東京校の強化合宿が決定してから、数日経った日のこと。都内某所のコインランドリーに優太はいた。半袖にステテコ姿で、鳴弦は外して抱えるようにして座っている。どうやら、制服を洗っているようだ。
夕焼けを切り裂くように、カラスの声が一つ響く。優太はびくりと肩を震わせて、窓から離れて隠れるようにしゃがみ込んだ。
──一級術師、
優太の瞳は普段の緋色ではなく、赤黒い色に落ち着いている。呪力視を行えば呪力の痕跡──
「単なる逃亡だったら楽だったけどなぁ。高専からの逃亡、思った以上に面倒かも。とは言え歌舞伎町でやらかしてるし、人付き合いももう嫌だし」
誰へともなく優太は言った。程なくして、一台の洗濯乾燥機の唸りが徐々に収まっていく音が聞こえてくる。優太はその洗濯機を開けて、足元に置いていたリュックサックに制服を畳んで詰めていく。
「どこ行こう。東京って意外と便利なんだよなぁ」
言いながら、リュックサックを担ぐ。半袖ステテコ、リュックサック、左手に太刀となんとも不釣り合いな姿がコインランドリーを去った。
淡い水色のロングヘアを後ろで三つ編みに纏め、それと同じほどの長さの前髪も三つ編みにしている女性が、徐に瞼を上げた。
「……いるね。都内、上野」
彼女の妖艶な声が静かに通る。対面に座るのは悟と七海。場所は落ち着いて品のあるカフェだ。
「
「
「僕の教えが良かったんじゃない?」
悟のお気楽な発言に、七海が青筋を浮かべる。
「その子が
七海の苛立ちに悟は喉の奥を鳴らすように笑った。
「現状信用できる術師は限られる。七海と冥さん、補助監督なら伊地知。上層部の動きも早すぎて気味が悪いからね、打てる手は打っておきたい」
「私は報酬があればどちらにも行くよ。まぁ、上が出し渋るのはよく知っている」
冥さんと呼ばれた女性──冥冥は、そう言って紅茶に口をつける。その所作一つとっても無駄がなく、洗練されている。カップをソーサーに置く音すら上品に聞こえた。
「それにしても、聞いていた通りに頭のキレがいい。身を隠すために人里を離れるのではなく、あえて不特定多数が集まる場所を選ぶ。木を隠すなら森の中、これも五条君の教えかい?」
「いやぁ、そこまでは。
「五歳から太極拳を元にした武術の手解きを受けている、なるほど術師としての成長が早いわけだ」
「教えを乞う姿勢も非常に良いです。私が証券会社に勤めていた話をした際には、熱心に聞いてノートを取っていましたので」
「え、七海リーマン時代の話したの?」
「あなたが『脱サラ呪術師』と紹介したのが発端です」
七海のこめかみに再び青筋が浮いたが、やはり悟は笑って流した。
「そしたら、適当な任務に
「休日出勤はお断りです」
「休日手当、出しちゃうかもよ?」
悟はそう茶化しながら席を立つ。七海は呆れた様子でため息を吐いた後、コーヒーを一口飲む。こちらは冥冥と対照的に、事務仕事の片手間に飲んでいる雰囲気だ。
「冥さんの方にも、
そう言ってひらりと手を振って、悟は立ち去った。
一週間ほど経った日の朝。高専の黒い制服に身を包んだ一年生三人が、ホワイトボードのある会議室に召集されていた。ホワイトボードには上野周辺の詳細な地図と、いくつかの赤丸が書き込まれている。その横に立つのは七海建人だ。
「正式に通達が下りました。まずは宮城島君を呪詛師として追跡、捕縛する一級相当任務があります」
七海の言葉を受けて、恵が控えめに手を挙げた。
「公開死刑の件については、どうなるんですか」
「身柄がなければ死刑もクソもない。加えて、五条さんが上層部と掛け合い、
「なにそれ、人体実験ってこと?」
野薔薇の指摘に七海が口を開く。
「話は最後まで聞きましょう。要するに、事実上公開死刑から封印へ、処罰が変更されました。封印空間については、虎杖君が詳しいでしょう」
「あー、あのお札いっぱい貼ってある部屋。思い出すと寒気するな、結構薄気味悪い感じだった」
「封印対象の呪力を封印するための部屋ですからね、虎杖君がそう感じるのも無理ないでしょう。そして、宮城島君の捕縛に関して上層部が議論した結果、面識のある私が任命された──というより、五条さんが無理やりねじ込みました」
「さっすが先生!」
浮かれた様子の悠仁に対して、七海がデコピンをする。たかがデコピン一発で、悠仁は大きく仰け反った。
「え、なにその威力」
野薔薇が驚いて声を漏らす。野薔薇も恵も目を点にしていた。
「私の術式、
「それ俺で実演しなくてよくない!?」
「虎杖君、呪力によるガードの質が上がりましたね」
「え、えへへぇ。そんな褒められてもぉ」
「褒めていません。無論貶しもしません。虎杖君の呪力操作が上達したことは事実。そして、君たち三人を招集したのは、私と同じく宮城島君と面識を持つという事実があるからです」
悠仁と違い、野薔薇は七海の事務的な態度に少々表情を固めた。この七海を悠仁はナナミンと呼ぶのだから、悠仁のコミュニケーション能力は計り知れない。
「私、この人との接し方よくわかんないかも」
「心配ない、結構優しい人だ」
「聞こえていますよ」
七海に指摘され、野薔薇と恵は口をつぐんだ。七海はそのままホワイトボードに貼り付けた地図を、キャップを閉めた赤ペンでコンコンと叩く。
「宮城島君の目撃情報は、現在上野に集中しています。」
「なんで上野?パンダ?パンダ先輩連れてく?」
「……虎杖君」
「あ、スンマセン」
「場所にもよりますが、閉所が多い。また、真っ直ぐ南下すればすぐに東京駅にアクセスすることもできる。退路を複数用意している、と考えていいでしょう。上野駅近辺には公園もあります。以前芝生の上ですぐに入眠したという報告も耳にしていますので、彼にとって公園は最適な寝床と推察できます」
「あー、日向ぼっこしながら寝たっけ。起こされる時、加勁と律勁の応用?で起こされたんだけど。急にシャキってして面白かったなぁ」
「虎杖君、その情報は共有していますか」
「え、してないけど」
七海が一つため息を吐いた。呆れを振り払うように首を横に振って、口を開く。
「宮城島君の術式の発動条件は恐らく
「実質触れたら即アウト。ただ、宮城島が無暗に攻撃するとは考えづらいです」
七海の推測に、恵が意見する。それを受けて七海は一つ頷いた。
「私も、彼が好戦的に対応してくることはあまり想定していません。ただしこちらからの呼びかけや捕縛の対応次第では、攻撃してくる可能性はあります。そうなった場合、近接戦闘を主とする私は少々相性が悪い。そのための布陣です」
「要するに、虎杖が交渉役、私と伏黒が後衛、七海さんが遊撃ってこと?」
「虎杖君に任せきりにすると、根本的な解決は難しいでしょう」
「酷くない!?」
悠仁の抗議を無視して、七海は続ける。
「交渉自体は全員で慎重に行います。交渉が決裂した場合、伏黒君と釘崎さんをメインにした迎撃陣形を取ります」
恵が顎に手を添えながら、疑問を口にした。
「もし、歌舞伎町の時みたく逃走全振りだったら?」
「足を切ります」
七海の端的な言葉に、場の温度が下がったように感じられた。それでも、彼は説明を続ける。
「無論、反転術式による治癒が前提です。しかし逃げられては交渉も何もありません。私の術式を使えば、加勁越しでも足くらい切断できます」
「ナナミンが動くより前に説得、最悪でも拘束、だな」
悠仁の言葉に恵と野薔薇が頷いた。そんな彼らを見た七海がほんの一瞬、微笑んだような、アンニュイなような複雑な表情をしたことは、この場の全員が見逃していた。
「地道ですが、ここからは主に徒歩で捜索します」
「あいつ綺麗好きだけど、大丈夫かしら」
「
「え、誰?なんで分かったの?」
「あの冥さんが動いてるんですか。」
「そんな悠仁が、キツイんだよ……」
次回:テンポ・エスカッパート-肆-