山内春樹、退学後の世界を生きる   作:ナスカン

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なんか説明会みたいなのが多くて話が進まないのが心苦しい。


第十話 代表

 

 

進路移行者支援協会。

 

通称、進支会。

 

母さんが取り寄せてくれた、退学者や編入者を支援する団体、くらいにしか思っていなかった。

 

けど、今は違う。

 

俺の高育時代の情報を知っている男が所属している団体。

 

黒崎さんの家の前から帰った俺は、アパートに着くなり机へ向かった。

 

引っ越しの時、なくしたら困る書類だけはまとめて机の引き出しに入れておいた。

 

学校案内。

編入手続きの書類。

高育から渡された説明資料。

母さんが集めてくれていた支援団体のパンフレット。

 

その束を引き出しから取り出し、一枚ずつめくっていく。

 

「……あった」

 

見覚えのある白い冊子。

 

表紙には、進路移行者支援協会と書かれていた。

 

俺は息を呑んで、冊子を開いた。

 

活動内容。

相談窓口。

編入支援。

退学者への生活相談。

いじめや進路に関する外部機関との連携。

 

前に見た時は、ほとんど流し読みだった。

 

ページをめくる手が、少しだけ遅くなった。

 

そして、団体概要の欄で止まる。

 

代表 黒崎悠斗。

 

写真もついているから間違いない黒崎さんの兄だ。

 

俺は冊子を持ったまま、机の前で固まった。

 

まだ頭の整理もついていないが、色々と気になることは多い。

 

「……やっぱり、行くしかないよな」

 

 

ーーーーーー

 

日曜日の朝。

 

俺はカードを財布に入れ、スマホで住所を検索した。

 

進支会の事務所は、電車で5駅ほど先にあるらしい。

 

思っていたより近い。

 

「よし」

 

俺は軽く頬を叩いた。

 

別に殴り込みに行くわけじゃない。

 

話を聞きに行くだけだ。

 

相手は退学者や編入者を支援する団体。

 

いいことをしている場所だ。

 

だから大丈夫。

 

たぶん。

 

それから電車に乗って約30分

 

目的の駅で降りると、駅前は思ったより賑わっていた。

 

飲食店やコンビニ、学習塾の看板。

 

少し歩くと、大通りから一本入った場所に、落ち着いた雰囲気の建物が見えてきた。

 

四階建てのビル。

 

新しすぎるわけではないが、古びているわけでもない。

 

入口の横には、白いプレートがかかっている。

 

進路移行者支援協会。

 

その下には、小さく「相談受付」と書かれていた。

 

俺はその文字を見上げる。

 

「……ここか」

 

思っていたより、ちゃんとしている。

 

母さんが取り寄せていた資料の印象から、もっと小さな相談所みたいな場所を想像していた。

 

古いビルの一室に、机が二つ三つ並んでいるような。

 

けど、目の前にあるのは、少なくともそういう場所ではなかった。

 

自動ドアをくぐると、一階は明るい雰囲気の受付になっていた。

 

正面には小さなカウンター。

 

壁際にはパンフレットの棚。

 

丸いテーブルと椅子がいくつか置かれていて、相談に来たらしい学生や保護者の姿もある。

 

案内を見るに、奥に個室があり、そこで相談をできるのだろう。

 

壁には、柔らかい色のポスターが貼られていた。

 

編入相談。

 

退学後の進路相談。

 

学校生活の悩み。

 

いじめ、不登校、家庭との相談。

 

文字だけ見れば重い内容のはずなのに、部屋全体はできるだけ堅苦しく見えないように作られている。

 

学生が一人でも入りやすいように。

 

そう意識しているのが分かった。

 

「……支援団体って感じだな」

 

思わず小さく呟く。

 

怪しい場所ではない。

 

昨日の黒崎さんの兄の言葉がなければ、こんなに警戒は抱かなかったかもしれない。

 

俺は財布からカードを取り出し、もう一度住所を確認した。

 

間違いない。

 

ここだ。

 

「来たからには、行くしかないよな」

 

朝と同じようなことを呟いて、受付へ向かった。

 

受付の女性が、すぐにこちらへ目を向けた。

 

「こんにちは。本日はご相談でしょうか」

 

「あ、えっと……」

 

いきなりきちんと対応されて、少し拍子抜けする。

 

「昨日、黒崎さんからこのカードをもらって」

 

俺がカードを見せると、女性はすぐに表情を変えた。

 

驚いたというより、話が通っていたという顔だった。

 

「ああ、会長のお知り合いですね。山内春樹さんでよろしいですか?」

 

「……はい」

 

また名前を知られている。

 

そう思った瞬間、肩に力が入った。

 

女性はそれに気づいたのか、少し申し訳なさそうに笑った。

 

「すみません。会長から、いらっしゃったらお通しするようにと言われております」

 

「あ、そうなんですか」

 

「こちらへどうぞ」

 

案内されたのは、一階の奥にある扉だった。

 

その先には階段とエレベーターがある。

 

扉を一枚隔てただけなのに、さっきまでの明るい相談スペースとは空気が少し違った。

 

壁の色も、照明も、落ち着いたものに変わっている。

 

「上の階に行くんですか?」

 

「はい。会長がお待ちです」

 

受付の女性がエレベーターのボタンを押す。

 

扉が開き、中に入る。

 

一階。

 

二階。

 

三階。

 

四階。

 

表示される数字を見ていると、少しずつ逃げ道が遠くなっていく気がした。

 

扉が開いた瞬間、空気が変わった。

 

さっきまでの相談窓口とは違う。

 

廊下は静かで、人の声もほとんど聞こえない。

 

床には薄い色のカーペットが敷かれ、壁には高そうな絵が額に入って飾られていた。

 

少しビクビクしながら女性についていく。

 

「こちらです」

 

案内されたのは、廊下の奥にある応接室だった。

 

扉の横には、会長室と書かれた部屋があり、その隣に来客用らしい部屋がある。

 

中に入ると、テーブルとソファが置かれていた。

 

広すぎる部屋ではない。

 

一階とは明らかに違う。

 

机も椅子も、壁にかかった写真も、全部がどこか堅い。

 

学生が安心するための場所ではなく、大人が話をするための場所。

 

そういう空気があった。

 

「こちらで少しお待ちください」

 

「はい」

 

女性が部屋を出ていくと、応接室には俺一人だけが残された。

 

俺はソファに座り、壁の写真に目を向ける。

 

学生と話す職員。

 

保護者向け説明会。

 

学校関係者との合同研修。

 

偉そうな人間と並んで写る黒崎さんの兄。

 

こういうものを見ると、少し萎縮してしまう。

 

そんなことを考えていると、扉がノックされた。

 

「失礼するよ」

 

入ってきたのは、昨日の男だった。

 

黒崎さんの兄。

 

昨日と同じように、柔らかい表情をしている。

 

白いシャツに、落ち着いた色のジャケット。

 

いかにも人当たりの良さそうな雰囲気だ。

 

けど、この場所で見ると、昨日とは少し印象が違った。

 

「来てくれてありがとう。山内くん」

 

「……どうも」

 

「緊張している?」

 

「してないと言えば嘘になります」

 

「正直だね」

 

黒崎さんの兄は向かいのソファに座った。

 

「まずは自己紹介をしておこうか。私は黒崎悠斗。進路移行者支援協会の代表をしている」

 

「黒崎悠斗さん……」

 

「美琴の兄でもある」

 

「それは昨日知りました」

 

「うん。だろうね」

 

黒崎さんの兄――黒崎悠斗は、少しだけ笑った。

 

その笑い方は穏やかだった。

 

でも、油断できない。

 

この場所を見た後だと、その穏やかさすら、組織の代表として身につけたものに見えてくる。

 

俺は早めに聞くことにした。

 

「単刀直入に聞いていいですか」

 

「もちろん」

 

「どうして俺のことを知ってるんですか」

 

黒崎悠斗は、すぐには答えなかった。

 

テーブルの上に置かれた湯呑みに視線を落とし、それから俺を見る。

 

「君が高度育成高等学校を退学した生徒だからだよ」

 

「それは昨日聞きました」

 

「うん」

 

「俺が聞きたいのは、どこから知ったのかです」

 

少しだけ声が硬くなった。

 

けど、そこは譲れない。

 

「高育の情報って、外に簡単に出るものじゃないはずです。少なくとも、俺はそう聞いてます」

 

「その認識は正しい」

 

「なら、なんで黒崎さんが知ってるんですか」

 

「進支会は、高育と一定の繋がりがある」

 

「……高育と?」

 

思わず聞き返した。

 

その言葉は、予想していたようで、予想していなかった。

 

「繋がりと言っても、私たちは高育の内部に関与しているわけではない。具体的に言うならば、現在何が行われているのかや在校生の情報を自由に知ることはできない」

 

「じゃあ、何を知れるんですか」

 

「退学者が出た時、その後の支援に必要な情報だね」

 

「支援に必要な情報……」

 

「名前。学年。退学時の所属クラス。退学後の進路。編入先の候補。本人や家族が外部支援を必要としているかどうか。必要であれば、退学に至った経緯や、本人が今どういう状態にあるのかも含まれる」

 

そこまで言われて、俺は思わず息を止めた。

 

思っていたより、ずっと具体的だった。

 

「……それ、結構な情報じゃないですか」

 

「そうだね」

 

否定はされなかった。

 

「君も退学後に説明があったかもしれないが、高育は特殊な学校だ。退学した生徒を、そのまま一般の学校へ戻せばいい、という単純な話ではない。環境の違い、精神的な負担、進路調整。必要になる支援は多い」

 

「確かに、そう言った説明を受けました。実際に編入をサポートしてくれる組織がありました」

 

「ただ、君が編入する時に世話になった組織とは、私たちは少し立場が違う」

 

「立場?」

 

「編入先の選定や手続き、住居の調整、学籍に関わる処理。そういったものは、基本的には退学直後の移行を円滑に進めるための支援だ。言い換えれば、次の学校を移るまでの橋渡しだね」

 

「……まあ、そうですね」

 

実際、俺もそうだった。

 

退学が決まってから、新しい学校に入るまで。

 

その間は、やたらと書類や説明が多かった。

 

けど、編入してしまえば、あとは自分でやっていくしかない。

 

そういうものだと思っていた。

 

「進支会は、その後の継続した支援を受け持つ」

 

黒崎悠斗は、静かに言った。

 

「新しい学校を移ったあと。新しい環境に馴染めなかった時。前の学校のことを誰にも話せず苦しくなった時。家族にも学校にも言えない問題が起きた時。そういう時に、何度でも相談できる場所として存在している」

 

「何度でも……」

 

「一度きりの手続きではない。編入が終わったら関係も終わる、というものでもない。むしろ、学校を離れた後からの方が、本当の意味で支援が必要になることも多い」

 

「そう言った事態に備えて学校側から事前に情報が送られてくる。高育での情報も編入後にどんな学生生活を送っているかも継続的にね」

 

「俺の情報も、その中にあったってことですか」

 

「そうだね」

 

あっさりと認められて、胸の奥に嫌なものが残った。

 

筋は通っている。

 

高育から退学者が出る。

 

外部の支援団体に情報が共有される。

 

進路や編入のための支援が必要になる。

 

そして、編入した後も相談できる場所が必要になる。

 

そう説明されれば、納得できなくもない。

 

けど、それと気持ち悪さは別だった。

 

「本人に何も言わずにですか」

 

「高育側から説明はあったはずだよ。外部支援機関との連携について」

 

「ありましたけど……そんなに具体的には聞いてません」

 

「だろうね」

 

「だろうね、じゃないですよ」

 

思わず声が強くなる。

 

「俺は、自分の情報がどこまで誰に渡ってるのか分からないってことですよね」

 

「君から見れば、そう感じるのは当然だ」

 

「当然なら、もう少し悪びれてくださいよ」

 

「悪いと思っていないわけではないよ。ただ、支援を必要とする生徒を取りこぼさないためには、情報が必要になる」

 

それは正論なのだろうが何処か釈然としないものがあった。

 

こんな時、奴を論破できる頭があれば。

 

まあ無いものねだってもしょうがない。

 

俺は少し息を吐いてから、もう一つ気になっていたことを聞いた。

 

「……そもそも、なんで高育は進支会と手を組んでるんですか?」

 

そう聞くと、少しだけ目を細めた。

 

この質問は予想通りということだろうか。

 

「聞いたとは思うが、学校としては、退学した生徒のその後を完全に放置するわけにはいかない」

 

「守秘義務ですか」

 

俺はそう返した。

 

その言葉自体は、もう聞かされている。

 

退学が決まった後、学校側から説明を受けた。

 

高育で知った内部情報、試験内容、在校生に関すること、学校の制度に関わること。

 

外部で安易に話してはいけない。

 

そういう内容の書類に目を通し、署名もした。

 

正直、その時はまだ退学のショックの方が大きくて、細かい部分まで考える余裕はなかった。

 

けれど今ならそこに様々な思惑がかくされていたことがわかる。

 

「君なら当然聞いているよね」

 

「聞いてます。書類にもサインしました」

 

「なら話は早い」

 

そう言って、守秘義務について話し始める

 

「昔なら、国の力で全て抑え込めたのかもしれない」

 

「力で?」

 

「マスコミへの圧力。関係機関への根回し。国家権力による揉み消し。そういう手段がまったく存在しないとは言わない」

 

「……さらっと怖いこと言いますね」

 

「怖い話だからね」

 

淡々と語っていく。

 

「けれど、今はそれだけで完全に隠し通せる時代ではない。SNSがある。動画も、匿名掲示板も、拡散する手段もある。一人の生徒が追い詰められて、すべてを暴露しようとすれば、完全に止めるのは難しい」

 

「だから、先に支援する?」

 

「そうだね」

 

「情報統制のために?」

 

「そうだね」

 

あっさり認められて、俺は眉をひそめた。

 

「何より、高育のことは暴露してしまうとその後の自分の人生にどんな影響が出るかわからないと警告される筈だ。それでも暴露してしまうということは、彼らは人生を諦め自暴自棄になっているということだ」

 

「自暴自棄……」

 

「退学になった。居場所を失った。将来が途切れたように感じた。家族にも責められ、友人にも会えず、次の学校にも馴染めない。自分にはもう未来がないと思い込む」

 

その言葉に、胸の奥が少しだけ重くなった。

 

俺はそこまで追い詰められてはいない。

 

編入先もあった。

 

住む場所もあった。

 

新しい学校にも、柳みたいに話しかけてくれるやつがいた。

 

でも、もしそれがなかったら。

 

もし、本当に何もなくなっていたら。

 

俺はどうなっていただろう。

 

「未来がないと思った人間は、何をするか分からない」

 

黒崎悠斗は続ける。

 

「誰かを恨むかもしれない。学校を恨むかもしれない。自分を壊すかもしれない。周りを巻き込むかもしれない。本人にそのつもりがなくても、追い詰められた人間は視野が狭くなる」

 

俺は何も言えなかった。

 

分かってしまう部分もあった。

 

「だから逃げ道を作る」

 

黒崎悠斗は静かに言った。

 

「学校を出た後にも、次の場所がある。相談できる相手がいる。住む場所や進路を一緒に考える人間がいる。伝えるんだ、君には未来があるのだと。そう思えるだけで、踏みとどまれる人間はいる」

 

「それが進支会ですか」

 

「少なくとも、僕はそう思っているよ」

 

「僕にとっては?」

 

「実際には、そんな綺麗なものだけではないよ。高育というか、国にとっては僕たちの活動も数ある中のリスク管理の一つでしかないのだろう。少しでも秘密が守られるのであればそれで良いと。しかし、私たちにとっては支援でもある」

 

その言葉からは決意が伝わってくる。

 

「同じ仕組みでも、見る角度によって名前が変わる。支援、管理、保護、監視。どれか一つだけではないということだ」

 

言っていることは理解できる。でもそれってつまり…

 

「俺も管理対象ってことですか」

 

「今の所はね」

 

「……本当に否定しないんですね」

 

「君がそう感じるなら、否定する方が不誠実だ」

 

俺は息を吐いた。

 

支援を受けたのは事実だ。

 

そのおかげで今の生活があるのも事実だ。

 

でも、その裏にある思惑を聞くと複雑な気持ちになる。

 

そしてここまで聞いて思うことがある

 

「……黒崎さん」

 

「うん」

 

「一つ、聞いていいですか」

 

「もちろん」

 

俺は膝の上で握っていた拳を、ゆっくりと緩めた。

 

話を聞いているうちに、胸の奥に残っていた違和感が、少しずつ別の形になっていた。

 

支援。

 

管理。

 

情報統制。

 

退学者のその後。

 

何故そこまで話してくれたんだ。

 

初対面に近い俺に。

 

しかも、高育を退学したばかりの、特別優秀でもない俺に。

 

「なんで、俺にそこまで話してくれたんですか」

 

部屋に静寂が訪れる。

 

少しだけ答え方を選んでいるようにも見えた。

 

「実は、君にお願いがあってね」

 

「お願い……?」

 

 

一拍置いてから、まっすぐに俺を見る。

 

その目は、穏やかなままだった。

 

けれど、さっきまでよりも少しだけ真剣だった。

 

「僕たちの活動に協力をしてくれないか」

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