以後しばらく、月・木・土で更新して参ります。詳細は活動報告に掲載してあります。
──それは、ある初夏の日の出来事だった。
「──優しいとこが好きだなって……。だめ?」
セーラー服姿で、斜陽を受けて放課後の教室で上目遣いに問う女子。特に断る理由も思いつかなかった。
「ダメって程の理由ないし。いいよ、別に」
変声期特有の掠れ気味な声で応えた。それは多分、ゴールデンウィーク前の事だったと思う。
休みの間、色んなところに連れていかれて、たくさんの写真を撮られた。写真の何がそんなに面白いのか、俺には見当もつかない。でも、彼女が喜ぶならそれでいいと思った。
「ごめん、なんかやっぱ違ったかも」
「……なにそれ」
「なんかさ、みんなに優しいじゃん。それ、なんか違う」
「……そっか。ごめん」
「だから、別れよ」
「……分かった」
引き留める理由もなかった。相手が違うと言うならそうなんだろう、程度にしか思わなかった。だから、その言葉を聞いた時、腹の底が煮え滾るような気持ちになった。
──結構チョロかったねぇ。見た目いいから映えたし、“引き立て役”にはちょうどいい、って感じ。
女子の甲高い笑い声が耳障りだった。忘れ物を取りに教室に向かったつもりだったけど、そのまま引き返して家に帰った。
板張りの道場、見慣れた景色。目前の祖父と対面になって、推手を行っていく。祖父が押してきたら、下に流す。流しながら後ろに引こうとすると、腕が持ち上げられる。
上に誘導されるから、押して制す。押すと下に流されるので、引こうとする祖父の腕を上げる。そうすると押されて制されて、そのまま上がった肘を押されて体勢を崩された。勢いのまま板張りに倒れ込んだ。
「なんけ、フラれたが?」
祖父が無遠慮に聞いてきた。まぁ、これが初めてじゃないし。
「引き立て役にはちょうどいいってさ」
立ち上がって、推手を続ける。互いに虚歩と弓歩が入れ替わりつつ、交差した腕は円を描くように。
「まーお前は父方に似て、ハンサムやからねぇ。こっちに似たらもうちょっと変わったがに」
「いや、遺伝は自分で選べんし……」
母方の祖父は、骨太でがっしりした体格をしている。顔立ちも丸い。俺とはまるで対照的。似たのはたれ目くらいなもんで、それも輪郭のせいであんまり目立たない。
「そいで、心は?」
「……ムカついてる」
今度は引き込まれて倒された。突っ伏して──
顎に来るはずの痛みが来ない違和感で、優太は目を覚ました。
「夢……。いや、記憶だなぁ」
思い出とは言いたくなかった。昨日の夕陽に変な気分を感じたせいだと優太は切り捨てて、ベッドから滑るようにして立ち上がった。
今日は退院日ということで補助監督の姿はなく、代わりに制服と鳴弦が置いてあった。優太はさっさと着替えて鳴弦を佩刀し、部屋を後にした。
「ちょっと、退院にはまだ早いわよ」
優太は硝子に呼び止められた。アイシャドウが少し濃い。
「徹夜ですか?」
硝子は青筋を立てた。自分の事には鈍感なくせに、他人を見る目は一丁前に鋭いこのガキがどうにも気に食わないのだ。
「君は相変わらず早起きね。五条がリハビリの任務を用意してるらしいけど、くれぐれも無茶はしないこと。いいわね」
「うっす」
優太は硝子に一礼してから医務棟を出る。外に出ると、見慣れた銀に近い白髪、丸眼鏡の黒いサングラスをかけた美青年──五条悟がいた。
「逆に先生はいつ寝てるんすか?」
「え、なんの話?」
突然なにかと比較されて、悟は面食らったように返答した。
「まぁそれはそれとして。退院おめでとう、優太くん。あれ、これ二回目?」
「今回はちゃんと退院ですね、前は隔離終了でしたけど」
二人は揃って歩き、寮へ向かう。
「自分で言った嫌味覚えてるんだ、変なの~」
「嫌味言う時は嫌味言うぞって思って言ってるんで。割とそういうの覚えてます」
「ふぅん、律儀と言うかなんというか」
悟はなぜ優太がそうしているのか、大体分かっている。分かった上で、あえて言及しない。適切なタイミングで切るカードを常に蓄えているのだ。
「あぁそうだ、これ」
悟はそう言ってマックスコーヒーを優太に差し出した。優太は喜んでそれを受け取り、頭上に掲げて小躍りしている。
「先生神!仏!流石!」
「ふふん、もっと尊敬してくれていいよ?」
早速プルタブを開けてマックスコーヒーに口をつける優太。悟はそれを満足そうに見た後、口を開く。
「それと、今日早速任務に行ってもらおうと思ってて──」
「硝子さんから聞いてます。何級ですか?」
「等級はないよ、見回りに近い感じ。多分」
「はい呪霊登場決定」
「信用ないなぁ」
悟がケラケラと笑う。
「大体、先生が多分って言った二級案件に特級出てますからね?」
「そうだね~。ただ今回はそういうのじゃないから、安心して。恵と悠仁は別件に動かすから、野薔薇がバディになるけど大丈夫?」
「悠仁は先日の任務で不本意に宿儺の指を取り込んでるから、伏黒がバディ兼監視でしょう?だったらワガママ言わないですよ」
「さっすが優太くん。頭のキレがいいねぇ」
「先生のマックスコーヒーのおかげですかね」
悟が「おや」と首を傾げた。そこでちょうど寮に着いた。
「優太くん、ちょっと丸くなった?」
「鍛練が禁止されましたからね、多少デブってもしょうがないかと」
「いや、性格の話……」
「えぇ?……どうでしょう、分かんないです」
「そっか。まぁその様子なら大丈夫そうだね」
悟は頭の後ろで手を組んで、上機嫌に鼻歌交じりで去っていった。その背中を見送りながら、優太はふと昨日硝子に言われた言葉を思い出す。
──いい?退院していいは無茶していいって意味じゃないから。套路は簡易二十四式だけ、筋トレはまだ禁止。素振りは一日五十回まで。いいわね。
「だいぶおっかねえ顔で言われたなぁ」
優太はそう言いながら寮に入る。共有スペースになっているリビング風のフロアには、ソファにもたれて眠っている野薔薇と、コーヒーを飲む恵の姿があった。
「戻ったか」
「悪い、心配かけた。……で、釘崎は何してんのそれ」
恵の隣に腰掛けながら、優太が言う。
「徹夜に失敗して寝こけたっぽい。放っておけ」
「それ後で寝顔見ただろって睨んでくるやつじゃない……?」
「見てないことにしとけ」
「えぇ、俺そういうの苦手なんだけど。釘崎がそこまで心配してたのも意外だし」
「……あぁ、そうか」
恵は一拍遅れて気付いた後、あえて何も言わなかった。しかし、優太も別に完全に鈍感なわけではない。恵の表情の変化には気付いていた。
「ん、なにそのリアクション」
「お前自己肯定感低いよな、って再認識しただけだ。意外と馴染んでるぞ」
「チームとして馴染むのと、個人として馴染むのは別じゃね?」
優太の相変わらずの自己評価に、恵が青筋を立てて低い声で言う。
「個人として馴染んでるって言ってんだよ」
「おーん?そうか、そうなの?」
恵がいよいよため息を吐いて、空になったマグカップを洗いにキッチンへ向かった。
「お前の経験上仕方ないんだろうが、あまり鈍感だと相手嫌がるぞ」
「え、俺嫌な奴になってる?」
「なってねえよ。なってねえからタチ悪いって言ってんだ」
「うーん……?気を付ける」
「そうしろ」
恵はそう言って自室に戻っていった。残された優太と眠っている野薔薇。優太はどう振舞っていいか考えこみながら、マックスコーヒーを傾けた。
優太は、なぜ野薔薇がここまでして待っていたのかを、缶を口に押し当てて思案に耽ろうとして──ドタドタと騒がしい足音が近づいてきた。
「優太!もういいの!?」
屈託のない笑顔のピンク髪のショートカット、虎杖悠仁だ。彼は空気が読めて、空気が読めない。そういう男である。悠仁の声に野薔薇が釣られて目を覚まし、「んがっ」と間抜けな声が漏れ出ていた。
「うん、一応大丈夫。退院しただけで無茶はするなって硝子さんに念押しされてるから、派手に動くのは控えた方が良さそう」
「そっかぁ、良かった。意外と退院早かったな!」
「一週間くらいかしら。虎杖朝からうるさい」
寝起き特有の掠れ気味な声で野薔薇も会話に混じる。
「あれ?釘崎もいるじゃん。お前、顔──」
悠仁の顔面に空缶が投げられた、すかさずキャッチする悠仁。
「あっぶね!」
「悠仁、そういうのは遠回しに言いな?釘崎、起きたなら制服に着替えてきなよ」
「ん……。そうね、あんた元気そうだし、それ確認したかっただけだから」
野薔薇はそう言って自室に向かった。彼女の足音が聞こえなくなってから、悠仁が口を開く。
「優太と釘崎付き合ってんの?」
間。一秒、二秒、三秒。
「何を見たらそこに飛躍する」
優太がため息を吐いてから続ける。
「チームで行動してるんだし、相手のコンディション見るくらい普通でしょ」
「えぇ、そうかな?釘崎っていつもあんなんじゃねえよ?」
「それは悠仁が頑丈で、怪我らしい怪我しないからじゃねーの。知らんけど」
「んー、そっか。それもそっか!」
悠仁も最近優子と再会したことで、多少女子の機微には敏くなったようだ。それはそれとして、やはり気付かない二人であった。