赤ん坊が大きくなったのでビックリ。
学校サボって一緒に買い物。
帰りに彩葉を見つけて3人で手を繋いで帰宅。
「彩葉、しんたろー、カギちょーだい」
スッと握っていた手を放して少女―――かぐやが手のひらを向けてきた。
まもなく俺と酒寄が住んでいるアパートに辿り着くといった距離になって突然そんなことを言ってきた。よくわからないが別段断る理由もないのでポケットから鍵を取り出し渡す。
「ちょっと、浦野?」
謎の要求に従った俺を訝し気に見る酒寄。そして嬉しそうに鍵を手に取るかぐや。
「彩葉も!」
「えぇ……?」
困惑しながらもおずおずと鞄から鍵を取り出す酒寄。なんだかんだ要求を受け入れるよな酒寄は。不思議だ。
「無くさないでよ」
「だいじょーぶ。すぐに返すから」
そう言って2つの鍵を握りしめアパートへと1人駆けだすかぐや。
その背を眺めてから、俺へと声をかけてくる酒寄。
「浦野、あれ何する気かわかる?」
「推測でいいのなら」
「それでいいから聞かせて」
「開錠したいのだと思う」
「はい?」
「開錠。扉の鍵を開けたいのだろう」
「……え、なんで?」
「しらん。出るときも自身で閉めたがっていた」
わかりやすく疑問を表情に出す酒寄。まあ、そうだろうな。俺もよくわからん。
そうして酒寄と2人でアパートに辿り着き、階段を上ると手前の扉―――酒寄の家の玄関が開いているのが見えた。そしてそこから覗くこの1日で見慣れた顔。
「おかえり!」
投げかけられた言葉に思わず顔を見合わせる俺と酒寄。
「た、ただいま……?」
自身の部屋から飛んできた言葉に疑問を含みながらも返答した酒寄。その言葉を受けて浮かべた笑顔をさらに輝かせるかぐや。なんだこの状況は。
俺が立ち止まってその不思議な光景を眺めていると、かぐやは通路へと飛び出して今度は俺の家の扉を開け中へと入り、玄関を開けたままこちらに振り返って口を開く。
「おかえり!」
再度、酒寄と顔を見合わせる。
「……ただいま?」
おそらくかぐやが求めているだろう言葉を返すと、かぐやはにひひと笑い声を漏らした。正解だったようだ。
「彩葉、晩ごはん楽しみにしててねっ。すっごいの作っちゃうから!」
「え、晩ごはん?」
「しんたろー、新しいお皿ちょーだい。これから使うから」
「わかった」
そう答えてから足を踏み出そうとして、止める。
「酒寄」
「……なに浦野?」
「返却物を持ってくる。それと話がある」
「……うん、わかった」
かぐやと共に自室へと入る。
荷物を置き、出かける前に洗っておいた酒寄の皿と充電していたタブレット、あと俺のスマコンを回収する。冷蔵庫から上機嫌で食材を取り出しているかぐやに声をかける。
「俺は酒寄の部屋へ行く。なにかあれば呼べ。あるいは壁を叩け」
酒寄の部屋側の壁に指を向けて言うと、自信満々な顔を浮かべるかぐや。
「わかった! 出来たら呼ぶね」
「……そうか」
そういう意味ではないが、まあいい。
俺は皿とタブレットを手に酒寄の元へと向かった。
☆☆☆
「―――で、どうしてあんなことしたの?」
酒寄宅のちゃぶ台を挟み、俺は酒寄からの質問を受けていた。
「あんなこと、とは?」
「そんなの! ……まあ色々あるけど、まずはなんであの子を外に出したのか教えて」
「そうか。ではまずは
そう言ってちゃぶ台の上のタブレットを示す。
「タブレット?」
「そうだ。―――ウォレットの情報が残ってた」
「……ん?」
「それにタブレットを操作していたかぐやが気付いた」
「んん?」
「それを俺がそれを認識したのは通販を利用して荷物が届いたときだった」
「はい!?」
素っ頓狂な声を上げ、慌ててタブレットを操作する酒寄。よほど予想外の話だったのだろう。だが仕方ない。昨日まで赤ん坊だった存在が今日になって突然に電子機器を操るようになるなんて状態を想像するのは酷なことだ。
「わ、私の3万円……」
「ああ。そしてこれがその補填だ」
言葉と共に財布から紙幣を取り出しちゃぶ台に置くと、それをチラリと見てから俺の顔を見る酒寄。
「6万円あるように見えるんだけど」
「あっている」
「……多いんだけど」
「多くしたからな」
顔を顰めてちゃぶ台の上の紙幣を押し戻す酒寄。
「浦野、これ私貰えないよ」
「何故だ」
「だって、浦野のせいじゃないでしょ」
受け取れない、と言う酒寄に紙幣を押し返す。
「かぐやの面倒を見ると酒寄には伝えたはずだ。ならば彼女の犯した罪は俺が贖うべきだろう」
「そりゃあの子が赤ちゃんのままだったなら私だって浦野に請求したかもしれないけど、今回のこれは浦野の責任じゃなくてかぐやの責任でしょ」
「それを含めての
「論点が違う。あの子はもう自分で考えて自分で動けるのは私達2人ともが理解してるはず。例え相手が宇宙人だとしても、自分の失敗は自分でなんとかすべき。浦野が代わりに対処するべきじゃない」
再度、押し返される紙幣。
「受け取る気はない、と」
「浦野からは、受け取らない」
断固とした拒否。酒寄は一切譲る気がないようだった。
「……ではこの約3万円の損失はどうする」
「それは………私がかぐやにその分の補填を要求するよ」
「彼女は金銭を持ち得てないぞ」
「そこは、その、なんかお手伝いとか?」
「肉体労働で返済させると」
「……端的に言えば」
苦い顔でそう言う酒寄。宇宙人であり地球人としての知識が欠けているかぐやにそれだけの労働が可能かどうか。そこが不明な状態でその判断はどうかと思うが。
まあ本人がいいというなら、構わないが。
「―――話を戻す。俺はかぐやが酒寄の金銭を無断で利用したことに気付き、彼女に金銭という概念が無いということを知った」
「あー、なるほど………経済活動を知らなかったか」
「そうだ。かぐやにとって通販は画面上の数字を消費して荷物を届けさせるものと認識された」
「まあ、うん、数字を消費ってのは合ってるけど、うん………」
「で、かぐやはウォレットの数字を増やそうとした」
「……なんて?」
「通貨を偽造しようとした」
「…………ハァ!?」
驚き腰を浮かせる酒寄。手を振って座るように促し、話を続ける。
「実際に可能なのかどうかはしらん。検証する気もない」
「当たり前でしょそんなの! もしも出来ちゃったりなんかしたら大問題だよっ!」
「わかっている。よって禁止した」
「ならっ! なら、大丈夫……?」
禁止という言葉を聞いて多少は落ち着いた様子。
「その後、買い物だ」
「……もしかして金銭感覚を教えるため?」
「それもあった。大雑把にだろうがこの国で生活するうえで金銭は不可欠である、ということは理解したと思う」
ポケットからスマコンを取り出しちゃぶ台の上の置く。
「スマコン?」
「俺のだ。そして今向こうの部屋にはもう一つある」
俺の言葉に一度大きく深呼吸する酒寄。なぜ覚悟を決めたような表情をする。
「……それも浦野の?」
「かぐやのだ。今日買った」
頭を抱えて突っ伏す酒寄。持病が出たか。
「買い物の最後に買った。その頃には値段の高い低いは理解していたようで、『本当にこれは買ってもらっていいのか』といった表情をしていた」
今日買った物のなかでも文字通りに桁の違う買い物だった。おかげで彼女に金銭感覚を培わせるのにも便利だった。それを考慮したのなら悪くない買い物だったと思う。
「あとは酒寄に会いたいと言うので通学路の付近を軽くうろついていた。通りがかった野良猫をとても気に入った様子でもあったか」
「……で、そのあとで私を見つけた?」
「そうだ」
頭を掻き、俺を見る酒寄。なにを言いたいのかは予想がつく。
「今日一日を踏まえて、浦野はかぐやをどう思った?」
「知識、常識不足だ。だがその程度でもある。成長は異常なほど早い。時間をかけてその部分を補えば生活は可能だろう」
「それまで浦野が育てるの?」
「それはかぐや次第だろう。今日までの身体的成長を考えれば3日後には成人女性になっている可能性もある。そうであれば手元に置くつもりはない」
「……放り出すってこと?」
「手放す。子供でないのなら保護する必要性はない。どこへなりとも行けるだろう」
沈黙。
だが酒寄の表情は厳しい。睨んでいると言ってもいい。俺の発言は気に入らなかったようだ。
「あの子、浦野にすごい懐いてるように見えたけど」
「同意する。理解は出来ないが」
「……自分で言うんだ」
「俺が人と異なっているのは随分前から知っている」
「……そっか」
「ああ」
「……」
「……」
「普段こういうことは私絶対に言わないようにしてるんだけどさ……」
拳を握り、しっかりと俺を見据えて告げる酒寄。
「―――私、浦野のこと嫌いだよ」
「そうか」
だからどうした。
他人に好かれる、嫌われる。そんなことになんの意味がある。人が
「……かぐやのこと」
「ああ」
「私が引き取る」
「何故だ。酒寄はかぐやが月へと戻ることを望んでいたと思ったが」
「うん、否定はしない」
「ならば」
「―――でも、浦野に預けておくのはいやだ」
ハッキリと強い口調で言う酒寄。目には強烈な意思の輝きがある。その目は昨夜も見たな。俺には強すぎる光だ。
「感情論だな」
「そうだね」
「では本人に伝えろ。俺は構わん」
「……そうする」
再度沈黙が流れた。
かぐやが酒寄の元へ行く。つまりは俺の手元から離れていく。ヤチヨとの約束は履行される。全部終わる。俺は本来の予定通りに自殺を行える。
この3日、いや今日も含めての4日だけでも辛かった。刀を振らず、敵意に晒されず、ただ疲労だけが溜まる日々。これをこの先も続けるのは正直避けたかった。だから酒寄の提案は渡りに船でもあった。
俺は自由になった。もう全部棄てられる。だから―――
『そんでハッピーエンドまで彩葉としんたろーも連れてく! 一緒に!!』
―――声が脳裏をよぎる。
考えるな。忘れろ。無理な話だ。考慮する必要なんてどこにもありはしない。
―――ドンドン。
俺の考えを中断するように壁が叩かれる音がする。俺の部屋側の壁だ。
「え、なに?」
「かぐやだろう」
立ち上がり玄関へと向かう。呼ばれたのならば行くとしよう。
「ちょっ、浦野お金!」
「酒寄が不要というのならばかぐやに渡せ。生活するならあったほうがいいだろう」
「ちょっと!」
呼び止める声を無視して外へと出る。太陽は沈み、暗闇の中で電灯が点っていた。自分で思っていたよりも酒寄との会話は長く続いていたようだ。
「かぐや、どうした」
玄関扉を開け、訊ねる。なにか問題が発生したのだろうか。
「しんたろー! 彩葉からお皿借りてきて!」
「……なに?」
「お皿! 3人分だと全然足りなかったの!」
だから早く持って来て、と慌てた様子でこれまで碌に使われたことのない我が家の台所でそんなことを言うかぐや。
それにしても皿か。今日買った分では足りなかったか。
「しんたろー!」
「了承した。少し待て」
踵を返し、酒寄宅の玄関前へと戻る。
ピンポーンとチャイムが鳴り、紙幣を手にした酒寄が扉を開く。
「酒寄、皿を」
「ん」
一文字と共に手を突き出してくる酒寄。手の中には数枚の紙幣。6万円。
「酒寄」
「ん」
「さかよ」
「ん!」
溜息を飲み込み、酒寄の手から3万円だけ受け取る。
「ちょっと浦野!」
「今日までの俺が世話になった分だ。それは受けとれ」
「だから貰えないって! 日当1万の仕事なんて私してないっ!」
「いいや十分だ。慣れない役目を負っていたんだ。そのくらいの価値はあったはずだ」
「だから!」
「酒寄、俺は」
「―――しんたろー! お・さ・ら!」
黙り込む俺と酒寄。
2人で俺の部屋の方向を見る。ドンドンと壁が叩かれているのも聞こえる。余裕はなさそうだ。
「……この話、またあとにしよっか」
「……そうだな」
そうして話を一旦脇に置いておくことにし、酒寄と2人で数枚の皿を持っていった。
「じゃーん! まずは生のトウモロコシから作ったポタージュ。こっちは新ゴボウとアスパラのカリカリサラダ温玉付き。メインはトマト煮込みハンバーグ、ズッキーニのソテーをそ・え・て」
「……これ、かぐやが1人で作ったの?」
「そだよ~」
どやっ、とピースサインを添えて笑顔で応えるかぐや。
料理を見る。多い。俺は調理経験は学校の授業以外にないので断言は出来ないが、これは凄まじいことをしているんじゃなかろうか。少なくとも今日初めて包丁を触った少女が作れるものではない気がする。
「ってことで2人とも食べてーって言いたいけど、こっちじゃ食べづらいか。彩葉の部屋で食べよー。あっちなら床じゃなくてテーブルあるし」
料理を乗せた皿を持ち上げるかぐや。それを止めようと口を開いたが、なにかを俺が発言する前に俺の手へと皿を渡される。
「しんたろーこれ持ってね。彩葉もこっち持ってー」
「え、いや、かぐや……?」
「よーし! じゃ、あっちにいこー!」
そうして酒寄の部屋へと向かい歩き出すかぐや。その背中を眺めていた俺と酒寄は顔を見合わせて、どちらからともなく去っていった背中に続いていった。
ちゃぶ台に皿を置く。3人分ともなれば隙間はほとんどない。かぐやが走って向こうの部屋から取ってきた今日買ったばかりのスプーンやフォークを取り出し、酒寄宅の台所からも勝手にカトラリーの類を手に取り並べた。
「ではではあらためてー、どーぞー!」
先程から変わらない自信ありげな表情で言うかぐや。それを無言で眺める俺と酒寄。そんな状況を不満に思ったのか、両手にスプーンを手に持ちポタージュとやらを掬って俺達の口目掛けて突きだしてきた。
躱すかどうか迷ったが別に問題ないだろうと判断し、素直に口に含む。
トウモロコシの味はする。確かこんな味だったと思う。以上。あとはわからん。はたしてこれは美味なのかどうか、俺にはさっぱりわからん。
「うっま。え、やば」
酒寄が言葉を漏らす。どうやら美味しいらしい。
自身の手でもう一口食べる。やはりわからん。美味とはどういう感覚なのやら。
「どうどう? 美味しい?」
「すっごい美味しい。久しぶりの美味しいご飯が体に沁みてる………うまい」
「ふっふっふ~。しんたろーはどう? 美味しい?」
どうと言われても困るのだが。
「……酒寄は美味いと言っているな」
「うん? 彩葉じゃなくて、しんたろーはどうかな~って話だよ?」
「……そうか」
「うん……?」
「なに浦野、この料理美味しくないって言うの?」
酒寄がそう問いかけてくる。よほど口に合ったのかすごい勢いで食べ進めていた。
「俺にはわからん」
「しんたろーは、なにがわかんないの?」
「美味しい、がだ」
「んん?」
「え?」
疑問符を浮かべるかぐやと酒寄。俺の言葉がわからないのだろう。
「まず、美味しいとはどういった感覚なんだ?」
「食べたら、おいしー! ってなる感じだよ」
「……そうか」
さっぱりわからん。
「俺には好き嫌いはない。それだけだ」
「……それ、好きなものは無いって意味で使う人初めて見た」
酒寄が言うには俺以外にはいないらしい。まあそれはそれで俺らしくもあるが。
「む~」
そして何故か頬を膨らませて不機嫌そうなかぐや。今の発言のどの部分が癇に障ったんだろうか。さっぱりわからん。
「じゃあ明日! 明日はもっと美味しいの作っちゃうから! 覚悟しててしんたろー!」
「……そうか」
意味はないと思うのだがな。感覚がそう簡単に変化するとは考えにくい。
とりあえずその辺はどうでもいい。まずは目の前の料理を片付けるとしよう。
そうして3人での食事を摂っていると、皿の中身を半分ほどを片付けた酒寄がかぐやに向けて口を開いた。
「かぐや、あの………話があるんだけど」
「ん? なに、彩葉? 明日のリクエスト?」
違う、と首を振って否定する酒寄。
俺から酒寄へとかぐやの居場所を移すという話だろう。何故か酒寄は言いにくそうにしているが。いったい何を躊躇しているのやら。
「その……」
「うん、な~に?」
先程と変わらずに口ごもる酒寄に対し問いかけるかぐや。
変化のない光景に俺は口を開き声をかける。
「かぐや」
「今度はしんたろー? なに?」
このままでは埒が明かない。俺が告げる方が早いだろう。
「俺の」
「―――かぐや。今日から私の家で暮らそう」
俺の言葉を遮るように言葉を重ねる酒寄。チラリとこちらを見た双眸は随分と鋭いものだった。
喋るなと言いたいのか。別に構わん。好きにしろ。
酒寄の言葉にハンバーグを突き刺したフォークの動きを一瞬止めたかぐやだが、すぐに食事を再開し口の中を空にしてから酒寄へと返事を返した。
「うん。いいよ」
「え、いいの……?」
かぐやのひどく軽い返答に戸惑う酒寄。
「ん? うん。いいよ。なんかダメだった?」
首を傾げて俺と酒寄を見るかぐや。
「だってしんたろーの部屋、枕も布団無いし、タブレットも無いもん。夜になったら大変そー」
そういえば今日の買い物で寝具を買うの忘れていたな。スマコンよりそっちを先に揃えるべきだったか。自分では使わないから考慮すらしなかったな。
「そ、そう」
「そーなの。―――で、彩葉の部屋にいるのはいいけど、なんで? しんたろーの部屋じゃなんかダメだったの?」
「うっ、それは……」
「それは?」
俺がかぐやを手放す気であり、酒寄が保護を引き受けた結果だ。
ただそれだけなのに何故こんなにも酒寄はかぐやにそうだと伝えないのだろうか。
「それは、その………そう。かぐやも女の子だし、浦野みたいな高校生男子と一緒に暮らしてもし間違いがあったりしたら大変だし。だから、今日からは私と一緒にいよう」
「間違い?」
間違い?
スープを口に運びながら考える。なんだ間違いって。俺は酒寄にどんな選択を間違うと思われているんだ。謎だ。
その後、酒寄は時折しどろもどろになりながらも理由を色々と並びたて、かぐやを自身の居室に住まわせることを本人に納得させた。
かぐやは終始不思議そうな顔をしていたが酒寄の言葉に異議を申し立てることも無く、食事を終えると昼間に買ってきたかぐやの私物を酒寄の部屋へと持ち込んだ。
☆☆☆
食事を終え、食器を片付ける。酒寄の物は酒寄が洗浄するとのことだったので持ち出したものだけ回収して自室のシンクに置き、水を流す。
不慣れな動きで皿や鍋やらフライパンやらを洗いながら、食事を開始してすぐのかぐやの言葉を思い出し考える。『明日』と言っていたが、よく考えたらそれはつまり俺は明日も彼女たちと一緒に食事を摂ることになるのか? 酒寄がかぐやを引き取る以上これからは俺が行動を共にする必要はもうないはずだが。
色々と対策を考案しようとしていたが、ふと思い立ち首を振って考えをまとめて振り切る。
「……そんなことよりも、いつ死ぬかだ」
もうやるべきこともない。あとは死ぬだけ。いつにする? 最速ならば明日か。だが先程かぐやが明日の食事の話をした際に俺は拒否をしていない。それを無視して自殺するのはまずいか? いや、黙って部屋を出れば気付かれることも―――
考えを打ち切り、溜息を吐く。
なんでこんなことを考えなくてはならないのだろうか。もっと単純な話だったと思ったんだが。ままならないな。
そんなことを考えながら洗い物をしていると、足音と共に気配が近付いてくる。これは―――
「しんたろー!」
玄関扉を勢いよく開け、同時に俺の名を叫ぶかぐや。はたして今日だけで何度俺の名を聞いたのだろうか。今までの人生で一番多く耳にした日かもしれない。
「彩葉がひどいの!」
「……なにがだ」
「友達作ったり、外に行ったり、遊んだりしちゃダメだって!」
なるほど。かぐやという宇宙人の行動を制限して外部に存在を知らせないようにしたか。今後も匿い続けるのなら悪くない手だろう。宇宙人というのはそれだけであらゆる機関にとっての研究対象だろうからな。かぐや本人には不評のようだが。
「このままじゃ幽閉されてバッドエンドだよー!」
「……ハッピーエンドにするのだろう。そこから改善していけばいいのではないか?」
「しんたろーも彩葉とおんなじようなこと言うー! ひど~い!」
酒寄も似たことを口にしたのなら間違ってはいないと思うが。
騒ぐかぐやを洗い物を続けながら眺めていると、かぐやの後ろからさらに気配。この状況で来るのは1人だな。
「かぐや、あんまり夜に騒がないの」
「彩葉が意地悪ばっかだからじゃんか!」
「意地悪じゃないって、もし正体バレて解剖とかされたら大変でしょ?」
「かぐやも色々やーりーたーいー!」
「色々って言っても―――あっ」
軽快な音が鳴り響く。酒寄からだ。スマートフォンの音だろうか。
「この時間までに予習やるつもりが……」
「なに? どこ行くの? またかぐやとしんたろー置いてどっか行くの?」
酒寄へと縋りつき瞳を潤ませ問うかぐや。今気付いたんだが、あれはもしや泣き真似なのか? 今日はしょっちゅうその顔を見ている気がする。
「ちょっ、離してっ。どこにも行かないってば。ツクヨミ行くだけだから」
「やっぱ行くんじゃん! 置いてくつもりなんだー!」
「しょうがないでしょ。スマコンないと………あっ」
「スマコン?」
酒寄め、忘れていたな。
かぐやが酒寄から離れ、俺の部屋に無造作に置かれていたケースを手に取り突き出す。俺のスマートコンタクトだ。
「スマコン!」
「……そっか、買ってもらったんだっけ」
「そ! これはしんたろーのだから3人とも持ってるよ! これでどっか行けるの?」
「まあ、うん……」
サラっと言ったが俺もか?
「かぐや、俺は」
「だいじょーぶ、わかってるよしんたろー。仲間外れにはしないかんね」
「いや、そうではなく」
「で、彩葉。
無視。
俺の言葉に耳を傾けることはなく、かぐやは酒寄へと質問を重ね、そして―――
「―――準備いい?」
「出来た! ちゃんと目に入った!」
無事にスマコンを装着出来たと喜ぶかぐや。生後4日でコンタクトレンズとはなかなか不思議なことになっているな。
椅子に座る酒寄。畳まれた布団に座るかぐや。そして隣の床に座る俺。酒寄の部屋で何故か俺達は3人横並びで座っていた。何故俺まで。
かぐやが手を伸ばし両隣にいる酒寄と俺の手を握ってきた。小さく、暖かな手だ。
「行くよ」
酒寄の号令に合わせて深呼吸をするかぐや。その呼吸の間にかぐやを挟んで座る俺と酒寄の視線が一瞬交差した。なにかを言おうとして飲み込んだ顔だった。
俺のことなど気にせずともいいだろうに。
「せーの」
その言葉と共に俺は目を閉じた。
宇宙を模したモーショングラフィックスが視界いっぱいに広がり、そのまま銀河を突き抜けるといつもの水面へと辿り着く。
大きな赤い鳥居。終わりのない湖。数多の灯篭。真っ赤な夕焼け。そして―――
「―――太陽が沈んで、夜がやってきます」
8000年を生きるAIライバー。世界で一番美しい人。私、酒寄彩葉の最推しで救いの女神。学校もバイトも隣人トラブルも、彼女の前ではその全てが遠いものとなる。こうしてヤチヨの綺麗な笑みを眺めるだけで体力ゲージが回復していく気がする。いや、気じゃないな。実際に回復してる。HPマックスを超えて限界突破もしてる気がする。だってヤチヨがいるもの。
「今日もお邪魔します」
ヤチヨの横を通り過ぎる際にそっとそれだけ告げる。
ここにいる彼女はチュートリアルのような分身体ではなく、ただの映像にすぎないので声をかけたところでヤチヨ本人に伝わるわけではないのだが、これは礼儀みたいなものだ。ヤチヨの創った世界にログインするのだしこれくらい言うべきである。SNSでも私以外にだってそういう人がいるの見たことあるし。
鳥居を潜ると視界が切り替わるように景色が一変する。
輝くビルに和風建築。宙を泳ぐ七色に輝く光の魚。多種多様な姿のアバター達。空に広がる星々よりも輝き続けているような常夜の世界、ツクヨミ。この自由にあふれている世界はいつだって誰をも受け止めてくれる。きっと今日もそうなるだろう。
「さて、行きますか」
マップを開き、タップ。転移。
瞬き一回ほどの暗転で目的地に到着。相変わらずすごいなツクヨミ。ラグって概念はこの世界には無いんだろうか。
光を放っている街を背にし、仄かな明かりで照らされている橋を歩いて大きな鳥居の前へ。
「さて、かぐやはどれくらいで出てくるのやら」
かぐやは絶賛チュートリアル中だろう。ヤチヨとその相棒たるFUSHIの分身体がつきっきりでキャラメイクを行っているはずだ。あれ、めっっっっちゃ楽しいんだよな。キャラメイクのためだけにアカウント作り直すか考えたこともあるくらいだ。
ヤチヨの距離感エグイんだよなアレ。手とか普通に握ってくれるし。普段は握手なんてイベントでも限られた人しか体験できないのにチュートリアルでは当たり前みたいに手を繋いでくれる。私はあの時知った。人は幸福すぎても死ぬんだと。まあヤチヨの微笑みで即復活したけど。
1人鳥居の前で思い出しにやけ笑いをしていると後方から足音が聞こえてきた。おそらく他のプレイヤーだろう。この鳥居はツクヨミの正面玄関とも呼べる場所であり、初心者プレイヤーの初ログインは必ずここになる。だから今の私のように初心者との待ち合わせをするプレイヤーもよくここにはいるのだ。
鳥居の正面から外れ橋の端、欄干に背を預けるように寄る。譲り合いの精神だ。ネットの世界ではそれが寛容。あとでかぐやにも少し教えないといけないな。ネットのトラブルは大変だし。
私から3メートルくらいの場所で足音が止まる。向こうも欄干にもたれかかったみたい。相手も待ち合わせだろうから気にせずにかぐやを待っていると横から視線を感じた。
なんだろうと横目で相手を窺い―――すぐさま目を逸らす。見たことあるアバターだった。
猿の耳と尻尾。犬を象ったのだろう口元が見える仮面。雉の羽根がアクセントとなっているブーツ。黒の着物の上に桃の意匠をあしらった白色の羽織。
知っている。憶えている。この男を私は確かに忘れていない。
こいつは―――
遡ること一年前。5月のヤチヨの配信だった。
その配信は特に変わったことのない、いつものヤチヨの配信だった。新発売するアルバムのCMが流れて、その後にKASSENみたいな流れのごく普通の配信、
そこに対戦相手として現れたのがこの男だ。たった一人で桃太郎とそのお供をモチーフにしただろう衣装を身に纏った日本刀を腰に下げた男。
そして、その時初公開となった日本刀を華麗に振り回すヤチヨ。めっちゃかわいかったし凛々しかった。多分あれはそのまま天下を取れる佇まいだった。最高。
「違う。そうじゃないって……」
首を振り、小さく呟いて思考を戻す。
ヤチヨはこの男と
今でも覚えてる。あの時は画面の前で叫びそうになる口をなんとか抑え込んでいたのを。
ヤチヨを押し倒す。ヤチヨを押し倒す!? なんたる不敬。大罪。悪行だろうか。そんなことをしていい人類がこの世にいていいと思っているのか。いいわけがない。絶対にあってはならないことだった。羨ましい。
そして男はそれで終わらず、今度はヤチヨの内面にまで押し入った。
ヤチヨの戦闘スタイルからの精神分析。何故ヤチヨが傘を使うのか。ツクヨミがこういった形で創造されたのか。男の一方的な想像ではあったがヤチヨはそれにたいして一切の反論を行わなかった。それどころか――――赤面していた。
顔を真っ赤にして、恥ずかしがっていた。
あのヤチヨが恥ずかしがっていた。いつも飄々としてファンやコラボ相手のどんな言葉にも優しい笑顔を向けるヤチヨが
ああ、よく覚えている。
めっっっっっっっっっっっっっっちゃ、かわいかった。本当にかわいすぎた。心臓が止まって動き出しそうなくらいにはかわいかった。最高すぎた。思い出すだけで変な声が漏れそう。
「ふひひ」
ともかく、そんなことをしでかした男を私は二重の意味を込めて『ヤチヨキラー』と個人的に心の内だけで呼んでいる。
当時のSNSで所謂ガチ恋勢がヤチヨのそんな反応に色々な憶測を立てていたのは知っているが、私個人としてはあまり思うことはない。そもそも私はヤチヨの中の人説とか、ガチのAI説とか、国家プロジェクト説とかもどうでもいいタイプのファンだ。ヤチヨは皆の推しではあるが、ヤチヨという個人でもある。仮にヤチヨに好きな人がいたって別に推すことを止めたりなんてしない。むしろ積極的に応援、を………いや、まあ、ちょっとは思うところもあるけど。だとしても、ヤチヨが私の最推しであることに変わりはない。これからもずっとヤチヨを推していくのだ。
と、今後の推し活について思いを馳せながら時間を確認する。
遅いな。
橋の先、光で照らされた街の方角に視線をやる。誰もこちらに向かっていたりはしない。
浦野のやつ、いったいどこで何してるのやら。チュートリアル終わらせる前には来てくれないとかぐやがかわいそうじゃん。はよ来い。
「お、来た」
鳥居の下、何もない空間にキラリと光の波紋が走る。
「うわぁ~!」
手が飛び出し、続いて頭、胴体に足。体全体が波紋の中から現れる。喜色を帯びた声を上げながら少女が飛び出し、勢いを殺せずに頭からズッコケる。
「あっぶぇ!」
ツクヨミ初ログインあるある、第一歩でまずコケがち。この少女も見事にツクヨミの洗礼を受けたみたい。
手をついて体を起こす少女の姿を観察する。
朱色を基調とし若草色のアクセントに入れた着物風コーデ。金色の月の髪飾りに、黄金のストレートロングヘアに沿うように垂れたうさぎの耳。
なんというか、これはまるで―――
「―――金髪、ギャルいかぐや姫?」
確かにかぐやの名前に合わせるなら、そういうのもアリか。
「もしや、彩葉?」
「あっ、こら。名前で呼ばないの。顔を注視したら頭の上にアバターネームが表示されるでしょ?」
チラリと横目でヤチヨキラーを見る。目が合った。目を逸らす。
私の名前、聞こえてしまっただろうか。名前だけでなにかしらのトラブルに巻き込まれるとは思わないので大丈夫とは思うけど、注意はしなくちゃ。
「……アイ、アールオー?」
「それで
「お~」
関心したような声を上げ視線を周囲へと広げるかぐや。目の動きが止まり、この場にいるもう一人を注視しだしたのが見て取れた。
あっ、こら。
「ちょっ、かぐや」
「―――彩葉はイロだから、しんたろーはタローなの?」
「へ?」
止めようと伸ばした手がかぐやの言葉によって止まる。
しんたろー? なんで浦野の名前を今かぐやは口にしたんだ?
「じゃあ、かぐやはかぐ? ぐや?」
「本名を短くするべき、などといったルールを俺は聞き及んでいない」
「そーなの?」
「ああ。俺のはヤチヨに勧められたままにそうしただけだからな」
「えー、そうなの!? かぐやはなんも言われなかったー!」
しんたろーずるーい! などと叫ぶかぐやとそれに応えるヤチヨキラー。その姿を凝視していると頭上に表示される『タロー』の文字。
……そういえばヤチヨも配信の時にこの男のこと、タローって呼んでたような気もするなぁ。
頭を抱え、天を仰ぐ。
―――ヤチヨキラーの正体は私の隣人であった、らしい。
「うっそぉ……」
本音がこぼれる。
こんなの想定外にもほどがある。
あの学校でいつも1人で無口で無表情で無愛想な隣人が実はヤチヨの配信に参加したことがあって、ヤチヨを押し倒して首を斬り、ヤチヨを真正面から口説いた男?
―――わかるかそんなの!?
「彩葉、どうかしたー?」
「……いや、大丈夫。なんでもないから……」
小首を傾げて私に声をかけてくるかぐやに軽く手を振りつつ答える。
問題はない。ただ浦野の知らない部分を知っただけの話だ。別に今は置いておいていい。ちょっと今度当時のことを聞いて―――いやいやいや、何を考えているんだ私は。そういうのもいいから本当に。一旦冷静にならなくちゃ。
「じゃあ行こっか。かぐやに浦、じゃなくてタ、タロー……」
落ち着け私。平然としろ。なんてことのないことだから。ただアバターネーム呼んだだけだから。同い年の男子の下の名前を口にしたわけではないから。ネットで苗字呼びなんてするわけにはいかないんだからしょうがない。
「おー! いこいこ!」
「了承した」
2人に背を向け街へと向かい歩き出し、後ろから駆けてきたかぐやに左手を握られる。ギョッとしてかぐやを見ると綺麗な笑顔がすぐそばにあって心臓が一度大きく跳ねた。くそ、顔がいい。かわいいなこいつ。卑怯な。
そしてかぐやを挟んで反対側には私と同じように手を繋がれている浦野の姿。今日の帰宅時の隊列と同様の状況だ。
止めようとして口を開くが、かぐやのとても嬉しそうな顔を見て口を閉じる。
まあ、別にここはリアルじゃないし。知らない人に見られてもそんなにダメージはないからいいか。
橋を渡り階段を上って輝く街の端へと辿り着くと、かぐやの前に白く小さな生き物―――ヤチヨの相棒FUSHIが現れた。
そういえば初ログインの時ってこれがあったか。
『初ログインおめでとう! ツクヨミでは皆が表現者。君も何かをして人の心を動かしたら運営から「ふじゅ~」がもらえるよ! まずは初ログインボーナスをプレゼント!』
「おお~。なんかもらった」
「それはふじゅ~、ツクヨミで使えるお金。リアルでも使えなくはないけどね」
とは言っても、リアルで満足に使えるほどに稼ぐことが出来るのはごく一部のプレイヤーだけだけど。大抵のプレイヤーはちょっとしたお小遣い程度が限界だ。
「お金! しんたろー、かぐやお金もらったー!」
「そうか」
「うん! 今度買い物するときはかぐやがお金出しちゃうかんね!」
「……また行くのか?」
「うん!」
「……今後は俺ではなく酒寄―――iroと行くべきだと俺は」
「やっぱお皿だよねお皿! 3人で食べるのに足りなかったもん」
「かぐや、話を」
「―――おお、すげぇ! 面白そうなもんが死ぬほどある!」
「……そうか」
浦野の話の途中で街の市場へと差し掛かり、かぐやの興味は完全に目の前の景色へと固定されたようだった。私達の手を放し走り出すかぐや、まるで草原を飛び跳ねるウサギのようだ。私と浦野は一度顔を見合わせてから後を追うようについていく。
「わぁ~! 超楽しい!」
出店に並んでいた招き猫の人形を抱え頬を摺り寄せながら、心底楽しそうに言うかぐや。かわいい。
「ふふっ」
満面の笑みを向けられ、つい私も笑みがあふれてしまった。だけど仕方ない。ログインしたばかりで特に何かをしたわけでもないのにこんなに楽しそうな姿を見せられたら、誰だって胸の内側が温かくなってしまうだろう。
だけど生憎と今日はあまり時間が無い。今度改めてツクヨミを案内してあげるか。
☆☆☆
「これなに?」
「パフェ。好きなの選びな。初ツクヨミ記念に奢ってあげるから」
「いいの!?」
私の言葉に嬉しそうにウィンドウディスプレイに並んだパフェを見るかぐや。さて実際に口にした時にはどんな反応をするやら。
「しんたろーはどれがいい?」
「いらん。俺には必要ない」
「ええー、やだやだ! 一緒に食べよーしんたろー!」
「そうは言うが、俺には味の善し悪しなどわからんぞ」
「いーの! 一緒に食べるのが大事なのー!」
「……そうか」
「そうだ!」
説得? されたのかかぐやの隣に並びディスプレイを眺める浦野。
あれはどうだ、これはどうだと立て続けに投げかけられる言葉に返答を続ける男の背中を見て思う。なんなんだろうな、この男は。
浦野。浦野真太郎。私の隣人で、かぐやを拾った男。そして―――手放すと言った男。
自らを慕う子供を見捨てることを良しとし、それを選択肢に含めることに罪悪感を一切感じてなさそうな顔の男。
つい数時間前を思い出し、口から文句が漏れそうになるのを力を込めて手を握り込むことで抑える。外に出すな。私は陰口なんて言わない。文句があるなら本人に、だ。
私には、浦野真太郎という男がわからない。
身元不明の怪しい赤ちゃんを躊躇なく保護した。そんな赤ちゃんに多額のお金を使うことをすぐさま決断した。急成長した少女に食事を与えた。きっと優しい人なんだろうと、そう思った。
―――違った。浦野はそんな人じゃなかった。
この男は、そういうわかりやすい人物ではなかった。
『手放す。子供でないのなら保護する必要性はない。どこへなりとも行けるだろう』
浦野の言葉を思い出して湧き上がってくる怒りを深呼吸をしてなんとか沈める。
冷静にならなくちゃ。
落ち着いて考えれば何も間違ったことを浦野は言っていないのだ。
かぐやは拾われてからたった数日で異常な急成長をし、赤ちゃんから私達と同年代くらいまでの姿へと変化した。そのことを踏まえれば一週間後には成人女性になっているかもしれないという浦野の予想はそこまで的外れではないし、そんな相手をある程度の金銭を持っているとしても高校生が養うという構図は明らかに間違っている。
だけど―――
「しんたろー、この上に乗っかってる月みたいなのなに?」
「知らん」
「じゃあこの刺さってる棒みたいなのは?」
「わからん」
「間に挟まってる紫のは?」
「紫のなにかだ」
「……しんたろー、パフェって知ってる?」
「名前は聞いたことがある」
「えぇー、頼りになんなーい………」
なんともふわふわとした会話を2人の背後で聞く。
隣り合って話す2人の背中を見ていると、どことなく親子みたいだと思った。
納得出来るはずの理由に何故私が怒りを覚えたのか。簡単なことだ。
―――母を、思い出したから。
私は母に認めてもらうために進学先を決めた。母が過去に為したことを少しでも真似ることで認めてもらうために一人暮らしを申し出た。
私は母に、頑張ったねって言ってほしかった。
酒寄彩葉の行動基準の根幹には、間違いなく母親がいる。
だからだろう。私が浦野の判断に腹立たしく思ってしまうのは。
浦野がまるで懐いている子供を見捨てるような親のように見えてしまったから。
外見も性格も言葉遣いも全然違うのに、母と重なって見えてしまったから。
かぐやが―――いつかの私に見えてしまったから。
「どうかしてるな、私……」
自嘲する。あんなに私はかわいくないっての。
浦野には悪いとは思う。彼はただ合理的な判断をしただけで、私に文句を言われる筋合いなどなかった。私が一方的に感情の昂るままに言葉をぶつけただけで、浦野は何も悪くない。
でも、謝りたくはない。
―――私は、
「結局のところ、私ってまだまだ子供なんだなぁ」
浦野の言う通り感情論に過ぎない。気に入らないから嫌い、っていう子供の理屈だ。そんなだから母も認めてくれないんだろうな。
胸の奥が、少しだけ寂しかった。
「―――彩葉!」
聞こえた自身の名に顔を上げる。かぐやが手を振って私を見ている。
「決まった、これにする! 3人で食べよー!」
「……」
楽しそうに笑うかぐやと黙ってその隣に立つ浦野。
2人の視線を受けて、ここまでの思考を一度頭の奥にしまい込む。とりあえず今は考えるのをやめよう。
2人に向かって足を踏み出す。
「―――わかった。今行く」
私は意識して笑顔を作って、2人へと歩み寄った。
「あむっ……ん……味しな~い」
パフェを一口食べてかぐやが力なく言った。
俺も手に持ったパフェに細長いスプーンを差し入れ、口へと運ぶ。
なるほど確かに。完全に無味だな。
「味とか匂いは、まだ全然無理みたいよ」
そうだったのか、知らなかった。
触覚の現実との差異や、嗅覚と痛覚が存在しないことは知っていたが味覚も無かったのか。1年以上ツクヨミには来ていたが、今日は知らないことを多く知る日だな。
今いるこの街にも初めて来たし、ふじゅ~をツクヨミで使用したのも初めてだ。
「本物は売ってないの……?」
「家に届けてくれるのもあるけど、リアル並みの値段なのでとてもとても」
隣に腰掛けて話すかぐやと酒寄の会話を半ば聞き流しながら街並みを眺める。
これがツクヨミか。
この大勢の人で賑わう世界が、ヤチヨが創った世界なんだな。
今更ながらに納得した。過去にヤチヨにツクヨミの自慢を何度もされたことがあったが、これほどまでの出来だとは想像していなかった。凄まじいものだ。
月の代わりだろうか、夜空に浮かぶミラーボールを眺める。
確かヤチヨが言っていたのは『みんなの居場所、みんなの遊び場』だっただろうか。
本当に、すごいな。
ピコン! と電子音が響く。
視線を向けると酒寄の前にウィンドウが展開されていた。
「あっ、時間」
「時間? あ、そういえば彩葉なんでツクヨミ来たの?」
元々ここに3人で来たのは酒寄の予定に無理矢理かぐやが付いていこうとしたためだったか。ということは酒寄はこれからツクヨミで何かを行うのだろうか。
今さら浮かんだ疑問に考えを回しているとかぐや越しに酒寄が声をかけてくる。
「あー、その、ごめん浦野」
「なにがだ」
「ちょっと人数制限があって……」
「制限?」
なんの話だ?
「私の持ってるのペアチケットだから2人までなら行けるんだけど、さすがに3人でってなると無理で……」
「チケット?」
よくわからないが別に構わない。そう返答しようとする前にかぐやが勢いよく立ち上がる。
「なんで!? やだやだやだやだ! しんたろーも一緒! 3人一緒がいい!!」
「一緒って言われても………だってチケットないし……」
「ならそのチケットを手に入れる! どこにあるの彩葉!?」
「どこって………販売ページ?」
「販売? 買うものなの……? ならさっきお金もらったからだいじょーぶ! かぐやが買っちゃる!」
「いや、もう売ってないし買えないよ……」
「なんでー!?」
騒ぐかぐやをなんとか抑えようと試みる酒寄だったが、どうも効果は無さそうだった。
どうやら酒寄の用事にはチケットが必要なようで、今からそれを入手する方法もないらしい。となれば諦めるのが得策だろう。
かぐやに向かって口を開く。
「かぐや」
「しんたろー! なんとかしてチケットゲットしよ!」
「酒よ、ではなく―――iroが言ったようにもう購入が出来ないものなのだろう。なら無理だ。諦めろ」
「しんたろー!」
俺の言葉に不満の声を上げるかぐや。
とは言ってもどうしようもないだろうに。
「iro。それがなんのチケットかは知らんが、もう入手は不可能なのだろう?」
「うん。もしかしたら当日キャンセルとか出るかもしれないけど、そういうのはガチ勢が画面の前で待機してるらしいから全然取れないし」
「ガチ勢?」
なんだそのガチ勢というのは?
「そ。まあヤチヨのライブなんて皆行きたいものだから抽選もすごい確率になるからね。私も何度も応募してダメもとで出したペアチケットがやっと当選したんだし」
「ヤチヨだと?」
「ヤチヨ~? さっき会ったよかぐや。服一緒に選んでくれた」
「それはチュートリの分身体でしょ。そういうのじゃなくて本物のライブの話」
「ライブ~?」
「そ、ライブ」
ライブ、それにチケット。
……はて、なにか聞き覚えのあるような、ないような。なんだっただろうか。
『あ、そうだ。タローこれあげる』
『月見ヤチヨのフリーパスライブチケット、一回分』
『ライブ。ミニライブでもコンサートホールでのライブでも使えるチケット。一回限りだけどね。どんなライブにだって無料で入れちゃうウルトラチケット。誰かにあげたりしたらダメだよー』
「あ」
つい声が漏れた。
その声に2人の視線が集まったのを感じつつも、俺はウィンドウを展開し目的の物を探す。あれは一体どこに表示されてるのやら。
そうして目の前の画面を操作しているとなんとか例の物を見つけることが出来た。それの中身に目を通す。以前聞いた通りの内容だ。
「iro」
「なに、タ、タロー……?」
俺の呼びかけにどこか言いづらそうに返答する酒寄。そんな彼女に俺は展開したウィンドウを指さし、中身を見せる。
「これは使えるか?」
「……なに言って―――――は?」
まるで石に変化したように固まる酒寄。どうした。
「ま、は、ん? なに? え、どういうこと? 意味わかんない? なになになに? は?」
固まったかと思えば突然動き出し、俺の目の前にまで接近しウィンドウを凝視して断片的な言葉を発し始める酒寄。
突然の行動に俺はかぐやと目を見合わせた。
「しんたろー、彩葉どったの?」
「わからん」
かぐやと並び困惑していると、突如として俺の両肩を掴もうとしてくる酒寄。意味がわからなかったので伸ばしてきた手を掴んで止める。なんだこいつ?
「浦野なにこれ!? こんなの見たことも聞いたことも無いんだけどっ!?」
「……そうか」
ウルトラチケット、などとヤチヨが称したものだ。おそらく希少性が高いものだったのだろう。
だが困ったな。これではこのチケットが使えるものなのかどうかの判断が付かない。
「これどこで手に入れたの!? 場所は!? 方法は!? いくらだった!? それとも言えないような何かだったりするやつ!?」
うるさい。
本当にどうしたこいつは。なにをこんなに騒いでいるんだ?
「貰ったものだ。正規の入手手段など俺は知らん」
「も、貰ったぁ!? これを!? 誰から!?」
ここ数日の付き合いの中で一番の驚愕を顔に張り付けて叫ぶ酒寄。
感情的な部分はあるが基本は冷静な女だと思っていたんだが、どうやらその認識は間違っていたようだ。人物評を訂正しておこう。
「友人だ」
「ゆ――――友人?」
「そうだ」
俺という人でなしの唯一の友人だ。
伸びてきていた手から力が抜けていくので、掴んでいた手を放す。
「……こ、こんな物凄いものをくれる、友人?」
「ああ」
口を何度も開いては閉めてを繰り返す酒寄。言葉が出ないのだろうか。
「―――よくわかんないけどさ、それでしんたろーも一緒に行けるの?」
俺と酒寄の会話を眺めていたかぐやが口を挟んできた。
だが生憎とその疑問に答えることが出来る人物がここにはいない。ならば。
「わからん。なので、とりあえず行ってみるか」
無理なら無理で構わん。別に俺はヤチヨのライブに興味は無い。またかぐやが騒ぐかもしれんが、その時はその時だ。
かぐやに向けて手を伸ばす。
「行くぞ」
「―――うんっ!」
返事と共に俺の手を力強く握るかぐや。
やっぱりこの少女を連れ出すときは、手を差し出すのが一番楽そうだな。かぐやの保護は酒寄へと任せたが、あとでこの情報を教えてやるべきかもしれんな。
「彩葉もいこっ!」
反対の手で酒寄と手を繋いだかぐやを見て、俺の考えは正しそうだと改めて思った。
☆☆☆
橋を進む。人が多い。邪魔くさいな。
「わぁ~。人いっぱいだね」
「そうだな」
「一応言っておくけどミニライブだからこのくらいの規模なだけで、本格的なライブだともっとすごいからね」
「これよりもっと? すっげぇ~」
周囲を見回して感嘆の声を上げるかぐや。俺も同じように首を動かし周りを見る。
見渡す限りの人の群れ。これが全員ヤチヨを目的に集まっている? すごいな。全くもって理解が出来ない。わけがわからん。
周囲の人々が騒ぎ、正面を指さした。
会場の中央、水上に建築された鳥居の上空に巨大な画面が表示される。
『キタキタキタキター! これがないとツクヨミの夜は始まらない!』
うるさい。
どこからともなく女の声が響き渡り、それに呼応するように周囲の熱が高まっていく。
なんだこれ。
「10……9……8……7……」
酒寄を含めた大勢の人々がカウントダウンを開始し、周囲から光が飛び出して中央の鳥居へと集まっていく。
「6……5……4……3……」
その非現実的な光景を前にして、かぐやが興奮したような声を上げて繋いでいた手を放す。
「2……1……」
0。カウントダウンが終わると同時に鐘の音が響き渡り鳥居が点灯し、その屋根の上に銀の少女―――
「おまたせっ。エッヘヘヘ」
決して大きな声ではない。普段の声量のまま距離の離れた俺の場所まで声がハッキリと届く。拡声器の類―――ではなく、仮想空間特有の現象だろう。
「ヤオヨロ―! 神々のみんな、今日も最高だった~?」
返事をするかのように周りの人々が叫び出す。うるさい。
「わぁ~。あれ?」
「……」
不思議そうな声に視線を向けると、手を合わせ他の何も目に入らないかのように意識を一点に集中させている酒寄と、その肩を掴んで覗き込んでいるかぐやがいた。
酒寄の様子が変な気もするが、今日は変な酒寄ばかり見ている気もする。多分放っておいていいだろう。面倒くさいし。
「うんうん。よーし、今宵も皆を
徐々に高まっていく周囲の熱から離れるように後ろへ下がり、橋の欄干へと背を預ける。
視線を遠くのヤチヨへと向けると一瞬だけ目が合った。
「Let's go on a trip!」
ヤチヨの浮かべていた笑顔がわずかだが揺らいだような気がした。
「幾千の時を巡って今、僕ら出会えたの―――ほら、見失わないように―――手を離さないで―――」
歌が始まり、世界がまるごと水の中へと沈んでいく。
もはや驚くことも無い。ここは仮想空間ツクヨミ。非現実的な光景は日常茶飯事な場所である。
水中―――いや水宙とでも言うべきか、先程まで空があった場所には光の輪郭を持った多種多様な魚が泳ぎ回っていた。ダイビングだったか、おそらくそういったものでも拝めないだろう光景だろうな。
ヤチヨがクラゲに包まれ、風船が割れるように大勢のちびヤチヨとなって会場に散らばっていく。
「手を取って踊りましょう―――はじまりの合図鳴らせば―――」
酒寄とかぐやが複数のちびヤチヨに
2人の様子を眺めていると隣にそっと近づいてくる気配。
振り向くとちびヤチヨが1人、笑顔で掌を翳すようにこちらへと向けていた。
よくわからずに凝視していると、ぷくりと頬を膨らませて俺の手を取り、互いの手を打ち合わせるように一度重ねた。パシッと小さな音が2人の間にだけ聞こえた。
それで満足したのか、ちびヤチヨは宙の魚たちの間へと飛び込むように消えていった。
「鯛やヒラメの舞い踊り、だったか。種類はこちらの方が多そうだが」
色とりどりの光の魚と踊るように宙を泳ぎ、歌うヤチヨを見て呟く。
「電子の海の城に住むお姫様、か」
いつだったか海のような瞳だと思ったことはあったが、あの印象はあながち間違っていなかったらしい。俺の直感が当たるとは珍しいものだ。
「叶うさ今―――物語を巡ろう―――」
歌が終わったらしい。
周囲からは歓声や涙声が聞こえる。涙声のほうは聞き覚えのある声だが確認したりはしない。面倒くさい。
観客の顔を見回す。皆笑顔だ。
「これが、ヤチヨのライブか」
すごいな。素直にそう思う。
AI。人でないモノ。そんな存在の言葉が、行動がこの景色を作り出した。
自身の手で顔に触れる。変化はない。いつもの無表情だ。
当然だ。俺はこのライブのもたらした結果に思うところはあっても、ライブそのものに感じたものなど存在しない。この場にいる多くの観客のように感動なる感情を抱いたりはしなかった。わかりきっていたことではあるが。
「ヤチヨー!」
「最高のライブありがとうー!」
「大好きだー!」
「感謝感謝雨アラモード! ヤチヨは果報者なのです~」
橋の欄干から背を離す。
この時間がどれほど続くのかは知らんが、そろそろこの場から消えるべきだろう。ここは俺のような人でなしがいていい場所ではない。他の人のように同じ感情を共有出来る人たちの居場所だ。
「あ、ここでお知らせ! ヤチヨカップっていうイベントを開催しま~す」
かぐやになんと言ってこの場から去ろうか考えているとヤチヨの話す声が聞こえたが、聞き流す。俺には関係ない、どうでもいい話だ。聞く必要はない。
なんか途中で酒寄の騒いだ声も聞こえたが無視。今日の酒寄はよくわからん。
なんと言えば説得出来るかと思案していると、当のかぐやから声がかかる。
「しんたろー、かぐやと彩葉と一緒に」
声の途中に異音が挟まる。後方。4足の足音と車輪の回る音。
認識した瞬間にかぐやと音を発しているナニカの間に立つ。問題はないと思うが一応だ。
「黒鬼じゃん!」
「帝様ー!」
それを視認したらしい周囲の観客たちが沸き立つ。
鬼? 帝?
視線の先、虎に引かれた屋形が割れて3人の人影が現れる。それに合わせるように周りの歓声も大きくなった。
溜息を飲み込み、落としていた重心を戻して警戒の姿勢を解く。やはり問題はなさそうだ。
「よう、子ウサギども。お前らの帝様が来たぜ」
かぐやに視線を戻す。突然現れた謎の男たちが気になるようだ。
再度橋の欄干によりかかり空を眺める。空間を満たしていた水は消え去り、いつもの星空が広がっていた。
なんか男が騒いだり、会場のモニターがやかましい音を奏でたり、観客が騒々しかったりしたが全部聞き流す。どうでもいい。はやく終わってくれ。
そんなことを考えていると―――
「ヤチヨォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
―――かぐやの声が会場中に響き渡る。
「かぐやがヤチヨカップ優勝する! そんで絶対コラボライブする! 彩葉……んぐっ」
慌てた様子の酒寄が駆け寄り、かぐやの口を物理的に塞いだ。
その気持ちはわかる。うるさかったからな。
「……いとかわゆし」
ヤチヨは違ったらしい。やはり彼女の気持ちはまるでわからん。
「あんたは、なんでそんな勝手に!」
「ん~!」
やはり酒寄の気持ちはわかっていなかったのかもしれない。まあ、俺だしな。
「ほいでわ、ライブは一旦ここでクローズ。みんなとちょこっとお話させてね。さらば~い」
ライブの終演ということだろうか。ヤチヨは再度多数に体を増やして観客へと向かっていく。宣言した通りに話をしに行くのだろう。
「ねえ彩葉、一緒にやろっ。しんたろーと3人で!」
俺も?
半ば聞き流していた酒寄とかぐやの会話に自身の名が挟まったのを聞いて、意識を向けようとしたが、その前に俺の隣に気配が発生した。
「いえ~い。この前ぶりだね」
「そうだな」
胸元で小さく手を振るちびヤチヨ。
視線をそのままにかぐや達の気配を探ると、そちらにも小さな気配と聞きなれた声。
「……チケットか?」
「ん……? あ、うん、そうだよ。チケット一枚につきヤッチョが1人お話に来るのです。ヤチヨのライブの常識ですのよ~」
「そうか」
かぐや達は酒寄のチケットで入場したからまとめて、ということか。
それはわかるが。
「何故来た? 今さら俺と話すことなど特には無いだろう」
わざわざ俺のところに来る理由などありはしまい。
「いやいやあるよ。めっちゃある。ヤチヨにはタローと話すことがありまくりだよ」
「……そうか」
あるのか。
さて、なんだろうか。
「おっほん。―――タロー、どういう風の吹き回しー? ヤチヨのライブに興味なんてなかったんじゃないの~?」
肘で脇腹を突いてくるちびヤチヨ。
なんだそんなことか。
「興味などない。案の定ライブを観ても何も思わなかった」
「うわぁ、ハッキリ言うねタロー。ヤッチョじゃないと傷付いちゃうよ」
「そうか」
これで傷付くのか。わからんな。
「でもそれならなおさらだね。なんで来てくれたの? ―――もしかして、あっちの女の子2人組が理由だったりしちゃう感じかな~?」
ニヤニヤと笑いながら、少し離れたところで別のちびヤチヨと会話をしているかぐやと酒寄を示すちびヤチヨ。
それに対して頷いて答える。
「そうだ」
「え、あ、うん? ………そう、なんだ……?」
「ああ」
何故か驚いたような反応をするちびヤチヨ。なんだろうか。よく伝わらなかったのだろうか。
「あの金髪の女の方だ。捕まってな」
「あ、うん………えっと、なんでついてきたの?」
「なに?」
「いや、だって、タローは興味とか無かったら捕まったりしても素直について行ったりしないでしょ? だからなんでかなって」
「……」
まさかヤチヨにそんなことを言われるとは思わなかった。一体誰のせいでこうなったと思っているのやら。
ああいや、考えなしに約束した俺のせいか。自業自得だな。
「タロー?」
「簡単な理由だ」
本当に簡単な話だ。余計なことはなに一つない。
「あの金髪の女―――かぐやを、
「はへ?」
過去の言葉を思い出す。
『子供は尊い存在なんだから、驚かしたり、怖がらせちゃダメって話。大切にだーいじにしなくてはいけないのだっ』
俺はただ、友人との約束を可能な限り守っているに過ぎない。
それ以外の理由など、俺にはない。
今日まで生きてきた理由は、それだけだ。
「話は終わりか? ならば」
会話を終え、場を辞そうとすると手が握られた。小さく、柔らかで、なにより
酒寄の様子を窺う。かぐやがおらず、酒寄とちびヤチヨしかいなかった。
温度もある。となると現実のかぐやだな。
「呼ばれている。もういいかヤチヨ」
「あ、うん、だいじょーぶ。今日は来てくれてありがとね」
「ではな」
別れを告げヤチヨに背を向け、
「な、なんで……?」
「なんで今さら?」
「タ、タローが―――」
「―――タローが、しんたろーになった? なんで?」
「なんだ、かぐや」
「しんたろー、手伝ってー」
声の方に顔を向けると、かぐやは酒寄のものだろうPCを操作しながらそう言って―――
「―――かぐや」
「ん? なーにしんたろー」
「その髪は、なんだ」
「ふふん。いーでしょー」
そう言って
「……そうか」
反応するのも面倒くさそうなので、そう言って流す。
かぐやが特異なのは今更である。気にするだけ無駄だろう。
「それで手伝うとは?」
「ライバー!」
「ライバー」
なんだそれは。
ああいや、ヤチヨがそのライバーとやらなんだったか?
「ヤチヨカップに参加するの。ライバーじゃないとダメなんだって」
「……そうか」
全く話についていけない。ヤチヨカップ? なんだそれは?
まあ、いい。俺には関係ない。
「かぐや、俺はもう―――」
協力はしない。既にかぐやのことは酒寄へと任せた。もうこれ以上関わる理由が無い。俺はもうあとは死んで終わるのだから―――
「そんで優勝して、コラボライブやって、みんなでハッピーエンド! いいでしょコレ!」
「―――」
言葉が止まる。続けることが出来ない。
「彩葉に聞いたんだけど、コラボライブってすごいんだって! さっきのライブもめっちゃすごかったのに彩葉が『歴史的なライブになる』って言ってたし、すんごいやつだよ絶対!」
先程の、数えきれないほどに大勢の観客のライブよりもすごいライブ。
笑顔であふれ、幸福が満ちていたあの場所よりも、上。
「だからさっ。彩葉もしんたろーもいらないって言ってたけど、やっぱり一緒に行こうよ―――
それならば、俺でも―――
「―――……俺に、なにを求めている?」
「手伝ってほしいの! ヤチヨカップの1ヶ月間! 優勝できるようにっ!」
「……1ヶ月か。長いな」
「短いよ~。急がないと間に合わないかもしんない~」
「そうか」
「そうだよ。―――で、しんたろーどう? 手伝ってくれる?」
1ヶ月。元々かぐやを保護する気でいた期間だな。
……なら、元の予定に戻るだけか。
「―――了承した。協力しよう」
俺の言葉に、心底嬉しそうに表情を綻ばせるかぐや。
「うん、うん! かんばろーね、しんたろー!」
「ああ」
「よーし、あとは彩葉もだ! 一緒にがんばろー!」
優勝、コラボライブ、ハッピーエンド。1ヶ月。
かぐやと異なり、俺が求めるものは一つだけだ。
「俺は出来ないことも知らないことも多い。だがそれでいいのなら好きに使え。かぐや、君の望みを叶えられるよう最大限を尽くそう」
―――ハッピーエンドを、笑顔を、知りたい。だからそのために。
「1ヶ月。尽力しよう」
「おー!」
俺が死ぬ、その日まで。
タロー/浦野真太郎
メンタル限界ギリギリ。ヤチヨの約束のために慣れないことを自分なりに頑張ってしてたが、かぐやの急成長ぶりを見て放り出す気満々だった超かぐや姫!の二次創作のオリ主くん。お前本当に主人公か?
態度には出ていないが精神はボロボロ、そんなところにかぐやの言葉がジャストミート。なんやかんや色々あってあと1ヶ月頑張ることに。自殺するのはそれからだ。
iro/酒寄彩葉
メンタル限界ギリギリ。元々バイトや学業でボロボロのところに赤ちゃんの世話とほぼ関わりのない男子と一緒の生活をしたりしてマジで限界。普段だったらあんなに沸騰したりしないし、上手いこと流せていた。あんな変人を母親と重ねて見たりすることも無かったはずだった。
オリ主くんがいる影響でかぐやに自身を重ねて見ている部分があるので、原作のように追い出そうとしたりしなくなった。これはいいこと? わるいこと?
人生2回目のライブを堪能出来てある程度メンタル回復。会話してさらに回復。握手でさらに大回復。ヤチヨは女神かな?
かぐや
めちゃくちゃ楽しい。地球さいこー。
手を繋いで3人一緒に帰宅。3人一緒に自分が手作りした晩ごはんを食べる。3人一緒でツクヨミに行ってライブ観賞。生後4日、人生最高の1日であった。
ヤチヨカップ優勝を目指す。
月見ヤチヨ
宇宙猫状態。意味がわからない。なんでどうして? 本体が久しぶりに彩葉と会話してルンルンなところにオリ主くんと会話した分体が本体と記憶を統合した結果、意味不明過ぎてフリーズした。
なんで? どうして? 誰か理由を教えて!?
殺し合いを求めてたはずのタローがなんでかぐやを大事にするしんたろーになったの!?
絶賛大混乱中の月見ヤチヨであった。