遺産で引き継いだSPメイドたちがヤバ過ぎる   作:最高司祭アドミニストレータ

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今回はセールスマン視点です。
セールスマン生きてて良かったと思われたら是非、感想と評価をお願いいたします。


生還のセールスマン

 春のうららかな昼下がり。

 

 俺は世田谷区の閑静な高級住宅街を、ただひたすらに全力疾走していた。

 

 

「ハァッ、ハァッ、ヒィッ…!」

 

 

 肺が千切れそうなほどに息を乱し、革靴の踵をアスファルトに打ち付けながら、何度も後ろを振り返る。

 

 誰も追ってきていない。背中に背負った重さ十キロを超える液状肥料のタンクが、走るたびにガシャンガシャンと音を立てて俺の背中を打ち据えてくるが、その痛みすら今の俺には「生きている証」に思えた。

 

 交差点を曲がり大通りに出て、ようやく見慣れた看板が見えてきた時、俺は膝から崩れ落ちそうになった。

 

 

「たすかっ…たすかったぁぁ…っ」

 

 

 俺の所属する『みどりアグリテック販売』の小さな営業所に転がり込んだ時、俺のワイシャツは冷や汗と全力疾走の汗で完全に濡れそぼり、首に巻いていたタオルは見る影もなくヨレヨレになっていた。

 

 

「お、おい田原? お前どうしたんだよ、そんな顔面蒼白にして」

 

 

 営業所のデスクで伝票を整理していた同僚の山田が、ドアにすがりついてゼェゼェと肩で息をしている俺を見て、目を丸くして立ち上がった。

 

 

「や、山田…俺、生きてるよな? ちゃんと五体満足で、ここに帰ってきてるよな?」

「はぁ? 何言ってんだお前。春の陽気でついに頭やられたか?」

 

 

 山田の怪訝な視線を浴びながら、俺はふらつく足取りで給湯室へと向かい、蛇口を捻って紙コップに水を注いだ。

 

 手がガタガタと震え、コップの半分以上が床にこぼれてしまったが、残った水を一気に喉の奥へと流し込む。

 

 冷たい水が食道を通っていく感覚。ようやく、俺の生存本能が「安全地帯に到達した」と警報を解除してくれた気がした。

 

 給湯室のシンクに手をつき、荒い呼吸を整えながら、俺は先ほどまでの…あの『魔境』での出来事を振り返っていた。

 

 俺は今日、春の新作オーガニック肥料『爆増くん』の販路拡大のため、世田谷区の高級住宅街で飛び込み営業をかけていた。

 

 あわよくば庭の手入れに金と手間を惜しまない大富豪の顧客を捕まえようと、意気揚々と一軒の大豪邸に狙いを定めたのだ。

 

 四十万邸。

 

 まるでヨーロッパの城塞か何かと見紛うほどの巨大な敷地と、重厚なアイアンゲート。

 

 インターホンを押すと、なぜかモニター越しでも伝わってくる凄まじい緊張感があったが、俺は営業マンとしての野心が勝り、得意のトークを繰り出した。

 

 するとどうだ。あの重厚な門が、自動でゆっくりと開いたのだ。

 

 

(おっ! すごいぞ、大口顧客ゲットのチャンスだ!)

 

 

 俺は完全に舞い上がっていた。あの大豪邸の広大な庭園を『爆増くん』で満たせば、どれほどのマージンが懐に入るか。その皮算用で頭がいっぱいになっていたのだ。

 

 だが庭に足を踏み入れた瞬間、俺の浅はかな期待は氷点下まで凍りついた。

 

 出迎えてくれたのは、優雅なマダムでも温厚な老紳士でもなかった。

 

 巨大な剪定バサミを逆手に持ち、肉食獣のような殺気を放つ赤い髪のメイド。

 満面の笑みのまま、足元の芝生を地盤ごと抉り上げている怪力のメイド。

 そして顔の半分を覆うガスマスクを装着し、軍用の『火炎放射器』の銃口をこちらに向けていた、漆黒の髪のメイド。

 

 

『対象は交渉の余地なし。生化学テロの現行犯と認定します。これより、対象を完全に焼却します』

 

 

 ガスマスクの奥から響いたあの無機質な声と、火炎放射器の先端からチロチロと噴き出した蒼白い種火。

 

 

(嘘だろ。ここは世田谷だぞ。なんで一般家庭の庭から軍用グレードの兵器が出てくるんだよ。焼却ってなんだよ。俺はただ、春の新作キャンペーンで回っていただけの、しがない肥料のセールスマンだぞ!)

 

 

 俺はその場で腰を抜かし、背負ったタンクの重みで無様に仰向けに倒れ込んだ。

 

 死ぬ。本気で殺される。

 

 剪定バサミで首を刎ねられるか、地盤ごと宇宙空間に投げ飛ばされるか、火炎放射器でこんがり丸焼きにされるか。

 

 走馬灯が脳裏を駆け巡った。

 

 実家の母ちゃんの顔や、初めて契約を取った日の喜び。そしてついさっき食べたコンビニのツナマヨおにぎりの味が、鮮明に蘇ってきた。

 

 あわや俺がこの世から『炭化処分』されようとしたその瞬間、庭の奥から顔面にガスマスクをぶら下げた若いご主人が飛び出してきて、火炎放射器の前に泥まみれになりながら滑り込んでくれたのだ。

 

 

『待てセツナ、撃つな! そいつはただの肥料売りだ!!』

 

 

 あの時のご主人の必死の絶叫がなければ、俺は間違いなく明日の朝刊の三面記事を飾っていただろう。

 

 ご主人が突きつけてくれた『爆増くん』のポップなチラシと、奥から出てきたエプロン姿のしっかり者のメイド長の素早いお買い上げ処理によって、俺はようやく命からがらあの魔境から逃げ出すことができたのだ。

 

 

「ハァ…ハァ…し、心臓が持たねえ…」

 

 

 給湯室でしゃがみ込んでいると、俺の頭の中に冷静な思考が少しずつ戻ってきた。

 

 そもそも、なんで俺はあそこまで明確な殺意を向けられたのだろうか。

 

 確かにあのお屋敷のメイドたちは狂っていた。

 

 だが、俺が庭に入った瞬間からあそこまで臨戦態勢だったわけではない。俺が俺の『営業トーク』を口にした直後から、彼女たちの殺気が臨界点を突破したのだ。

 

 俺はシンクの鏡に映る自分の顔を見つめ、先ほどの自分の口上を脳内でリプレイしてみた。

 

 

『これをこの庭に撒き散らせば、一晩で生態系は激変する…! すべての生命が私の思い通りに爆発的に増殖するのだ…!』

『バクテリアを爆発的に増殖させ、周囲の不要なものを完全に駆逐してくれます!』

『翌朝にはもう、この一帯は完全に私の液体の支配下になります! 抵抗勢力は完全に息絶え、根絶やしにして、究極の環境が完成するというわけです!』

 

「……」

 

 

 俺は鏡の中の自分に向かって、ひっそりとツッコミを入れた。

 

 

(完全に、生化学テロリストの犯行声明じゃねえか…!)

 

 

 よく考えれば、中二病をこじらせたようなあの言い回し。

 

 俺はインパクト重視で練り上げた『最強のセールストーク』のつもりだったが、軍事レベルの過剰防衛意識を持つあのメイドたちの耳には、俺の言葉がそのまま「大量破壊兵器の使用宣言」にしか聞こえなかったに違いない。

 

 

「俺が、悪かったのか…?」

 

 

 いや悪くない。普通の人間なら「大げさで面白いトークするね」で済むはずだ。いくらなんでも、火炎放射器を持ち出してくる方が絶対におかしい。

 

 だが、あの屋敷に二度と近づいてはいけないことだけは、骨の髄まで理解できた。

 

 

「おい田原! お前、さっきから給湯室で何ブツブツ言ってんだ?」

 

 

 奥のデスクから、営業所の所長である豪快なオヤジが声をかけてきた。俺は慌てて顔を洗い、びしょ濡れの白衣を整えてから所長の前へと向かった。

 

 

「し、所長。実は先ほど、とんでもないお宅に営業に入ってしまいまして……」

 

 

 俺はまだ震えの残る声で、四十万邸での出来事を報告した。

 

 門が自動で開いたこと、庭に防護服を着た殺し屋みたいなメイドたちがいたこと。そして俺のトークが原因で火炎放射器で焼却されかけたこと。

 

 それを聞いた所長は、「ガッハッハ!」と腹を抱えて大笑いし始めた。

 

 

「お前なぁ、疲れて白昼夢でも見たんじゃねえのか? 平和な世田谷の住宅街に、火炎放射器なんてあるわけねえだろ!」

「ほ、本当なんです! 俺、マジで丸焼きにされる寸前だったんです!」

「まあいい! で、結果はどうだったんだ? そのヤバい屋敷で売れたのか?」

「えっ? あ、はい…最後に出てきたメイド長みたいな人が、場を収めるために一本買ってくれました。代金も現金でピッタリいただいて…」

「おっ! お前すげえじゃん! あの敷地面積なら、リピーターになれば毎月何十本も安定して売れる超大口顧客じゃねえか!」

 

 

 所長は目を輝かせ、俺の肩をバンバンと勢いよく叩いた。

 

 

「よし田原! お前、明日からあの屋敷を重点的に攻めろ! 毎日通って、そのメイドたちと仲良くなってこい!」

「い、いや無理です! 殺されます! 絶対に行きません! 明日行ったら、今度こそ俺の骨すら残りませんって!!」

 

 

 俺が必死に抵抗し、土下座の勢いで訴えかけていると、横で伝票整理をしていた山田がふと思い出したように顔を上げた。

 

 

「おい田原。お前が飛び込んだお屋敷って、もしかして三丁目の『四十万邸』か?」

「そ、そうだけど…知ってるのか?」

 

 

 山田は急に顔色を変え、声をひそめて俺の近くに寄ってきた。

 

 

「あそこに行ったのかよ。お前、マジで生きて帰ってこれて運が良かったな」

「なんだよ、脅かすなよ。山田も知ってるのか、あの屋敷の異常さを」

「知ってるも何も、最近うちに出入りしてる宅配業者や清掃業者の間で、『あの屋敷には絶対に不用意に近づくな』って都市伝説みたいな噂が飛び交ってるんだよ」

 

 

 山田の話によると、その噂のバリエーションは多岐にわたっていた。

 

 

『インターホン越しに胸ポケットを探ったら、一瞬で肩の関節を外された』

『門扉のロックが少し反応しなかっただけで、メイドが素手で鉄格子を引きちぎって現れた』

『置き配の段ボールを置いた瞬間、爆発物処理班みたいな動きで段ボールごと粉砕された』

 

 

 などなど。

 

 

「俺はてっきり、業者連中が面白おかしく話を盛ってるだけだと思ってたんだが…お前のその顔を見ると、マジだったみたいだな」

 

 

 山田の言葉に、俺は深く深く頷いた。

 

 

「マジだよ。噂以上の魔境だ。あそこにいるのはメイドじゃない。人間の皮を被った戦略兵器だ。俺の命が今日まであったのは、ただの奇跡にすぎない」

 

 

 俺たちは顔を見合わせ、恐ろしい怪談話でも聞いた直後のように身震いをした。

 

 

 所長だけは、「なんだお前ら情けねえな! 営業マンなら死地に行ってこい!」と豪快に笑っていたが、俺の腹はとうの昔に決まっていた。

 

 二度と、絶対に二度とあのお屋敷の周辺半径五キロ以内には近づかないと。どんなに大口の契約が取れようと、命には代えられない。

 

 自分のデスクに戻り椅子に深く腰を下ろした俺は、しわくちゃになった『爆増くん』のカラーチラシをじっと見つめた。

 

 他社製品との差別化を図り、インパクトを重視して練り上げた俺の特製口上。「生態系激変」「完全駆逐」「支配下」…そんな刺激的なワードの数々は、あの常識外れの屋敷においては、確実に自分の寿命を縮める破滅への呪文でしかなかった。

 

 

「明日からは、もっとポップでマイルドな言い回しに変えよう。そうだな…『お花が元気に育ちますよ〜』とか『土壌に優しい成分です〜』くらいの、アホみたいに平和なトークにしよう…」

 

 

 俺がブツブツと独り言をこぼしながら、赤ペンでチラシの裏に新しい台本のメモを書き殴っていると、隣のデスクから山田がキャスター付きの椅子ごとツツーッとスライドしてきた。

 

 

「おいおい、マジかよ」

 

 

 山田は俺の書いた平和すぎる修正案を覗き込み、心底もったいないものを見るような目で、大げさなため息をついた。

 

 

「俺さ、お前のあの『生態系を完全に支配する』とか『抵抗勢力を根絶やしにする』みたいな、やたらスケールのデカい悪の組織の幹部みたいな営業トーク、結構お気に入りだったのに。それをやめちまうのは残念だぜ。朝礼でのロープレの時も、聞いててワクワクしたのによ」

「ふざけんな。ワクワクじゃ済まねえんだよ。俺は今日、お前がワクワクしたその言葉のせいで、マジの火炎放射器で炭化処分されかけたんだぞ」

 

 

 俺は恨みがましく山田を睨みつけ、赤ペンを机に叩きつけた。

 

 

「だいたいお前、自分が言われた時のこと想像してみろ。自分の家の庭にいきなり怪しい男が現れて『さあ、命の爆発をお見せしよう』とか言い出したら、いくらなんでもドン引きして通報するだろ」

「まあ、確かに怪しさはカンストしてるけどな。でもほら、インパクト勝負の飛び込み営業としては、他の奴らと差別化できてて満点だったろ? 現に一本売れて、売り上げになってるわけだしさ」

「あれは営業テクニックで売れたんじゃない! 俺が丸焼きにされるのを見かねた、メイド長が哀れみで買ってくれただけだ! 完全に同情票だよ!」

 

 

 軽口を叩く同僚に必死にツッコミを入れているうち、ようやく心臓の動悸が普段のリズムを取り戻していくのを感じた。ああ、これが平和な日常の会話だ。

 

 そんな心に深く刻み込んだ教訓を反芻し、ようやく安堵の息を吐き出した瞬間だった。

 

 俺の鼻の奥の粘膜が、唐突にムズムズと強烈な反応を示した。

 

 

「ズズッ…へっくしょん!!」

 

 

 俺は慌ててデスクの箱ティッシュを引き抜き、盛大な音を立てて鼻をかんだ。

 

 俺もまた、重度の花粉症なのだ。

 

 今日は春一番のような強い風が吹いており、特にスギ花粉の飛散量が多いと朝のニュースでも言っていた。目も痒くてたまらないし、鼻の奥はイガイガと焼けつくようだ。

 

 ちーんと鼻をかみながら俺の脳裏にふと、ある光景がフラッシュバックした。

 

 俺が火炎放射器の銃口を向けられ、絶望の淵に立たされていた時。防護服姿のメイドたちの間をすり抜け、泥まみれになって俺と銃口の間に滑り込んできてくれた、あの若いご主人の姿だ。

 

 俺の命を救ってくれた彼もまた、俺と同じように鼻を真っ赤にして、ひどい花粉症の症状に苦しんでいた。

 

 

「…あの旦那さんも、可哀想になぁ」

 

 

 俺はティッシュをゴミ箱に投げ捨てながら、ポツリとこぼした。

 

 あんな常識外れの、人間の皮を被った兵器みたいな女たちを三人も飼っていている環境。

 

 ただでさえ花粉症で息をするのもしんどい季節だというのに、自室でゆっくりと休む暇もないなんて。

 

 莫大な財産を持つ大富豪というのは、俺たち一般のサラリーマンには到底想像もつかないほどの、地獄のようなストレスと命の危機を常に抱えながら生きているのだろう。

 

 俺が火炎放射器で焼かれかけたのも恐ろしい事実だが、よくよく考えてみれば一番の被害者は、逃げることもできずにあの魔境の家で毎日生きていかなければならない、彼なのかもしれない。

 

 

「まぁ、俺にはもう一生、関係のない世界だけどな!」

 

 

 俺は両腕を天井に向けて大きく伸ばし、凝り固まった背中の筋肉をほぐした。

 

 窓の外には、うららかな春の陽光が差し込み、平和な世田谷の風景が広がっている。

 

 色々と命の危機はあったし、一生分の冷や汗を流したが、結果的に『爆増くん』が一本売れたことには変わりない。今日のノルマは達成だ。

 

 俺は、どこにでも転がっている平和な営業所の空気のありがたさを深く、心の底から噛み締めながら、手元のチラシに向かって新しい営業トークの台本作りへと取り掛かるのだった。

 

 二度と、あんな異常な勘違いによる殺意の的にならないために。




セールスマン…命を取られなくて良かったね。
土曜日に投稿予定です。
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