彩葉はかぐやを全力で受け入れることを決め、今後の計画を建てた。
オリ主くんはかぐやに協力することを決め、よくわからないまま金を出したりしている。
かぐやは2人の手を引いて『かぐやいろPチャンネル』を開設した。
夏休み2日目。
学校があった頃よりは少しだけ遅めに起床し、シャワーを浴びる。いつもの流れだ。着替えてから、朝食を食べようと冷蔵庫に手を伸ばし―――伸ばした手を止める。やはり今日もか。
―――扉が開き、タタタとアパートの通路を駆ける軽い足音。
「―――しんたろー!」
そしてガチャガチャドンドンと叩かれる玄関扉。朝からなんとも騒がしい。
「おはよう、しんたろー!」
「ああ」
開錠して扉を開くとかぐやが手を上げて朝の挨拶をしてくる。朝から元気だ。
「む………しんたろー、おはよう!」
「ああ」
「おはよう!」
「……ああ」
「おーはーよーう!」
「……おはよう」
「よし!」
いいらしい。
満足げな笑顔を浮かべたかぐやが冷蔵庫へと向かっていく。朝食の準備だ。忙しない。
トントンと軽いノック音。足音は聞こえていたので驚くことなく玄関へ声をかける。
「好きに入れ」
「……お邪魔します」
どこか居心地の悪さを感じていそうな表情で玄関を上がり、自身の靴と散らかったかぐやの靴を揃えて先日買ったばかりのちゃぶ台の前、青い座布団に座る酒寄。
台所でフライパンを手にしたかぐやと、額に手を当てて座っている酒寄を見て思い返す。なんでこうなったのだったか、と。
始まりは昨日、いや正確にはそれ以前からの計画だったのだろう。
まず終業式の日にちゃぶ台と座布団3枚を買わされた。かぐやが欲しがったからだ。酒寄の部屋にあるのに何故だろうと思いつつも、特に用途について尋ねなかったのが失敗だった。アパートに着き、早速酒寄の部屋へ運ぼうとすると止められた。『俺の部屋に置く』と。それに対して何故と聞き返すとかぐやは事もなげに言い放った。
『だって無いと不便なんだもん』
そうか。とだけ返した。面倒くさかったのもあるが。
そしてその晩に3人で酒寄の部屋で夕食を食べている時にかぐやが言った。
『明日から朝ごはんも一緒に食べるから。しんたろーの部屋で!』
寝耳に水だった。俺だけでなく酒寄にとっても。
ただでさえ謎に俺と酒寄とかぐやで夕食を共にするという意味がわからない決まりをかぐやが制定し、それに慣れてもいないタイミングでのこれだ。わけがわからない。
俺は抵抗しなかった。面倒くさかったからだ。諦めたと言い換えてもいい。酒寄は多少抗弁を試みていたが、かぐやに
そして夏休み初日である昨日から朝は俺の部屋で3人で食事をとり、昼は酒寄がバイトでいなかったので俺とかぐやの2人で食べ、夜は酒寄の部屋で3人での食事となった。
……本当になんでこうなったのだろうか。
「出来たよー」
そう言いながらかぐやは手に持った皿をちゃぶ台に並べ、フォークも差し出してくる。
「今日の朝ごはんは、かぐや印のふわふわパンケーキでーす!」
パンケーキ。それは一体なんだったか。聞き覚えがあるような気はする。
「生クリーム、それにイチゴまで乗ってる………これ一個でいくらするのか……」
酒寄が小声で何事かを口にしながら何故かパンケーキなるものに慄いている。変な光景だが無視だ。酒寄がよくわからん行動をするのは慣れた。そういうものとして扱えばいい。
「自信作だかんね! 美味しく食べちゃって~」
「……うん」
「そうか」
フォークを手に持ち、かぐやの号令を待つ。
「いただきまーす」
「いただきます」
「……いただきます」
突き刺し、口に放り込む。
柔らかく、甘い。以上。
俺は食事を続けながら、楽しそうに食べるかぐやと美味しさに顔を微かに紅潮させた酒寄を見ながら思う。
―――これが、これからのいつもの流れになるんだろうな、と。
☆☆☆
「じゃあ私、バイト行くけど」
「わかった~」
朝食を終え、食器を片している最中に酒寄がそう言った。
今日もバイトらしい。予定が多いと大変そうだ。
「彩葉、今日は早く帰ってくる?」
「いや、昨日より遅いけど……」
「昨日よりも!?」
「予定表に書いてたでしょ」
「うぅ~、わかった………しんたろーと待ってるね」
俺もか。いや、否やは無いが。
それにしても昨日よりも遅くか。ということは21時、あるいは22時前後だろうか。
「いや、昨日も言ったけど私のこと待たなくていいからね。先に晩ごはん食べちゃいな」
「やだ」
「いや、だからね」
「やだ。彩葉と一緒に食べる」
「でも、私今日は22時までバイトあるし」
「しんたろーと待ってる。だからね彩葉、一緒にご飯食べよ?」
やはり俺もか。
個人的には食事は別にどうでもいいんだがな。最近はもう体を鍛えるどころか維持する気もないから適当に腹に入れてるだけなんだし。
「いや別に浦野は………そうだ。浦野まで付き合わせるのは悪いしさ。だから2人は先に食べてなって。ね?」
「やだ、一緒がいい! しんたろーも一緒がいいでしょ?」
そんなこと聞かれても俺はどうでもいいんだが。
かぐやは不安げな瞳で、酒寄は睨むような目つきで俺を見ている。
正直俺は遅く帰ってくる酒寄をわざわざ待つ必要性を感じていないので、先に食べていてもいいと思う。
だけど―――
『―――だからタローも子供は大事にするんだよ』
喉元まで出かけていた溜息を飲み込んでから、口を開く。
「かぐやの望むようにすればいい」
「やった!」
「うぅ、マジか……」
渋面を作っている酒寄の視線を無視し、食器を洗う。
酒寄とかぐや、どちらを優先するかとなれば、それは無論ヤチヨとの約束の対象―――子供であるかぐやだ。
約束がある。唯一の友人との約束が。
せめて俺が死ぬその日までは、守らなくてはならない。
「わかった、もう言わない。―――でも、お腹減ったら食べていいんだからね」
「減ったらね。減ったら」
「エアコンは使ってもいいけど長時間はやめてね。我慢できそうなら扇風機で過ごしてほしい………かぐやには悪いけど」
「ん? うん、わかった。あんまりエアコン使わない。ってかなるべくしんたろーとこっちの部屋にいるね」
「まあ、うん。それでお願い……」
「オッケー!」
かぐやの元気な返事に軽く額を抑え、俯く酒寄。不安そうだ。
「浦野、頼むね」
「ああ」
俺の返事にも不安そうだ。
「ハァ……」
これ見よがしに溜息を吐いてから、俺をジト目で見る酒寄。
「浦野、今日はかぐやに物を買ってあげたりしないでよ」
「……何故だ」
何故酒寄がそんなことに言及する。関係ないだろう。
「かぐやの将来に悪いでしょ。金銭感覚がおかしくなっちゃうじゃん」
「かぐやの金銭感覚については以前話しただろう。もう問題は無い。かぐやも理解している」
「それは
俺に向けていた視線をちゃぶ台へと移し、指をさす酒寄。
「
指を少し下へ。
「
今度は部屋の隅へ。
「
そして再度、俺を睨む酒寄。
「他人に欲しいものを全部買ってもらうなんてのは、将来の事を考えたら絶対にマイナスにしかならないの。かぐやが大人になった時に困るでしょ。だからや・め・て」
将来。
かぐやの将来?
何故俺がかぐやの将来を気にかけなくてはならん。俺は
それは約束外だ。俺の管轄ではない。
「……そうか」
だが口にはしない。言ったら酒寄が面倒くさそうなので。
かぐやが求めるのならば与える。求めないのならば放置。それだけだ。
「だいじょーぶ! もういるものは全部買ってもらったから!」
「……めちゃくちゃ心配だわ」
「なんでー!?」
ひどーい。なんて言って酒寄にじゃれるかぐやを横目で眺めながら、俺は食器を拭き始めた。
「しんたろー、撮って!」
「ああ」
酒寄がバイトへと赴き、その間かぐやは何をしているのか。
「これどう、いい感じ!? かぐや踊れてる!?」
「……見本とは同じ動きに見えるな」
「いよっし!」
答え。動画撮影、である。
かぐやが目指すヤチヨカップ優勝とは、ライバーとして1ヶ月の間にどれだけの新規ファンを獲得出来るのか、その人数の多寡で勝敗を決する大会である、らしい。
そしてその優勝景品がヤチヨ。正確にはヤチヨとのコラボライブということだそうだ。
かぐやいろPチャンネルの初動はランキング8910位、ファン数は14人というスタートだった。ヤチヨカップ開催と同時にライバー活動を開始したので、総ファン数がそのまま新規ファンの数になる。つまりは伸びしろという点では他と比べて有利、らしい。酒寄が苦い顔で言うにはだが。
どうもライバーとは新参者には駆け上がるのが難しい世界だそうだ。コレという何かしらを持ちえない限り人の目には留まらない厳しい世界だとか。
「そんじゃ、さっそく編集してそのままアップ~」
酒寄のノートPCを手早く操作するかぐや。
指に迷いがまるでない。授業でPCを扱う俺より速いな。相変わらずの成長速度だ。
「……こんな短い動画でいいのか?」
「ショート動画はこれくらいでいいっぽいよ」
「そうなのか」
ショート? 短い動画という意味か? 動画にも種類があるのか。
「んで! お次はこっち~」
そう言って冷蔵庫から取り出されるコーラと、キャンディ?
「間食か?」
まだ朝食から大して時間も経っていないが。
「ううん。これで動画撮るの」
「……それでか」
「これで」
意味がわからん。
コーラとキャンディで何を撮影するんだ? 食べるところか? それが面白いのか? まるで理解できないのは俺だからなのか? わからん。
かぐやに促され風呂場に連れられる。
何故食べ物で風呂場?
「よーし! じゃあやるから、しんたろー撮っててね」
「ああ」
スマホを構える。
画面の中には蓋を開けたコーラに顔を近づけ、手に握ったキャンディを構えたかぐやがいる。
なんだこれ。
「せーのっ!」
掛け声と同時にキャンディをコーラのペットボトルに放り込み、すぐさま口を付けるかぐや。だからなんだと思う暇もなくコーラが噴出し、かぐやの口やら鼻から黒い液体が漏れ出す。
「ぐえぇ~! 鼻がぁ~!」
服を茶色に染めたかぐやが鼻を抑えて悶えている。
奇声を上げているかぐやを無視して俺は周囲を見回す。
床、壁、トイレ等に飛び散ったコーラの跡。室内に漂う甘い空気。なるほど。
「ライバーとは、面倒なんだな」
スマホの撮影を停止して、俺は掃除用具を取り出した。
☆☆☆
それから夜まで慌ただしかった。
昨日までに買った小道具を用いての動画撮影。俺には何がいいのか全くもって理解できなかったが、かぐやは終始笑っていた。
動画で見て面白そう、楽しそうだと思ったものを集めていたとか。その言葉通りにかぐやは驚き、笑い、楽しんでいた。
「しんたろー、見て見て!」
PCの画面を指さし、かぐやが叫ぶ。
画面に表示されていたのはかぐやいろPチャンネルの現状。ファン数481人。
「増えたな」
「増えた!」
チャンネルを開設してから5日。順調にファンの数は増えていっているようだ。
「もうすぐ500人だよ!」
「そうだな」
「この調子でドンドン頑張るよー!」
「そうか」
とは言うが、これは間に合うのか?
このペースが速いものなのかどうか俺には判別できないが、ランキングは未だ8000位台。上には文字通りに桁違いなライバーが
はたしてかぐやはそれらを乗り越え、優勝を掴めるものなんだろうか。
俺がした約束は、ちゃんと果たされるのだろうか?
俺がそう考えているとタンタンと、一定のリズムで歩いている足音が外から聞こえた。
帰ったか。
「かぐや」
「ん?」
他者の記録が載ったランキングのページを見て歯軋りしていたかぐやに声をかけ、玄関の向こうを顎で示す。かぐやは一瞬瞳に疑問を浮かべたが、即座に俺が言わんとしたことを理解したようで立ち上がり駆けだす。目的はただ一つだ。
「彩葉!」
「うわっ! ビックリした~……」
「おかえり!」
「あ~、うん。―――ただいま、かぐや」
玄関から飛び出し、酒寄の腕を掴むかぐや。よほど待ちきれなかったらしい。
「しんたろー、ホントに彩葉帰ってきた!」
「ああ」
「なんでわかったの?」
「足音が聞こえた」
「マジ!? 全然かぐや聞こえなかった……」
ずっとPCを弄っていたからな。意識が向いていなかったなら仕方あるまい。
立ち上がり、壁際に置いておいた袋を取る。
「酒寄」
「なに、浦野?」
「これを」
「……?」
袋を手渡す。中身は衣服だ。
「服?」
「ああ。かぐやが今日着ていたものだ」
「はい?」
「止められなかった」
その言葉に袋から服を取り出し、それを見つめる酒寄。
そして恐る恐る酒寄から距離を取り始めるかぐや。
「……かぐや」
冷たい呼びかけにビクリとその場で跳ねるかぐや。
その反応を無視して前面が大きく茶色に染みている服を突き付ける酒寄。
まあ、そうなるだろうな。
「説明」
「いや~、なんと言いますか、色々かぐやもありまして~」
「かぐや」
「あ、そうだごはん! もう晩ごはんにしないと! 今日も美味しいの準備してて」
「かぐや」
「はい」
再度の呼びかけで動きを止めるかぐや。最初からやらなければよかったものを。
「酒寄、まずは部屋に戻れ。外でやるものでもないだろう」
「……そうだね」
そうしてかぐやの腕を掴んで自身の部屋へと帰宅していく酒寄。
俺はこちらに向かって手を伸ばし、助けを乞うかぐやに対し口を開く。
「謝罪はしろ。頼まれたのは俺なので責任に関しては俺が取る」
クリーニング代は支払うべきだろう。俺の監督不行き届きなのだから。
それとかぐやは次からは始める前に内容を言え。止めることもできん。
「しんたろ~」
「ではな」
「ごはんの準備出来たら呼ぶから~」
「……そうか」
酒寄に引きずられて隣の部屋に消えていくかぐや。
食事は別々でいいんだがな。
いや、もういいか。それに関して考えるのはもう止めよう。結局一緒になりそうだ。
玄関扉を閉め、部屋を振り返ると見えるのはあちらこちらに散らばる玩具、ちゃぶ台に座布団、かぐやが持ち帰り忘れた酒寄のノートPC。
溜息を吐く。
「誰の部屋だ」
たった数日だというのに、まるで別人の部屋だな。
そんな感想を抱きながら俺は足元の玩具を拾い、余ってる袋へとまとめて放り込んでいった。
「よーし。犬DOGE準備はオッケー?」
「ワン!」
「ならよし!」
顔を寄せて会話? をしている1人と1匹を眺めながら隣の酒寄と小さく声を交わす。
「なにするの?」
「知らん」
「そっか」
夕食を終えるなりかぐやにツクヨミに連れてこられた。
何かと問うても答えは無し。俺と酒寄は人が行き交う道の端で待つしかなかった。
「浦、じゃなくてたろーD、かぐやに今日はなんか買ったりしてないよね」
「していない。今日はずっと動画撮影だ」
「なら、いいけど……」
「……」
「……」
会話が途切れる。
まあ仕方ない。俺から話すようなことは無いし、酒寄もかぐやに関連したこと以外で聞きたいことは無いだろう。そして何より酒寄は俺が嫌いらしい。ならば無理に会話をする必要は無いだろう。
そうしてお互いに道端で沈黙を保っていると、かぐやの声がかかる。
「彩葉、しんたろー! 準備出来たよ!」
「ワン!」
かぐやが縁石の上に登って元気よくそう言い放つ。
「ってことでー、ミュージックスタートッ!」
ポチっと。そう言いながら展開したウィンドウをタップし―――
―――ブッブー。
「あれ?」
もう一度タップ。
―――ブッブー。
「なんで!?」
叫びながら何度もタップし、システムが拒否する音がその都度鳴り響く。一体かぐやは何がしたかったんだろうか。
2人で様子を窺っていると、ウィンドウの前で頭を抱え始めるかぐや。
「うがー! なんで出来ないの!? これで出来るって動画で言ってたじゃん!」
酒寄と顔を見合わせて、俺は一歩後ろに下がる。俺には対処できない類のものだろう。
「―――で? かぐや、何が出来ないって?」
「うぅ~………音楽流せるって動画で言ってたやつが、なんか出来ない~」
「あ~、あれか」
かぐやの言葉に酒寄は心当たりがあるようだった。ツクヨミ関連は大体酒寄に任せればどうとでもなりそうだな。楽でいい。
「音楽鳴らしたりとか、道塞いだりとか、そういう他の人に迷惑がかかりかねない行為はツクヨミじゃ基本的に禁止なの」
「えっ、禁止なの!?」
「この場所じゃ無理」
周囲を見渡す。
高層ビルと和風建築が混在し、多くのプレイヤーが大きな通りを闊歩している。
「だから、隣に行かないとダメ」
「となり?」
「そ。隣の区画」
マップを表示し、かぐやに向けて説明を始める酒寄。
「隣の区画は、いわゆる路上ライブや大道芸が許可されてるから。なにかやりたいならそっちに行かなきゃいけないの」
「おお、ライブ!」
「うん、ライブ………ん? かぐや、ライブやりたいの?」
その言葉に肩を震わせ、そっぽを向くかぐや。なんとわかりやすい行動だろうか。
「ってことは………もう歌詞出来たの? 一週間も経ってないのに?」
「それは早いのか?」
「……人によるとは思うけど、宇宙人が地球の言葉を覚えて一週間って考えたら早いと思う」
「なるほど」
かぐやの成長が著しいという、いつものやつか。もう慣れたな。
「話はいいから行こっ! 彩葉あっち?」
「彩葉言うな。いろPって呼びなさい。―――そ、あっち。ついてきて」
「よし行こうー!」
酒寄が先導するように歩き出し、それにかぐやと共に付いていこうとし―――
―――カツン。
小さな音が聞こえた。
振り返る。右斜め後方。建物上部付近。瓦屋根の端。凝視する、が音の発生源と思われる場所には何もない。ただの屋根だ。
「しんたろー、どったの?」
突然足を止め振り返った俺に、かぐやが疑問の声を投げかけてくる。
「いや、なんでもない」
そう返事をして歩みを再開する。
不思議そうにしながらも気にしないことにしたのか、かぐやもまた歩き出し酒寄の背を追い始めた。
視線を前に向けたまま意識を後方へと割く。
俺が動き出したのに合わせてかカツンカツンとまた小さな音が鳴り始めた。こちらが歩いているというのに常に同じ距離で音は聞こえ続けている。
音の間隔は短く一定。おそらくは足音と思われる。
そしてこれが足音ならば、俺はこの歩き方に覚えがある。
「何をやっているのやら」
「ん? なんか言った?」
「いや、どうでもいいことだ。気にしなくていい」
「そう?」
本当にどうでもいいことだ。
よくわからないが管理業務の一環、ということなのか? なんなんだろうな。
☆☆☆
「おおー!」
「ワン!」
かぐやと犬DOGEが歓声を上げる。
それを見て少し自慢気な酒寄。
「すごいよね、ここ」
「うん、すごい!」
先程いたエリアと街並みに大差はない。あえて言うなら高層ビルが少なくなり、代わりのように五重塔などが視界に映るようになったくらいか。
だが、明らかに違う部分もある。
「なんか色々やってる人がいっぱいいる!」
人だ。
誰も彼もが現実では見ないような衣装を身に纏っているのには変わりはないが、ここにいる人達は明らかに違う。
通りの端々で
「あれ、ジャグリングってやつでしょ! 動画で見たことある」
「この通りは大道芸がメインだからね」
道端で犬耳を生やした男が複数のボールを順に宙へ投げ、それを受け取め再度宙へと飛ばしている。それを間近で見物している複数の人。楽し気な雰囲気だ。
「あっちのは、なんだろ? なんもないのに壁を押してるみたい……?」
「パントマイム。そこに無いものを有るように見せる芸、って感じかな」
「ほへ~」
「ワン」
3人と1匹で通りを歩く。道端では様々な人がいて、それぞれが異なる芸を披露している。
ジャグリング、パントマイム、マジック、バルーンアート。俺でもかろうじて知ってるようなものから全く知らないものまで色々。
そしてそれを眺めている見物客。
披露する側と見る側。需要と供給は釣り合っているらしい。
「すごいすごーい! ここ面白いのいっぱいだ!」
「このエリアは通りによって種類が分かれてるんだよね。大道芸とか演奏とかそういうので。元々は明確な決まりなんて無かったらしいけど」
苦笑しながらそう言う酒寄。
「無かったの?」
「ヤチヨが前に配信で言ってた。いつの間にかプレイヤーの間で暗黙の了解が出来てたんだって。だからいつかのアプデでちゃんとルールにしたらしいよ」
なるほど。
それがいつだか言っていた世界の管理業務とやらの一つか。『皆が楽しく快適に遊べる場所づくり』だとか言っていたものな。
今まで実感は無かったが、要はツクヨミの行政を担っているんだなヤチヨは。
「それじゃあ隣の通りは何やってるの?」
「隣は漫才とか落語とかじゃなかったかな。よく本物の芸人さんがいるし」
「本物!?」
「て言っても若手の人ばっかりらしいけどね。テレビに出るような人はたま~にしか来ないらしいよ」
「たま~に来るんだ……」
「ツクヨミパワーはすごいからね。ここで人気出たら現実でも人気になれるから」
「ほへ~」
酒寄の解説を聞きながら横道に入り、通りを外れる。目的の通りは3本先らしい。
「彩葉すっごい詳しいんだね」
「だからいろPだっての。―――私はたまに友達と来るから、それでね」
「友達?」
「……この前パンケーキ貰ってたでしょ」
「そっか、パンケーキの人!」
パンケーキの人? いたかそんなの?
……覚えてないな。
そんな2人の会話を聞きながら歩いていると、目的の場所へと辿り着いたようだ。
喧騒の種類が変わった。音楽が至る所から流れ、それに合わせて歌う声や合いの手が聞こえてくる。
少し騒がしい場所だな。
「ここ、動画で見た場所!」
「ワン!」
かぐやが犬DOGEを伴って駆け出す。
近くで楽器を掻き鳴らしながら歌っているタヌキ耳の女性と、それを鑑賞している観客で構成されている人の輪に意気揚々と入っていく。
かぐや自身の目的は既に頭からすっ飛んでいってしまったようだ。
かぐやを追って酒寄と共に人の輪に近付き、少し離れたところで様子を窺う。
2分程待っていると演奏が終了したようで、音が止んで周りを囲む人々が拍手を送り始めた。無論かぐやも元気よく拍手している。
随分と楽しそうだ。
そのまま酒寄と共にかぐやの様子を見ていると次の曲を待とうとしているかぐやの様子に気付いたので、近寄ってその手を取り名前を呼ぶ。
「かぐや」
「しんたろー、この人の歌すごいよ! カッコいい!」
「……そうか」
「あとなんか花が降ってくる! 上になんもないのに。不思議!」
言われて頭上を見上げると確かに花弁が舞っている。何もない空間からまるで滲みだすように宙へと姿を現し、ひらひらと周囲を彩るように散っていた。
どうやら演奏している女性を中心とした空間に花が舞い散っているようだった。これも何かの芸なのだろうか。
「……不思議な光景だな」
「でしょ!」
「ワン!」
俺の肯定の声に嬉しそうに応えるかぐやと、鼻に花弁を乗せた犬DOGE。
そんな1人と1匹に後ろで待っている酒寄を見るよう指し示す。
かぐやがそちらを見ると、苦笑を浮かべた酒寄が小さく手招きをしている。
「……あっ、そうだった」
やっとここに来た目的を思い出したようだ。
「行くぞ」
「うん」
また何処かへ走られると面倒だと思ったのでそのまま手を握っていたが、特に抵抗もなく素直についてくるかぐや。
酒寄の元に辿り着いたので手を放そうとするが、思い切り手を握り返される。
俺が意図が分からずに困惑していると、反対の手で酒寄の手を握るかぐや。これで俺、かぐや、酒寄での3人横並びの形になった。犬DOGEはかぐやの前。
この隊列はもしや。
「かぐや?」
「待ってかぐや。これって」
「―――よーし! そんじゃあ人いないとこまで一気に行こう!」
「ワン!」
制止の声をかけるよりも先に勢いよく走り出すかぐやと先導するように前を走る犬DOGE。そして引っ張られる俺と酒寄。
犬DOGEはいなかったがこの構図、前にもあったな。
以前同様に諦めの表情を浮かべている酒寄を横目に見ながら、俺はそう思いつつ走り続けた。
☆☆☆
「じゃあいくよ!」
「ワン!」
5分程走り続けると周囲から人影が消え、見る限りでは3人と1匹しかいない通りの端でかぐやは胸を張って宣言する。
「本邦初公開! 『私は、わたしの事が好き。』!」
大きな声でそう言いながら展開したウィンドウをタップするかぐや。すると以前聞いた過去の酒寄が作成したという音楽が周囲に鳴り響き、それに合わせて手を振り、飛び跳ねるかぐや。あと動き回る犬DOGE。
「朝起きて今日は何しよう―――好奇心抑えらんない―――」
ああ、なるほど。
かぐやの歌と踊りを見て納得する。ここ数日、動画撮影の合間に何度か見た振り付けが各所に垣間見える。一度も動画では撮影しない動きだったので気にはなっていたが、これだったのか。
横目で酒寄を窺う。小さく口を開け、かぐやに見惚れていた。瞳の中の光が少しずつ大きくなっている。
視線を戻し、歌い踊るかぐやを見る。
これは、そういう反応を引き出すものなのか。
これは、そういう力を持つものなのか。
少し前にヤチヨがやっていたものと規模は違えど同じライブ。人の心を動かすもの。
やはりわからんな、俺には。
「心拍数上げて生きようよ―――退屈奪っていこうよ―――」
視線をかぐやに向けたまま、意識を周囲へと飛ばす。
ここに走ってくるまで、姿なき足音はずっと付かず離れずの距離を維持してついてきた。そしてかぐやが立ち止まると同時に足音も止まった。やはり目的は俺達だったらしい。
それはいい。何がしたいのかわからないが、とりあえずいい。だが―――
―――カツン。
かぐやの歌声の合間にとても小さな音が聞こえる。左後方。五重塔の三階の屋根。また増えたな。
また増えた。そう。
最初に俺が気付いた足音は現在はかぐやの奥、10メートル程のところにある横道の角にいる。そして今聞こえたのは左後方。
……そしてそれだけでなく―――
―――カツン。
小さな音。左後方。五重塔の最上部の屋根。
漏れそうになった溜息を飲み込む。何をやっているんだアイツは。
もう既に俺達の周囲にいる足音の発生源は二桁をとうに超えている。
ここに来るまでも。ここに着いてからも。時間が経つほどにその数は増えていき、そして離れていかない。
本当に何がしたいんだろうか?
「誰も止められやしない―――歌わずにはいられない―――」
そんな風に俺が答えの出ない疑問を考え続けていると、かぐやの歌が終わった。
そして酒寄が拍手を始めたのを眺めていると肘でつつかれたので、俺も真似をするように拍手をする。これは必要なのか?
「『わたすき』どうだった!? 感想聞きたーい!」
「ワン!」
かぐやと犬DOGEが迫ってくる。
どうだったか、と聞いてはきているが表情は期待一色。求めている答えが何なのかは俺でもわかる。
だが、なんと答えるか。素直に答えると面倒そうなことになりそうだが。
「―――予想外だった」
俺が内心で回答に詰まっていると、酒寄がハッキリと口にした。
「正直言うと期待してなかった。成長が異常に速いとはいえ文字も言葉も覚えたばっかりだし、前に自作してたジングルもアレだったし。まともな歌詞になるとは思ってなかった」
第一声に続いて口にした言葉は厳しいものだ。どんな言葉が返ってくるかと期待していたかぐやの動きが止まる。
「曲も私が随分前に作ったやつで、学校とかでちゃんと学んだわけでも無い所詮は素人の曲。それに素人の歌詞が付いたところでたかが知れてる」
かぐやが俯き、犬DOGEが静かにその足元に寄り添う。
数秒前とはえらい違いだ。
「なのに」
手を握る。
酒寄が踏み出し、かぐやの手を両手で力強く握った。
「―――良かった」
驚いたかぐやが顔を上げ、目の前の酒寄の瞳を見つめる。
「素人の作曲に素人の作詞。―――でも、良かった。いい歌だった。かぐやのらしさが全面に出てたし、かぐやがどんな人なのか聞いてるだけで伝わってきた」
瞳を真っ直ぐに見つめ、言葉を伝える酒寄。
「だから私が言いたいことは一つだけ」
眩い意志の光を宿した瞳で、思いを口にする。
「―――すごいいい歌だったよ。かぐや」
酒寄の答えを聞いて、花が開くようにかぐやの表情が喜色で埋め尽くされる。
「彩葉ー!」
「わっ、ちょっとかぐや!?」
握られた手を引き寄せ、抱き着くかぐや。
よほど嬉しかったらしい。
上げた声に反して抵抗をしようとはせず、抱き着いてきているかぐやの背を優しく叩く酒寄。そんな光景を眺めている俺と目が合うと、顔を赤らめて視線を逸らした。
今のどこに恥ずべき部分があったんだこいつ。
「……今のを動画にするのか?」
放っておくといつまでもこのままになってしまいそうだったので、声をかける。
するとガバリと体を酒寄から離して振り向くかぐや。表情には自信が溢れている。
「する!」
「そうか」
なら改めて撮影か。
さすがに今日はもう時間も遅いし、明日になるか。
「でーもーその前に~」
「前?」
なんだ?
「―――ライブやりたい!」
「………なに?」
「3人で一緒に!」
「……………なに?」
バイトを終え、帰路に就く。
夏期講習からそのままバイト先に出勤。夏休み前とそう違わないはずの日程だが、思ったよりも疲れた。昨日は寝るのが遅く睡眠時間は短かったし、仕方ないといえば仕方ない。
昨日、私―――酒寄彩葉が作曲し、かぐやが作詞をしたオリジナルソング『私は、わたしの事が好き。』をかぐやが披露してくれた。いい曲だった。本当に。
かぐやの無邪気さや、破天荒な部分、なによりもかぐやのカワイイが詰まった曲で、とても
ヤチヨカップ優勝を目指すとかぐやは言っていたが、私は正直無理だと思っている。こういう催しは元々誰が優勝するか事前に決まっているものだ。一般人が参加することが出来ても決して優勝出来るものではない。
その考えは変わっていない。でも―――
―――もしかしたら上位にランクインすることは、可能かもしれない。
私が勉強をしている後ろでやっている雑談配信。浦野に協力してもらって撮影している動画群。そして昨日の歌。
少し前からバイトの休憩時間なんかに動画を見ていて実は思っていた。
―――この子、見ていて面白い。
私は月見ヤチヨが最推しだ。
でもそれは他のライバーと比べたからじゃない。ヤチヨ以外に興味があるライバーがいないからだ。ぶっちゃけ私は名前をハッキリと覚えているライバーがほとんどいない。ヤチヨがコラボしたりした相手以外のライバーは知らないと断言できるレベルだ。
それはつまり、私はライバーという世界について詳しくは無いということ。
だけど、そんな私でも思った。―――かぐやは上に行く、と。
「……多分、一度でもバズれば一気に上に行ける」
ポテンシャルはある。かぐやには人を引き付ける
だけど―――
「―――……565人、か」
取り出したスマホに表示されたかぐやいろPチャンネルの現在のファン数は565人。昨日はまだ500人には届いていなかったが、今日の昼に到達したらしい。
すごいことだ。ヤチヨを見ていると少なく感じてしまうが、500を超える人に関心を持たれているというのは本当にすごいことだと思う。
でも、足りない。
この人数ではかぐやの求める結果には遠く及ばない。
そのためには今の状況を変えるナニカが必要であり、そしてその案は一応ある、のだ。
……うん、あることはある。
「……オリ曲の発表ライブ。それはいい。いいんだけど」
『―――ライブやりたい!
昨日のかぐやの言葉を思い出す。
「私がライブに出るのはさすがにちょっとなぁ……」
かぐやいろPチャンネルとして3人でライブ。言いたいことはわかる。わかるが、さすがに抵抗がある。不特定多数の前に出る。それ自体は経験はある。それこそピアノを弾いたことだってある。
でも―――
「―――ツクヨミとはいえ、顔出しは無理かな……」
昨日のうちに断りはした。だが相手はかぐやだ。そう簡単に諦めるかは怪しい。
また上目遣いでおねだりしてくるかもしれない、けど今度ばかりはダメ。絶対に断る。
手を握りしめ決意を固める。大丈夫。私はもうかぐやには負けない。
☆☆☆
「ジャッジャーン!」
夕食の後、かぐやに誘われまたしてもツクヨミへ。
今日は何だと思いながらもログインし、
目の前にはかぐやとマスコットの犬DOGE。そして―――
「…………」
―――サルがいた。
「えぇ……」
「どう? どう? これならどう?」
「ワンワン!」
かぐやと犬DOGEの声が聞こえるが、右から左へと通り過ぎていく。それだけ目の前のインパクトが強すぎる。
サルだ。正確に言えばサルの着ぐるみだ。頭が大きく、それに合わせて体も横に広くなっているタイプのツクヨミの街中でたまに見かける着ぐるみスキンだ。
「あの、中身って、まさか……」
想像は出来てる。わかってる。でも確認せざるを得なかった。
「―――俺だ」
「だよね~……」
浦野だった。
姿をこの場で確認できなかった唯一の存在。たろーDこと浦野真太郎が、サルの着ぐるみスキンをその身に纏っていた。
いいのか、お前はそれで。文句は無かったのか。反対しなかったのか。かぐやを放り出す宣言したくせに今日までかぐやの言うこと大体聞いてたけど、これも素直に従ったのか。
お前はホントになんなんだ。意味がわからない。
「で、コレが彩葉のね」
私が絶句していると、かぐやが毛皮の塊のようなもの―――キツネの着ぐるみスキンを手渡してくる。
……私の?
「彩葉は顔出したくないんだもんね。でもこれなら大丈夫! かんっぺきだから!」
「ワン!」
気持ちのいいくらいの笑顔でそう言ってくるかぐやに、私はなんとか言い返そうと口を開いたが―――肩に手を置かれて止められた。
「……浦野?」
「昨日いろPが主張したのは『顔出しなんて絶対無理』だ。それ以外に問題点を提示していない。―――俺も、いろPも」
「あ」
昨日の会話を思い出すが、確かに言ってない。
顔出しを理由に断っただけだ。それ以外の理由を述べていない。
「これでなにも問題なーし! 3人で頑張ろう! お~!」
「ワオーン!」
私のの述べた問題の解消法を提示したかぐやに、何かを言うことは私には不可能だった。
「心拍数上げて生きようよ―――退屈奪っていこうよ―――」
持った籠に手を入れ、花弁を掴み宙へと放り投げる。
色とりどりの花が舞い、その中で金の少女が楽し気に歌い踊っている。
「完璧キャラ無理ゲー知らんぷり―――可愛すぎちゃってグランプリ―――」
気ままに歌う少女の左右でサルとキツネが花を撒いている。
それを眺める観客達。4人。これが多いのか少ないのかはわからないが、かぐやは嬉しそうだ。
結局、酒寄は負けた。
反論の術を無くし、ほぼ無条件で降伏していた。相も変わらずかぐやに弱すぎる女だった。
なんなんだあいつ。叱る時は叱るのに何故頼まれたら断れないんだ。意味がわからん。一体何を考えて行動しているんだ。
酒寄の説得が終わり次第、かぐやは早速ライブをすると言い出した。『今日、これから!』だと。反対は俺も酒寄もしなかった。俺は面倒くさかったし、多分酒寄は弱かったから。
SNSで告知をし、演奏可能エリアに場所を移し、配信を始め、ライブを開始。かぐやに迷いは無かった。もう日付が変わるような遅い時間だというのに躊躇いなんてのは存在していなかった。
多分、元々ある程度計画を立てていたのだと思う。
かぐやは想像以上に頭が回っている
ともかく、そんなスピード感のある計画を実行し集まったファンは4人。
ずっと拍手をしている女。ポケットに手を入れて静かに見ている男。頬に手を当て微笑みを浮かつつ眺めている男。手を振り笑顔で見つめている楽し気な女。
かぐやは昨日見せた振り付けと異なる動き―――手を振り、視線を合わせ、笑顔を返し、ピースサインを観客へと何度も向けている。楽しそうだ。
「誰も止められやしない―――歌わずにはいられない―――」
曲が終わり一瞬の静寂が訪れ、複数の拍手の音が響く。歓声と共に手を叩いているのは目の前の4人の観客。
「わぁー! ありがとー! すっごい嬉しい!」
それを飛び跳ね喜ぶかぐや。そして―――
―――パチパチパチ。
本当に小さく、環境音にすら負けそうな拍手の音が遠くから聞こえてくる。
何やってんだか。
「来てくれた皆も、配信見てくれてる皆もありがとう! すっっっごい楽しかった!」
観客と展開しているカメラウィンドウ越しに配信を観ているファンに向けて笑顔で語るかぐや。
「今の『私は、わたしの事が好き。』は作詞はかぐやがしたけど、作曲は彩葉がしてくれたの! すごいでしょ!」
「ちょっと! だからいろPって呼びなさいって!」
「あ、そっか。ごめん彩葉。次はちゃんといろPって呼ぶね」
「もう出来てない!」
かぐやとキツネの着ぐるみを纏った酒寄の掛け合いに笑う観客。その笑い声に反応しハッとしたような動きをするキツネ。忙しないな。
「歌の動画は近いうちに上げるね。実はまだちゃんと収録してないんだ~」
収録か。酒寄が夏期講習に行っていた昼に言ってたやつだな。
マイクがいるという話で、今は持っていないから買う必要があるとかなんとか。マイクは何処の店で取り扱ってるんだろうな。楽器屋か? いやでも楽器じゃないよなマイクって。あれは分類は何になるんだ? わからん。
「―――ってことで、今日はここまで! なんだけど~?」
かぐやの言葉に視線を向ける。
終わりじゃないのか? 予定では『ライブをやる』以外のことは何も聞いていないが。
「最後にスクショ撮ろっ! 初ライブ記念!」
スクショ。写真みたいなものだったか。そんなものを撮るのか。
まあ構わん。やり方は一応覚えている。
「かぐや、どう撮ればいい」
観客を手招きし傍に呼び寄せているかぐやにそう訊ねると、何故か不満そうに口をとがらせて俺を見てくる。
「しんたろーはこっち」
そう言って指をさしたのはかぐやの左側。酒寄の位置とは反対の場所。スクショの範囲内だ。
「撮るんじゃないのか?」
「ツクヨミならしんたろーにお願いしなくても撮れるからいいの。だからこっち」
「……そうか」
素直にかぐやの隣に並ぶ。
反対で酒寄がこちらを見ていたが、着ぐるみのせいで表情が見えず何を考えているのかはわからなかった。
皆を集めた位置から5メートル程の前方地点をカメラの位置として設定し、かぐやの合図でスクショを撮った。
観客4人とかぐやとキツネとサルと犬DOGE。
送信されてきたその写真を見ても思うことは特にない。何故こんなものを撮りたがったのかと疑問に思うだけだ。
「みんなー、今日は遅いのにありがとー! またやるから楽しみにしててねー! バイバーイ!」
笑顔でカメラに向かって手を振って配信を終了。そして今度は観客に向けても手を振って別れの挨拶。それぞれ個別の対応だ。手間だろうによくやる。
「今日は来てくれてありがと! ライブ良かった?」
「めっちゃ良かった! 最高でした!」
「マジ!? ありがとー!」
最後の1人とかぐやが会話を交わしていると、何故か酒寄がチラチラとその観客の顔を見ていた。何してるんだこいつは。
「―――これからも頑張って!」
「おう! 頑張る! どんどんかぐやのこと宣伝してねー!」
「了解でーす!」
最後の観客と手を振り合いながら別れる。やっと終わりか。
そうして場に3人と1匹だけが残るとかぐやが両手を天に突き上げ叫ぶ。
「初ライブ、大成功ー!」
「ワオーン!」
「やったどー!」
かぐやが犬DOGEを抱え、くるくると回りながら喜びを表現しだす。騒がしいな。
「……まあ、初ライブにしてはよかったんじゃない。多分」
隣のキツネが頭部を外し、人の顔を露出させながらそんなことを言う。
「そうなのか」
「コメントの反応も悪くなかったし、何よりもこんな時間に唐突に開催を知らせたのに4人も来てくれたし、皆笑顔だった。なら上々じゃない?」
「そうか」
そんなものなのか。
俺にはやはりよくわからない、が。確かにこの場にいた誰もが笑っていた。それは事実だ。
ならばそれは、
「終わったし、帰るよかぐや。私はもう寝ないといけないし」
「ええー! お祝いしないの!? 初ライブだよ!?」
「もうこんな時間だしダメ。私明日も朝から夏期講習あるから寝坊出来ないし」
「うぅ~。ならしょうがないか~……」
「クゥ~ン……」
落ち込むかぐやと犬DOGEを尻目に酒寄が俺に向き直り口を開く。
「じゃあ、今日はこれで……」
「ああ」
「しんたろーおやすみ~」
「ワン!」
「ああ」
「む………お・や・す・み!」
「ワンワン!」
「彩葉も!」
「えっ? ………あー、うん、おやすみなさい、浦野……」
「…………おやすみ、かぐや、酒寄、犬DOGE」
手を振るかぐや、尻尾を振る犬DOGE、そして会釈をする酒寄が空間から溶けるように消えていく。ログアウトしたようだ。
かぐやにはわかるようなわからないような気もするが挨拶をするのはいい。だが何故俺は自身のことを『嫌い』だと言った相手に対してまで挨拶をするはめになっているのだろうか。それがわからん。
朝、晩と食事を共にしているくせに今更な話ではあるが。
片目を
視界に映るのはいつもの―――いや、少し見慣れない形になった自室。用途のよくわからない玩具が袋から溢れ、ちゃぶ台があり、座布団がある。そんな部屋。
隣の壁を凝視し、その奥の気配を軽く探る。
先程の言葉通り、就寝の準備をしているのだろう。2人で横になろうとしているかぐやと、離そうとしている酒寄の気配を感じた。
開いた片目を
視界に映るのは星が煌めく夜空の下で輝き続ける光の街。変わらぬ景色を少しだけ眺め、歩き出す。
さて、行くか。
少し歩けば人通りも多少は増えてくる。
光に照らされた和風な街並みと、そこを歩く多種多様なプレイヤー。ログアウトする前となんら変わりのない景色だ。だが―――
―――カツン。
路地の先、暗がりの奥から小さな音が聞こえた。これまで何度も聞いた音だ。
音を追うように路地を進む。
突き当りを右。2つ目の角を左。三叉路は右端の道。坂道を下り、上る。そうして音に導かれていくと、ちょっとした広場に辿り着いた。
その広場は建物に四方を囲まれ、四角く切り取られたような星空が頭上で瞬いていた。
歩みを進めて広場の中央、そこにあるベンチの端へと腰を下ろす。
「
「まあね。ここまでの道、色々複雑だから」
俺の座ったベンチの反対側から声がする。
「この街にも人がいない場所があるとは思わなかった」
「そう?」
「ああ。この街に来たのはまだ一週間くらいだが、どこも人が多かったからな」
「ふふん。これでもユーザー数1億越えだからね。それは仕方がないのだよ」
「そうか」
「そーだ」
顔を横へと向ける。何もない。だが
「それで、
「ふふふっ。どっちかっていうとこっちが聞きたかったんだけどな~」
「そうか」
「そーだ」
空気から滲みだすように色が生まれ、瞬きの合間に銀の少女がベンチに座っていた。
「なんかこうして会うのは久しぶりな気がするね、タロー」
「これまでのペースを考えれば短いとは思うがな、ヤチヨ」
仮想空間ツクヨミの創造主にして管理人。かぐやが優勝を目指しているヤチヨカップの主催者であり、コラボライブという景品でもある少女。
「とりあえず、それ脱いじゃおうよ。今ここにはヤチヨしかいないんだし」
俺を指さしそう言うヤチヨ。
「必要か?」
「絶対に、とまでは言わないけど、どうせなら顔を見ながら話したい気分かも」
「そうか」
ウィンドウを展開し、装備している着ぐるみを脱ぐ。
視界も体の感覚も何も変わらないが、数時間ぶりに普段の姿へと戻る。
「で、
「……気になるのはわかるけど、それ答える前に聞いてもいい?」
視線を向け、無言で先を促す。
「タロー、何でヤチヨのこと見えてたの? 昨日目が合った時めっちゃビックリしたんだけど」
「驚いてたのか」
「そりゃ驚いたよ。透過率はちゃんと100%だったのに目が合うんだもん。咄嗟に設定の確認しちゃったよね」
「そうか」
「そーだ。だから何でヤチヨのこと見えたのか気になって」
疑問を表情に浮かべながらそう問うてくるヤチヨ。
随分と変な質問をしてきたな。答えは至極単純なんだが。
「音がした。なら見える。それだけだ」
「…………え、ごめん、わかんない。どういうこと?」
どうもなにも、そのままなんだが。
「『目で聞き、耳で見て、意識は空へ』。そういう教えだ」
「教え? ………あっ、なんか剣の流派とかそういうの?」
「まあ、そうだ。剣を叩き込まれた際に爺さんに仕込まれたものだ」
「ほへ~、はじめて聞いた……」
それはそうだろう。俺も教えた覚えは無い。
「それ、具体的にはどういう教えなの?」
「そのままだ。視覚で音を認識して、聴覚で周囲の流れを見る。剣を振るう際は体を宙から操るようにする意識で、というものだ」
「……それで透明なヤチヨが見えたって?」
「ああ」
「ええ~、意味わかんないかも……」
「そうか」
人の気配を察知するのと理屈は同じなんだがな。
「それでヤチヨはなんだったんだ? 昨日に続き今日まで尾行とは。一体何がしたかった」
ずっと考えていたがそれがサッパリわからなかった。
「いや、なんというか、その~……」
「なんだ」
何故言い淀む。
「……その、ヤチヨの分体ってほとんど本体と同じなんだよね」
「ああ」
いつだか聞いた気もするな。
「記憶も分かれる前までは共有してるし、考え方や行動も同じ。文字通りのもう1人のヤチヨなんだよね。だから……」
「だから?」
「―――本体が気になることは、分体も気になることなんだよね……」
それはつまり。
「分体達はタロー達のやることが気になったみたいで、ついてっちゃった感じ」
てへっ、なんて言って笑うヤチヨ。笑いごとなのかそれは。
「それで昨日は16人か」
ビクリと体を震わせるヤチヨ。
「今日は29人だったな」
「……か、数まで把握してたんだ~。目が合ったの最初の1人だけだったからヤチヨはてっきり全部は気付いてないんだとばかり……」
「相手がヤチヨなのはわかったからな。警戒はすぐに解いた」
「へ、へ~」
目を逸らし、誤魔化すような返事をするヤチヨを見てか肩の白いのが溜息を吐いて、地面へと飛び降りる。
「ちょっとFUSHI?」
「先に帰る」
「ちょ」
「バイバイ」
短く別れを告げて白いのが姿を消す。ログアウトとは少し違う感じだ。
残されたヤチヨと目を見合わせると、ヤチヨは小さく息を吐いてから語りだした。
「ツクヨミには色々なプログラムがあって、それで常時エラーとかバグとかそういうのが無いかチェックしてるんだけど、それ以外にもプレイヤー間でなにか問題が起こったりしてないかも調べてるんだ」
「……それが、
街中にいた分体の透明なヤチヨ。
「そ。ツクヨミは結構皆マナーをちゃんと守ってくれてるし、何かあったらすぐ通報してくれるから大きな問題とかは特に無いんだけどね。でも、ちゃんと自分の目で確認したいから」
「それで透明な自分を街中に配置か」
「まあ、監視カメラ的な感じ? プレイヤーの皆には秘密なんだけどね~」
なるほど。意図は理解した。
だが―――
「―――ならあの音はなんだ。姿を消せるなら音も消せるだろう」
足音に拍手の音。光を透過できるなら音も同様に扱えても不思議ではない。だがヤチヨはしていない。認知されていない監視カメラであるはずなのにそれがバレてしまう可能性を放置していたのは何故だ?
「んーと、簡単に言っちゃうとヤチヨ対策、かな?」
「ヤチヨ対策?」
ヤチヨが、ヤチヨの対策?
「自分で言うことじゃないけど、ヤチヨは結構調子に乗って色々やらかしちゃうタイプなんだ~。姿も音も消してプレイヤーに一切気付かれないようになんかしたら、ヤチヨ絶対にそれ悪用しちゃう自信あるもん」
「……ヤチヨが悪用するのか」
「する。100%やる。絶対にバレないストーキングし始める」
すごいことを真顔で言い切るな。
「だからバレる可能性を残しといたの。近付きすぎちゃって友達とか恋人なんかとの秘密の会話が実はヤチヨに全部聞こえてる、なんてことにしたくなかったから」
音を発生させちゃうから気を付けてプレイヤーに近寄ろうとしないしね、なんて言って笑うヤチヨ。
「実際に何度かバレかけたことあるしさ~」
「バレたのか」
「かけたことはあるよ。ツクヨミ七不思議、なんて動画がアップされちゃったんだから」
「そうか」
実際に事が露見すれば信用問題に発展する可能性はあるだろう。ヤチヨがいくらこの仮想空間を提供している側だとしてもプライバシーを無断で侵害しているようなものだ。リスクは決して少なくはないだろう。
「でも続けているんだな」
「うん」
「これからも?」
「うん」
「俺にバレたのにか」
「タローが内緒にしててくれれば大丈夫だし」
「そうか」
言い触らすつもりは無い。そもそも言う相手もいない。
「続ける理由は?」
「……めちゃくちゃ個人的な理由だよ」
「無理に聞く気は無い」
ふと思っただけだ。そこまで興味があるわけでもない。
「―――……見たかったの」
ヤチヨが空に浮かぶ巨大なミラーボールを眺めながら言う。
「私の創った
「……何故?」
「今の私ならそういう場所を創れるんだって、思いたかったから」
今の?
「傷つかず、泣かずに済む場所をすごくすっごく大勢の人に知ってもらえるんだって、そう確認したかったの。―――もう、泣いてるだけの力の無い私とは違うんだって」
「……そうか」
意味がわからん。
だが、それでいいんだろう。俺に理解させるつもりはヤチヨにも無いのだろうから。
ヤチヨに倣い、俺も空を見上げる。こうして2人並んで夜空を眺めるのは果たして何度目だっただろうか。
視線を変えないままにヤチヨが口を開く。
「タロー、聞いてもいい?」
「なんだ」
「この前のライブのこと」
ライブ? この前、ということはヤチヨのミニライブとやらのことだろうか。
「あの時タロー言ったよね。『かぐやを、大切に大事にしている』って」
「そう、だったか?」
「うん。そうだった」
「そうか」
あまり詳しくは覚えていないが、ヤチヨが言うならそうなんだろう。
「……あれって、さ」
「……」
「その……」
何故か俯き言い淀むヤチヨ。
なんだ?
「―――……それは、かぐやちゃんが
「そうだ」
間髪入れずに即答する。
深く考える必要もない至極簡単な問いだった。
「かぐやは子供で、だからこそ大切で大事だ」
「―――っ」
息を呑む音が聞こえたので、横目でヤチヨの様子を窺う。
唇を噛み締め、ひどく辛そうな表情をしていた。
「ヤチヨ?」
「―――それはっ!」
名前を呼んだが、それには答えず新たに問いを投げかけてくるヤチヨ。
「それは―――ヤチヨとそう約束したからなの……?」
目線を決して合わせようとしないまま、そう聞いてくる。
その態度を訝しく思いつつも、答えを返す。
「そうだ」
「―――ぁ」
「ヤチヨと約束をした。あのライブの時にそれ以外の理由なんてなかった」
約束があった。たった1人の友人との約束が。
俺とそれ以外の他者。それしかいない筈のこの世界で、唯一俺を友と呼んだ
『だからタローも子供は大事にするんだよ』
『子供は尊い存在なんだから、驚かしたり、怖がらせちゃダメって話。大切にだーいじにしなくてはいけないのだっ』
くだらなく、どうでもよくて、欠片もその意図を理解できない約束が。
慣れない赤ん坊の世話をして疲労し、睡眠時間を削られ、所持金を減らした。
成長した少女に食事を与え、欲した物品を購入し、望んだままに行動を許した。
一体何度その約束を放棄しようと思っただろうか。俺は結構本気で考えていた。
でも、そうはしなかった。出来なかった。
―――だって、
だから俺はあのライブの時に、まだ生きていた。約束を守るためには、まだ死ねなかったから。
それがあったから、俺はその後にかぐやと約束をした。『協力をする』と。
故に俺はここにいる。ヤチヨとの約束があったから、俺はまだ生き残ってしまっている。
「……そっか。そっかぁ」
俺の返答を聞いて疲れたように大きく息を吐くヤチヨ。何か思うところでもあったのだろうか。
「どうした」
「―――この間、それがなんでそうなったのか気になって、過去のヤチヨとタローの会話ログを全部見返してたんだ。そしたらさ、出てきた」
「出てきた?」
「タローと分体のヤチヨが子供のことについて話してるログが出てきたの」
夜空を見上げて、笑顔を受かべてそう言うヤチヨ。
「そのログ見つけた時は、さすがにこれじゃないだろ、なんて笑って自分を誤魔化そうとしたけど無理だったよね。だってタローが『了承した』って言ってるんだもん。これ以外の理由が考えられなかったよ」
「……そうか」
「で、それがわかってからは考えが全然纏まんなくてさ~。悲しかったり辛かったり寂しかったり、でも会えて嬉しかったり。そんな思いが胸の中でゴチャゴチャした結果、なんか最終的にフラットな気持ちになってね」
「……そうか」
なんで俺とした約束でヤチヨがそんなに悩んでいるのか、それがわからん。
さっきから何を言ってるんだこいつは?
「だから今はなんていうか、ふとなんとなく後ろを振り向いてみたら――――綱渡りを渡り切ってた時の気分なんだよね」
「……そう、か?」
綱渡り? なんでだ?
「……タロー、いくつか質問していい?」
「ああ」
別に構わないが。
「タローってさ、ヤチヨのファンが見ただけで取り乱すようなすごいライブチケットくれるような友達っている?」
は?
「……いるが」
「じゃあ配信、ライバー活動についてアドバイスをくれる友達はいる?」
「……くれるかは知らないが、可能性がありそうな友人はいる」
「それって、誰?」
何でそんなことを聞いてくるんだ? 答えなどわざわざ聞かなくても知ってるだろうに。
「月見ヤチヨだ」
浦野真太郎にとって唯一の友人だ。
「だよね………だよねぇ~」
俺の言葉に何故か項垂れるヤチヨ。
今日は本当にどうしたんだ? さっきから変な言動や行動ばかりだぞ。
訝しみながら見ていると、ガバリと体を起こしてそのまま立ち上がるヤチヨ。そしてその勢いのまま両手を左右に大きく広げる。すると周囲の環境音が唐突に全て消え失せる。
これは―――
「―――タロー、ちょっと耳塞いでてもらっていい?」
「なに?」
「そんでもし何か聞こえちゃっても全力で聞き流してすぐに忘れて」
「……了承した」
ベンチに座ったまま両手を耳に当てる。
これで完全に音を消せるわけではないが、それはヤチヨも理解しているはずだ。俺はヤチヨがいいと言うまで適当に考え事でもしていればいいのだろう。
視界の中でヤチヨが大きく息を吸い込み、口を開く。
「わっかるかそんなもーん!?」
大声が響く。
が、無視。俺は聞いていない。明日からのことでも考えよう。
「友達がいるってのは知ってたよ! 知ってたけどその相手が誰かなんて知るわけないじゃん! だって何回教えてって言ってもずぅーっと教えてくれなかったじゃん!」
かぐやは一体いつまで俺を食事に誘うつもりなのだろうか。俺に美味しいと言わせたいのはわかるがそんなのは無理だ。その感覚が理解できないんだから。だが言わないとこれからもずっと食事に誘われる気がしてならない。どうするべきか。
「ヤチヨガチ勢がめっちゃ変な反応するレベルのレアなチケットなのは知ってた! それなのにライブでは最前とかじゃなくて普通に後ろで一緒に見てたって事実をど忘れしてた! しょうがないじゃん! 何年前だと思ってんのさ!」
いっそ『美味しい』と嘘を吐くのはどうだろうか。かぐやが求めている言葉を口にすれば、これ以上食事を共にする理由もなくなる。夏休みに入ってからはかぐやと、そして家にいれば酒寄とも一緒に3食を共にしている。おかげで衰えてきていた肉体が力を取り戻してきている。
「だからヤチヨが初めての友達って聞いて『ああ、タローはしんたろーじゃないんだな』って思ったのに! この時期には友達がいるはずなのにいないって言うから私がどこかでポカやらかしたと思ったのに!」
どうせ殺し合いはもう出来ないと判断して、ここ数年は碌に栄養も取らずにいたんだがな。鍛える意味も無いし。剣の技量だけは衰えさせないようにしていたが。
そういえばかぐやがたまに部屋で俺の木刀を握ってるがあれは何がしたいんだろうか? 今度聞いてみるか? ………いや、いいか。何かあれば向こうから言ってくるだろう。俺はあくまで協力者。主体はかぐやだ。
「っていうか一番意味わからないのは約束だよ約束! 1年前だよ1年前! しかも雑談! さらに言えば分体のヤチヨと! わ・か・る・か・そんなもーん! そんなサラっとした話がここまで尾を引くなんてわかんないよー! あの話を聞いた当時の私めっちゃくちゃ嬉しかったのに! しんたろーのバーカバーカ!」
協力といえばヤチヨカップのことも問題だ。現実問題としてかぐやに優勝は可能なんだろうか? あいにく俺はこの手のイベントに詳しくはない。だが現在のかぐやいろPチャンネルの順位でそこまで駆け上がれるものなのか? かぐやはここから一気に上がって行くと言っていたが。
「もっと言えばヤチヨもだよ! あの時のあの意味深な視線と『そのうちわかるよ』ってアレそういう意味!? 一体何年越しの伏線回収だよっ! ホントふざけんなー! もっとわかりやすいヒントにしろアホー! 私も同じことしてやるからなー!」
となると必要なのはやはり今後の方針だな。それも実用的な。先程ヤチヨがアドバイスがどうとか言っていたが、助言を貰えるのだろうか? もしそれが可能ならばありがたい。ヤチヨはトップライバーと称されている―――らしい。よくわからないがトップともなれば相当な知識もあるだろう。その力を借りられれば優勝の可能性も上がる、か?
「タローはしんたろーじゃないって諦めたところにこれだもん! もう最悪だよ最悪! 私の感情ぐっちゃぐちゃだよホントに! 彩葉に対してとは全ッ然違う意味でドッキドキだよもう! これで私に体があったら卒倒してるところだよ!」
そういえば優勝出来なかったらどうするか考えてなかったな。かぐやとの約束は優勝を前提としたものだ。それが為されなかった場合の条件を何も付けなかったな。
……まあ、別にいいか。その場合でもどうせ死ぬだけだ。優勝してもどうせ死ぬんだから変わらない。特別考慮する必要もないか。
「そして一番腹立つのが、ここまで不満があっても―――しんたろーにまた会えたのが嬉しいこと! 私の知ってる本人と再会出来たのがホントのホントに心の底から嬉しいこと! そんなチョロすぎな私が一番ムカつくぅー! おばあちゃんのくせにー! 自分の歳考えろー!」
今後のことについて耳を塞ぎながら考えていると、ふと手の向こうが静かになったのに気付いた。目だけを動かすとヤチヨが肩で息をしているのが見える。
仮想空間で疲労を感じているのか? というかAIは疲労するものなんだろうか?
そんな疑問を抱いているとヤチヨが軽く手を振ったので、耳を塞いでいた手を離す。
「終わったか」
「……うん、終わった」
先程消えた環境音も戻ってきている。
俺もこの広場から出ていればわざわざ耳を塞がなくてもよかったんじゃないか?
「タロー」
「なんだ」
「ちょっと膝貸して」
「……なに?」
意味がわからず聞き返すと、ヤチヨが座っている俺に向かって倒れてきた。
その体を腕で受け止め、俺から20センチほどの距離にあるヤチヨの顔を見る。妙に疲れた顔をしている。どうした?
「ひざまくら~」
「……そうか」
言われるがままにヤチヨの頭を俺の膝の上へと下ろすと、見下ろす俺とベンチに仰向けに寝そべったヤチヨの見上げた視線が絡み合う。なんだこの態勢。
膝の上に感触はあるし重みもある。だが軽いし薄い。いつもの仮想空間ならではの感覚だ。
「タロー、手」
「手?」
「うん。右手で握りこぶし」
言われた通りに拳を作りヤチヨの目の前に差し出す。するとそれに対して彼女も拳を作り、俺の拳にコツンと軽くぶつけてきた。
なんだ?
「ヤチヨ?」
声をかけるが無視される。それから2度3度と拳をぶつけ、5度目の衝突を最後にヤチヨは己の拳を下げた。それを見て俺も自身の手を下ろそうと思ったが、その前に声がかかる。
「撫でて」
「……ヤチヨ?」
「あたま」
その言葉に俺は自身の手とヤチヨの頭部の間で視線を往復させる。
何故?
「あたま撫でて。お願い」
「……了承した」
もしかしたら調子が悪いのだろうか。ヤチヨはツクヨミの管理人としてこの広大な世界を守っている存在だ。その仕事量は俺には想像もつかないものだろう。おそらくは相当に多忙なのだ。
右手をヤチヨの頭に乗せ、銀糸のような髪を撫でる。
「タロー、撫でるのヘタクソだね」
「だろうな」
「もっと心を込めて撫でてー」
「無理を言うな」
「じゃあ、もっと優しく撫でて」
「了承した」
「……」
「……」
目を瞑って俺の手にされるがままのヤチヨ。その顔は何故かとても落ち着いたような表情を浮かべている。他者に撫でられるのが好きなのか?
「……タロー」
「なんだ」
「アドバイス、欲しい?」
「ああ」
必要だ。
俺に、というよりも『かぐやいろPチャンネル』にとって必要だ。
結局俺達3人はライバーというものがどういったものなのかよくわかっていない集団でしかない。知識はインターネットで調べた断片的なものしかないのだ。
だからこそ、トップライバー月見ヤチヨのアドバイスが手に入るのならば、それはきっと値千金の価値があるはずだ。
「条件次第だけど、いいよ」
「……条件とは?」
俺に為せることならばいいのだが。
「あと10………いや5分………3分撫でてくれたら教えてあげる」
予想の数段下をいく条件だな。
「構わんぞ」
「え?」
「10分でも、それ以上でも。別にこのあと用事があるわけでも無い。ヤチヨが望むのならばいくらでも付き合おう」
「―――ぁ」
真っ直ぐに膝の上のヤチヨを見つめる。
俺の返答に最初は驚いたように目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべる。
「―――……なら、もう少しこのままでいて」
「ああ」
「いいって言うまでだからね」
「ああ」
「……もうこんなこと、頼んだりしないから」
「そうか」
「だから、もう少しだけ……」
「了承した」
そうして俺は星とミラーボールの輝きに照らされながら、瞳を閉じてどこか嬉しそうな表情をしたヤチヨの頭を暫くの間撫で続けた。
名ばかりディレクター/浦野真太郎
実質カメラマンなオリ主くん。ディレクション? なにそれ? なのだから仕方ないけど。でももうちょっとやる気を出してもいい気はするぞオリ主くん。
本人が思っている以上にヤチヨを結構信頼しているオリ主くん。ただ口には出さないのでそのことを誰も知らないのが問題だが。せめてヤチヨには言ってやりなさい。
かぐやのオネダリに勝てない/酒寄彩葉
普段は勉強なりバイトがあるのでライバー活動に積極的に関わってはいないが、合間の時間で動画のチェックとかはちゃんとしている。かぐやには言ってないけど。
自分の作った曲をめちゃくちゃ楽しそうに歌ってくれたので、毎回結構内心すごく喜んでるけど、あまり表には出さない。恥ずかしいので。そういうとこだぞいろP。
絶賛売り出し中の新人ライバー/かぐや
祝ファン数500人突破! とかの記念動画とかもちゃんと撮ってる。やりたいことは古かろうが新しかろうがなんでもやるスタイル。ただ周囲に被害が出るものは今後はちょっと気を付けるつもり。基本彩葉もしんたろーも優しいけど、怒るときはちゃんと怒られてしまうので。反省。
オリ曲発表ライブがすっごく楽しかった。これでこんなに楽しいならヤチヨとのコラボライブだとどれだけ楽しいんだろうと期待に胸を膨らませている。
色々あって疲れてた人/月見ヤチヨ
本作のヤチヨの分身設定は簡単に言えばNARUTOの影分身と思えばOK。本人の能力、行動、思考を持ったう上で自身が分体だと確かに認識している感じ。
なので「今日は2人に『わたすき』披露する日だし、せっかくだから見に行っちゃおうかな」と本体が考えてる時は、分体も同じことを考えている。まさかバレるとは思ってなかった。
久しぶりに甘えた。すごく懐かしくてなんだか泣きたくなったが、頑張って我慢した。えらい。