遺産で引き継いだSPメイドたちがヤバ過ぎる 作:最高司祭アドミニストレータ
三月十四日。
春の柔らかな日差しが、四十万家の広大な庭園に降り注いでいる。
カレンダーに印されたその日付を見て、俺は自室のデスクで小さく息を吐き出した。
世間一般において、今日は「ホワイトデー」だ。
先月のバレンタインデーに女性から贈り物を受け取った男性が、その感謝を込めてお返しをする日。極めて平和で、甘酸っぱい日本の文化の一つである。
我が四十万家においても、先月はバレンタインという行事が行われた。
しかし、それは決して甘酸っぱいものではなかった。
『旦那様の現在地を二十四時間把握するためです』と言って超小型GPS発信機が埋め込まれていたひまりのチョコ。
『旦那様の隠し事を洗いざらい吐かせるわ』と自白剤が混入されていた瑠璃のチョコ。そして『対象の心拍数と血圧を劇的に操作し、私への依存度を高める特殊な劇薬』を盛ってきたセツナのチョコ。
結果として、メイド長の結衣さんが金属探知機と化学試薬を使って文字通り決死の「検品」を行うという、テロの未然防止訓練のような事態に発展したのである。
普通なら、トラウマになって二度とお菓子など見たくもなくなるだろう。
だが、あれからひと月が経ち、冷静になって彼女たちの行動を振り返っていた。
(あれはあいつらなりの、本当に不器用すぎる『愛情表現』だったんだよな)
やり方は完全にマフィアか暗殺者のそれだが、俺を貶めようという悪意は一ミリも存在していなかった。
むしろ、彼女たちは彼女たちなりに、懸命に俺を守ろうとし、愛そうとしてくれているのだ。
ならば、当主である俺が、一般常識の何たるかを身をもって教えてやらなければならない。
「結衣さん、頼んでいたものは用意できているか?」
「はい、旦那様。こちらに」
俺が自室を出て廊下で声をかけると、エプロン姿の結衣さんが上品な紙袋を三つ、恭しく差し出してくれた。
「都内で最も予約が取りづらい有名パティスリーの、ホワイトデー限定アソートメントです。中には色鮮やかなマカロンと、上質な粉砂糖をまぶしたスノーボールクッキーがぎっしり詰まっていますよ」
「助かる。色々と手間をかけさせて悪かったな」
「いいえ。旦那様は、本当にお優しいですね。あの子たちに、あんな目に遭わされているのに」
結衣さんが、まるで出来の良い弟を見るような温かい目で微笑んだ。俺は少しバツが悪くなり、視線をそらす。
「優しいとかじゃない。日頃の胃痛代を、こういう平和なイベントで水に流しておきたいだけだ。『これからもよろしく頼む』っていう、当主としての純粋な労いだよ」
「ふふっ、そういうことにしておきます…きっと、あの子たちも喜びますよ」
結衣さんの励ましを受け、俺は三つの紙袋を手にリビングへと向かった。
リビングでは、いつものように三人のSPメイドたちがそれぞれの持ち場についていた。
俺が入室した気配を察知すると、彼女たちは瞬時に踵を揃え、直立不動の姿勢をとった。
「旦那様、異常ありません!」
「いつでも迎撃態勢は整っているわ」
「監視任務、継続中」
血生臭い報告を繰り出す三人を前に、俺は咳払いを一つ落とした。
「ご苦労。ひまり、瑠璃、セツナ。ちょっとこっちへ来てくれ」
俺が手招きすると、三人は不思議そうな顔を見合わせながら、大理石のテーブルの前に一列に並んだ。
俺は手に持っていた紙袋の中から、パステルカラーの美しいリボンでラッピングされた小さな箱を三つ取り出した。
いざ渡そうとすると、急に照れくささが込み上げてきた。考えてみれば、女の子に改まってお菓子をプレゼントするなんて、高校時代以来のことだ。
俺は視線を彷徨わせ、わざと少しぶっきらぼうな、大人の男としての「余裕」を装った声色を作った。
「その…先月のバレンタインの『お返し』だ。受け取れ」
「えっ…」
俺が小箱を一つずつ手渡すと、三人の目がパチクリと丸くなった。
俺はさらに照れ隠しの言葉を重ねる。
「いつも俺の面倒を見て、色々と振り回してくれてるからな。今回は俺も奮発して、極上の『白いヤツ』を揃えてみた。中には真っ白なホワイトチョコと、粉砂糖がたっぷり詰まったクッキーが入ってる。…後で各自、開けてみてくれ」
言い終えた瞬間、自分の顔が微かに熱くなるのを感じた。
これ以上ここにいると、恥ずかしさで当主としての威厳が崩壊してしまう。俺は「お茶を淹れてくるから、くつろいでいてくれ」と背中越しに告げ、逃げるようにリビングのドアを閉めてキッチンへと向かった。
――俺はこの時、自分の言葉選びが、彼女たちの『暗殺者フィルター』をどれほど致命的に刺激してしまったかに、まったく気がついていなかったのだ。
キッチンでケトルに水を注ぎ、お湯を沸かし始めた時。
廊下を隔てたリビングの奥から、俺の耳に、ただならぬ重く冷たい沈黙の気配が伝わってきた。少し気になった俺は、キッチンからそっと身を乗り出し、リビングのドアの隙間に耳をそばだてた。
聞こえてきたのは、歓喜の悲鳴でも、乙女のはしゃぐ声でもなかった。
文字通り、戦場における『絶望的なまでの死地』を前にしたような、氷点下の声だった。
『お聞きになりましたか、お二人とも。旦那様は先ほど、明確にこう仰いました』
ひまりの声が、いつもの柔らかなそれではなく、かつてないほど低く震えている。
『バレンタインの…【お返し】だと…!』
『チッ…!』
瑠璃が、忌々しげに舌打ちをする音が聞こえた。
『そういうことね。先日のひな祭りでの要塞化や、町内会長への襲撃未遂…度重なる我々の失態と過剰防衛に対する、旦那様からの明確なペナルティ…!』
『対象の形状および、先ほどの宣告から推測します』
セツナの、感情の欠落した機械のような声がそれに続く。
『旦那様は、この箱の中に極上の【白いヤツ】が揃っていると仰った。…これは間違いなく、我々の危機察知能力を試すための、抜き打ちのテストです。中身は恐らく、高濃度の未知の粉末…炭疽菌か、あるいは最新型のC4プラスチック爆弾のいずれかでしょう』
『ひぃっ…! だ、旦那様ご自身の口から、粉砂糖という名の爆発物を詰めたと宣言なされたのです! これを開封するということは…!』
(待て待て待てぇっ!!)
廊下のドアの隙間に耳を押し当てたまま、俺は全身の血の気が一気に引いていくのを感じた。
違う! 「お返し」っていうのは日本語の「ギフト」の意味であって、「リベンジ(報復)」じゃない! 「白いヤツ」って言ったのは、ホワイトデーとスノーボールクッキーにかけたただのジョークだ!
俺の精一杯の気遣いとちょっとした照れ隠しが、彼女たちの脳内で完全に『死の宣告と爆弾の押し付け』へと翻訳されてしまっている!
『しくじれば我々の命はないわね。いいわ、やってやろうじゃない』
瑠璃の腹を括ったような声が響いた。
『これより、第一級の危険物処理任務を開始する。総員、ただちに防爆スーツを着用! 対象の解体・無力化ミッションを開始するわよ!』
『『了解!!』』
(アホかああああぁぁぁぁっ!!)
俺の心の中のツッコミが、キッチンの壁の中で虚しく木霊した。
ホワイトデーの美しい小箱が、今まさに重武装の爆発物処理班によって、軍事レベルの解体作業にかけられようとしている。
俺は沸騰するケトルを放り出し、限界まで痛む胃を抱えながら、リビングの扉へと猛烈な勢いで取っ手を握りしめたのだった。