俺の言葉に、三人がハッとして顔を上げた。彼女たちの瞳に戸惑いと、ほんの少しの安堵の光が浮かぶ。
「実は、来週の日曜日にさっそく、町内会の合同清掃任務…『ドブさらい』があるんだ。町内の皆で側溝の泥をかき出す、ただの清掃作業だ。お前たちも、地域の住民として一緒に平和に参加しようじゃないか」
俺がそう言って手を差し出すと。三人の瞳から戸惑いが消え去り、代わりにブワッと熱い大粒の涙が溢れ出した。
「はいっ…! はい、旦那様っ!」
ひまりが泣きながら立ち上がり、俺の手を両手でギュッと握りしめた。
瑠璃もセツナも、目を真っ赤にしながら力強く頷き、立ち上がる。
「我々を、この平和なユートピアの一員として迎えてくださるのですね! ありがとうございます!」
「旦那様からの初めての地域任務…絶対に期待に応えてみせるわ!」
「我々の持てるすべての力を尽くし、この町の汚泥を分子レベルまで徹底的に殲滅してみせます」
三人は一斉に、涙ながらの完璧な敬礼をビシィッと決めた。
その顔は、新たな戦地へ赴く特殊部隊のようにも、初めての遠足を楽しみにしている子供のようにも見えた。
「分子レベルまで殲滅って…」
俺の頬がヒクッと引きつる。
「だから、そういうことじゃないんだってば…」
結衣さんが買ってきてくれた美味しそうな春の新作スイーツを見つめながら。
俺は誰にも聞こえないように小さく呟き、ポケットから取り出した胃薬の錠剤を、水なしで飲み込んだのだった。