七海が通話を終えたのを見て、止まっていた呼吸を再開するように野薔薇が息を吐いた。
「悪い。私、何もできなかった」
「……仕方ないだろ。宮城島は寸前まで戻ろうとしてた、そこに呪霊が割って入ってきたんだ」
「しかもあれは特級です。手のひらで触れた対象の魂を操作する術式、無闇に動かないことが最善でした。虎杖君に関しては何故か相手に攻撃が通用する、今はそこまでしか分かっていません」
恵と七海が野薔薇に声をかける横で、悠仁は階段に叩きつけた拳を持ち上げるようにして立ち上がった。砕けたコンクリート片がカラカラと音を立てて転がっていく。
「
自身の拳を睨みつけるようにしながら、悠仁は呟くように言った。
「虎杖の攻撃が効くとか、特級とか、そんなのどうでもいい。私らがあいつを受け入れても、上があいつを人として受け入れないんじゃ、意味がない」
野薔薇は悔しさを押し殺したように静かに言った。悠仁と野薔薇、普段元気な二人が閉口して落ちた沈黙に言葉を投げたのは、恵だった。
「そのための合宿で、そのための交流会だろ。強くなきゃ、呪術師として意見を通せない。五条先生なんか分かりやすい例だろ」
その言葉を聞いて、悠仁と野薔薇ははっとして俯きかけた顔を上げた。この短期間で悠仁の呪力によるガードが上達しているように、野薔薇もまた二年生を相手に訓練を積んでいる。
「ていうかそれ、あんたが言う?いっつも真希さんにボコボコにされてんじゃん」
「比較対象……」
恵がこめかみを手で押さえて言った。空気が切り替わったのを見て、七海が先導するように歩き始めたので一行は伊地知の待つ駐車場に向かった。
「大丈夫だって!俺もまだ狗巻先輩の『ぶっ飛べ』で普通に飛ばされてるから!」
「ちょっと待て。そんな強い言霊使って、狗巻先輩平気なのか」
呪言に限らず、呪術は何かを得る代わりに何かを差し出す法則が存在する。例えば
「うーん、どうなんだろ。たまに咳き込んでるけど、『おかか』か『こんぶ』、あとたまに『ツナツナ』って言われるだけだから、よく分かんねえ」
「『おかか』は多分、ガード甘い時だろ。『こんぶ』はお互いの消耗を確認してる時、『ツナ』は休憩の提案じゃないのか」
「なんで分かんの?」
「付き合い長くなると何となく分かる」
「うーん?」
悠仁はどうにも分からないようで、首を傾げた。言っていることは分からない割にしっかり成長している辺り、言外のコミュニケーションが成立しているのかもしれない。
決意を新たにした三人を乗せて、伊地知の運転する車は高専に向かった。七海は別で用事があるらしく、現場解散の流れになった。
「おーう、お前ら。結構早かったな」
グラウンドで、タオルを首にかけているパンダが一年生三人の帰還を真っ先に察知して声をかけた。なにやらやる気に満ち溢れた表情の彼らを見て、今度は棍を担いだ姿勢の真希が口を開く。
「なんだ、随分ギラついてるじゃねえか」
「……おかか?」
棘だけは首を傾げて、不思議そうに三人を見ている。
「俺たち、もっと強くならないといけねえ。狗巻先輩、ヨロシャス!」
悠仁の言葉に何かを察して、棘は
「『走れ』」
呪力の影響で反響するように聞こえる棘の声が、そのまま悠仁の行動を強制した。悠仁は自分の意思に反してグラウンドを周回し始める。
「えっ、ちょっ、奇襲はないでしょぉおお!!」
嘆きながら、呪言の影響で走らされる悠仁を見て棘はいたずらっ子のような笑みを見せた。
「なんだ、宮城島を連れて帰ったんじゃないのか?」
そんな悠仁の様子を見て、ようやくパンダも気付いたようで不思議そうに恵と野薔薇を見た。
「呪霊に足を掬われた、って感じですね。高専上層部の情報を何故か握ってて、宮城島の猜疑心に付け込んで連れていかれました」
「だから、上を黙らせるために私らが強くなる、って話です。」
恵が説明して、野薔薇が目標を明確に言葉にした。そんな彼らを見て、真希は満足そうに鼻で笑った後、一振りの幅の広い刀を恵に放り投げた。危なげなく恵がその柄を掴んで、黒い刀身をまじまじと見る。
「なんですか、これ」
「ダオ、中国で使われる刀だ。日本刀と違って、雑に振ってもそこそこ切れる」
「日本刀ってそんなに難しいんですか」
恵の脳裏に、鳴弦であっさりと改造人間を逆袈裟に両断した優太の姿が過る。
「日本刀は振るだけじゃ切れない。押しても切れないし、弾かれれば曲がる。真っ直ぐ振って、引ききる技術が要る。当然、迷えば切れなくなる」
「ちなみにそいつは呪具じゃねえ、ただの黒い刀だ。若干呪いがこもっちゃいるが、真希にとっては使い物にならないってんで、しばらく飾りになってたんだよ」
真希の説明に、パンダが間延びした声で補足した。それを聞いて、野薔薇が首を傾げる。
「そういえば真希さんって呪具で戦うんだっけ。なんでわざわざ呪具使うんです?」
野薔薇の純粋な疑問に、真希が小さく鼻で笑うようにしてアンニュイな表情を見せてから、薄紫のアンダーリム眼鏡を外してそれをまじまじと見た。
「私は、この眼鏡がなきゃ呪いも見えねえ、呪力がないんだ。その分純粋な身体能力が生まれつき高くなってる、
「
真希の言葉を聞いて、パンダが説明ついでに呵々と笑い、パンダらしい冗談口調で空気が重くなるのを防いだ。
「呪いが見えないのに、呪術師になるんですか……?」
野薔薇は不思議そうに、しかし踏み込んでいいのか分からないといった具合に疑問を口にした。そんな野薔薇の心配を笑い飛ばすように、真希は小さく不敵な笑みを見せた。
「私の実家じゃ、呪いも見えねえやつは落ちこぼれ扱い。私は言ってみればお
そう言い切った真希を見て、野薔薇は目を輝かせた。明確な目標があって、そこに向けて実力でひたむきになろうとする姿は、野薔薇にとって尊敬に値した。
「私は、真希さん好きですよ」
「……あっそ」
小さく笑って言った野薔薇に、真希は照れ臭そうに眼鏡をかけ直してそっぽを向いた。そんな空気をパンダが手を打ち鳴らして切り替えようとして、ぽふっと間抜けな音がした。
「さて、談笑は終わりにしようぜ。伏黒は早速真希にダオの扱い習っとけ。野薔薇は今日も受け身の練習すっぞー」
「なんで私が投げられる前提になってんのよ!」
「お前いい加減大振りな攻撃やめろよなぁ」
パンダが間延びした声でケラケラと笑いながら歩きだして、野薔薇がそれに追従していく。恵と真希はグラウンドの中央に向かって歩いて行って、トラックを二周させられた悠仁が棘の元に帰ってきた。
「……こんぶ」
「いやぁ、一周だけじゃ物足りなくて。追加で一周走っちゃった」
どうやら、悠仁は自主的にトラック一周を追加していたようだ。それも、超人的な速度で。そんな悠仁を見て棘が呆れたような顔をした。なるほど、棘が何かを言ったら悠仁は自分の状態を説明することで会話が成立していたらしい。
「あっ、確かにちょっとずつ動けてるかも!」
「おかか」
「『呪力を使ったアレコレができねえ』って話だ」
「私の基礎体力が足りないとか、そういう話なら」
「金槌は大振りに振るものって先入観があるんだろうが、実際は
「俺、術式の関係で手はすぐにフリーにしておきたいんです」
次回:アンサンブル