山内春樹、退学後の世界を生きる   作:ナスカン

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ここから先はストーリーの整理のため少し更新が遅くなるかもです。


第六話 進路移行者支援協会

 

 

合格発表から数日後。

 

俺は引っ越し先のアパートにいた。

 

新しい学校の近くに借りたアパートは、まだ俺の部屋という感じがしなかった。

 

床には、開けかけの段ボールがいくつも残っている。

 

カーテンは前の部屋で使っていたものをそのまま持ってきただけで、机も本棚も、きちんと場所を決めたというより、とりあえず邪魔にならないところに置いただけだった。

 

窓の外からは、知らない道を走る車の音が聞こえる。

 

高育の寮とは違う。

 

廊下の向こうにクラスメイトがいるわけでもない。

誰かに呼び出されることもない。

ポイントの残高を気にして、店で買うものを迷う必要もない。

 

それなのに、妙に落ち着かなかった。

 

いや、落ち着かないというより、まだ慣れていないだけかもしれない。

 

高育では、良くも悪くも、何をするにも周りに人がいた。

 

誰かの視線があって、噂があって、競争があって、監視があった。

 

ここには、それがない。

 

静かすぎるくらいだった。

 

「……どこに入れたっけな」

 

俺は段ボールの一つを開け、教科書やノート、着替えを適当に分けていく。

 

入学前に必要な書類。

編入先の学校案内。

通学路の地図。

母さんが持たせた生活用品のリスト。

 

その中に、少しだけ硬い紙質の封筒が混ざっていた。

 

「ん?」

 

表には、見慣れない文字が印刷されている。

 

――進路移行者支援協会。

 

その下に、小さく略称が書かれていた。

 

――進支会。

 

俺は手を止めた。

 

「ああ、これか」

 

たしか、引っ越しの前に母さんが渡してきた資料だ。

 

『こういうところもあるみたいだから、一応持っていきなさい』

 

母さんはそう言っていた。

 

その時は、荷造りや手続きで頭がいっぱいで、ちゃんと中身を見なかった。

 

というより、名前だけ見ても何をするところなのか、いまいち分からなかった。

 

進路移行者。

 

聞き慣れない言葉だ。

 

退学者とか編入者とか、そういうやつをまとめて言っているのだろうか。

 

「……なんか、役所っぽい名前だな」

 

俺はそんなことを呟きながら、封筒を開けた。

 

中には数枚のパンフレットと、相談窓口の案内、それから編入後の生活サポートについての説明書きが入っていた。

 

最初に目に入ったのは、活動内容の説明だった。

 

学校の統廃合や家庭の事情による転校。

病気や怪我による長期離脱。

進路変更。

編入。

退学後の再進学。

 

そういった理由で、学ぶ環境が変わった生徒を支援する団体らしい。

 

「へえ……退学者だけってわけじゃないのか」

 

俺は少し意外に思いながら、資料をめくった。

 

進路移行者という言葉は、最初はやけにぼんやりしていると思った。

 

けれど、読んでみると少し分かる。

 

別の学校に移る理由なんて、人によって違う。

 

学校が合わなかったやつもいる。

家の都合で引っ越すやつもいる。

病気で一度通えなくなったやつもいる。

それまでの進路を変えて、別の道を選ぶやつもいる。

 

そういうやつらを一つの言葉でまとめようとすると、たしかにこうなるのかもしれない。

 

「なるほどな……」

 

俺は、少しだけ感心した。

 

高育にいた頃は、学校を辞めた後のことなんて、ほとんど考えたことがなかった。

 

できるやつが残る。

できないやつは落ちる。

落ちた奴はそれで終わり。

 

高育の中では、それが当たり前だった。

 

でも外では、落ちた後というより、移った後のことを考える仕組みがあるらしい。

 

それは、前世を含めて俺にとって少し新鮮だった。

 

資料には、支援内容が細かく書かれていた。

 

学習の遅れに対する補助。

編入先での人間関係の相談。

生活リズムの立て直し。

進路相談。

保護者向けの面談。

必要に応じた外部カウンセラーの紹介。

学校との連絡調整。

 

「……結構ちゃんとしてんだな」

 

思っていたより、ずっと具体的だった。

 

ただ話を聞くだけの相談窓口かと思っていたが、そうでもないらしい。

 

編入先の授業についていけない場合の対応。

人間関係でつまずいた時の相談。

保護者との面談。

学校側との連絡。

 

そういうものが、項目ごとに分かれている。

 

俺はページをめくりながら、少し身を乗り出した。

 

「学校との連絡調整って……どこまでやるんだ?」

 

思わず声に出る。

 

高育にいた時には、外部の団体が学校と生徒の間に入るなんて考えたこともなかった。

 

そもそも高育は、外に情報を出すことにかなり厳しい。

 

生徒の個人情報や試験の内容はもちろん、学校内で何があったかも簡単には話せない。

 

だからこそ、こういう団体がどこまで関われるのか、少し気になった。

 

俺は相談窓口のページを見る。

 

そこには、秘密保持に関する説明もあった。

 

――相談内容は、本人の同意なく学校や第三者に共有されることはありません。

 

「ふうん……」

 

俺は資料を眺めながら、指で紙の端を軽く叩いた。

 

秘密保持。

学校との連絡調整。

外部カウンセラー。

編入後の生活サポート。

 

ひとつひとつを見ると、別におかしなことは書いていない。

 

「……意外と、こういうのもあるんだな」

 

俺はもう一枚、パンフレットを手に取った。

 

そこには、過去の支援事例がいくつか紹介されていた。

 

学校に馴染めず不登校気味になった生徒。

通信制から全日制へ移った生徒。

家庭の事情で転校した後、進路に悩んだ生徒。

退学後に別の学校で再スタートした生徒。

 

名前や詳しい事情は伏せられていたが、どれも短くまとめられている。

 

その中には、いじめに関する相談の事例もあった。

 

俺はそこで少し目を止めた。

 

いじめ問題への対応。

学校側との面談。

本人の希望を確認した上での環境調整。

 

「……へえ」

 

高育とは、また違う世界だと思った。

 

高育なら、そういう問題も特別試験やクラス内の駆け引きに絡められてしまう。

 

誰が悪いか。

誰が得をするか。

誰を切るか。

どうすればクラスにとって損が少ないか。

 

そういう考え方が、当たり前みたいにあった。

 

でも、この資料では、そういう書き方はされていない。

 

まず本人がどうしたいか。

今の環境で何に困っているか。

次にどう動くべきか。

 

そういう順番で書かれている。

 

「……それが普通なのかもな」

 

普通の学校。

 

俺がこれから通うのも、たぶんそういう場所だ。

 

高育とは違う。

特別試験もない。

ポイント制度もない。

クラス全体の順位で人生が決まるわけでもない。

 

しかし、前世の記憶と退学によるショックで俺の頭の中には警戒心とも呼べる考え方が根付いていた。

 

何かを見れば、裏を考える。

誰かが近づいてくれば、目的を探る。

 

これから通う普通の学校で役に立つのだろうか?

 

「……まあ、悪い癖ってわけでもないか」

 

俺は苦笑した。

 

疑うこと自体は、たぶん悪くない。

 

何も考えずに信じるよりはいい。

 

ただ、全部を敵みたいに見るのも、それはそれで疲れる。

 

俺は資料を一通り読み終えると、もう一度表紙を見た。

 

進路移行者支援協会。

 

進支会。

 

名前だけ見ると堅い。

 

でも、内容は思ったより現実的だった。

 

退学者だけを特別扱いするわけでもなく、環境が変わった生徒を広く支える。

 

少なくとも、母さんが心配して持たせるくらいには、ちゃんとした団体なのだろう。

 

編入試験でお世話になったところじゃ、新しい学校で困ったことになっても相談には乗ってくれないだろうしな。

 

「……まあ、覚えといても損はないか」

 

 

俺は封筒に資料を戻した。

 

すぐに相談するつもりはない。

 

でも、こういう場所があると知っておくのは悪くない。

 

何かあった時に、選択肢が一つ増える。

 

そう考えると、少しだけ面白かった。

 

俺は封筒を机の引き出しに入れた。

 

隠すというより、必要な書類として保管する感じだ。

 

入学案内や通学路の地図と同じ場所。

 

今すぐ使うかは分からない。

でも、捨てるものでもない。

 

引き出しを閉めると、カチリ、と小さな音がした。

 

さっきまで他人の部屋みたいだったアパートに、少しだけ自分のものが増えた気がした。




次はいよいよ入学の予定
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