山内春樹、退学後の世界を生きる   作:ナスカン

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第五話 編入試験

 

 

 朝、目が覚めた瞬間、天井を見上げたまま数秒固まった。

 

 知らない天井だった。

 

 高育の寮でもない。実家の自分の部屋でもない。白くて、何の面白みもない、ビジネスホテルの天井。

 

「……試験、今日か」

 

口に出した途端、色々なことが思い起こされた。

 

保護者説明。進路支援方針の説明。退寮手続き。鍵の返却。

 

そういったものを終えて。

 

その日、俺は高度育成高等学校の寮を出た。

 

そこから一度、実家に戻った。

 

家の玄関を開けた時、母親は普通に「おかえり」と言った。父親は、いつもより少し言葉を選びながら接してきた。

 

地元は入学前と変わらなかったが妙に懐かしさを感じた。

 

昔から知っている道。コンビニ。駅前。友達と通った場所。

 

全てが遥か昔に感じるほどこの一年は濃い出来事が多かった。

 

しかし、そんな感傷に浸る暇もなく、この一週間は編入試験のための勉強をした。

 

提供された試験対策問題をひたすら解く日々。

 

そして試験前日、つまり昨日の夜に、試験会場近くのホテルに泊まることになった。

 

試験会場自体は地元から離れているため、ホテルに向かう際、父親に車で送ってもらうことになった。

 

車内での会話は少なかった。

 

父さんは必要なことだけを言った。

 

受験票は持ったか。筆記用具はあるか。明日の朝、遅れるなよ

 

俺も必要なことだけ返した。

 

持った。ある。わかってる。

 

ホテルのロビーで別れる時、肩を軽く叩かれた。

 

「明日は、落ち着いてやるんだぞ」

 

自信を持って「おう」と返した。

 

そして今日。

 

編入試験当日。

 

「……ほんと少しくらい暇くらいくれよな」

 

 この忙しい日々に、ぼそっと文句を言ってから、俺は布団を剥いだ。

 

 洗面所で顔を洗う。

 

 「まあやるだけやったし、なんとかなるだろう」

 

 机の上には、渡された編入試験用の対策問題が積んである。

 

 数学。英語。国語。

 

 机の上の対策問題を鞄に入れた。

 

 今日は本番だ。

 

 高育のような派手な特別試験ではない。クラスの命運を背負うわけでも、誰かを蹴落とすわけでもない。ポイントもない。

 

 ただ、自分が次の学校に入れるかどうか。

 

 それだけの試験。

 

 しかし、緊張する。万全に備えたテストほど緊張するものだ。

 

 ホテルの朝食会場に行く気にはなれなかった。

 

 食べた方がいいのはわかっている。

 

 でも、知らない大人たちに混じって、落ち着いた顔でパンやスクランブルエッグを取れる気がしない。

 

 とりあえず、前日に買っておいたゼリー飲料を飲んだ。

 

 味はよくわからない。

 

 緊張で舌が鈍っている。

 

「……いや、受験前の朝メシがこれってどうなんだよ」

 

 文句を言いながらも、最後まで飲み切った。

 

 空の容器をゴミ箱に入れる。

 

 受験票。筆記用具。スマホ。財布。身分証。対策問題。

 

 忘れ物がないか、何度も確認した。

 

 ホテルを出ると、朝の空気が少し冷たかった。

 

 春は近いのに、まだ冬の名残がある。

 

 駅前の道を歩きながら、スマホの地図を開いた。

 

 昨日のうちに下見はしてある。

 

 それでも道を間違えたくなかった。

 

 集合時間の三十分前には、学校に着けるはずだ。

 

 昔の自分なら、たぶんギリギリだった。いや、下手したら遅刻しかけてたかも。

 

 これも高育での日々のお陰かもしれない。

 

 生活態度が悪いとクラスポイントが引かれてしまうから早めの行動が癖になってしまった。

 

 まあ悪いことではないか。

 

 そんなことを考えながら、目的地に向かって歩く。

 

 今回の会場はとある街中の高校だ。

 

 校門の前で、一度足を止めた。

 

 門の横には、簡素な案内板が置かれている。

 

『編入学試験 受付』

 

 矢印の先に、職員玄関があった。

 

「……行くか」

 

 そう言って、俺は門をくぐった。

 

 受付で名前を告げると、事務員らしき女性が受験票を確認した。

 

「山内春樹さんですね。こちらの教室でお待ちください」

 

「あ、はい。お願いします」

 

 緊張していたが、思ったより普通に声が出た。

 

 案内された教室には、すでに何人かの受験生がいた。

 

 少し驚く。

 

 自分一人ではなかった。

 

 編入試験なのだから、他にも受ける生徒がいて当然だ。けれど、どこかで自分だけが特別な手続きを受けているような気がしていた。

 

 別に、そんなことはない。

 

 みんな、それぞれ事情があるのだろう。

 

 親の転勤。学校が合わなかった。体調。家庭の事情。あるいは、自分みたいに言えない理由。

 

それに学校から進路に関する資料を貰って、色々と調べたから気づいたが、学校の数が明らかに多い。

 

高育やホワイトルームから見て取れるように国が教育に力を入れているからだろうか。

 

学校間の競争も激しい上に、学校の統廃合なんかも珍しいことではないらしい。

 

つまり、編入なんかは思っているより身近なことのようだ。

 

 

教室の前方に座る男子は、ずっと単語帳を見ていた。窓際の女子は、母親らしき人に付き添われて来ていたが、今は一人で静かにノートを開いている。

 

 俺の席は後ろの方だった。

 

 鞄から対策問題を出す。

 

 最後に見るのは、何度も間違えた数学の問題にした。

 

 公式そのものは覚えた。

 

 計算ミスも減った。

 

あとは、本番で焦らないこと。

 

気合を入れて、シャーペンを握った。

 

試験監督の教師が入ってくる。

 

「それでは、これから試験を始めます」

 

教室の空気が変わった。

 

一時間目は国語だった。

 

問題用紙を開いた瞬間、つい息を止めた。

 

長文読解。

 

漢字。

 

語句の意味。

 

記述問題。

 

 見たことのない文章ではあるが、形式は対策問題と大きく違わなかった。

 

暗記が必要な部分に関しては同じ問題が出題されている。

 

いける。

 

そう思いかけて、すぐに自分を止める。

 

落ち着け。

 

いけると思った瞬間に雑になる。昔からそうだ。

 

本文を最初から読み直す。

 

選択肢を一つずつ消していく。本文に書いてあるかどうかを見る。

 

そして見直しをしっかりする。

 

油断はしない

 

二時間目は数学。

 

問題なく進んでいる。

 

 そうして、三時間目の英語が終わった時には、肩ががちがちになっていた。

 

試験終了の合図が出て、答案用紙が回収される。

 

あっという間の出来事だった。

 

試験後、簡単な事務説明があった。

 

 合否連絡は明日以降。手続きがあるため、合格者には早めに連絡するとのことだった。

 

校舎を出ると、昼過ぎの光が目に入った。

 

春の空気だった。

 

冷たさは残っているが、冬とは違う。少しだけ、次の季節の匂いがする。

 

ひとまず校門を出て、少し歩くと立ち止まり、今日を振り返った。

 

今回の編入試験は事前に貰った対策問題から多くの問題がで出た。

 

解いている時に、なんとなく最初の中間テストを思い出したな、

 

初めて退学の危機を感じた試験。

 

高育の厳しさを思い知らされた試験。

 

確か、あの時は櫛田ちゃんが過去問を持ってきてくれたんだっけ。

 

あれがなければ危なかった。

 

でも、実際に過去問を手に入れたのは綾小路なんだっけ。

 

やっぱり主人公は格が違うぜ。

 

俺なんて、過去問をもらっておいてギリギリだったからな。

 

それにしても、原作知識も印象的な部分は覚えているが、細かいところはあまり覚えてないな。

 

まあ、読んでいた本の内容なんて、普通はそこまで細かく覚えてなくて当然か。

 

こんなことになるとわかっていれば、血眼になって覚えようとしたんだろうけど。

 

そこまで考えて、今の状況を振り返る。

 

もう退学しちゃったからな。

 

原作知識なんて、あってないようなものかもしれない。

 

そう思った瞬間、急に腹が鳴った。

 

「……」

 

自分の腹を押さえた。

 

 朝は緊張して、ゼリー飲料しか入らなかった。試験が終わったら、一気に空腹が来たらしい。

 

駅前のコンビニでおにぎりを二つ買った。

 

ベンチに座って、封を開ける。

 

一口食べた瞬間、妙に美味かった。

 

それだけで気分が良くなり、全ての疲れが吹き飛んだ気がした。

 

「……俺、意外と単純だな」

 

 単純でよかったのかもしれない。

 

 ずっと沈み続けるほど、自分は器用ではない。

 

 退学した。

 

 思い出すと恥ずかしいことも、情けないことも、山ほどある。

 

 反省は大切だが、そこに囚われ続けない。

 

 そんなことを考えながら。おにぎりの残りを口に入れる。

 

 春の風が、駅前のロータリーを抜けていった。

 

 退学を宣告された瞬間、自分は何もかも終わった気がしていた。

 

 でも、終わっていなかった。

 

 終わらせるかどうかは、たぶんここからだ。

 

 空になった包装を丸めて立ち上がる。

 

 そしてそのまま俺は帰路に着くのだった。

 

 次の日、合格発表があり、飛び跳ねて喜ぶことを俺はまだ知らない。

 

 




時の流れがゆっくりで申し訳ない。
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