「せっかくだから、このまま任務行ってきたら?」
恵が玉犬を影に戻し、優太が術式を解除したタイミングで悟が言う。彼の口調は、まるで放課後に遊びに行くことを提案するように軽かった。
「そんな都合よく任務あるわけないでしょ」
「あるよ、任務」
「なんで?」
「呪術師が少ないから」
優太と悟の掛け合い。つまり、案件に対して人材がいないのだ。言葉不足な教師に呆れて恵が補足する。
「日本国内の怪死、行方不明事件の数は年平均してだいたい十万件になる。行方不明事件の内七割は一週間以内に発見されるが、逆に言えば残りの三割は見つからないことがある」
淡々とした説明だった。優太自身、中学二年生まで一般人として過ごしてきて、女性不信に陥ることができる程度にはそれなりに平和な世界を歩んでいた。こうして数字で提示されて、彼の顔に緊張が走る。
「ってことは、ざっくり三万人は未発見って事なん……」
「何事もなく帰って来た一般人の中にも、呪霊絡みの事件に遭った人もいる。そもそも、呪霊と遭遇して生きて帰れる方がレアケースだ。遺体が見つかればまだラッキー、致死量の血痕しか残ってない事の方が多い」
「んで、そういう事件をいち早く解決してほしいんだよね~。いくら僕が最強とは言っても、体は一つしかないからさ。だから、君たちにも成長してほしいってわけ」
淡々とした恵の声色と、軽いトーンの悟の声。温度差は激しいが、話している内容は地続きだ。そして、これが呪術師にとっての日常だということを理解できない程、優太は鈍い感性ではない。固唾を飲んでから、拳を固く握った。
「行こう、すぐにでも」
優太の言葉に呼応するように、黒いスーツ姿の不健康な痩身男性──伊地知が現れる。
「五条さん、先ほどお話されていた二級案件ですが──」
「うん、今話した。伊地知、送ってあげて」
あまりのタイミングの良さに、優太が驚いて躓きそうになる。
「伊地知さんタイミング良すぎ。ってか、伊地知さん以外の補助監督いないんですか?」
「いえ、私は五条さんから直接お話を受けることが多いので。補助監督は他にもいますよ」
「伊地知は僕の専属だもんね?」
「違います」
眼鏡の位置を正しながら、伊地知がキッパリと否定した。悟は気に留めた様子もなくケラケラと笑っている。そんな悟を置いて、一年生一行は伊地知の案内で車に向かった。今回は悟の付き添いはないらしい。
悟の付き添いがないことを事前に聞いていたのか、正門に用意されていたのは黒塗りのセダン車だった。助手席に恵が座り、後部座席に野薔薇、悠仁、優太の順で乗り込む。虎杖悠仁とは、こういったところで自然と気が利く男である。全員が乗り込んだことを確認して、伊地知は車を出した。
「今回は八王子市の廃病院になります。取り壊しが決定して久しいのですが、呪霊の影響で工事ができていないまま放置されています」
「ありきたりな心霊スポットってわけね」
「その分呪霊も強くなる、警戒は必要だ」
野薔薇の分析も、恵の指示も的確だった。人の負の感情が束ねられて呪霊が生まれ、そこに形や名を与えられることで呪霊はさらに強さを増す。つまり、危険な任務になるということだ。
「過去に一度、二級術師が任務に当たったのですが。術式の相性が悪く撤退を余儀なくされています」
伊地知の言葉に全員の顔が強張る。本来、二級の案件と決定している以上二級の術師は対応できて当たり前とされている。いかに相性が悪くても、それは例外ではないはずだからだ。
「相性悪いって、どんな風に?」
重くなりかけた空気を払拭するような、あっけらかんとした様子の悠仁が口を開いた。正確には悠仁も多少緊張しているのだが、素の声が明るいせいで自然と空気が軽くなる。
「伸縮自在の髪を操る女性型の呪霊だとか。対応に当たったのは当時卒業したての二級術師だったのですが、術式発動に使っている覆面を奪われ、まだ慣れのない単独任務ということで撤退を選択したようです」
「二級呪霊ってそんなに頭キレるもんなんです?」
「都会の呪霊の強さは単純な攻撃能力だけじゃないのよ。小賢しいこともしてくるわ」
優太の疑問に答えたのは、苦虫を噛み潰したような表情の野薔薇だ。どうやら覚えがあるようだ。
「あぁ、そういえば昨日の蜘蛛呪霊も釘崎のこと人質みたいにしてたな。あれって戦略だったのかな」
優太の言葉に野薔薇はバツの悪そうな顔になる。昨日のこと以外で、「小賢しいこと」をされたようだ。
「必ずしもそうとは限らない。そもそも呪霊の思考回路は人間とは違う、俺たちと同じ尺度で考えない方がいい」
言葉に詰まった野薔薇に代わって恵が答えた。一年生の中で最も経験豊富な彼の冷静な言葉には説得力がある。
「ま、俺たちなら大丈夫でしょ!」
自信に満ちた笑みで拳を打ち鳴らす悠仁。今度こそ場の空気がふっと軽くなったのは、悠仁のポジティブさが周りに伝染する証左だろう。
その廃病院の周辺は、
「いるねぇ。隠れる気配がないどころか、まるで誘ってる」
「二級に見えるか」
恵も呪力視をしながら優太と同じ箇所を見ている。優太は常時呪力視していることが特殊なだけであって、呪力視そのものは特別な技能というわけではない。
「昨日のやつより強そう。術式持ってないから二級判定食らってるだけで、準一級って言われてもまぁ納得する」
優太はそう言いながら恵に術式を施すために手を伸ばそうとして、恵がその手をやんわりと掴んで制した。
「今回は宮城島自身と、虎杖の強化だけでいい。後ろは自分たちでなんとかする」
「え、なんで?」
「お前の術式は底が見えない、逆に言えばお前の術式が途切れるとそこから崩れる。戦略的に温存した方がいい」
「……んー、わかった」
優太は全員に術式を施す気でいたようで、渋々といった風に悠仁にだけ術式を施す。緋色の呪力の薄膜に覆われた悠仁が目を輝かせながら、正拳突きの型をなぞって体を慣らしている。続けて優太自身も術式で体を覆っている傍で、車から降りた伊地知が廃病院を包み込む
一行が
「……これほんまに二級か?」
優太は軽口に反して、慎重に歩を進めつつ冷や汗がこめかみを伝っている。
「成長している可能性もある。気を抜くな」
「そうは言っても引きこもりでしょ?気張りすぎて動き硬くなってちゃしょうがないでしょ」
恵と野薔薇の声が背中越しに伝わる。前衛の悠仁と前衛兼索敵の優太が先行、恵と野薔薇が後ろに控える配置は、昨日の今日ですぐに形になったようだ。悠仁はと言えば、壁を背に当てて素早く進みながらクリアリングをしている。真面目なように見えて、「サササッ」と言いながら進んでいるので漫画か映画の影響らしい。
「悠仁はなにやってんの」
「あいつはああなのよ。気にしない方がいいわ」
優太の問いに呆れたように野薔薇が答えた。エントランスを抜けて階段へ。一階から三階まで上がるにつれて、呪圧がより重たくなっていくのがわかる。三階の廊下に出たところで、一行は異様な光景に目を見開いた。
腐臭を放つ遺体の首に巻かれた長い髪。一体や二体ではない。それらがナースステーションの方向へ引き摺られている。本体の姿はまだ視認できないが、長い髪を操って絞殺するということはすぐに分かる。
「髪を操るのは術式に入らないの……?」
「どうだろうな。呪霊の組成と人間の組成は違うから、呪霊の場合術式として認知されないのかもしれない」
「厄介ね。束ねたり散らしたりが自在ってことでしょ」
野薔薇が腰に巻いたベルトから金槌を抜き放つ。恵は両手を交差させて翼を広げた羽の掌印を作ったあと、続けて交差した手を素早く解いて、開いた手の親指同士と人差し指同士を付けて小指を曲げる掌印を組んだ。
「
式神の特徴を融合させる、術式の拡張。白い羽の生えた四十センチ程度のカエルの式神が同時に十数匹、恵の周りに顕現する。
「私、カエル苦手なんだけど」
「我慢しろ、手数相手にするにはこれしかない」
そして一行は廊下を進み、ナースステーション前のフロアの惨状を目撃した。四方八方に髪を伸ばした女性型の呪霊。ただし顔だけがやたら肥大化しており、大きな口が腐り切った遺体を捕食していた。
作者コメント
怪死だけでも900~1000件あるそうで、行方不明者数も原作連載開始時点より増えてるみたいです。呪いとか抜きにしても結構おっかねえなって思いました。