一夜明けて。結局、八十八橋に呪霊の気配は微塵もなかった。一行は一度引き返してコンビニに向かい、各々朝食を買って食べながら情報共有を始めた。先に口を開いたのは、恵。
「
「そうなると振り出しッスかね……」
重くなりかけた場に、悠仁の声が入る。
「でも、時間かけるのはマズくね?有名な心霊スポットなんだろ、呪われてる人は、まだまだいるかも」
「そうッスね、しかも今のところ、致死率百パーセントッス」
「これ以上
一瞬の重たい沈黙。次に振り払ったのは、新田だった。
「ピコーン!」
「ピコーンって言った?今言った?」
「……この人たまに自分で言うんだよ」
恵は二度目の目撃なので、やや呆れたように説明した。新田は構わず続ける。
「流行ってたのはバンジーッスよね?“飛び降りる”っていう行為が鍵なんじゃないッスか?」
「それはもう、虎杖で試しました」
「え?」
新田は前のめりに、素っ頓狂な声で返してから、思い出す。
昨晩、Pロープを携えていた悠仁。調達元が優太ということは、なんとなく分かっていた。しかしPロープである、常識的に考えれば、強度が足りない。
「えぇ!?もしかしてあのビニール紐で飛んだんスか!?」
「鎖結びで強度上げたんで、なんとか持ちました」
「最後ミチミチって言ってたな、結構ビビった」
淡々と言う恵と、ケラケラと笑って言う悠仁。新田が頭を抱えるには十分すぎる光景だった。そこに、自転車のブレーキをかける甲高い音が訪れた。
「あ、いた!伏黒さーん!」
声の主は、昨日見かけたリーゼント頭の少年。自転車の荷台には、恵と同年代に見える女子が座っている。恵は彼女に気付いて、思い出したように声を漏らした。
「……藤沼?」
「よかった、覚えてくれてて」
「誰ッスか?」
「同級生」
「姉ちゃんです」
リーゼント頭の少年が、藤沼と呼ばれた女子を指して言う。どうやら二人は
「昨日、姉ちゃんに伏黒さんの話したんすけど」
弟の言葉を引き継ぐように、藤沼が口を開いた。
「近所でお葬式やってて、その人と、八十八橋のことについて調べてるってこの子に聞いたから。何か、関係あるのかなって……」
張り付いたような笑みを浮かべながら、俯き気味に話している。恵と新田はその仕草を即座に見抜いて、新田が藤沼姉弟に見えないところで首を横に振って恵にサインを送った。
「関係ない、俺たちはただ──」
「私、行ってるの」
恵の言葉を遮って、ついに藤沼が切り出した。
「中二の時、夜の八十八橋に」
悠仁の顔に緊張が走る。対して、新田と恵はポーカーフェイスを貫いた。そのまま新田が顔を覗き込むようにして尋ねる。
「最近、なにかお家で変な事ないッスか?家族の中で、自分だけが感じる違和感とか」
流石補助監督、若手とは言え新田はこういった情報を聞き出すサポートに関して長けているようだ。自然に尋ねた。そして、藤沼は恐怖に目を見開きながら告白した。
「私の家、アンテナショップやってるんですけど。私が帰る時だけ、自動ドアが開きっぱなしなんです」
恵の脳裏に、今回の
──ドアが開きっぱなし。いや違う、ドアが
「たまたまだって言われるんですけど、怖くって。そんな時、伏黒君の話を聞いて。八十八橋の事、思い出して」
「肝試し?他にも一緒に行った人いるの?」
ここで不意に本質を突くのが、虎杖悠仁。しかしその言葉は、かえって藤沼の恐怖を煽ってしまった。
「あの、やっぱりなにか関係が……?」
震える声の藤沼に、新田が笑顔を見せて口を開く。
「自動ドアとは、関係あるかもッス。でも、最近亡くなった方とは無関係ッスよ。私の大学のレポート、伏黒君たちに手伝ってもらってるんス。『心霊スポットにおける、電磁波と電化製品への影響』!ゲロ怠いッス」
ケラケラと笑いながら、妙に滑らかに紡がれる、嘘。しかし悠仁ですら、それを指摘しない。そして、新田は落ち着いたトーンで締めくくる。
「でも、色んな人の話聞きたいから、一緒に行った人教えてほしいッス」
──嘘つくからには、助けないと。
それが新田の心中だった。ポーカーフェイスで善意を貫く、その瞬間に断たれる、退路。藤沼はその嘘に安堵の表情を浮かべて答えた。
「肝試しに行ったのは、部活の先輩二人。あの時、津美紀さんも一緒にいたよ」
思い出したように恵を見て言い放たれた一言。恵は表情を変えない、代わりに背後の悠仁が目を見開く。
──津美紀って、伏黒の姉ちゃん……!
「そうか。じゃあ、津美紀にも聞いてみるわ」
恵の言葉に温度はなかった。淡々を通り越して嫌に冷徹、しかしそれを察知できるほど、藤沼姉弟は敏感ではいられなかった。
かつての同級生が近所の怪死について調べている、心霊現象についても調べている。新田の嘘で心が軽くなったとは言え、完全に騙しきれるほど、人は容易くない。
「じゃあ、私はこの二人を家まで送ってくるッス」
「やっぱり、なにかあるんすか……?」
「二人乗りで帰らすわけにはいかんでしょ!」
藤沼弟の発言に、新田は一貫した態度を取った。とは言え、二人乗りは法律違反である。送るという建前自体がそもそも成立している。
三人の背中を見送って、声が届かなくなった辺りで悠仁が口を開く。
「伏黒。おい、伏黒!」
呼びかけても応えない恵を、悠仁が腕を掴んで揺らす。恵は冷や汗を伝わせて、焦燥しきった表情になっている。
「伏黒、しっかりしろ。まずは安否確認だろ」
悠仁は恵の前に回り込んで、両肩を掴んだ。恵は目を伏せるように頷いてから、乾ききった喉から声を捻りだす。
「大丈夫だ。悪ぃ、少し外す」
恵はそう言って、距離を取ってからスマホを取り出してどこかに電話をかけた。
「──二級?」
電話越しの声を聞いた恵が、苛ただしげに言い捨てた。それからしばらく、苛立ちを隠さずに閉口してスマホを耳に押し当てていた。通話を終えたようで、恵はスマホを握りしめながら眉間にシワを寄せた。
「……津美紀の姉ちゃん、無事だったか?」
「問題ない」
「でも、なんで電話するのが伊地知さんなんだよ」
「津美紀の状況は伊地知さんなら知ってる。現状の報告のついでに、津美紀のことも聞いた」
「そういう顔じゃねえだろ──」
「それより任務の危険度が吊り上がった。この件は他の術師に引き継がれる。お前はもう帰れ」
悠仁の言葉を遮って、恵が淡々と説明した。得心のいかない悠仁の背中を押して、恵は黒塗りのセダンの後部座席に悠仁を押し込もうとする。
「なんだよ、お前はって。伏黒はどうすんだよ」
「俺は武田さんに挨拶してから帰る。ほら行け」
無理やり乗り込ませ、ドアを閉める。間髪入れずに新田が車を出したのは、恵から何かを察知したからだろうか。
夜の帳が降り始めた頃。恵は八十八橋に向かいながら電話をかけた。その人はわずかワンコールで応答した。
「お疲れ様です、新田さんですか?聞きたい事、あるんすけど」
「手順、ッスね」
通話相手は、新田。待ち構えていたように説明を始めた。
「藤沼さんを送った時に、聞いておいたッス。彼女は八十八橋の上には行ってないッス、肝試しは
「下なら虎杖も行きましたよ」
「多分、上から降りちゃダメなんスよ」
Pロープによるバンジージャンプを降りると表現して良いのかは甚だ疑問だが。少なくとも、手順としては間違っていることは実証済みということになる。
「呪霊が結界内にいるなら、手順は大事ッス。
恵は話を聞きながら、並行して推理を始める。
──術式を付与した領域を、延々と維持し続けるのは不可能だ。となると、この領域は葛飾区の時のような未完成の領域だ。
「──渓谷の下に、川があるかも。川や境界を跨ぐ、彼岸に渡る行為は、呪術的に大きな意味を持つッス」
その川は、あった。枯れかけて一歩で跨げる、川と呼ぶのも烏滸がましいほどのもの。それでも、これは境界として機能する。
恵が一歩踏み込んだ、その瞬間。夜空の見える谷底の景色は一変し、斜陽の刺す学校の教室へと
それでも恵は、進むことを選んだ。姉の安全を確かなものにするためか、呪術師としての使命感か。それを正確に測れる者など、誰一人いない。
「それが俺の言うルールで、価値観だ」
「津美紀……?」
「ない。百パーない。」
「それも恵の優しさでしょ?」
「
次回:カノン-陸-
余話・登場を見送られた