山内春樹、退学後の世界を生きる   作:ナスカン

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第二話 現状確認

 

 

 

教室を出た後、俺は一度部屋に帰された。

 

誰が退学になるかはその日にならないとわからない。

 

なので、少し準備に時間が必要なようだ。

 

 

俺はもう高育の生徒ではなくなる。

 

なのに、まだ高育の寮にいる。

 

まだ制服を着ている。

 

まだ机の上には教科書がある。

 

終わったはずなのに、終わるための手続きだけが残っている。

 

それが、妙に惨めだった。

 

寮の自室に戻ると、部屋は朝と何も変わっていなかった。

 

ベッド。

机。

椅子。

クローゼット。

教材。

洗濯物。

適当に置かれた菓子の袋。

 

少し散らかった、いつもの俺の部屋。

 

だが、同じ部屋なのに、さっきまでとはまるで違って見えた。

 

ここはもう、俺の居場所ではない。

 

一時的に荷物が置かれているだけの場所。

 

退去前の仮置き場。

 

そんなふうに思えた。

 

「……退学者、か」

 

声に出すと、部屋の中にその言葉が落ちた。

 

誰も返事をしない。

 

当たり前だ。

 

ここには俺しかいない。

 

いや、俺しかいないからこそ、その言葉は逃げ場なく響いた。

 

退学者。

 

山内春樹は、高育を退学する。

 

「くそ……」

 

俺は鞄を床に投げた。

 

鈍い音がして、中の教科書が少しはみ出す。

 

その教科書を見て、ますます腹が立った。

 

何だよ、これ。

 

授業に使ったはずのもの。

高育生として持っていたはずのもの。

でも、俺はその中身をどれだけ理解していた?

 

ほとんど何も身についていない。

 

俺は椅子に座る。

 

机の上には、使いかけのノートがあった。

 

開いてみる。

 

授業の内容は、途中から雑になっている。

 

最初の数行だけ真面目に書いて、その後は空白。

端の方には、意味のない落書き。

どうでもいい言葉。

自分でも覚えていないくだらないメモ。

 

「……ひでえな」

 

これが俺の積み上げてきたものか。

 

高育での時間の証拠が、これか。

 

笑うしかない。

 

いや、笑えなかった。

 

俺はノートを閉じようとして、指が止まった。

 

ノートの端に、小さく書かれた名前が目に入った。

 

佐倉。

 

何で書いたのかは覚えていない。

 

たぶん、あの頃の俺が、調子に乗っていた時だ。

 

佐倉に告られたとか、そんな馬鹿みたいな嘘を言った。

 

雫だと知ってからは、さらに浅ましかった。

 

かわいい。

グラビアアイドル。

自分でもいけるかもしれない。

 

そんな下心を、俺は大した罪悪感もなく持っていた。

 

今思い返すと、吐き気がする。

 

「最低だろ、俺……」

 

呟いても、誰も否定しない。

 

当然だ。

 

否定できる材料がない。

 

俺は、そういう人間だった。

 

自分を大きく見せるために嘘をつく。

欲望に忠実。

場の空気を読まない。

軽率な行動で周囲を巻き込む。

それでいて、自分がどれだけひどいのかを省みない。

 

山内春樹。

 

それが俺だ。

 

「……いや、何で急にこんなにわかるんだよ」

 

自分で自分に突っ込んだ。

 

さっきからおかしい。

 

退学のショックで冷静になった?

 

違う。

 

それだけじゃない。

 

教室を出る前から、頭の中に変な記憶が混ざっている。

 

道路。

 

夜。

 

ヘッドライト。

 

ブレーキ音。

 

白く飛ぶ視界。

 

身体が宙に浮く感覚。

 

地面に叩きつけられる衝撃。

 

そして、最後に浮かんだ後悔。

 

――

 

「……っ」

 

俺は机に手をついた。

 

胃の奥が重くなる。

 

夢じゃない。

 

妄想でもない。

 

その記憶には、妙な重さがあった。

 

三十代の男。

 

会社員。

 

やりたいことを先延ばしにしていた。

 

運動しようとしても続かない。

勉強しようとしても参考書を買って満足。

人間関係も面倒になると逃げる。

自分はいつか変われると思いながら、結局何も変わらない。

 

そして、事故で死んだ。

 

死ぬ直前に、山ほど後悔した。

 

もっとやればよかった。

 

もっと本気で生きればよかった。

 

あれも、これも、何一つ間に合わなかった。

 

その記憶が、俺の中にある。

 

前世。

 

そんな馬鹿みたいな言葉が頭に浮かぶ。

 

普通なら笑う。

 

だが、今は笑えなかった。

 

山内春樹として退学した俺の中に、三十代で何もしないまま死んだ男の記憶がある。

 

最悪だ。

 

どっちの人生も、ひどい。

 

「何なんだよ……俺、二回連続で失敗してんのかよ」

 

声が震えた。

 

泣きそうなのか、笑いそうなのか、自分でもわからない。

 

高育で失敗した。

 

前世でも失敗していた。

 

どちらも、最後に残ったのは後悔だった。

 

そして何より驚いたのがいわゆる原作知識というやつだ。

 

この世界は物語?この結末は最初から決まっている?

 

いきなりそんなこと言われても意味がわからない。

 

しかし、前世の記憶通りに物事は進んでいる。

 

すなわち山内春樹の退学。

 

そこで、ふと、別の考えが頭をよぎる。

 

もし、この記憶をもっと早く思い出していたらどうだった?

 

入学直後とか。

 

原作の知識を上手く使えたかもしれない。

 

知識チートで活躍して、周囲から一目置かれて――。

 

もしかしたらモテモテだったかもしれない。

 

「……なんで俺が主人公じゃねーんだよ」

 

思わず天井を見上げてぼやいた。

 

タイミングが遅すぎる。

 

退学が決まった日に前世を思い出すとか、嫌がらせにもほどがあるだろ。

 

だが、その直後。

 

心の奥底から、妙に冷静な声が聞こえた気がした。

 

――いや、それは無理だろ。

 

「……」

 

――お前だぞ?

 

「やめろ」

 

――知識があっても調子に乗って余計なこと言って終わる未来しか見えないんだが。

 

「やめろって」

 

――そもそも知識チート以前に、お前何もしないじゃん。

 

ぐうの音も出なかった。

 

俺はしばらく机に突っ伏した。

 

寮の外から、誰かの足音が聞こえる。

 

廊下を歩く生徒の声。

 

遠くで扉が閉まる音。

 

この寮はまだ動いている。

 

高育の生活は続いている。

 

俺だけがそこから外される。

 

それが、たまらなく痛かった。

 

「……いや、痛がってる場合じゃねえだろ」

 

俺は顔を上げた。

 

このまま落ち込んでいたら、本当に終わる。

 

前世と同じだ。

 

やらなきゃいけないことを後回しにして、気づいたら終わる。

 

それだけは、もう嫌だった。

 

俺は机の上のノートをもう一度開いた。

 

さっきまで見ていた、使いかけのノート。

 

落書きだらけで、授業内容もろくに書かれていない。

 

俺らしいノート。

 

破りたくなった。

 

でも、破らなかった。

 

破ったところで、なかったことにはならない。

 

これが俺だった証拠だ。

 

だったら、そのまま使えばいい。

 

俺は新しいページを開いた。

 

シャーペンを握る。

 

手が少し震えていた。

 

何を書けばいい?

 

謝罪?

 

反省文?

 

退学者の決意?

 

どれも大げさだ。

 

俺はしばらく迷って、最初にこう書いた。

 

――山内春樹という男。

 

書いた瞬間、胸が重くなる。

 

自分を見つめるなんて、今までまともにしたことがなかった。

 

だからこそ、書くしかない。

 

俺は箇条書きで書いた。

 

学力、下。

能力、下。

嘘をつく。

自分を大きく見せたがる。

欲望に弱い。

女に弱い。

軽率。

犯罪行為のハードルが低い。

空気を読まない。

自分を客観視できない。

反省が浅い。

騙されやすい。

自分のためなら平気で人を売る。

 

書いていて、吐き気がした。

 

最低すぎる。

 

自分で書くと、逃げられない。

 

これが俺だ。

 

退学を宣告されたとき思った。

 

何で俺なんだ、と。

 

でも、この一覧を見ていると、そりゃ退学になるなと正直思った。

 

 

 

俺は切られる側になるだけの理由を、自分で積み上げていた。

 

「……きついな、これ」

 

俺は額を押さえた。

 

次に、前世の記憶を書く。

 

だが、手が止まる。

 

前世。

 

事故死。

 

三十代。

 

何もやっていない。

 

書いていいのか。

 

これを誰かに見られたら、完全に頭がおかしい奴だ。

 

いや、退学直後にこんなことを書いている時点で、かなり危ない。

 

俺は直接的な言葉を避けた。

 

――知らない記憶。

 

そう書いた。

 

三十代。

事故。

死ぬ直前の後悔。

先延ばし。

何もしなかった人生。

同じ失敗を繰り返している。

 

そこまで書いて、ペンを止める。

 

同じ失敗。

 

それが一番刺さった。

 

前世でも、今世でも、俺は何も積み上げていない。

 

そして、失ってから後悔している。

 

「……三回目は、さすがに洒落にならないよな」

 

俺は小さく呟いた。

 

まだ二回目だ。

 

一回目は死。

 

二回目は退学。

 

ここでまた何もしなかったら、今度こそ救いようがない。

 

次に書くべきことはわかっていた。

 

だが、書くのが怖かった。

 

俺はノートの新しい行に、少しだけ小さく書く。

 

――知っていること。

 

原作知識、とは書かなかった。

 

そんな言葉を残すのは危険すぎる。

 

高育では、言葉も記録も武器になる。

 

俺は成績も能力も底辺だったが、それでもこの学校で過ごした時間はゼロじゃない。

 

不用意に残した文字が、後でどう使われるかわからない。

 

カメラも何処にあるかわからない。

 

だから、頭の中で整理する

 

この物語の主人公は綾小路清隆

俺は退学する運命だった。

佐倉も後に退学する。

綾小路はホワイトルームとかいうところで育てられたチート野郎

 

考え終えた瞬間、背中が冷えた。

 

綾小路清隆。

 

原作知識を思い出した今、

 

龍園は怖い。

坂柳も怖い。

だが、綾小路はそういう怖さではない。

 

本人もやばいが、この情報を知ってるだけで危険かもしれない。

 

 

触れてはいけない。

 

探ってはいけない。

 

絶対に。

 

「……俺がどうこうできる相手じゃねえし、もう関係ないけどな」

 

俺は口に出した。

 

その方が、少しだけ現実味が出た。

 

綾小路に勝つ。

 

そんなことを考えるな。

 

見返す?

 

無理だ。

 

あいつに関わるな。

 

俺のやり直しは、綾小路と戦うことじゃない。

 

高育の中に戻って、何かをひっくり返すことでもない。

 

外で生きることだ。

 

それが、たぶん俺に残された道だ。

 

ノートに次の見出しを書く。

 

――これから。

 

ペンが止まる。

 

これから。

 

何をする?

 

退学手続き。

荷物整理。

親への説明。

編入先探し。

勉強。

生活。

 

一気に現実が押し寄せる。

 

「無理だろ……」

 

弱音が漏れた。

 

本当に無理そうだった。

 

俺は高育で落ちこぼれた。

 

外に出たからといって、急にまともになれるわけじゃない。

 

学力は低い。

根性もない。

嘘をつく癖も残っている。

面倒になると逃げる。

すぐに調子に乗る。

 

こんな人間が、ここからやり直せるのか?

 

普通に考えれば、かなり厳しい。

 

でも、何もしなければもっと終わる。

 

俺は奥歯を噛み、ノートに書いた。

 

一、退学手続きをする。

二、荷物を整理する。

三、編入先を探す。

四、勉強をやり直す。

五、嘘を減らす。

六、体を鍛える。

七、危険な相手に近づかない。

八、綾小路には絶対に関わらない。

九、ここからやり直す。

 

書き終えて、少しだけ息を吐いた。

 

「嘘を減らす」って何だよ。

 

嘘をやめる、じゃないのか。

 

自分でも情けない。

 

だが、いきなり全部やめる自信はなかった。

 

俺は嘘をつく。

 

見栄を張る。

 

自分を大きく見せたくなる。

 

それは、明日から急に消えない。

 

咄嗟に出てしまうかもしれない。

 

だから減らす。

 

低い目標だ。

 

でも、できもしない綺麗な目標よりはマシだ。

 

次に、体を鍛える理由を書く。

 

この世界は危ない。

物語の世界だからか、前世の世界より事件が多い。

高育の中も外も安全ではない。

この世界では身体能力は生存に関わる。

 

俺の場合は、勝つためではなく、生き残るため。

 

 

戦えなくとも、逃げる体力くらいは必要だ。

 

何かに巻き込まれた時に、固まらないための準備くらいはしておきたい。

 

この世界では、弱いまま何も備えない方が危ない。

 

次に、勉強について書く。

 

目指せ大学進学。

 

その文字を見て、俺は少し笑った。

 

高育を退学したばかりの俺が、大学進学。

 

笑える。

 

でも、笑って終わりにしたくはなかった。

 

俺は高育でまともな青春を送れなかった。

 

いや、送れなかったんじゃない。

 

自分で壊した。

 

調子に乗って、嘘をついて、軽率に動いて、最後は当たり前に切られた。

 

だから、もう一度。

 

普通の学校で。

 

普通に勉強して。

 

普通に友達を作って。

 

普通に少し馬鹿なことをして。

 

そんな高校生活を、少しでも取り戻したかった。

 

ノートの端に書く。

 

――青春を取り戻したい。

 

書いた瞬間、顔が熱くなった。

 

痛い。

 

かなり痛い。

 

山内春樹が青春を取り戻したいとか、どの口が言っているんだ。

 

でも、本音だった。

 

消さない。

 

これは決意表明だ。

 

目標が決まり少し心が暖かくなった。

 

「少し疲れたし、茶柱先生から呼ばれるまで横になるか」

 

そう言って俺はベットに沈んでいった。

 

 

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