『新蘭』ガチ勢のベルモットがいるんだから、『コ哀』ガチ勢がいてもいいだろう! 作:菖蒲の花
足早に広田健三のアパートを飛び出し、路肩に停めてあったパトカーの運転席に滑り込む。
即座にエンジンをかけ、シフトレバーに手を伸ばしたその時だった。
「――ねぇ、千代田刑事。ボクも連れてってよ」
助手席の足元から、ひょっこりと小さな生首が突き出すように現れた。
私は思わず息を呑み、心臓が跳ね上がるのを自覚しながら、隣のシートを鋭く睨みつける。
「コナンくん……!? あなた、いつの間に乗り込んだのよ。ここは子供の遊び場じゃないわ、早く降りなさい!」
「ダメだよ、ボク、さっきここに来る途中で『広田雅美』さんっぽい人を見たんだ。今から行けば、まだ追いつけるかもしれないよ!」
眼鏡の奥の小さな瞳が、まっすぐに私を見つめてくる。その眼光は、とてもただの小学生のものとは思えなかった。一年前、飛行機の中で鋭い視線で事件の真相を突いてみせた、あの工藤新一の影がどうしても重なる。
「見たって……本当なの?」
「うん、見間違いじゃない。ここから少し離れた大通りを、何かに追われるみたいに急ぎ足で歩いていくのが見えたんだ。案内するから、お願い!」
コナンくんは助手席に深く座り直し、カチリとシートベルトを締めた。その迷いのない仕草に、これ以上押し問答をしている時間はないと判断する。
広田健三こ娘を名乗る女性、彼女が事件を解決する鍵であることは明白だ。
「……分かったわ。ただし、私の指示には絶対に従うこと。いいわね?」
「うん!」
「よし、シートにしっかり捕まってなさい。私の運転は、そこらのタクシーより激しいんだから!」
アクセルを思い切り踏み込むと、パトカーは甲高いタイヤの悲鳴を上げて急発進した。
バックミラーに映るアパートの入り口では、高木くんが「あ、あれ!? 千代田さんどこ行くんですかー!?」とパタパタ手を振っているが、今は構っていられない。
「コナンくん、どっちの方向よ!」
私の問いに、コナンくんは眼鏡の縁を触ってから私に指示する。
「あの信号を右! その先にある、ホテルに向かってたんだ!」
小さな探偵の指差す先を睨み据えながら、私はハンドルを大きく切った。
パトカーが滑り込んだのは、倉庫街の片隅に佇むうらぶれたビジネスホテルの前だった。
車を飛び降りてロビーへ滑り込む。フロントの受付嬢に警察手帳を突きつけ、鋭い口調で迫った。
「警視庁の千代田よ。ここに『広田雅美』という女性が宿泊しているはず。部屋番号を言いなさい!」
「え、あ、はいっ! 202号室です!」
よし、と頷いて隣を見下ろす。
「202号室ね。いい、ここから先は危険だから、コナンくんはパトカーで待って……って、ちょっと! 勝手に行かないでよ!?」
私の静止などハナから聞く気がないらしく、すでにロビーを駆け出している小さな背中。呆れつつもその後を追いかけ、私たちはエレベーターに飛び乗ろうとした。
その時、チーンという硬質な音と共に、上から降りてきたエレベーターの扉が開いた。
中から出てきたのは、大きなジェラルミンケースを3つも台車に乗せて運ぶ、小柄なスーツ姿の女性。俯きがちに私たちの横を通り過ぎていく。
一瞬の交錯。
私はその女性の後ろ姿を、ゾッとするほど冷徹な目線で、文字通り毛穴の一つまで暴くようにじっくりと観察した。だが、コナンくんの手前、何事もなかったかのようにすぐ視線を戻し、急いでエレベーターの籠の中へ滑り込んだ。
2階へ到着し、通路を駆ける。
「雅美さん! いるなら開けて!!」
202号室の扉の前で、コナンくんが必死にノックしながら呼びかけるが、室内からは微かな衣擦れの音すら返ってこない。
こうなれば、一刻の猶予もない。強行突破だ。器物破損の始末書くらい、後で高木くんにでも泣きついて代わりに書いてもらえばいい。
「コナンくん、下がってなさい」
小さく息を吐き、右の拳にぐっと力を込める。警察学校時代から同期の誰よりも秀でていた、私の自慢の右ストレートを力任せに振るった。
――ドンッ!!!
鼓膜を揺らす鈍い衝撃音と共に、ホテルの華奢なドアノブの噛み合わせが粉々に破壊され、扉が勢いよく内側へ跳ね返る。
「うわぁ……」とリアルにドン引きした表情を浮かべているコナンくんを横目に、私は一歩早く部屋へと突入した。
だが、鼻腔を突いたツンとした刺激臭と、視界に飛び込んできた光景に、私は足を止めた。
そこには、ベッドの壁に寄りかかるようにして、完全に息絶えている大男の姿があった。
「――青酸カリによる、服毒死ね」
遺体の状況を瞬時に見分けた私の脳内で、パズルのピースが音を立てて繋がっていく。
目の前で転がっている大男は、10億円強盗事件で警備員を冷酷に殺害した実行犯だろう。そして、先ほどアパートで吊るされていた広田健三が、高い運転技術を持つ運転手役。彼らは10億円という巨額の現金の強奪に成功した後、取り分の取り合いか何かで仲間割れを起こしたのだ。
男が大男の手によって絞殺され、その大男も今度は毒殺された。そして、最後に生き残ったもう一人の実行役――小柄の女性が、10億円のすべてを手にして持ち逃げした。
そして、その狡猾な小柄の女性こそが、素性を隠して『広田雅美』を名乗り、毛利探偵事務所に健三の捜索を依頼した人物。
「……ってことは、さっきエレベーターですれ違ったあの女っ!?」
私と同じ結論に一瞬で至ったコナンくんが、私のスーツの袖を強く引いて走り出す。
「さっきのエレベーターの女が、広田雅美だって言うの!?」
「間違いない! 広田雅美を名乗ったあの女こそが、10億円強盗事件の実行犯の生き残りだ! あのジェラルミンケースの中に、奪った10億円が入ってるんだよ!」
ホテルを飛び出すと、どんぴしゃりのタイミングで、先ほどのエレベーターの女性が重そうなケースを車のトランクに積み込み、運転席へ乗り込むところだった。
ガタゴトと荒々しくエンジンが回り、車が急発進する。
「乗りなさい、コナンくん!」
私たちは同時にパトカーに飛び乗った。キーを回し、アクセルを床まで踏みちぎるようにして彼女の車の後を追う。
赤色灯を激しく明滅させながら追跡する私たちの前で、彼女の車は一般道を外れ、重々しい潮の香りが立ち込める寂れた港湾コンテナ地帯へと、吸い込まれるように入っていった。
「あそこね。危ないからここに隠れてて、コナンくん」
コンテナが巨大な迷路のように入り組んだ港の最奥。
広田雅美を名乗る女性は、夕闇の迫るコンテナの隙間で、全身を不吉な黒に纏った金髪の男とサングラスをかけた男の、二人組と対峙していた。
「――あいつらっ!?」
私の隣で、コナンくんが息を呑み、驚愕に引き裂かれたような声を上げる。
私は見つからないよう、コナンくんの頭を力づくで地面に向けて押さえつけた。
「千代田さん、痛い、痛いから離してっ……!」
「いいから静かにして。……必要があれば私が突入するから」
低く凄みのある声で少年の口を封じ、私は息を殺して向こうの会話に全神経を集中させる。
「さあ、金を渡してもらおうか、」
「ここにはないわ、ある所に預けてあるの」
「なにい!!」
「その前に妹よ!!」
明美の悲痛な叫びが、潮風を切り裂いて響く。
「あの子をここへ連れて来れば、金のありかを教えるわ!」
「そいつはできねー相談だ」
冷酷に言い放つジンの声に、私の奥歯がギリ、と軋んだ。
「約束したはずよ! この仕事が終わったら、私と妹を組織から抜けさせてくれるって……!」
「フン、あいつは組織の中でも有数の頭脳だからな……。お前と違って、組織に必要な人間なんだよ」
「じゃあ、あなた達最初から……!」
「最後のチャンスだ。金のありかを言え」
長髪を揺らし、ジンが容赦なく懐から黒い銃身の拳銃を取り出して彼女に向ける。
「あまいわね……私を殺せば、永遠にわからなくなるわよ!」
「あまいのはお前の方だ。大体の見当はついている。それに言っただろ? 最後のチャンスだと……」
――その瞬間、私の視界はひび割れた世界のように凍りついた。
サーチライトの白い光が交錯する、コンテナに囲まれた薄暗い夜の埋立地。
金髪の男が、冷酷な薄笑いを浮かべながら、対峙する一人の女性に向けてサイレンサー付きの拳銃の銃口を突きつけていた。
「待って、コナンくん!?」
私の制止の声は、極限の焦燥に駆られた名探偵の耳には届かなかった。コナンくんは弾かれたような速度でコンテナの陰から飛び出していく。
「――っ、しまっ……!」
私も即座に彼を追ってコンテナの影から蹴り出したが、ほんの刹那、一足遅かった。
ジンは無慈悲に拳銃の引き金を引く。
乾いた小さな発射音。直後、標的となった女性の脇腹から鮮血が激しく吹き出し、彼女は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「誰だお前らっ!?」
大柄な男――ウォッカが銃声をかき消すような怒号を上げ、侵入者である私たちに銃口を向けようとする。
だが、その銃口がこちらに固定されるより早く、私の身体は刑事としての、そして一人の人間としての激しい怒りに突き動かされていた。
「動くんじゃない……っ!!」
私は凄まじい踏み込みでコンテナの影を飛び出すと、男たちとの距離を瞬時にゼロにまで縮める。
まずは手前にいたウォッカの懐へと滑り込み、彼が握っていた銃の銃身を容赦なく右手で叩き上げた。ガツン、と硬い衝撃が走り、ウォッカの放った一発が夜空へと虚しく弾かれる。そのまま流れるような動作で、彼の太い手首を掴んで捻り上げ、強烈な膝蹴りをその分厚い腹部へと叩き込んだ。
「がはっ……!? このアマ……ッ!」
巨体がわずかに揺らいだ隙を見逃さず、私はウォッカの身体を盾にするように位置を入れ替え、その奥で冷徹に銃口をこちらへ補正しつつあったジンを睨み据える。
「フン……妙なネズミが紛れ込んだと思えば、警察か。」
ジンは不敵な笑みを崩さないまま、ウォッカごと私を撃ち抜くことも厭わない冷酷さで、瞬時に引き金に指をかけた。
危ういところでウォッカの身体を突き飛ばし、私は横へと鋭くローリングしてコンテナの金属壁に身を隠す。直後、私がいた地面のコンクリートが火花を散らして弾けた。
私は上着の内ポケットから愛用の拳銃を引き抜き、コンテナの陰からジンの右腕を狙って鋭く弾丸を放つ。
だが、奴の反応速度もまた人間の域を超えていた。ジンは翻る黒いコートの陰に身を隠すようにして弾道を避けると、容赦のない精緻な連射で私の退路を塞いできた。銃弾がコンテナの角を激しく削り、火花が私の頬をかすめる。
(信じられない……なんて戦闘精度なの……っ!)
この私が、サシの撃ち合いでここまで圧倒されるなんて。背中に冷たい汗が伝わるのを感じながら、私は残弾数と周囲の地形を脳内で素早く計算する。
「チッ、ジン! 遠くからサイレンの音が聞こえやすぜ! サツの増援だ!」
ウォッカが忌々しそうに周囲を警戒しながら叫ぶ。
その言葉通り、臨海線の向こうから微かに、けれど確実に近づいてくるパトカーのサイレンの音が夜の静寂を切り裂き始めていた。私が突入する直前、事前に応援を要請しておいたのが功を奏したのだ。
ジンは忌々しそうに目を細め、私の潜むコンテナへと冷徹な一瞥をくれた。
「……潮時だな。行くぞ、ウォッカ。ネズミ一匹に構っている時間はない」
「へ、へい!」
「待ち、なさい……っ!」
私はコンテナの陰から飛び出し、逃走を図る二人の背中に向けて銃口を構えたが、奴らはあらかじめ用意していた漆黒のポルシェへと滑り込み、凄まじい排気音を響かせて夜の闇へと急加速していった。テールランプの赤い光が、雪の混じる暗闇の中へと瞬く間に溶けて消えていく。
「はぁ、はぁ……っ……!」
激しい硝煙の臭いの中、私はきつく銃を握りしめたまま、その場に膝をついた。
胸の動悸が収まらない。黒ずくめの男たち――この日本に、これほど危険で冷酷な犯罪組織が存在していたなんて。
「そうだ、コナンくん! あの女性は!?」
私はハッとして銃を収めると、ジンの凶弾に倒れた女性のもとへと、泥だらけになりながら必死に駆け寄った。
「雅美さん、しっかりして!!」
「千代田さん、早く救急車を!」
先に彼女の身体を抱き起こしていたコナンくんが、悲痛な声を張り上げる。
だが、その身体に触れた瞬間、私は己の指先が冷たく凍りつくのを感じた。
「……無駄よ。もう、手遅れだわ」
胸を深く撃ち抜かれた彼女の呼吸はかすれて浅く、血の泡がその綺麗な唇から溢れていた。すでにその瞳からは、急速に生気が失われつつある。
雅美さん――いや、明美は、涙を流すコナンくんの手を弱々しく掴み、消え入りそうな掠れた声で最期の願いを紡いだ。
「さ、最後に……私の言うこと、聞いてくれる……? 10億円の入ったスーツケースは……ホテルの、フロントに預けてあるわ……。そ、それを奴らより先に取り戻して、ほしいの……。もう、これ以上……奴らに、利用されるのは、ゴメンだから……」
「10億円はホテルのフロントにあるのね?」
私は彼女の言葉を脳内で強く反芻し、決然と立ち上がった。あえてコナンくんをこの場に留まらせるように、強くその肩を叩く。
「私は今すぐ、表に待機させている警察と救急車を呼んでくるわ! コナンくんはそのまま、彼女の傍を離れずに看病していて!」
「わ、わかった!」
コナンくんが必死に頷くのを見届け、私は埠頭の暗闇へと走り出した。
こうして、世間を激しく震撼させた『10億円強奪事件』は、最悪の結末をもって幕を閉じた。
主犯格の男二人に続き、広田雅美を名乗っていた女性も死亡。実行犯である3人は全員がこの世を去った。
後に、警察の厳重な身元調査によって、亡くなった女性の真の姓名は『宮野明美(みやの あけみ)』であることが判明する。
現場に駆けつけた目暮警部たち捜査一課は、コナンくんの証言をもとに彼女を殺害したとされる「黒ずくめの男たち」の行方を血眼になって追った。しかし、周到に痕跡を消し去る彼らの前にはいかなる手がかりも残されておらず、結果として「証拠不十分」のまま、捜査の打ち切りを余儀なくされてしまったのだ。
そして――彼女が最期の遺言としてこの世に遺した、あの10億円。
明美の言葉通り、警察が指定されたホテルのフロントへ確認しに行ったところ、預けられていたスーツケースの中から、強奪されたものと完全に札番が一致する大量の現金が発見された。奴らの手に渡る前に、現金を無事、警察の手で回収することに成功したのだ。
夕闇に染まる警視庁の屋上。私は冷たい冬の風に吹かれながら、埠頭の闇で出会ったあの圧倒的な『悪』の気配を思い出していた。
警察の目をあざ笑い、一人の女性の命を虫ケラのように奪い去った、あの金髪の男。
白日の下に引きずり出されることを待つ、巨大な犯罪組織。
(――宮野明美さん。あなたの無念は、決して無駄にはしないわ)
私は上着のポケットの中で、警察手帳をきつく握りしめた。
胸に燃え盛る激しい正義の炎。私は心に深く誓う。いつか必ず、あの二人組の黒ずくめの男たちを私の手で逮捕し、その背後にうごめく組織のすべてを解明して、白日の下に曝け出してみせると。
それが、正義を背負う警視庁捜査一課の刑事――「千代田凛」としての、戦いの始まりだった。