呪術廻戦⇔   作:たゆたう 累

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カノン-漆-

 呪術師に限らず、人の成長曲線は必ずしも緩やかではない。確かな土壌、積み上げられた全て。一握りのセンスと想像力。あとは些細なきっかけで、()()()()()

 

領域展開(りょういきてんかい)──嵌合暗翳庭(かんごうあんえいてい)

 

 恵の足元から、呪力を帯びた影が膨れ上がる。(いびつ)な顔をした筋骨隆々な呪霊の展開していた未完成な領域を、恵の影が彼の()()()()として塗り替えた。

 

 地に広がる黒。心象風景など、ない。恵は自嘲気味に、タガが外れたように高らかに(わら)う。

 

──不完全、不細工もいいとこだ!だが今は、これでいい……!

 

 呪霊は気付く。足に呪力を集中させなければ、波打つ影に沈められる。そして足元に注意を払うと、おびただしい数の影で作られた蛙が影に引き込もうとする。

 

 だから手に呪力を集め、波打つ影を、そこから生まれる蛙を振り払おうとして──その隙を恵が蹴り上げて一撃を入れる。

 

 蹴りは、心得がなくとも一定以上の威力を保証する武器となる。呪術師となればなおさら、呪力で身体能力を底上げできる分、強力な体術に直結する。

 

 恵が呪霊に繰り出す二発目、三発目の蹴り。たまらず体勢を崩した呪霊が飛び退く。着地したところで、再び波打つ影からおびただしい数の、蛙。

 

 足を引き抜くと、自身の強力な筋力が災いして尻もちをつく。悪循環、そこに空中から振り落とされる、恵自身の踵落とし。

 

 すかさず回避した呪霊は、()()。頭から血を流し、それでも歯をむき出しにして笑う恵の姿を。

 

──()()()、術式の解釈を!

 

 前のめりになる恵を警戒して、呪霊は手に集めた呪力に指向性を与え、矢のように飛ばす。命中、したはずだった。恵の姿が黒一色に変わり、溶けるように波打つ影に還元される。つまりこれは、影。

 

 呪霊の理解の外側から、(つんざ)くような鳥の鳴き声が飛来する。雷を纏った鵺の体当たり。それも同時に二体。

 

 モビングのようにして鵺が矢継ぎ早に体当たりをしかける。防戦一方に追い詰められた呪霊は、ついに痺れを切らした。

 

 練り上げた呪力をそのまま体外に放出、圧縮。全方位に向けた、指向性のない呪力の爆発。鵺も、波打つ影も、全てを吹き飛ばす力業。

 

 呪霊は(いびつ)な顔に勝利を確信した笑みを浮かべた。刹那、背後から胸を貫く感覚がその確信を揺るがす。

 

「律勁があったとはいえ。玉犬・(こん)の爪はあの特級にも傷をつけた。不意のお前を貫くくらい、わけないさ」

 

 呪霊の背後にいたのは、玉犬・(こん)と片膝立ちの恵。顔だけ振り向いた呪霊が、その姿を目に留めると同時に、貫かれた箇所から燃えるように呪力が祓われ、黒い塵と化していった。

 

 呪霊が展開していた領域が徐々に消え去り、夜空の見える谷底の景色に戻っていく。最後にボトリと指が落ちた。鬱血(うっけつ)したような色味に黒い爪、宿()()()()だ。恵は玉犬を影に戻しながら、それを拾う。

 

「……呪霊の行動パターンに合理性を求めすぎてはいけない。それでも、何故今になって呪殺を始めたのか」

 

 思考を整理するように、恵が呟く。

 

「最初の呪殺は六月……。虎杖が最初に、一時的に受肉したのも、六月」

 

──受肉をきっかけに、力を解放していたわけか。

 

 恵はそう結論付けて、徐に地面に倒れ込んだ。

 

 

 

「誰かを呪う暇があったら、大切な人のことを考えていたいの」

 

 津美紀はいつも、笑って綺麗事を吐いて。

 

「人を許せないのは悪い事じゃないよ。それも恵の優しさでしょ?」

 

 俺の性根すら肯定する。そんな津美紀でも、俺が誰かをボコると本気で怒ってた。俺はそれに苛ついてた。事なかれ主義の偽善だと思っていたから。

 

 でも今は、俺の考えが間違いだって分かってる。俺が助ける人間を選ぶように、俺を選んで心配してくれてたんだろ?

 

 悪かったよ。ガキだったんだ。謝るからさ。さっさと起きろよ、バカ姉貴。

 

 

 

「──くっそ、頭(いて)ぇ……」

 

 恵はそう言いながら、うつ伏せから仰向けに体勢を変えた。頭部から出血しながらの領域展開、頭痛で済む方がおかしい。

 

 優しく微笑む口元のような三日月を見上げながら、恵は推察する。

 

──この八十八橋の呪いも重複(ちょうふく)してただけで、津美紀が寝たきりになった原因の呪いは解けてないだろうな。

 

 そう物思いに耽っていると、不意に聞きなじみのある明るい声がこだましてきた。

 

「伏黒ー?どこだー?」

 

「……帰れって言ったよな」

 

「おぉ、いた。ってボロボロじゃん」

 

 虎杖悠仁だ。どうやら彼は引き返してきたらしく、寝転んでいる恵の横に座った。

 

()()でやったのかよ」

 

「関係ないだろ」

 

「あるだろ。なんでも話せとは言わんけどさ、せめて頼れよ。友達だろ?」

 

 恵はふっと笑ったあと、悠仁の言葉に違和感を覚えた。

 

「なんか含みがあるな。虎杖らしくない」

 

「……優太が離反した」

 

「は……?」

 

 

 

 時間は昼まで遡る。高専に帰投した悠仁が寮に戻ると、優太の部屋を黒いスーツ姿の大人たちが出入りしている現場を目撃した。

 

 彼らは古文書の写本や優太の生活用品、部屋にあるありとあらゆる物を段ボールに詰め、運び出している。

 

「えっ、ちょっ、なにやってんの!?」

 

 優太の部屋を覗き込むと、伊地知が現場指揮をしていた。彼が悠仁の姿を認め、廊下の脇に寄るように促しながら部屋から出た。

 

「単刀直入に言うと、宮城島君が離反しました」

 

「りはん……?」

 

「高専から無断で離れて、行方が分からなくなっています」

 

「家出?」

 

「もう少し複雑です。歌舞伎町で呪霊を使役し、一級術師を足止めして逃走しています」

 

「待って待って伊地知さん、優太に呪霊を操るなんてできないって!」

 

「現場に居合わせた術師によると、『呪霊を生み出して使役しているように見えた』とのことです」

 

「なんかの間違いとかじゃねえの!?なんかこう、人を操る術式みたいなさ」

 

 悠仁が焦った様子で伊地知に尋ねるが、彼は小さく首を横に振った。

 

「証言によると、好みの女性のタイプを聞いたところ、『興味ない』と一蹴したそうです」

 

「……ん?」

 

 別角度のおかしな情報に、悠仁の思考がフリーズする。

 

「つまり、質疑応答に応じたうえで、自主的に逃走した、という事実があります」

 

「それ、いつの話?」

 

「昨日の夕方です。任務に同行していた釘崎さんからも証言を得ていますが、何が離反の直接的原因になっているかは、今のところ不明です」

 

「そうだ、釘崎!あいつに聞けばなにか──」

 

「やめときな」

 

 悠仁の言葉を遮ったのは、悟だ。珍しく、軽薄な笑みは一切なく、声のトーンも低い。

 

「今の野薔薇は精神的に不安定だ。呪力は制御できてるけど、逆にいえば呪力を制御するのに手一杯、刺激しない方がいい」

 

 ツカツカと悟が近づいてくる、というより目的地にたまたま悠仁が居合わせた形に近い。

 

「僕もちょっと、()()()の部屋を見ておきたくてね」

 

「せんせ、呼び方……」

 

 悟は悠仁の言葉を無視して、優太の部屋に入った。目隠しを下ろして部屋を見ている背中が、悠仁の目に映る。伊地知も後を追うように優太の部屋に入り、その部屋はさながら家宅捜索の様相を呈していた。

 

 取り残される形になった悠仁は、コーラの缶を片手に校舎の中庭にあるベンチに腰かけていた。そこへふらりと現れたのは、金髪を七三に整え、淡いグレージュのスーツに身を包んだ男性だった。

 

「どうしましたか、虎杖君」

 

「──ナナミン?」

 

「こんにちは。隣、よろしいですか」

 

「あ、うん」

 

 ナナミンと呼ばれた男性──七海(ななみ)建人(けんと)は、悠仁が頷くのを確認してから隣に座って、ブラックコーヒーのプルタブを開けた。

 

「大体聞いています。同期が離反したとか」

 

「……優太、どうなるの」

 

 落ち込んでいる悠仁とは対照的に、七海は非常に冷静だ。

 

「宮城島君に関しては、後に正式に通告が下りるでしょう。私が今から話すのは、推測です」

 

 七海はコーヒーの缶を傾けて一口飲んでから、続けた。

 

「呪詛師認定は避けられないでしょう。良くて捕縛、封印。悪ければ秘匿死刑まで発展します」

 

 悠仁は目を見開く。それでも、七海は構わず続ける。

 

「しかし現状の被害は軽微。影響を受けた一般人も、一時間以内に正常に復帰、現場対応に当たった術師曰く、『そもそもやる気を感じなかった』、つまり攻撃性はなかったと考えて良いかと」

 

「じゃあ──」

 

「楽観視は良くありません。状況的に、呪詛師認定するには証拠がやや弱い、それだけです」

 

 若干の間。二人はそれぞれの手元の缶から一口飲み、七海が再び口を開いた。

 

「独り言です。宮城島君は、人の善意を受け流す傾向が非常に強かった。拘禁期間中何度か様子を見に行きましたが、彼は好意を遠ざけようとする。性別問わずです。何か勘違いをした、そう思わされます」

 

「ナナミン……!」

 

「盗み聞きは良くないですよ、虎杖君。私はこれで失礼します」

 

 七海はそう言って立ち上がり、振り返りもせず立ち去った。




「……お前も、そっち側なんだ」
「やめて……!なにしてんの……!?」
「高田ちゃんを知らないのか!?」
「亜音速」
次回:テンポ・エスカッパート
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