小さい頃から、なんとなく分かっていた。
俺は、特別な人間じゃない。
勉強も、運動も、何か一つ胸を張って「これだけは誰にも負けない」と言えるものも、俺にはなかった。
別に、誰かにはっきりそう言われたわけじゃない。
親に見放されたわけでもない。
先生に馬鹿にされ続けたわけでもない。
友達が一人もいなかったわけでもない。
普通に笑って、普通に遊んで、普通に叱られて、普通に褒められる。
どこにでもいる子供だったと思う。
だからこそ、分かった。
俺は、何もしなくても見てもらえる人間じゃない。
走れば、俺より速いやつがいた。
必死に走って、息が切れて、足が痛くなって、それでも前にいる背中は縮まらなかった。
勉強だってそうだ。
小さい頃は、それなりにはやった。
まったく努力しなかったわけじゃない。
でも、同じ時間をかけても、俺より先に理解するやつがいた。
俺が一つ覚える間に、二つも三つも先に進むやつがいた。
そのたびに、胸の奥が冷たくなった。
ああ。
俺は、こっち側じゃないんだなって。
できる側じゃない。
選ばれる側じゃない。
特別じゃない。
その事実を突きつけられるのは子供の俺にはかなりきつかった。
そして、それを受け入れて認めるのはもっと怖かった。
自分は大したことがない。
そんなことを認めたら、そこで全部終わる気がした。
自分という存在を認める事ができなくなる、
それが怖かった。
だから俺は、別のものを探した。
運動じゃない。
勉強じゃない。
でも、俺には何かあるはずだ。
そう思いたかった。
そうだ、人気者になればいい。
クラスの中心にいればいい。
休み時間に誰かが寄ってきて、俺の話で笑って、俺がいないと少し物足りない。
そんな人間になれれば、それはそれで価値があるんじゃないかと思った。
人と話すのは嫌いじゃなかった。
知らないやつにも話しかけられる。
空気が重くなれば、軽口を叩ける。
先生に怒られても、笑いに変えようとすることはできる。
これならいける。
そう思った。
たぶん、この頃から俺は、自分の明るさを武器みたいに使うようになった。
嫌なことがあっても、笑えばいい。
失敗しても、次に行けばいい。
怒られても、適当に茶化せばいい。
反省するより、笑い話にした方が傷つかなかった。
自分の駄目なところを見つめるより、今この瞬間の楽しいことに飛びつく方が息がしやすかった。
周りから見れば、俺は前向きに見えたかもしれない。
切り替えが早いやつに見えたかもしれない。
でも、本当は違う。
俺は、傷ついたことをなかったことにするのが上手かっただけだ。
失敗の意味を考えずに、次の楽しいことへ逃げるのが上手かっただけだ。
自分が弱いという現実から目を逸らすために、明るく振る舞っていただけだ。
俺は自分を守ることで頭がいっぱいだった。
だからかもしれないが俺は、よく余計なことを言った。
場を明るくするつもりだった。
冗談のつもりだった。
ちょっとした軽口のつもりだった。
でも、たぶん違った。
俺は相手を見れていなかった。
そんな余裕はなかった。
誰かの事情とか、触れられたくない部分とか、今は冗談にしちゃいけない空気とか。
そういうものに、ちゃんと目を向けていなかった。
もし、相手が傷ついた顔をしても、俺はすぐに自分に都合よく考えた。
冗談だろ。
そんなに気にすることかよ。
場を明るくしようとしただけじゃん。
悪気はなかったんだから、そこまで責められることじゃない。
そうやって、また自分を守った。
でも、本当は悪気がないから許されるわけじゃない。
悪意がなかったからこそ、俺は自分がどれだけ雑に人を傷つけていたのか分かっていなかった。
それを俺は、明るさだと思っていた。
気さくだとか、ノリがいいとか、そういうものだと思っていた。
でも本当は、ただ無神経だっただけだ。
そんな俺よりも人気者になる奴が当然いた。
そいつは何もしなくても面白いやつだったり、
人を自然と引き寄せるようなやつ。
そいつを見た時、胸の奥がざらついた。
俺が必死に作っているものを、そいつは最初から持っているように見えた。
俺が頑張って手を伸ばしている場所に、そいつは最初から立っているように見えた。
悔しかった。
だから俺は、そいつらに勝てるように少しだけ話を盛らようになった。
実際より面白くなるように。
実際よりすごく聞こえるように。
実際より、自分が中心にいたように。
最初は、その場を盛り上げるためだった。
別に、大したことじゃないと思っていた。
誰だって少しくらい話を盛る。
面白ければいい。
笑ってもらえればいい。
誰かを傷つけているわけじゃない。
そう思っていた。
けど、本当は違ったのだろう。
俺は笑ってほしかったんじゃない。
俺を見てほしかった。
俺を必要としてほしかった。
こいつがいると楽しい。
こいつは必要な存在だ。
何よりこいつには特別な何かがある。
そう思ってほしかった。
だから、大げさに話した。
自分を大きく見せた。
一度それで笑いが取れると、次も同じことをした。
少し盛る。
もっと盛る。
知らないことを知っているふりをする。
できないことを、できると言う。
大したことのない経験を、大したことがあるように語る。
気づいた時には、それは癖になっていた。
俺の軽口は、俺の武器だった。
そして同時に、鎧でもあった。
大したことのない俺を隠すためのもの。
でも、その鎧はそんなに強くなかった。
少し失敗すれば、すぐにひびが入る。
だから俺は、現実の方を歪めた。
テストの点が悪かった時。
本当は、俺が勉強不足だっただけかもしれない。
でも、それも認めなかった。
今回は本気を出していなかっただけ。
やればもう少しいける。
たまたま問題が悪かった。
そうやって、自分に都合のいい理由を探した。
失敗から学ぶためじゃない。
自分のプライドを守るために。
俺は、切り替えが早かったんじゃない。
失敗をちゃんと受け止める前に、次へ逃げていただけだ。
だから、何度も同じことを繰り返した。
本気で向き合わない。
本気で反省しない。
本気で自分を変えようとしない。
でも、表面上は明るい。
だから、自分でも騙された。
俺は結構前向きな人間なんじゃないか。
落ち込んでもすぐ立ち直れる人間なんじゃないか。
俺には勢いがある。
俺には行動力がある。
そう思っていた。
でも、それも半分は嘘だった。
俺の行動力は、未来に向かって積み上げるためのものじゃなかった。
今この瞬間、嫌な現実を忘れるためのものだった。
それでも俺は、諦めきれなかった。
自分が特別じゃないことを、小さい頃から分かっていたくせに。
まだ見つかっていないだけだ。
俺には、俺だけの何かがあるはずだ。
いつか誰かが気づいてくれるはずだ。
そういう馬鹿みたいな期待を、ずっと捨てきれなかった。
その期待が一番大きくなったのが、高育の受験だった。
高度育成高等学校。
普通の学校じゃない。
国が作った特別な学校。
そこに入れれば、きっと何かが変わると思った。
もちろん、学力だけなら厳しいことは分かっていた。
俺より勉強ができるやつなんて、いくらでもいる。
俺より運動ができるやつもいる。
俺より真面目なやつも、俺より要領のいいやつもいる。
でも、高育は学力だけで見る学校じゃない。
面接があり、人間性や個性も見られる。
そう聞いた時、胸の奥が少しだけ熱くなった。
それなら、俺にも可能性があるんじゃないか。
そう思った。
けど、すぐに別の不安が湧いた。
全国からすごいやつらが集まる場所だ。
普通にしていたら埋もれる。
本当の俺のままでは、見向きもされない。
だから俺は、自分を大きく見せた。
少しどころじゃない。
疑われるくらいに盛った。
こいつ、本当かよと思われるくらいに。
それでも、印象に残らないよりはマシだと思った。
俺は普通じゃない。
俺には行動力がある。
俺は人と関われる。
俺は場を動かせる。
俺は、ただの受験生じゃない。
そう見えるように、自分を作った。
その時も、俺は深く考えていなかった。
もし嘘が見抜かれたらどうなるのか。
もし入った後に実力不足がバレたらどうなるのか。
もし本当にすごいやつらの中に放り込まれたら、自分はどうなるのか。
そんなことは、考えなかった。
いや、考えたくなかった。
なんとかなる。
俺なら意外といける。
入ってしまえば、どうにかなる。
そんな根拠のない楽観で、自分を前に進ませた。
そして
結果は、合格だった。
その文字を見た時、俺は本気で思った。
間違っていなかった。
俺はやっぱり、ただの無能じゃなかった。
今まで見つからなかっただけで、俺はちゃんと選ばれる側の人間だったんだ。
そう思った。
思ってしまった。
あの時の合格は、俺にとってただの合格じゃなかった。
俺は特別だ。
そう信じるには、十分すぎる出来事だった。
しかし、入学後に現実を突きつけられる。
高育はそんなに甘い場所じゃなかった。
虚勢だけで生き残れる場所じゃなかった。
あそこには、本当にすごいやつがいた。
運動が得意な奴
勉強が得意な奴
人をまとめるのが得意な奴
何もしていないようで、裏では全てを操れるようなやつ。
もちろん、俺だって何もしなかったわけじゃない。
成績だって、多少は伸びた。
クラスの中で積極的に動こうともした。
ただ黙って見ているだけの人間ではなかったはずだ。
勝てると思った時は前に出た。
目立てると思った時は動いた。
自分の居場所を作ろうともした。
俺は勝負から逃げてはいなかった。
それだけは、たぶん嘘じゃない。
でも、勝負を分かっていなかった。
勝つために何が必要なのか。
負けた時に何を背負うのか。
自分がどれくらい弱いのか。
相手がどれくらい強いのか。
誰の手を取るべきなのか。
誰の言葉を疑うべきなのか。
そういうものを、ちゃんと見ていなかった。
いや、見たくなかった。
見てしまえば、分かってしまうからだ。
自分がどんな奴なのかを。
特別ではないことを。
俺は、それを認めるのが怖かった。
そんな時だった。
強い側の人間が、俺に手を差し伸べてきた。
俺を認めるような言葉をくれた。
俺を必要としているような顔をした。
その瞬間、俺は簡単に舞い上がった。
馬鹿みたいに。
本当なら疑うべきだった。
考えるべきだった。
自分がそんな都合よく選ばれるわけがないと、冷静になるべきだった。
でも、できなかった。
だからだろう。
その全てが自分自身に返ってきた結果。
俺は退学になった。
その日、俺は自分を特別だと証明してくれるはずだった場所から、追い出される事が決まった。
その事実だけで十分思い知らされたはずだった。
しかし、トドメを刺したのは予想だにしない記憶だった。
頭の中に突如湧き上がった記憶。
最初に会ったのは混乱だった。
知らないはずの景色。
知らないはずの知識。
何も成し遂げられなかった男の人生。
何よりこの世界を知っている。
そこには主人公がいた。
明確に、物語の中心に立つ人間がいた。
その周りには、すごいやつらがいた。
才能を持ったやつ。
実力を隠しているやつ。
人をまとめるのが上手いやつ。
自分の信念を持って動くやつ。
そういう連中が、物語の中で意味を持って動いていた。
そして、俺もそこにいた。
いたにはいた。
でも、俺は主人公じゃなかった。
ライバルでもなかった。
成長して立ち上がる重要人物でもなかった。
俺は、退場することに意味がある人間だった。
誰かの強さを示すため。
現実の冷酷さを見せるため。
クラスが変わるきっかけになるため。
そういう役割の中に、俺はいた。
俺の退学は、俺にとって人生が壊れるほどの出来事だった。
でも、物語の中では一つの通過点にすぎなかった。
馬鹿な俺でも、そこでさすがに分かった。
俺は、中心じゃない。
何かを持って生まれた人間じゃない。
俺は特別じゃない。
そう理解した。
その後は自分でも驚くほどの落ち着きを取り戻していた。
ここでは前世の記憶が役に立った。
社会人であった記憶がここで終わりではないことを告げていた。
だから俺は、普通を選んだ。
普通の学校。
普通の教室。
普通の授業。
普通に友達を作って、普通に笑って、普通に青春をする。
そういう道を選んだ。
周りから見れば、悪くないように見えるんだと思う。
編入して、クラスに馴染んで、柳みたいなやつとも話すようになって、昼休みにくだらない話をして、黒崎さんと放課後に一緒に帰ることもある。
実際、俺自身今を楽しんでいる。
退学した生徒にしては、前を向いているように見えるのかもしれない。
新しい場所でやり直しているように見えるのかもしれない。
実際、俺自身もそう思おうとした。
これでいい。
俺は切り替えた。
あんな学校のことはもう終わった。
普通に楽しくやればいい。
高育で駄目だったからって、人生が終わるわけじゃない。
笑い話にでもすれば、そのうち傷も消えると思った。
でも、高育の退学だけは、笑い話にできなかった。
だから、俺から言わせれば前を向いているのとは少し違う。
これは、心が折れたやつが逃げているだけだ。
勝負の場から降りたやつが、傷つかない場所を選んだだけだ。
そんな俺が誰かを支援する?
退学したやつに手を伸ばす?
俺にそんな資格があるはずがない。
黒崎悠斗が何を見たのかは知らない。
きっと、俺が行っても何かが変わる訳じゃない。
だから断った。
断ったはずだった。
それなのに。
胸の奥に、ずっと引っかかっているものがある。
何かを置き忘れたような感覚。
見ないふりをしているものが、まだそこにあるような感覚。
俺は普通でいい。
誰かを助けるなんて柄じゃない。
そう言い聞かせるたびに、胸の奥が少しだけ痛んだ。