山内春樹、退学後の世界を生きる   作:ナスカン

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いつも読んでくださってありがとうございます。
独白と本筋が交互になるので読みにくかったらすいません。


第二十二話 折れた心

 

 駅前の喫茶店は、夕方にしては静かだった。

 

 窓際に会社帰りらしい男が一人。奥には大学生らしき二人組。店内には控えめな音楽が流れていて、少なくとも周りに話を聞かれる心配はなさそうだった。

 

 俺と真鍋は、奥の二人席に向かい合って座った。

 

 店員がメニューを持ってくる。

 

 俺は何気なくメニューを開いた。

 

「そういえば、ここのケーキ、美味いらしいぞ」

 

「……興味ない」

 

「せっかくだし頼んでみるか?」

 

「いらない」

 

 間髪入れずに返された。

 

「即答かよ」

 

「甘いものを食べに来たわけじゃないし」

 

「まあ、それはそうだけどさ」

 

 俺は苦笑しながらコーヒーを、真鍋は紅茶を注文した。

 

 注文を終えると、会話はそこで途切れた。

 

 向かい合って座っているのに、真鍋は何も言わない。俺も、何から切り出せばいいのか決めきれず、テーブルに視線を落とした。

 

 気まずい。

 

 やがて店員が飲み物を運んできた。

 

 俺の前にコーヒーが置かれ、真鍋の前には紅茶が置かれる。

 

 けれど、真鍋はカップに手を伸ばさなかった。

 

 ただ、じっとこちらを見ている。

 

「それで?」

 

「ん?」

 

「この後、私は何を話せばいいわけ?」

 

 相変わらず棘のある言い方だった。

 

 それでも、話す気になってくれたことはありがたい。俺はカップを少しだけ手元に寄せてから口を開いた。

 

「じゃあ、相沢と何があったのか聞きたい」

 

「……」

 

「編入してから、何があったんだ?」

 

 真鍋はすぐには答えなかった。

 

 紅茶の表面を見下ろしたまま、しばらく黙っている。

 

「最初に呼び出されたのは、編入して少し経った頃よ。教室にいたら相沢に声をかけられて、『あんたの前の学校のことで話がある』って言われたの。無視するわけにもいかないでしょ。だから校舎裏まで行った。そしたら、いきなり言われたわ」

 

「何を?」

 

「あんた、高度育成高等学校に通ってたでしょって」

 

 まあ想像通りではあるな。

 

「最初は惚けたわよ。何のことって。でも、あいつは見たって言ってきた。私があの学校の制服を着ているところを」

 

 真鍋の指が、カップの取っ手に触れた。

 

「まさか見られてるなんて思わなかった。地元に戻ってきた時点で、もうあの学校のことなんて終わった話だと思ってたから」

 

「それで、相沢は?」

 

「畳みかけてきたわ。黙ってないで何とか言いなさいよって」

 

 真鍋はそこで一度、息を吐いた。

 

「だから私も、咄嗟に言ったのよ」

 

「何て言ったんだ?」

 

「どうでもいいでしょ、あんな学校のことなんて、って」

 

 その言葉で、なんとなく先が読めた。

 

「それで相沢がキレたんだろ」

 

 真鍋は一瞬だけ目を見開いた。

 

「……なんで分かったの?」

 

「少し心当たりがあってな」

 

「『あんな学校ですって? ふざけんな』って。正直、意味が分からなかった。なんであいつが、あの学校のことでそこまで怒るのか分からなかったから」

 

「……」

 

「その後、退学した理由を聞かれた。でも言えるわけないでしょ。守秘義務もあるし、あいつには関係ない話だし。だから私は、その場を去った」

 

 まあ正直その場に残っても言えることはないだろうからな。

 

「それで、次の日から噂が流れ始めたのか」

 

「そうよ」

 

 短い返事だった。

 

「男関係で退学したとか、誰かをいじめて退学になったとか。最初から相沢の仕業だってことは分かってた。でも、しばらく無視してれば終わると思ってたのよ」

 

「でも終わらなかった?」

 

「噂は勝手に大きくなっていった。否定しようにも、高育のことは話せない。何か言えば、そこからまた詮索される。気づいたら、学校ではほとんど孤立してた」

 

そこまで聞いて、俺は少しだけ迷ってから口を開いた。

 

「まあ、簡単に言い返せる状況じゃなかったのは分かる」

 

 編入して間もない学校。周りは相沢の方を知っていて、真鍋のことはほとんど知らない。そんな中で一度広がった噂を消すのがどれだけ面倒かくらい、俺にも想像はつく。

 

「それでも、少し気になったんだ」

 

 真鍋の視線がこちらに向く。

 

「何か行動に移そうとはしなかったのか? 相沢に言い返すとか、誰かに相談するとか」

 

 真鍋志保という人間が何も動かないということには違和感があった。

 

 真鍋はしばらく答えなかった。

 

 カップの縁を指でなぞりながら、ぽつりと言う。

 

「もう疲れたのよ」

 

「疲れた?」

 

「アンタだって、退学になったなら分かるでしょ」

 

 真鍋の声は、思ったより静かだった。

 

「高育での日々は、普通じゃなかった。クラスの評価。ポイント。試験。人間関係。誰が上で、誰が下で、誰に従って、誰を警戒するのか。毎日、何かに追われてるみたいだった」

 

 言われて、否定はできなかった。あの学校は、普通の高校じゃない。

 

 俺はうまくやれなかった側の人間だ。だからこそ、その息苦しさは少しだけ分かる。

 

「私なりに必死にやってたのよ」

 

 真鍋は視線を落とした。

 

「でも、退学になった時に、それまで張り詰めてたものがぷつんと切れた気がした。何かを考える余裕なんてなかった。ただ、終わったんだって思った」

 

「……」

 

「それからは誰かと争う気力なんてないわよ。そもそも、地元を選んだのだって何も考えたくなかったからだし」

 

 そこで真鍋は、苦い顔をする。

 

「それがまさか、あいつがいるなんてね」

 

「相沢か」

 

「そうよ。あいつ、頭が良かったから。地元を離れて、都心の進学校にでも行ってると思ってた」

 

 その話には、心当たりがあった。もちろん、確証はない。ただの推測だ。しかし、真鍋に共有してもいいかもしれない。

 

「そのことなんだけどな」

 

「何?」

 

「相沢は、中学の最後の時期に、どこかの試験を受けて落ちたって話を聞いてな」

 

 真鍋の目が細くなる。

 

「それが?」

 

「俺の憶測だけど、相沢は高度育成高等学校を受けて落ちたんじゃないかと思ってる」

 

 真鍋が固まった。

 

 さっきまで紅茶の取っ手に触れていた指が、ぴたりと止まる。

 

「あいつが、高育を?」

 

「ああ。だから、お前に『あんな学校どうでもいい』って言われて、あそこまでキレたんじゃないか」

 

 真鍋はしばらく黙っていた。

 

 やがて、吐き捨てるように言う。

 

「確かに、それなら納得はできるわね」

 

「だろ」

 

「本当なら、ただの八つ当たりじゃない」

 

「それはそうだな」

 

 俺は頷いた。真鍋からしたら理不尽な話だと思う。

 

「だからこそ、俺はお前が黙って学校を去る必要はないと思ってる」

 

 そう言うと、真鍋は静かに目を伏せた。

 

「確かに、そうかもね」

 

「だったら――」

 

「でも、正直言って、今の私はあの学校に残りたいと思ってない」

 

「なんでだよ」

 

「噂が消えたとしても、居づらい空気は変わらない。私を見る目も、完全には元に戻らない。何より、あの学校に特別な思い入れもない」

 

「でも、柚原さんがいるだろ」

 

 その名前を出した瞬間、真鍋の動きが止まった

 

「あの子、お前のことを大切な友達だと思ってる。お前に助けられたって今でも感謝してたぞ」

 

「……そうね」

 

「だったら――」

 

「だからこそ、一緒にはいられないのよ」

 

 真鍋が俺を見る。

 

 その目には諦めに近いものを感じた。

 

「だって……」

 

 言いかけて、真鍋は口を閉ざした。

 

「だって?」

 

「いや。アンタは何も知らないだろうから、言わない」

 

 そこまで言われて俺は考える。

 

 俺の知らないこと。

 

 一緒にいられない理由になるような、そんな後ろめたいもの。

 

 俺には、一つだけ心当たりがあった。

 

 高育にいた頃の真鍋。

 

 船上試験。

 

 そこで起きた出来事が、頭をよぎる。

 

 気づけば、口が動いていた。

 

「……軽井沢のことか?」

 

 真鍋の目が見開かれた。

 

「アンタ……知って……」

 

 しまった。

 

 心臓が跳ねる。

 

 俺が軽井沢の件を詳しく知っているのは、本来ならおかしい。

 

 表情を変えないようにしながら、俺は急いで言葉をつなげた。

 

「いや、船の上で揉めてたって話を、綾小路から少し聞いててな」

 

「綾小路……」

 

「船上試験で、あいつと同じグループだっただろ。あまり話したくない内容で思いついたのが、それだったから、口に出してみただけだ」

 

 真鍋は疑うように俺を見ていた。

 

 俺はコーヒーに手を伸ばすふりをして、視線を外した。

 

 数秒の沈黙が、やけに長く感じる。

 

 やがて真鍋は、小さく息を吐いた。

 

「まさかあんたが知ってるとはね」

 

 危なかった。

 

 内心で冷や汗をかきながらも、俺は何とか顔に出さないようにした。

 

 真鍋はカップを置いた。

 

「まあ、どうせこんな話、誰かにすることなんてもうないだろうし」

 

 そこで一度、真鍋は言葉を切った。

 

「いいわ。あんたも知ってる通り、私は軽井沢と揉めてた」

 

 真鍋は小さく息を吐く。

 

「でも、それだけじゃない。私たちは数人であいつを囲んだ。追い詰めるつもりで」

 

 視線が、テーブルの上に落ちる。

 

「怯えさせて、怖い思いをさせてやろうって思ってた」

 

 俺は黙っていた。

 

 ここで何か言えば、真鍋は続きを飲み込んでしまう気がした。

 

「実際に、取り囲んで暴力も加えた。今になって考えれば、あそこまでやるのは異常だったと思う」

 

 真鍋は自嘲するように、わずかに口元を歪めた。

 

「でも、当時の私は、それが間違ってるなんて本気で思ってなかった」

 

 少し間を置いて、真鍋は続ける。

 

「まあ、私はそういう女ってわけ」

 

 それだけ言うと、真鍋は力なく息を吐いた。

 

 店内には食器の触れ合う小さな音だけが響く。

 

 真鍋は紅茶のカップに視線を落としたまま、しばらく黙っていた。

 

 やがて、小さく口を開く。

 

「菜月はさ、昔から私のことを変に信じてるのよ」

 

「頼れるとか、優しいとか。そういうふうに見てる」

 

 真鍋は紅茶のカップに視線を落とした。

 

「でも、本当の私はそんな立派な人間じゃない」

 

 指先が、カップの縁に触れる。

 

「このことを知ったら、あの子はショックを受けるでしょ。そしてきっと、友達ではいられなくなる」

 

「真鍋……」

 

「だったら綺麗な思い出のまま去ったほうがマシだとは思わない?」

 

 その言葉に、何も返せなかった。

 

 別に隠して友達を続けるって選択肢もあるだろう。

 

 けれど本人がそうする気がないことが話から伝わってきた。

 

「そういうわけだから」

 

 真鍋は椅子の背にもたれた。

 

「あの子には、うまく伝えといてくれる?」

 

「でも……」

 

「そういう約束よね」

 

 今までより少しだけ、声が強かった。

 

 俺は口を閉ざす。

 

 確かに、俺は言った。

 

 お前が直接言えないなら、俺から伝えると。

 

 余計なことは言わないと。

 

「……分かった」

 

 俺がそう言うと、真鍋は小さく頷いた。

 

「今日は色々、思い出したくないことまで思い出したけど」

 

 真鍋は立ち上がった。

 

「……まあ、話したら少しだけスッキリしたわ」

 

 そう言って、伝票に手を伸ばそうとする。

 

「いや、ここは俺が払う」

 

「は?」

 

「話を聞かせてもらったしな」

 

「貸しにするつもり?」

 

「しないって」

 

 真鍋はしばらく俺を睨んでいた。

 

 やがて、呆れたように肩を落とす。

 

「……勝手にすれば」

 

「おう」

 

 真鍋が椅子を引く。

 

「じゃあ、私は帰るわ」

 

「待ってくれ」

 

「何?」

 

「今度、進支会から書類を受け取るだろ。その時、直接連絡ついた方が楽だと思うんだ」

 

 真鍋は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「連絡先?」

 

「ああ。もちろん、必要な時以外は連絡しない」

 

「本当に?」

 

「俺は嘘はつかない男だぜ」

 

「その言葉が絶対嘘でしょ」

 

 呆れた声だった。

 

 それでも真鍋はスマホを取り出した。俺も慌ててスマホを出し、連絡先を交換する。

 

 画面に表示された「真鍋志保」の名前を見て、少しだけ不思議な気持ちになった。

 

 高育にいた頃は、まともに話すことすらなかった相手。

 

 その相手と、こうして連絡先を交換している。

 

「用もないのに連絡してきたら無視するから」

 

「分かってるよ」

 

「あと、菜月には余計なこと言わないで」

 

「……分かってる」

 

 真鍋はそれだけ言うと、店を出ていった。

 

 ガラス越しに、その背中が駅の方へ向かっていくのが見える。

 

 ようやく話を聞くことができた。

 

 学校で何があったか。

 

 真鍋が反抗しなかった理由。

 

 柚原さんを遠ざけた理由。

 

 分かったことは多い。

 

 けれど、問題は何も解決していない。

 

 真鍋自身が、今の学校に残ることを望んでいない。

 

 それなら、このまま次の学校へ進むのが一番いいのかもしれない。

 

 本人がそう望んでいるなら、外野が無理に引き止めるべきじゃないのかもしれない。

 

 でも。

 

 本当にそれでいいのか。

 

 俺は冷めかけたコーヒーを手に取り、残りを飲み干した。

 

 苦味だけが、しばらく口の中に残っていた。

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