呪術廻戦⇔   作:たゆたう 累

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ファースト・セッション-参-

 時は数秒遡り、大蜘蛛呪霊が天井から降ってくる直前。野薔薇救出のため姿勢を低くして縮地気味に呪霊の懐へ潜り込んでいた優太には、逃げ場らしい逃げ場はなかった。

 

「上!」

 

 恵の指示が耳に伝わると同時に、優太はすかさず走行方向へ跳びながら、体幹で身を捩り振り返っていた。間髪入れず天井から降ってくる巨体の風圧と着地の勢いを踏みしめて震脚、弓歩に移るには風圧が強すぎた。体勢を戻した大蜘蛛呪霊の顔面が優太を捉え、悠仁たちに背を向ける形になる。普通なら、戦慄でこわばる状態。

 

 ──優太は、普通ではなかった。中学二年生の頃に経験した体を壊すほどの呪力の暴走を経て、死というものに一歩近づいていたのだ。無表情のまま、優太は虚歩の姿勢から掌打で大蜘蛛呪霊の顎を打ち上げた。

 

 恵と悠仁が口論になりかけたのを止めた、肉を叩く音の正体はこれだ。一度仰け反った人面の大蜘蛛が、巨大な眼で優太を見下ろして睨む。耳障りな悲鳴を発しながら口を大きく開き、優太を丸呑みにしようと降りかかる。

 

 掌打で突き出した腕を素早く引きながら、一歩退いて背を逸らして噛み付きを回避する。

 

「お前の敗因は、蜘蛛になりきらなかったことだ」

 

 虚歩から弓歩へ重心を送る。(てのひら)を拳に握り変え、重心移動と腕を伸ばす勢いに加え、呪力を体に漲らせて身体強化を施した一撃が、大蜘蛛呪霊の目測の外から繰り出される。さらに背筋のバネを開放させた拳が空を裂き、巨大な人面の顎に打ち込まれる。振り切らない、打撃の瞬間にピタリと止める──発勁。肉を潰し骨を砕く鈍い破砕音が空気を揺らした。

 

 顎を砕かれた大蜘蛛呪霊が正真正銘の悲鳴を上げる。我に返った恵と悠仁が優太との挟撃を即興で合わせる。

 

「咬み千切れ!」

 

 呪霊の左右の後ろ脚の付け根に玉犬が素早く迫り、強靭な顎と牙で同時に二本の脚を食い千切る。ガクンと大きく体勢を崩して、大蜘蛛の腹部の付け根の位置が下がったところに、助走の勢いを乗せた悠仁が右のフックで殴りつつ身を捩り、左のアッパーを炸裂させる。脆い接点が千切られて膨らんだ腹が宙に舞う。それまで隠されていた野薔薇が、その腹部に蜘蛛の糸で巻き付けて拘束されて口も塞がれていたことを悠仁が視認した。

 

「釘崎無事だ!!」

 

 悠仁の言葉を聞いて、優太が一歩踏み出す。怒涛の反撃に、優太から見て後ずさっていた呪霊への追撃。優太の脳裏に亡き祖父の言葉が過る。

 

──一発で終わらせた方がいいがやちゃ。長引くと相手も痛くて苦しいやろ?

 

「──そうだね、一発」

 

 踏み出した脚が床を踏みしめて地を揺らす、震脚。呪力強化に加え、震脚から流れる力を弓歩へ移る重心移動に乗せて、大蜘蛛呪霊の人面の鼻っ柱へ掌打、硬質な音を響かせた発勁が、呪霊の内側に純粋な打撃の威力と呪力の威力を浸透させ、呪霊の体が爆ぜた。

 

 祓除完了、拘束されていた野薔薇も、本体の消滅に合わせて開放される。

 

「釘崎、ダイジョブ?」

 

 心配そうに悠仁が野薔薇の様子を見る。スカートの裾を払うようにしながら立ち上がった野薔薇の表情に、恐怖らしきものはなく、どちらかと言えばバツが悪そうだ。

 

「悪い、足引っ張った」

 

「気にするな、結果的に宮城島との挟撃に持ち込めた」

 

「私が囮ってこと!?」

 

「そうは言ってない」

 

 恵がため息をつくが、野薔薇がいつも通りな様子を見て悠仁はニッと笑った。

 

「元気そうじゃん、よかったぁ」

 

 三人の輪から少し離れたところで、へなへなとしゃがみ込む優太の姿があった。恵が駆け寄って優太を支える。

 

「どうした、どっかやられたか」

 

「……怖かった」

 

 青ざめた表情の優太、困惑で沈黙する一同。一拍遅れて、悠仁と野薔薇が堪え切れず吹き出した。

 

「いや、あんだけカッコよく決めて『怖かった』って、どういう神経だよ!」

 

「あんた一番活躍してたでしょ、ずっと怖いの我慢してたの?」

 

 優太を支える恵は顔を背けた。口角が上がっているのが、悠仁と野薔薇からは見える。

 

「だってあんなデッカイ顔面目の前にしてんだもん!普通怖いでしょ!?」

 

 優太が珍しく声を荒げて、年相応な抗議をした。悠仁に至っては腹を抱えて笑っているし、恵は肩を揺らして笑い声が出そうになるのを我慢している。

 

「拉致られた私よりビビってるくせに、『お前の敗因は蜘蛛になりきらなかったことだ』って啖呵切ってたの?ホンット不思議っていうか、二重人格かしら」

 

「戦ってる時はそういうのないんだよ。終わってから頭ん中で反省してたら、思い出して怖くなった」

 

「ひー、もうダメ。一番カッコよかったやつが一番へたれてんの、そこらへんのB級映画の何倍も面白いわ」

 

「祓って終わりじゃないのか、つくづく武術家だな」

 

 恵が優太に肩を貸して歩きつつ、玉犬・白を先行させて一行は廃校舎の残存呪霊を確認していく。と言っても残りは四級か、四級にも満たない蠅頭(ようとう)しかいない。玉犬が食べたり、野薔薇が釘を打ち込んで祓ったり。悠仁は優太の真似をして震脚をしようとして、踵を痛めて涙目になっていた。

 

 そうして一行は廃校舎の正門、伊地知と悟が待つ()の外へ無事生還した。ようやく自力で歩けるようになった優太の横に恵と悠仁が並び、野薔薇がしんがりを務める形で()の黒から四人がヌッと出てくる。

 

「お疲れ様~。いやー、すごかったね、二級でしょ?」

 

 軽いトーンと軽薄な笑みで、悟が出迎える。恵と優太があからさまに嫌そうな顔をして悟を見た。

 

「ちょっと大きいどころじゃないですよ」

 

「分かってて言わなかったでしょ、先生のプリンの隠し場所知ってるんですからね」

 

「ちょっと優太くん!?」

 

 想定外の反論に、悟は前のめりになって焦る。現代最強はどうやら甘いものに目が無いらしい。()を解除している伊地知の表情が緩んだことを、この場の全員が気付かなかった。

 

「五条先生の隠してるプリンってなに!?」

 

 そこに食いつく悠仁。彼は甘いものというより、食全般に興味がある様子。

 

「どうせコンビニスイーツでしょ?」

 

「いや、銀座で売ってるやつだろ。前に見たことある」

 

 野薔薇の想定を大きく超える回答が恵から示された。野薔薇の目が猛禽類のように光る。

 

「と、とりあえず帰ろっか、ね?」

 

 悟が恭しく黒塗りのミニバンのスライドドアを開けて、四人を促す。戦いの疲労もあるのだろう、一同が大人しく車に乗り込んだのを確認して、悟がスライドドアを閉める。悟が助手席に乗り込み伊地知が車を出すと、珍しく悔しそうに悟が口を開いた。

 

「僕一応先生だよ?現代最強だよ?」

 

「いや知らんし。蓋を開ければワガママな甘党じゃないですか」

 

「辛辣っ!」

 

 悟がわざとらしく胸を抑えて、車内に笑いが溢れる。

 

「五条先生にそこまで言えるの、優太くらいだよな」

 

「悠仁は……人をからかうコミュニケーションしなさそうだよね」

 

 いつの間にそこまで仲良くなったのか、後列で横並びの優太と悠仁はお互いに名前で呼び合っていた。それが聞こえて、悟の口元が緩む。あえて口を挟まないのは野暮だと思ったからか、あるいはノスタルジーか。運転中の伊地知の視界の端にだけちらりと映って、伊地知も何も言わなかった。

 

 

 

 高専に車が着くと、悟は急いで車から降りた。

 

「じゃあ僕、今回の報告書作成してくるから。みんなゆっくり休むんだよ。じゃあね!」

 

 言って、悟の姿は消えた。

 

「あれ呪力強化の走りじゃないよね?」

 

 車から降りながら、優太が誰へともなく尋ねる。答えたのは恵だった。

 

「あの人の術式。蒼の無限の引力を応用して移動に使うらしい」

 

「高専時代には各所にマーキングを施したそうで、県外の緊急の案件にも対応できるそうです」

 

 伊地知が補足説明を加えた。どうやら悟と伊地知は単純な呪術師と補助監督という関係ではないらしい。

 

「へぇ、便利そう」

 

「かなり精密な呪力操作が必要だそうで。乱用するものではないそうです」

 

「……プリンを守るために使うのは、乱用じゃないんです?」

 

「……五条さんですから」

 

 優太の問いに、伊地知は呆れた様子で眼鏡の位置を正した。大抵のことは「五条悟だから」で納得できてしまう辺り、現代最強の二つ名は伊達ではない。性格と使い方に若干の問題はあるのだが。

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